2011年03月

送ったつもり募金

昨日載せた「校長メッセージ」を読んでくれた友人から電話をもらい「すばらしいね!感動して、なんだか意味なくオロオロしていた気持がシャキッとした」と。
妻は「このときにあれを書けるって、ものすごいことだよね。歴史に残る文章だよ」と。


純なるものを求める、十五の春の涼やかな瞳よ。
若さと正義に満ちた若者よ。
凛凛と眉をあげ、この難題を心に刻み、立ち向かってほしい。
悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬため。


真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ、船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。



昨夜の妻との会話。 

「ところでさあ、明日どうするの、ブログ」

「えっ!?」

「あのインテリジェンスあふれる文章のあとに、何か書ける?」

「・・・た、た、たしかに・・・」

まあいです。偏差値70近い妻に指摘されるまでもなく、ぼくにインテリジェンスが足りないことなど、世界中の誰よりも自分自身がわかっていることなのです。・・・インテリジェンスかあ。
あれを書いた立教新座中学・高校の渡辺憲司校長は文学研究者だそうです。さすがですよね。
思いを伝える言葉、その言葉によって勇気がわき、それを人生のフラッグにして前進してゆく若者たち。そして、かつて15歳だったぼくらも、凛凛と眉をあげ、真っ白の帆を上げて進んでいきたいですね。



では、インテリジェンス抜きで。
地震後、ぼくらは、できるだけ多くの人と会話をするようにしています。普段は軽い挨拶程度の人とも、立ち話でお互いの状況を話し合い、お客様とも無事を確認し合い、元気の交換をするように。まあそんなこと意識しなくても、みなさん自然と会話が増えていますよね。
妻によると、専業主婦で家にひとりでいる奥様たちに、かなり気持の疲れが感じられるとのこと。そういうときには関西人の本領発揮で、ああだこうだとしゃべくりまくって盛り上げているようです。

そんな会話の中で仕入れた「送ったつもり募金」ということを。

被災地へは個人の支援物資を控えるようにとのお達しがあり、ボランティアも混乱をきたさないようにと、なかなかみなさんが動けない状態になっています。具体的にできることと言ったら節電と募金。
その募金なんですが、例えば電池を買いに行って売ってなかったとします。その電池分の金額をレジ脇の募金箱に入れる。そうすれば、あなたは電池を支援物資として被災地へ送ったことになる、という考え方。題して「送ったつもり募金」です。

募金を金額で捉えると「芸能人みたいには出せないしなあ・・・」という思いもあるかもしれませんが、「電池を送ったつもりで」とか、夕飯一品減らして「カルビを500グラム送ったつもり」とか、そういうの、いいですよね「送ったつもり募金」。もし近くに避難所があったら歩いていってこれを届けたい、と思うものを送ったつもりで、その分を募金する。
ちょっとした考え方ですけど、これであなたは支援物資を思い通りに届けることができるのです。

って、どうですこれ、インテリジェンスないでしょう!でもいいんです。偏差値50ちょぼちょぼのぼくが共感を覚えた話題でした。

 

 

 

さっ、今日もがんばりましょっ!

 

 


メッセージ

卒業式を中止した立教新座中学校三年生諸君へ。(校長メッセージ)


卒業式を中止した本校中学三年生諸君へ。


三年間の諸君らの努力が実を結び、卒業の時を迎えたことに、本校教職員を代表して心より祝福を述べたいと思います。
又、諸君たちを見守り、支えてくれた多くの人、ことにその成長を心待ちにし、本校の教育に一方ならぬご理解をいただき、深い愛情で見守っていただいた保護者の皆さんに、心よりの敬意と感謝を述べたいと思います。
諸君らは、これで義務教育を終え、新たな生活に入ることになります。国民の義務として行わなければならない行動としての教育状況からは、大きく変化するわけです。高校に行くことは君らの選択権によって決まったことなのです。保護者の強いサポートがあったにせよ、君らの責任によって高校進学を決定したのだと云う事を忘れないでください。
責任に裏打ちされた行動が求められるのです。自己責任の重さは今までとは比べようがないものです。中学を卒業したということは、責任ある存在として社会から認知されたということです。
今、日本はかってなかった、未曽有の天災の悲劇を迎えています。この悲劇を迎える諸君たちの立場も、中学時代の君たちと、今卒業してからの君達とは大きく変わったものです。社会に支えられた被保護者としての自己から、社会を支える一員として認知された存在と変わったのです。社会の一員として今この惨状を直視しなければなりません。
旅立ち、十五歳の春。君たちは、自らの手で始めてほんの少しその扉を開けたのです。いつもの年であるならば、その扉の向こうに見えたものは、旅立ちを祝する柔らかな日差しでありました。今、社会は昨日までのものとあまりにも違います。
歴史は、おそらく2011年3月11日を境に、平成大震災前、平成大震災後と呼ぶでしょう。諸君は、この震災の直下に、社会的存在として旅立ちの時を迎えたのです。
生まれて100日頃を迎えたペンギンは、それまで親から口伝えでもらっていた食料を、もらえなくなり、自分で海に潜り食べ物を探します。親離れは、社会的存在となる第一歩です。諸君たちに今その時が来たのです。
小さなペンギンのように、海に出なければなりません。海辺でヨチヨチと波に踊り、どうやって水に入ろうかと迷っているときに、かってない、親たちも見たことのないような、大きな波がやってきたのです。しかし、ペンギンに躊躇の時は与えられません。誰も背中を押しません。誰も今は危険だと引き留めてもくれません。濁流の海に泳いで生きていかなければなりません。
今度の災害を眼前にして、私はおめでとうという言葉がなかなか出てきません。その言葉があまりに明るく、私の心を暗くするからです。しかし、今この時だからこそ、諸君に私の思いを伝えなければなりません。
この災害が、諸君の前に提示した課題はあまりに重いものです。自然とは何か。自然との共存とは何か。ありのままの自然を残すとはいかなることなのか。防災と自然はいかなる関係にあるのか。
原子力発電所の危険が叫ばれた時、私は何をしていたのか。どんな行動をとっていたのでしょうか。他人事のようにぬくぬくと人工の陽だまりで昼寝をしていたのです。今、悔恨・自責が脳裏をかすめます。エネルギー問題への答えも出ません。
世界の国々から救援隊が続々やってきました。アメリカの空母が、三陸沖に派遣され、人命救護の最前線に立っています。
平和・環境・安全など、多くの問題が私の胸中に渦巻き、いかなる問題も解決を見せていません。
中国・韓国の隣人たちからもいち早く救援隊が駆けつけてくれました。ロシアは天然ガスの供給を提示し、今も窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来ました。世界の各国から多くの救援が来ています。
地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考えます。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿がありました。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映りました。泥の海に浸り一命を取り留めた父が、家族のために生きようとしたと語っています。
君らと同じ年代の、まさに卒業式を迎えようとしていた生徒にも、悲惨は容赦なく過酷でした。
今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問わなければなりません。
旅立ちを前にした諸君たちの課題はあまりに厳しく、あまりに過酷であるかもしれません。
私たちが築いてきた価値観も大きく揺らいでいます。歴史は、進歩という名の下で、大きな過ちをおかしているのかもしれません。流れを変えるのは君たちです。未来は君たちの双肩にあります。
純なるものを求める、十五の春の涼やかな瞳よ。
若さと正義に満ちた若者よ。
凛凛と眉をあげ、この難題を心に刻み、立ち向かってほしいと思います。
今ここで卒業できることの重みと感謝を深く共に考えましょう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げましょう。
共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は、新たなる旅立ちを誓っていきたいと思います。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けました。
被災者の人々への援助をお願いしたいと思います。もとより、ささやかな一助足らんとするものですが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためでもあります。
2011年度立教新座中学・高等学校卒業生一同として、被災地に送らせていただきます。  春風梅花をゆらす2011年弥生16日。

立教新座中学・高等学校

校長 渡辺憲司






卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)

 

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 

諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代、君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか、海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ、大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ、船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 

一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か、命とは何かを直視して問うべきなのだ。
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

 

立教新座中学・高等学校

 

校長 渡辺憲司

 










アンパンマン

ラジオで「赤ちゃんの具合が悪い」という被災地のお母さんからのメールが読まれました。

地震のときに授乳中で、その時は泣くこともなかったのに、その後嘔吐と下痢が止まらない(平熱)。時々今までにないような激しい泣きかたをするということでした。お母さんは「けが人がたくさん出ている大変なときにどうしようか」と迷いながらも病院へ行くと、予想通りにごった返していて、お医者さんには入院をすすめられたものの、現実的にはベッドの空きはなく帰宅したそうです。

たぶん地震のショックですよね。実は、(こんなときになんですが)うちの犬が同じです。三日連続で嘔吐しました(昨日からフードを変えたら、今朝は絶好調で安心しました)。
まだ話すこともできない、子犬のような赤ちゃんが、地震でどれほどのショックを受けているのかは想像しづらいことですが、まっさらな脳みそで、きっと大人の何倍も不安や衝撃を受けているのでしょう。

幼稚園や小学生でも、それなりの不安を感じていることは間違いありません。
ぼくら大人は笑顔を絶やさずに、子どもたちを安心させてあげましょう。ぼくらが停電を楽しむくらいの様子を示してあげましょう。テレビはアニメ番組優先で、アンパンマンとか録画してあったら、一緒に観ながら楽しい時間を過ごしましょう。そしてスキンシップ。何事もなかったように。

被災地でもメンタルケアが課題になる時期ですね。人の心は強くて、でももろい。身体ががんばれても、心が悲鳴を上げている人も多いはず。がんばってほしいですね。東北人の強さ、たくましさを信じて、祈るばかりです。



さっき来た宅急便のお兄ちゃんが、元気いっぱいでうれしくなりました。勤務時間以外に燃料の軽油を入手するのに徹夜状態が続いているそうですが、気合いの入ったいい笑顔でした。荷物と一緒に元気を配る、すばらしい!アンパンマンみたいなお兄ちゃんでした。


 


今朝もすれ違う子どもたち、手を引くお母さんたちも元気いっぱい。うれしい光景でした。
出社すると、スタッフ、ホームセンターの人たちが口々に「がんばろうね」と。アンパンマンが急増中!




 

節電しながら蓄電しましょう!

「具体的な節電」

テレビ
見ない時には主電源を消す。
画質はダイナミックなどの設定を標準に落とす。

トイレ
ウォッシュレットのコンセントを抜き使わない。

照明
スイッチでつく照明の電球や蛍光灯を必要最低限だけ残し、外す。
玄関の外灯が自動でつかない様にする。

暖房
家の中でも重ね着をし、極力使わない。
使う場合は設定温度を下げる。

冷蔵庫
開ける回数、時間を短縮する。

その他
なるべく家族が一つの部屋に集まり、電気をつけておく部屋の数を減らす。
必要のないコンセントは抜く。

注意点
照明の代わりに、ロウソクを使う方もいるかと思いますが、直火での照明対策で火事などの二次災害を引き起こす可能性があります。
直火を使用する場合、少しの余震でも必ず火を消す様にして下さい。
>万が一に備え、近くに消火用の水を用意して頂くのも良いかも知れません。
(武田双雲さんのブログから転記しました)



地震翌日から、ぼくは工事中の庭、完成している庭のチェックにまわりました。どこも問題なし、ヒビひとつ入ってなくてホッとしましたが、そのことよりも、お客樣方の元気な笑顔を確認できたことがとてもうれしかったです。
その後尋常ではない被害が報道されてからも、うちの関係者を案じてくださるメールやお電話をいただき、また「庭の電気を消すにはどのコンセントを抜けばいいのでしょうか」という、節電の問い合わせや「こんなときこそ、家族の気持が安らげるように、庭の花を手入れしました」、「停電になったら庭で過ごそうって話したら、子どもたちが楽しみにしちゃって」というどこまでも前向きな人たち。さすが!庭を楽しむお客樣方の力強さに感服しました。

そんな中のおひとりが「テレビは消しました。孫たちにあの報道はちょっと・・・。で、ラジオをつけたら救われた気持になりましたよ。地震の情報は伝えながら音楽も流れるし、せつないのはみんな同じなんだから、元気出すことが大事なんだって、ラジオの人たちはわかっているんですよねえ」と。


ラジオってテレビにはない生の気持があふれていて、救われた気持になりますよ(無事なぼくらが救われてる場合じゃないんですけどね)。お笑いの人たちも、手探りで、笑顔を届けるためにがんばっていることが伝わってきて、聴きながら何度も泣き笑いしています。
笑顔も大事、同時に怒りや祈りや悲しみや、そういう気持を吐露する、ぶつける、語り合うことが、そろそろ必要なのだと感じています。
「こんなときに不謹慎かもしれない」とか「何を言っても偽善的に響いてしまいそう」と、きっと多くの人が、特に放送関係、芸能関係の人たちはそう思っていることでしょう。
だれでもみんなそう思いますよ。でもね、勇気を持って、持ち場持ち場を盛り上げていきましょう。
ぼくはぼくの周りに、あなたはあなたの周りに、元気と笑顔を満たしましょう。そのエネルギーが、きっと次のチカラになりますよ。


支援物資を不眠不休で運び続けているドライバーさんからラジオ番組に届いたメール。
「被災地の家族を案じるみなさんの気持を、一緒に積み込んで運んでいます。同業のみなさん、疲れがピークにきていると思いますので、くれぐれも事故のないように。休むことも大事ですよ」
それを読むアナウンサーは、声を詰まらせながらも笑顔でしゃべり続けていました。


地震当日に来日したシンディー・ローパーが、日本公演実施を決めたそうです。さすがシンディー!それがプロですぜ。


節電しながら、元気と笑顔をたっぷりと蓄電しときましょう。きっとそれが、役に立ちます。




踏ん張る

何もできない・・・

いやいや、できるよ!

持ち場持ち場でしっかりとね。








試されている

今日から計画停電が始まります。いきなり現実を突きつけられるカタチになりましたが、みんな同じ気持、命があるだけありがたいって思いますよね。あと、家族と笑顔の時間を持てることの幸せ。

地震発生当日から、翌日、翌々日、ぼくは呆然としながらある現象を察知していました。ホームセンターに集まるお客様の笑顔率が確実に高まっていきました。背後にあれほど悲惨な状況がありながら、これは・・・。
それと、庭のことを打ち合わせ中、検討中のお客樣方の意欲がはっきりと加速しました。ぼくの目の前の設計依頼の山は一段と高く摘み上がっています。これは・・・。

もう一つ、このブログのクリック数が減らない。そのことを、ぼくはみなさまからのメッセージと捉えました。感謝です。
こんなときに庭がどうとか「幸せへの扉」とか、正直、ぼくとしては気持の隅に、ほんの少しだけ「そんな場合じゃないだろ!」という気持がありました。他に考えるべきこと、やるべきことがあるんじゃないかと。でも現実的には何もできずに時間が過ぎていった。この間、ぼくはひとりの命も救っていないし、誰の悲しみに寄り添うこともできませんでした。
そんな自分と、笑顔率が上がって、庭への意欲が加速してゆくお客様たち・・・。

みんな強い!たくましい!家族を守ること、こういうときにこそ笑顔をなくさないようにしようと、子どもたちの手を取って軽やかに歩く姿に、それこそ「幸せへの扉」を感じました。

目が覚めました。「一隅を照らす」です。
政治家は政治家として、自衛隊は自衛隊として、持ち場持ち場で全力を尽くすときです。ぼくは庭屋として全力を尽くしますよ!

もうひとつぼくの目を覚ましてくれたのは、妻の言葉でした。
「計画停電始まるし、ガソリン売ってないし、・・・どうしようか」というぼくに、妻は言いました。
「スローライフでいいんじゃない」
なんだか楽しそうですらあります。
さすがぼくの選んだ人!(B型の関西人、恐るべし)ありがたいお方です。


ぼくらは戦争を乗り越えてきた民族なのです。数十万人の命の上に幸せを築いてきた親たちに育てられた「戦争を知らない子どもたち」です。
「試されている」
 親たちが乗り越えてきた試練の数十分の一を突きつけられて、ぼくらがそれをどのように受け止めて、乗り越えて、その後にどんな世界を築き上げるのかを。

中越地震のときに、ぼくの母と傷ついた人たちを元気づけてくれた曲「ジュピター」の作詞者、大好きな吉本由美姉さんの言葉です。

みんなつながっている

みんなつながっているんだから、自分にできることに、全力を尽くしましょう。
辛いときに笑顔を生み出せるのか、津波が去った水面に、笑顔の波紋を広げることができるのか、ためされていると、ぼくはそう考えることにしました。




受け止める

中越地震を経験した故郷からの電話やメールには、ズシッと重みがあり、それを受け取る自分は呆然としたまま。

節電以外に何かできることは・・・。

こんなときに馬鹿みたいに思われそうですけど、笑顔をなくさないことですよね。
それともうひとつ、ぼくが今自分に言い聞かせていることは「受け止める」です。
次に進むために、まず受け止めること。

ありのままを受け止めること。

しっかりと受け止めること。 

節電以外にできることは・・・





 

祈っています

妻とふたりでテレビを凝視し、ひとつも言葉が見つかりません。

ひとりでも多くの人が救出されるように。

被災者の悲しみがほんの少しでも小さくとどまってくれるように。

子どもたちを早く暖かい毛布でくるんで抱きしめてあげられるように。

祈っています。 









 

答え合わせと次の宿題( 川村邸 13)

昨日の宿題の答え合わせです。

花って食べられるわけでもないし、何かに便利に使えるわけでもない、お金を出して買って苦労して育てて、そしてただ眺めるものです。幸福感と切り離して考えたら、毎日飛ぶように売れていることの理由が浮かびませんよね。

花は幸せの象徴です。

女性は感覚的ですから、花売り場に踏み入ったとたんにその幸せの予感とか香りを察知して、いきなり幸福感に浸ります。だから表情がウットリして口角が上がる。

 

 

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対して男性は論理的なので「幸せの象徴」を吟味して選ぼうとします。その花の特性、値段、育て方、それに必要な道具や肥料、そういうことをすべて納得してから花を買おうとします。感じるのではなく考えてしまうのです。
男性はそのようにして、休日に花を選ぶときにも仕事と同じく失敗をしないように、考えに考えて、だからしかめっ面になる。
これはもう男の特性です。ですから口がへの字になって眉間のしわが深いほど、その人は家族の幸せを組み立てるために真剣なのである、と言えます。

これがぼくの回答ですけど、いかがでしょうか。



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女性は理屈抜きに、お風呂につかるように、チャポンとすぐに目の前の幸福感に浸ります。女性の興味は「美味しい・楽しい・美しい」がすべてで、そこに至るプロセスなどには一切興味なし。

男性は、そういう女性に幸福感を与えようと、一生懸命に作戦を練って、プロセスを組み立てて、そして真剣になればなるほど難しい面になっていく。
幸せの象徴を目の前にした笑顔の女性としかめっ面の男性、このギャップ、どう思います?



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花選びに限らず、家庭内のあらゆる場面で当然その現象は起こるわけでして、ご主人が理屈で家族の幸せを追求するほど、眉間にしわが寄るほど家庭内の空気がよどんで家族の関係性はギクシャクしてゆきます。旦那様が頑張れば頑張るほど奥様がストレスを溜め込んでいって、そしてある日、ついに大爆発!そんなことがきっとあなたの家でもあるんじゃないでしょうか。・・・あると言ってください!わが家だけだとあまりに恥ずかしいので。

どちらも相手のことを思い、家族の幸せを求めている。でも
笑顔としかめっ面になってしまう。このギャップが日本中の夫婦のもめ事のベースにあるような気がしています。
♪男と女の間には深くて暗い川がある♪と歌ってる場合ではなく、何とかしなければなりませんよねこのギャップ。
ではそれを、どう解決したらいいのか。

はーい、これが今日の宿題でーす。




 

宿題( 川村邸 12)

今日はラナンキュラス以外の草花をご覧いただきながら、最近気持ちに引っかかっていることを書いてみようと思います。
そのお題は「おじさんはなぜしかめっ面で花を選ぶのか」。



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うちの港南台店はホームセンターの花売り場に面しています。一日中花を眺めながら仕事ができるので、とても気分が良く、設計もはかどります。
花っていいですよね。視界に花があるだけで、ぼくはずいぶんといい状態に引っ張り上げられます。
それに気がついてから、花も緑もない瞑想室のような設計室ではなく、花に埋もれているような環境のこの店での作業に切り替えました。
設計をしながら花苗を買い求めるお客様を見るともなしに見ていると、そのお題「おじさんはなぜしかめっ面で花を選ぶのか」が浮かびました。

ほんとに多いんですよ、眉間にしわ寄せて、腕組みをして。
奥様たちにはそういう人はひとりもいません。女性のみなさんは他の売り場から花売り場に入ったとたんに、表情が和らいで口角が上がります。
対して、おじさんで口角が上がっている人は、そうですねえ100人にひとりぐらいです。99%のオジサンは口角が下がってへの字になります。

何ででしょう???



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花が嫌い・・・なら買いにきませんよね。

よっぽど嫌なことがあった・・・99%の人が!?そんなわけないですよね。

なぜなんでしょう・・・。



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あなたはどう思います、この現象。
ぼくは考えに考えてひとつの結論に達しました。

宿題です、あなたもこのこと、考えてみてください。おじさんはなぜしかめっ面で花を買うのでしょうか??? 

明日、ぼくの回答を書きます。





さっ、今日も張り切って、春風に揺れる花を視界の隅に入れながら、花いっぱいのときめく庭をイメージしますよ!




 

ナスタチウム

ホームセンターの花売り場に、今朝ナスタチウムが入荷しました。
それを見つけた妻が「華やかになるねえ!春だ春だ!」と。


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この花、ただきれいなだけじゃなく、ぼくら夫婦にはある想い出が重なります。 
もう何年も前になりますが、山手の石川さんちに庭の完成を祝してのバーベキューにお招きいただいて、ご夫婦と、とても満ち足りたひと時を過ごしたこと。


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当時も今と同じく毎日めまぐるしく仕事をしていて、今と違うのは、ふたりとも変なところにチカラが入っていたようで、疲労の蓄積は数倍あったような気がします。振りかえると、クタクタだった。それが石川さんちのバーベキューでスーッと抜けた感じがして、妻共々「癒される」ということの意味を実感した日でした。
今でも忘れられないのは帰り道に妻が「庭で食べたり話をしたりすると、なんだか身体の芯から楽になるね」と言ったこと。ぼくも全く同じことを思っていたので、無言で大きくうなづきました。そのとき、妻もぼくも(自分でいうのもなんですが)いい表情をしていました。
がんばってがんばって、ふっといい顔になれる瞬間、人生で何度か訪れる素敵な時間。ぼくら夫婦にとって、まさに昨日書いた「戦士の休息」と言えるバーベキューでした。

そこで石川さんの奥様が出してくれたのが「ナスタチウムサラダ」だったのです。これ!


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庭のを摘んで、ササッと洗って、ドレッシングで。カイワレのような食感でした。味は癖がなくて誰でも食べられます。

ぼくはこの花を目にするたびに、その時が思い出されて、とてもいい気分になります。そしてもう一つ思うことは「食べてほしいなあ」ということ。
庭の草を摘んで、それがサラダになるということをできるだけたくさんの子どもたちに経験してほしくて、小さいお子さんがいるお宅には、よくお勧めしてきました。


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ナスタチウムの想い出、戦士の休息、そしてお勧め!ナスタチウムサラダ。

春です。例年通り妻の花粉症も始まりました。確実に春です。さあ、庭を楽しみまくりましょう! 
わが家は手始めに、傷んだ芝生の張り替えを計画しています。 





 
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