今回はアプローチから駐車場、正面のコニファーガーデン、左に折れてローズガーデン、自然景の庭、ウッドデッキと延々ビフォー・アフターをご覧いただきます。1度にアップできる写真の枚数が限られているので数日かかると思いますが、各部の解説は後回しにしてさらっと、淡々と続けます。
Before 1
After 1
Before 2
After 2
Before 3
After 3
Before 4
After 4
今回使っているレンガは、毎度おなじみのヤキスギレンガ。赤煉瓦倉庫のレンガと同質のものです。耐久性と時間が経った時の風合いがダントツにいいので、いつのまにやらほとんどの現場でこれを使うようになっています。
このヤキスギレンガ、横浜の皆さんにはハマの風情として好評なんですけど、かつて東京の新宿区にお住まいの年輩のお客様にこれを使った提案をしたところ、「このレンガはもの悲しい感じがしていやです」と言われてしまいました。聞くと、東京大空襲を思い出してしまうとのこと。なるほどなあ、悪いことしてしまったなあという気持になったことがありました。実際東京で庭や外構をやっていると、宅地の一段下の地層からレンガが出てきます。他には焼けこげた石くれや材木なんかも。見渡す限りの焼け野原の上に現在の暮らしがあるのだということが感じられて、木の植え穴を掘っていてそういう物が出てくるたびに、悲しいような重苦しいような気持になりました。民間人十数万人が亡くなったわけですから。
おっと、何だか話が大きくそれてしまいました。横浜ではその象徴とも言える素材なので、これからも提案に入れ続けていこうと思っています。このレンガ使って、家族が幸せになる場所をつくり続けていけば、その場所が焼け野原になるような選択をする人は誰もいなくなるでしょう。仮にそっち方向に社会情勢が動きそうになっても、家族との幸せな時間を楽しみながら暮らしている人たちは全力でそれをくい止めようとするはずです。あらあら、また話題が元に戻ってしまいました。ええい、いいや!はっきり言っちゃいます。かつて日本には私が提案し続けているようなタイプの庭が存在しなかった。幸せ家族がもっと幸せになるための庭、家族が集う外の部屋、幸せを積極的にイメージして実現していく暮らし方、もし我々のじいさんとその親の世代にそういう文化や生活意識があったら、あの戦争はなかった。何十万人も死ななくてすんだ、私は本気でそう思っています。
何だかレンガから高邁な話になってしまいましたが、『戦争を知らない子供たち』の重要な役割として『戦争を知らない子供たちの子供たち』に親父やじいさんたちが経験した戦争をきちっと伝えなくてはいけないと、毎年8月になるとそう思っているのです。今日はどうしても話が庭のことに戻らなくなってしまいました。まあこんな日もあります。
という、ちょっと重い雰囲気のところに北原さんからのコメントが届きまして、スカーッと気分が晴れました。感謝感謝です。
Before 1
After 1
Before 2
After 2
Before 3
After 3
Before 4
After 4
今回使っているレンガは、毎度おなじみのヤキスギレンガ。赤煉瓦倉庫のレンガと同質のものです。耐久性と時間が経った時の風合いがダントツにいいので、いつのまにやらほとんどの現場でこれを使うようになっています。
このヤキスギレンガ、横浜の皆さんにはハマの風情として好評なんですけど、かつて東京の新宿区にお住まいの年輩のお客様にこれを使った提案をしたところ、「このレンガはもの悲しい感じがしていやです」と言われてしまいました。聞くと、東京大空襲を思い出してしまうとのこと。なるほどなあ、悪いことしてしまったなあという気持になったことがありました。実際東京で庭や外構をやっていると、宅地の一段下の地層からレンガが出てきます。他には焼けこげた石くれや材木なんかも。見渡す限りの焼け野原の上に現在の暮らしがあるのだということが感じられて、木の植え穴を掘っていてそういう物が出てくるたびに、悲しいような重苦しいような気持になりました。民間人十数万人が亡くなったわけですから。
おっと、何だか話が大きくそれてしまいました。横浜ではその象徴とも言える素材なので、これからも提案に入れ続けていこうと思っています。このレンガ使って、家族が幸せになる場所をつくり続けていけば、その場所が焼け野原になるような選択をする人は誰もいなくなるでしょう。仮にそっち方向に社会情勢が動きそうになっても、家族との幸せな時間を楽しみながら暮らしている人たちは全力でそれをくい止めようとするはずです。あらあら、また話題が元に戻ってしまいました。ええい、いいや!はっきり言っちゃいます。かつて日本には私が提案し続けているようなタイプの庭が存在しなかった。幸せ家族がもっと幸せになるための庭、家族が集う外の部屋、幸せを積極的にイメージして実現していく暮らし方、もし我々のじいさんとその親の世代にそういう文化や生活意識があったら、あの戦争はなかった。何十万人も死ななくてすんだ、私は本気でそう思っています。
何だかレンガから高邁な話になってしまいましたが、『戦争を知らない子供たち』の重要な役割として『戦争を知らない子供たちの子供たち』に親父やじいさんたちが経験した戦争をきちっと伝えなくてはいけないと、毎年8月になるとそう思っているのです。今日はどうしても話が庭のことに戻らなくなってしまいました。まあこんな日もあります。
という、ちょっと重い雰囲気のところに北原さんからのコメントが届きまして、スカーッと気分が晴れました。感謝感謝です。