ウッドデッキの撮影をしながら『音』について考えました。
ご覧の通りで、道路をはさんで小学校のグランドで、風景としての抜けの良さとともに、元気な子どもたちの歓声が広いそらに響き渡っていて、無邪気なエナジーのシャワーを浴びているような心地よさといいますか、ここにいるだけで元気がみなぎってくるのを感じました。
庭にいて聞こえてくる音は、大きな楽しみの要素。虫や鳥の声、風が揺らす木の葉の音など、室内では感じられない心地よさを味わえるのです。
もう何年も前の話ですが、ここと同じように小学校に隣接した庭で『防音』を依頼されたことがありました。結果的にはお役にたてなかったのですけど、音ってむずかしいものだなあと感じました。そのお客さまは小学校から聞こえてくる歓声がいやでいやで、引っ越しも考えるくらいそのことを悩んでいたのです。同じ音をある人は心地よく感じ、ある人にとってはそれがストレスになる。もちろん程度問題ですけど・・・。
これはあくまでも私の経験的な見解ですが、子どもの声を『ノイズ』と感じるのは自分が弱っていたりバランスを欠いているときです。子どもは泣きわめいたり大声で笑ったり、突然奇声を発したりするもの。子育てが過ぎてみれば分かることですが、(子育て真っ最中にはさんざんイライラさせられましたけど)うるさくない子どもだったらそのほうが大問題です。
現代人はノイズに対する耐性が弱まっているといいますが、それはおそらく『耐性』という耐える力が弱くなったというよりも音を聞き流す鈍感さが薄まって、何かと過敏になってきているということでしょう。鈍感でいいんですよ鈍感で。子どもの声をノイズと感じてイラッとするのは自分の状態が良くないのだということ。自分の子でもよその子でも、子どもたちの歓声に思わず顔がほころんでしまうような、そんな自分をキープしながら暮らしていたいですね。
夜半から雪という予報が見事に外れて、がっかりというか良かったというか、何となくどんよりとした朝です。
今日はビッグサム港南台店の最終日。昨日の最後の日曜日はもう商品もないのに大勢のお客さまが来てくださって、皆さん名残を惜しんでいました。ほんとにお客さまに愛されていた店だったんだなあと実感。店の入り口に位置する我々グレースランドとしては、今日の最後の一日もいつも通りにしっかりと営業しようと思います。さっ、朝の掃除からはじめましょ。
ご覧の通りで、道路をはさんで小学校のグランドで、風景としての抜けの良さとともに、元気な子どもたちの歓声が広いそらに響き渡っていて、無邪気なエナジーのシャワーを浴びているような心地よさといいますか、ここにいるだけで元気がみなぎってくるのを感じました。
庭にいて聞こえてくる音は、大きな楽しみの要素。虫や鳥の声、風が揺らす木の葉の音など、室内では感じられない心地よさを味わえるのです。
もう何年も前の話ですが、ここと同じように小学校に隣接した庭で『防音』を依頼されたことがありました。結果的にはお役にたてなかったのですけど、音ってむずかしいものだなあと感じました。そのお客さまは小学校から聞こえてくる歓声がいやでいやで、引っ越しも考えるくらいそのことを悩んでいたのです。同じ音をある人は心地よく感じ、ある人にとってはそれがストレスになる。もちろん程度問題ですけど・・・。
これはあくまでも私の経験的な見解ですが、子どもの声を『ノイズ』と感じるのは自分が弱っていたりバランスを欠いているときです。子どもは泣きわめいたり大声で笑ったり、突然奇声を発したりするもの。子育てが過ぎてみれば分かることですが、(子育て真っ最中にはさんざんイライラさせられましたけど)うるさくない子どもだったらそのほうが大問題です。
現代人はノイズに対する耐性が弱まっているといいますが、それはおそらく『耐性』という耐える力が弱くなったというよりも音を聞き流す鈍感さが薄まって、何かと過敏になってきているということでしょう。鈍感でいいんですよ鈍感で。子どもの声をノイズと感じてイラッとするのは自分の状態が良くないのだということ。自分の子でもよその子でも、子どもたちの歓声に思わず顔がほころんでしまうような、そんな自分をキープしながら暮らしていたいですね。
夜半から雪という予報が見事に外れて、がっかりというか良かったというか、何となくどんよりとした朝です。
今日はビッグサム港南台店の最終日。昨日の最後の日曜日はもう商品もないのに大勢のお客さまが来てくださって、皆さん名残を惜しんでいました。ほんとにお客さまに愛されていた店だったんだなあと実感。店の入り口に位置する我々グレースランドとしては、今日の最後の一日もいつも通りにしっかりと営業しようと思います。さっ、朝の掃除からはじめましょ。