園芸店にはパンジー・ビオラとともに秋のバラ苗が入荷して、にぎわい、笑顔があふれています。
杉村さんちには四季咲きのバラが数輪咲いていました。
そしてローズヒップも。
春の花咲き乱れる絢爛豪華な庭もいいですが、秋のこういう静かな庭もまた、いいものですねえ。
実が生って、鳥が来て、そんな秋の庭を感じながらうろこ雲の下でバーベキュー。
ひと通り日中の撮影が終わって、暗くなるまでの一時間ほどを、囲炉裏の前で読書をして過ごしました。奥様がコーヒーを出してくださって、近所からはピアノを練習する音が流れて来て、下の遠くの方からは(この庭は高台にあります)公園で遊ぶ子供たちの歓声が聞こえました。満ち足りた一時間でした。
あたりが薄暗くなってきた頃合いを見計らって、夜の部の撮影開始。明日からご覧いただきます。
出身はどこですか?と問われて「新潟の魚沼です」と答えると、必ず「お米がおいしいところですね!」と返ってきます。郷土をほめられたようで、ちょっと誇らしい気分になります。米どころ新潟。
ところがです、年輩の方は記憶にあるかもしれませんけど、終戦直後は「新潟の米はまずい」と言われていたそうです。うまい米は秋田か山形、安くてまずい米なら新潟米。
そこで登場したのがコシヒカリです。「他県に負けないうまい米を生産したい」という思いから当時新品種だったコシヒカリの作付けが始まったのです。
しかし、最初はなかなかうまくいかなかったといいます。それまでの稲と比べるとものすごくデリケートで、常に葉の色を観察しながら、水や肥料の加減とタイミングをはからなければなりません。手間がかかるのです。
そこで越後人の生真面目さが発揮されます。葉の色の変化を確認するための色見本を手に、稲を観察し、毎朝暗いうちに田んぼに行って水を調整して、何年もそうしているうちに収穫量も上がり、徐々にコシヒカリの美味さが全国に知れ渡って行って、ぼくが小さい頃は「米ならササニシキかコシヒカリだろう」と言われるようになっていました。
天下のササニシキや、追随してきたコシヒカリの改良品種であるアキタコマチと肩を並べ、ついには抜きさって「うまい米なら新潟産コシヒカリ」という評価が定着し、その中でも魚沼産が別格の評判になったのには、他の地域が真似できない3つの理由があります。
まずは魚沼が盆地だということ。夏やたらに暑いんですね。高温多湿の魚沼の空気が米の生育に適しているのだといいます。
次に、背後に山を背負っているということ。越後三山や只見の、分厚い自然のふもとに田んぼがあるのです。水も土もその山からの恩恵で肥沃で清らかで、そのおかげで特上の米になるのです。だから魚沼産コシヒカリは越後の山々の産物であるとも言えます。
そしてもうひとつが、魚沼は錦ゴイの生産地だということです。錦ゴイの他にも冬のタンパク源として、食用のコイが村のいたる所で飼われていて、その池に使う水は田んぼの用水路からですから、除草剤や殺虫剤などの農薬をほとんど使いません。他の地域が使っている量の農薬を散布したら池のコイは死んでしまいますからね。農薬をほとんど使わない分、田の草取り(雑草取り)や管理が何倍も手間がかかりますが、そこは生真面目で辛抱強い魚沼人気質がカバーしている、というわけです。
この3つの理由によって、同じ品種であっても魚沼産は格別の味になります。
三日間にわたって魚沼産コシヒカリのあれこれを書きましたが、そのきっかけは渡辺謙の「米を食わないと調子が出ない」という言葉でした。
今や世界の渡辺謙。魚沼の人たちの自慢の種であり、ぼくにとってはなつかしい幼なじみの彼が、主演映画「沈まぬ太陽」の公開に合わせてアメリカから帰国しています。そしてテレビでいいこと言ってましたので、明日はそれを。
杉村さんちには四季咲きのバラが数輪咲いていました。
そしてローズヒップも。
春の花咲き乱れる絢爛豪華な庭もいいですが、秋のこういう静かな庭もまた、いいものですねえ。
実が生って、鳥が来て、そんな秋の庭を感じながらうろこ雲の下でバーベキュー。
ひと通り日中の撮影が終わって、暗くなるまでの一時間ほどを、囲炉裏の前で読書をして過ごしました。奥様がコーヒーを出してくださって、近所からはピアノを練習する音が流れて来て、下の遠くの方からは(この庭は高台にあります)公園で遊ぶ子供たちの歓声が聞こえました。満ち足りた一時間でした。
あたりが薄暗くなってきた頃合いを見計らって、夜の部の撮影開始。明日からご覧いただきます。
出身はどこですか?と問われて「新潟の魚沼です」と答えると、必ず「お米がおいしいところですね!」と返ってきます。郷土をほめられたようで、ちょっと誇らしい気分になります。米どころ新潟。
ところがです、年輩の方は記憶にあるかもしれませんけど、終戦直後は「新潟の米はまずい」と言われていたそうです。うまい米は秋田か山形、安くてまずい米なら新潟米。
そこで登場したのがコシヒカリです。「他県に負けないうまい米を生産したい」という思いから当時新品種だったコシヒカリの作付けが始まったのです。
しかし、最初はなかなかうまくいかなかったといいます。それまでの稲と比べるとものすごくデリケートで、常に葉の色を観察しながら、水や肥料の加減とタイミングをはからなければなりません。手間がかかるのです。
そこで越後人の生真面目さが発揮されます。葉の色の変化を確認するための色見本を手に、稲を観察し、毎朝暗いうちに田んぼに行って水を調整して、何年もそうしているうちに収穫量も上がり、徐々にコシヒカリの美味さが全国に知れ渡って行って、ぼくが小さい頃は「米ならササニシキかコシヒカリだろう」と言われるようになっていました。
天下のササニシキや、追随してきたコシヒカリの改良品種であるアキタコマチと肩を並べ、ついには抜きさって「うまい米なら新潟産コシヒカリ」という評価が定着し、その中でも魚沼産が別格の評判になったのには、他の地域が真似できない3つの理由があります。
まずは魚沼が盆地だということ。夏やたらに暑いんですね。高温多湿の魚沼の空気が米の生育に適しているのだといいます。
次に、背後に山を背負っているということ。越後三山や只見の、分厚い自然のふもとに田んぼがあるのです。水も土もその山からの恩恵で肥沃で清らかで、そのおかげで特上の米になるのです。だから魚沼産コシヒカリは越後の山々の産物であるとも言えます。
そしてもうひとつが、魚沼は錦ゴイの生産地だということです。錦ゴイの他にも冬のタンパク源として、食用のコイが村のいたる所で飼われていて、その池に使う水は田んぼの用水路からですから、除草剤や殺虫剤などの農薬をほとんど使いません。他の地域が使っている量の農薬を散布したら池のコイは死んでしまいますからね。農薬をほとんど使わない分、田の草取り(雑草取り)や管理が何倍も手間がかかりますが、そこは生真面目で辛抱強い魚沼人気質がカバーしている、というわけです。
この3つの理由によって、同じ品種であっても魚沼産は格別の味になります。
三日間にわたって魚沼産コシヒカリのあれこれを書きましたが、そのきっかけは渡辺謙の「米を食わないと調子が出ない」という言葉でした。
今や世界の渡辺謙。魚沼の人たちの自慢の種であり、ぼくにとってはなつかしい幼なじみの彼が、主演映画「沈まぬ太陽」の公開に合わせてアメリカから帰国しています。そしてテレビでいいこと言ってましたので、明日はそれを。