2011年06月

普通というハードル( 栗原邸 27)

朝起きたら寝室が線香臭い。昨夜着ていたシャツに、愛用の巨大渦巻き蚊取り線香の香りが染み付いていました。

最近の楽しみが夕食後に庭に出て、蚊取り線香焚いて、小さく音楽流して、夜景と夜風を感じながら仕事することです。仕事といっても設計ではなくて、ノートパソコンでやれる雑事の整理とか、インターネットてチェックしておきたいことを検索したり、本を読んだりしています。
昼間の緊張した脳細胞が溶けていく感じで、だいたい10時を過ぎる頃にはウトウト眠くなってきます。 

心地いいって、このことですよ。夜の庭は、昼間とは全く別世界です。 


栗原さんちの締めくくりは「夜の庭」です。
夕暮れから順を追って、4日間、辺りが暗くなるほどに輝きを増す庭をご覧いただきます。



ライトの電源に取り付けてある明るさセンサーが作動して、パッとスイッチが入りました。



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ここから始まる「夜の庭」の不思議な不思議な世界を知っている人には、ライトの点灯はワクワクの始まりです。



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何度かセンサーを取り付けずに、スイッチで入り切りするようにしたことがありました。庭に出るときにはスイッチをオンにしてライトを点けてから出る。ごくごく普通の設定てす。



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ところが、この普通の設定がくせ者なんですね。スイッチを入れる、たったそれだけのことが高いハードルのようになって、夜の庭を楽しまないまま日が過ぎてゆくということがあります。



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日中庭もリビングも、同等の「暮らしの場所」として行き来しながら過ごしていたとして、気がついたら夕方になって、庭に灯りが点いていた。そうであれば、夜もそのまま庭は暮らしの場所になれます。でも、夕暮れになっても庭が暗いままだったら、庭は意識から消えて「暗くなったからカーテン閉めましょ」となり、夜風を楽しむことも、ライトアップされた木々を眺めることも、夕飯を庭で食べることもない、ぼくからすると、あまりにもったいない暮らしになってしまいます。



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庭の照明をスイッチで入り切りする、このごくごく普通のことを、センサー式の自動点灯にする(オフまでの時間を設定できるタイマー付きです)ことで、これまで放棄していた「夜の庭」を手に入れることができるようになる。

ちょっとしたことなんです。普通だと思っていることに変化を与えると、思いもよらなかった世界に身を置くことができるようになるのです。 



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例えば台所から出る生ゴミを、普通のこととして捨てていますよね。これも、ガーデニング好きの奥様にとっては「もったいない」ことなのです。
魚のはらわたやキャベツの芯、大根の皮をコンポストを使って堆肥にする。その自家製堆肥で育てた花や野菜の見事なことったらもう、市販の肥料とはハッキリと違う、とても力強い花であり、野菜になります。そうやって楽しんでいる庭は、一歩入っただけでわかります。土がフッカフカで、植物はイキイキとし、何ともいえないいい土の香りがします。そして奥様は、必ず日に焼けた素敵な笑顔。土が元気だと人も元気になるのです。
普通に捨てていた生ゴミを堆肥にすると、あなたは元気を手に入れられる。いいでしょこれ。

もうひとつ、普通のこと。新築の場合、駐車場は土間コンクリートで仕上げるのがごく普通のことです。でも、ちょっと考え方を変えれば砂利でもいいんですよ。砂利の駐車場だったら後々ツルハシで掘り起こして木を植えることもできますし、施工コストが半分で済みます。
という話をすると、たいがい「砂利ですかあ・・・」と。でも考えてみてください、軽井沢の別荘地の駐車場はほとんど砂利です。何の不便もありませんし、安っぽい感じもありません。それどころか、木を避けながら木陰にクルマを停めるなんて、ねえ、ゴージャスでしょ。

普通と思っていることの中に、実はハードルが隠されている。たまにはそんな斜めの思考も楽しいものです。

まあ、それはさておき、「夜の庭」を楽しむってこと、庭をお持ちのすべての人にイメージしていただきたんだよなあ。






暑い寒いと文句を言うな 暑い夏には寒い冬に感謝しろ

がばいばあちゃんの言葉です。でも、・・・暑い。
極力クーラー使わずにがんばってます。
夕方以降は、庭の方が涼しいですよ。蚊取り線香大活躍です。







それでも今日も海を見る( 栗原邸 26)

3月11日、地震、そして津波。
ものすごくハッキリしたことがあります。人間は、自然からどんなに手ひどく痛めつけられても、その自然を恨むことがない。



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家族の命を奪った相手が海じゃなくて人間だったら、あるいは人間がつくり出した不自然エネルギー発生装置だったら、その人は一生相手を恨み続けるでしょう。でも自然の前には、人には悲しみは湧いても恨みの感情が出て来ない。
「復興の狼煙」に「それでも今日も海を見る」という言葉がありました。泣けました。
自然は恨みの対象にならず、愛する人を奪ったにもかかわらず、残された人を支え、励まし、明日へと導く。
まったく、何なんでしょうね自然ってやつは。



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つまり、それほど自然は圧倒的な存在だということです。人間は卑弥呼の時代から、そんな自然に恐れおののき、祈り、その恩恵に感謝し、それを神と呼んで生きてきました。だから神様を恨むなどということは、DNAレベルであり得ないことなんですね。

インターネットや宇宙ステーションなど、夢の世界が現実になっている今でも、人は卑弥呼の時代と変わらず自然を神と仰ぎながら生きている生物なんです。
ぼくは思います、今このことをしっかりと確認しておいた方がいいと。



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人はここ数十年、人はそのことから離れてはしゃぎすぎました。自然から遠いところで幸せを築こうとして、そしてそれがうまくいかずにもがいているのです。

嫌な話ですが、日本の自殺者数は10年連続で3万人越え、今回の災害の犠牲者数を上回ります。自殺未遂者の数は自殺者の10倍と言われていますので、毎年30万人以上が自らの命を絶とうとしているということです。どう考えても、社会が大きく病んでいますよね。
その根本に、ぼくは「不自然」があるような気がしてしかたありません。自然と離れたところで形作られたシステムや思考や価値観、そこに自然と相容れない何かがあることが「不自然」です。

土に触れない子供、不自然です。

高機密高断熱の家、不自然です。

原子力エネルギー、不自然です。




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津波にさらわれた命のこと、被災した人たちの苦しみ、放射能に故郷を追われた人たちの悔しさ、子育てしている親たちの不安、それを思うとき、ぼくらはハッキリと、変化するべき時なんだと思います。
どう変化すればいいのか、不自然から不を取っ払ってしまえばいい。

もっと自然を感じる暮らしにシフトしませんか。柔らかく言うと「ロハス」、厳しく言うと 「反・原発・自然・原理主義」みたいな。

まずはあなたとあなたの家族のために、暮らしの中の不自然の不を見つけては排除する、自然にシフトする、そんな暮らしをイメージしてみましょう。

はい、これがこの話のゴールです。


「自然は守られたいとなんて思っていない」から「思考のベースにある圧倒的な自然」、「自然が分母で人が分子」、「自然育」、そして今日の「それでも今日も海を見る」と展開してきました。いかがだったでしょうか。

本音を言えば、(できるだけ穏やかに書いていますが)今ぼくの中には大きな疑問と怒りの感情があります。はっきりとそれがあります。そのことが自分自身嫌で嫌でたまりません。怒りの感情を持って気分がいい人はいませんからね。でもきっと、被災した人たちの心には、ぼくの数万倍の怒りが潜伏しているはずなんです。笑顔で踏ん張っている報道しかありませんが、実際の心には、笑顔と同じだけ、頑張って笑えば笑うほど、悲しみや恨みや怒りが積み上げられているのだと思います。

震災直後から福島に飛んで、写真を撮り続けている宮嶋茂樹さんという報道カメラマンがいます。
彼は言います。

「この現場は最悪です。余震や原発が恐いということで言えばバグダットの空爆の方が怖かったし、散乱する死体の数ではアチェの方がよっぽど多かったんです。でも、ここは・・・。戦争というのはまだましなんだと思いました。戦争は敵がいますよね、家族を殺した、家を焼いた敵がいる。だからその敵をやっつけるまでがんばるんだということが強烈な生き残りのパワーになるんですよ。ところが今回のような天災は、まったくそれがない。海を恨んでもしょうがねえやって。だから頑張ろうという活力や復興へ向かうことの根拠が出づらい。これまでたくさんの戦場や災害を撮影していましたけど、私の知る限り、破壊が一瞬でこれだけ広範囲に渡ったのを見たことがありませんでした。それと経済大国日本が、これだけ時間がかかってもまだほとんど復興ができていないということが歯がゆいというか、ほんとにひどいことだと思います。それだけ今回の震災はひどいんです。復興にはこれから何年もかかるということを、国民がほんとに覚悟せねばならないと思います」

「戦争の方がまし」という言葉が突き刺さりました。
敵がいない、自然を敵にはできないことが確かに辛さではあるんですが、でもそれでも踏ん張れる、笑っていられる、そこが東北の人たちの凄みでもあるんだと思います。代々厳しい自然と対峙して生きてきた人たちの中にある、DNAの力です。

「復興の狼煙」から。

諦めるな、と帆立が言う。

これが東北人であり、日本人なのです。


震災の日からいろんな思いが巡る頭の隅っこで、「よくわからないけど、このままではいけない、とにかく変わらなければ」と思い続けていたそのモヤモヤ感が整理されて、ほんの少しだけ気持が軽くなりました。
不自然から不を探し出して排除してゆきましょう。自然に自然に、自然体で、自然に倣って、自然に訊きながら。



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最後の最後に我田引水。「自然に自然に、自然体で、自然に倣って、自然に訊きながら」、そういう暮らしをイメージするときに、庭は大活躍するのですよ。いやほんとに。







自然育( 栗原邸 25)

栗原さんちの草花をご覧いただきながら。

海洋冒険家、白石康次郎さんの「自然は守られたいとなんて思っていませんから」という言葉から歩き出した思考の旅(おおげさですけど)の4日目です。
書き始めから霧の中にうっすらと見えていたゴールに向かって歩いて、振りかえると自分の足跡が1本の道になっているような感じです。もうすぐです。
最初に問題と答え、スタートとゴールがあって、その答えを導き出す方程式を解明してゆくみたいな、好きなんですよこういうの。



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 昨日は「自然が分母で人は分子」、自然を母親だと思えばいい、ということを書きました。それはぼくら大人が自然と向き合うときの考え方です。
もうひとつ大事なことがあります。それは子供たちを自然と上手く付き合える大人に育てることです。
自然豊かな田舎なら、そんなことは大人が意識しなくても子供同士で遊びながら学んでくれます。問題は自然と触れる機会が少ない都会っ子の場合です。



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「自然育」という言葉を初めて聴いたのは、2年前に清水国明さんとお会いしたときでした。清水さんは初対面のぼくに、河口湖で子供たちに自然を体感させていること、自然育の重要性を熱く語ってくださいました。
印象的だったのは、子供よりもお母さんたちに自然育が必要だということを繰り返し話していたこと。その点はぼくも庭を通して思っていたことなので、強く同意しました。 冗談ではなく、土に触れない親や子供が実際にかなりの数いるという事実、何とかしなければならないことです。ちょっとねえ、いくらなんでもそれでは困ってしまいますよね。



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親も含めて、自然と付き合うにはまず自然を知ることです。その楽しさ、大きさ、美しさ、強さと弱さ、恵みと残酷さ、リズム、システム、掟などを言葉の知識じゃなく体感として知ることが必要です。
そして一度体感すればもうだいじょうぶ。もともとというか、本来人間も自然の一部ですから、その人の価値観、思考の底には、その自然のリズムや掟がしっかりと刻み込まれます。思い出すと言ってもいい。
自然は分母、自然のリズムや掟が刻み込まれた人は、母親を思い孝行するように自然と付き合うようになりますし、そういう人には必ず大きな幸せが訪れます。

子供たちに、その感覚、自然をベースにした思考を植え付けることができたら・・・。それはその子に幸せの苗を根付かせることです。



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小学生に大きな自然を体感させたとして、その子が選挙権を得るまでたった10年ほどです。さらに10年もしたら、彼らは世の中のムーブメントをつくる世代になり、そのまた10年後には経済活動の中心にいるようになります。
今、すべての小学生に自然を体感させることができれば、たった30年で環境問題はすべて解決、世界平和も実現できている可能性がある。ってどうですかこういうイメージ。でもアリでしょこれ、自然育が世界平和を実現する。



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まあ、ぼくの地球防衛軍みたいな思考は置いといて、とりあえず土に触れない、虫を見ると悲鳴を上げる子供には、大人が何とか上手に自然の楽しさ美しさを感じさせてあげたいのもです。


「自然は守られたいとなんて思っていませんから」から歩き出した思考の旅、明日はゴール「それでも今日も海を見る」です。





梅雨の晴れ間を狙って、これから次の庭を撮影しにいってきます。
庭を撮るには理想的な2パラ(パラフィン紙2枚を通したような柔らかい光)。カッと明るいよりも細微まで光が回って、細密画のような写真が撮れるのです。
いったいどんな風景を切り取れるか、そこにはどんな自分が映し込まれるのか。
そうなんですよ、写真を撮るって。被写体を写していながら、シャッターを押すときの自分が丸写しになります。写真を通して自分を見つめる、これが楽しみ。・・・暗いですかね、こういうの。たしかに、明るくはないですね。でも楽しみなんですよほんと。
さあてと、今日はどんな写真が撮れるかな。カメラと三脚担いで出発します。

撮影前のこのワクワクは撮影者の特権です。






自然が分母で人は分子( 栗原邸 24)

環境問題を語るときに「自然が分母」という考え方があります。これを当てはめて考えると、環境のこと、自然との関係をどう捉えればいいのかということが、易しく理解できます。



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庭の相談をお受けしながら「うちの子は土に触るのが嫌いだし、虫が苦手なんです」という話に何度も遭遇しました。
最初ぼくはそのことが信じられなくて、半分冗談だと、そんな感じで聞き流していたのですが、実際にアリやダンゴムシを見ただけで、飛び上がって逃げてゆく子供がかなりたくさんいることを知り、驚き、少し気がめいってしまいました。
気がめいったのはその子たちに対してではなく、その子のご両親にです。「うちの子は土が嫌いだから極力土が少ない庭にしたい」と。・・・う〜ん、どうなのかなあそういうの。よそ様の教育方針に口出ししてはいけませんけど、ね、いいのかなあって思ってしまいます。
でも考えたら、ご両親が共に都会育ちで、小さい頃に海や山から遠い暮らしをしながら育ったとすれば、それもまたやむを得ないことかもしれません。
だけど、だからしょうがないと片付けてしまえないことです。ちょっと、もうちょっと、何とかしてほしいです。
その道を探っていきましょう。



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自然が分母で人は分子。分母がでかいほど、人類はそれを分解して使うことができる。自然が人の幸せの原資であるという考え方です。
異論はないですよね。
そしてこのことをもう一歩踏み込んで考えると、「人も自然の一部」だということです。
ぼくら人類は、ほ乳類、サル目、ヒト科、ヒト種のホモサピエンスという野生動物なのです。




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分母と分子は母と子です。自然の一部である人間が母体である自然に敬意を払わずに、それを破壊しながら快適さを手に入れ続けたらどうなるでしょうか。
自分を生んで育ててくれた母親の財産を食いつぶしながら、その母を嫌い、暴力を振るっている子供のようなものです。そういう人、どうなるでしょうか。
ちょっと極端な例えでしたが、そう外れた話でもありません。母なる自然に何を思いどう接することがいいのか、あなたが母親にしているように、自然にもそのようにしたらいいのです。

「自然は守られたいとなんて思っていません」という白石康次郎さんの言葉は、親不孝を繰り返す子供にあきれ果てた母親から「お前に面倒見てもらおうとは思っていない」と、ピシャッと言われたような、そんな言葉のようでもあります。



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感謝して、孝行して、恩返しをして、母親にそうするように自然に対してもそのように接するあなたの姿を見て育つ子供たちは、必ず親孝行になりますし、自然とのいい関係を築いていける人に育つはずです。
どうです、こんなふうに考えると、親が「うちの子は土や昆虫が苦手で・・・」というその子を海や野山に連れ出して、一緒にどろんこになって遊びたくなりますよね。


この話、まだ続きます。明日は「自然育」についてです。






思考のベースにある圧倒的な自然( 栗原邸23)

引き続き栗原さんちの草花をご覧いただきながら、きのうの続きです。

海洋冒険家、白石康次郎さんの「自然は守られたいとなんて思っていませんから」という言葉に膝を叩き、そこからぼくの中に広がる思いを言葉にしてゆきます。
取っ掛かりはぼくと自然の関係といいますか、ぼくの中にある鮮烈な「自然」のシルエットを描き出すことから始めます。



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ぼくは越後の山奥育ちです。そして山歩きが大好きでした。
高校時代11月〜3月の降雪期を除いてほぼ毎週、県内の山々を歩き回りましたので、大きな自然に包まれる経験は人一倍持っています。

山へはほとんど単独行で、今考えると冷や汗もんの経験もしました。
春の越後駒ヶ岳、頂上付近の雪渓で月の輪熊の親子に遭遇し、腰が抜けそうな恐怖感に耐えながら親熊とにらめっこしつつ後ずさりしたりしたことや、福島県境の浅草岳で崖から転落して死にかけたこともありました。天気の急変で増水した沢を荷物を捨てて泳いで渡ったこともありましたし、マムシに噛まれたり(登山用の分厚い靴下で命拾い)、残雪をいいことにルートをショートカットしようとして道に迷って、偶然出くわしたパーティーに助けられたこともありました。
いやいやこれは若き日の山岳武勇伝ではなくて、山でのそういう場面で感じたことや考えたことが、その後今に至るまで、ぼくのすべてのことの判断のベースになっているということをお伝えするための前置きです。



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まだ10代だったぼくが、単独行の山歩きで思った、そのこととは、


「人ひとり、自然の中にいるとカエル一匹と変わらないな。踏みつぶされたり流されたり、アッという間もなくカラスに食われてしまうかもしれない、そんな程度のものだ」

この手のことは毎回思いました。そのように感じるとどうなるかというと、気持が最高に軽くなります。下界にいてあれこれ思い悩んだり心配したりしていることのほとんどは、別にどうでもいいことなんだと、そう思えるようになります。今思うと、そういう心理状態になれることの不思議さ、心地よさを得るために、毎週山通いを続けていたのかもしれません。


「こりゃあ無理だ。とてもじゃないけど太刀打ちできない。ごめんなさーい!間違ってましたー!」
これは、無謀にも台風直撃の日に守門岳に登ったときに思った(叫んだ)ことです。
暴風雨の中を川みたいになった登山道の地べたに這いつくばりながら「もう無理だ、一歩も進めない」と、風雨が弱まるまで木の根っこにしがみついていました。

最も回数登った越後駒ヶ岳の頂上では、いつもこう思いました。
山頂から下界を見下ろすと、町なんかほとんど見えないので、
「おれたちは山と山の間の細ーい隙間に生息するカビみたいだなあ」と。



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つまり、自然は圧倒的だということです。越後の山の標高はせいぜい2000メートルですけど、それでも人と自然を比較することもナンセンスに思えるほど、自然は圧倒的に大きく、人間は絶望的に小さい。象と蟻どころじゃなく象と細胞くらいのスケールの違いがあります。

ぼく自身たまたま山歩きにはまって、そこから感じた自然と人間のスケールの差が今の思考の基礎にあるということを、とてもラッキーなことだったと思っています。
もし山の経験をすることなく今に至っていたらと思うと、ちょっと・・・。まあそれならそれで何らかの人格形成はでき上がっていたでしょうが、今とは全く違う人生になっていたことでしょう。
ぼくは今の自分と周辺の環境が大好きなので、山経験抜きの人生だった場合の自分を、あまりいい感じにイメージできないんですよねえ。

そんなわけで、ぼくの思考のベースには、越後の山々で感じた圧倒的に大きな自然があります。



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その時期の自分の変化を思うと、きっとこういうことだったのではないかと思います。スケールが違う、あまりにスケールが違う、そう感じることで小さい自分を認識して、ついでに自分が何者であるかが鮮明に感じられるようになる。きっとそういうことです。


明日はこの続きで「自然は分母で人は分子」というお話しです。




昨日まで真夏のような暑さだったのが、今朝は肌寒いほど気温が下がりました。今年はエアコン無しで過ごすぞ!と気合い十分でユニクロのTシャツ買い込んできたのに、いつもの長袖。ちょっと拍子抜けです。

気負うと肩すかしにあうし、気を抜くと痛い目にあう。自然というのは、そういう気まぐれなところがありますね。猛暑の予想だと冷夏になったりね。

自然を相手にするときには自然体でいくしかありません。
んっ?そうか!「妻は自然なんだ」と思えば、あの予想が立たない気まぐれさも納得できます。

自然を相手にするときには自然体でいくしかありません。






自然は守られたいなんて思っていない( 栗原邸 22)

栗原さんちのバラ以外の草花をご覧いただきながら、最近とても気になった、考えさせられた言葉について書きたいと思います。



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その言葉とは、ヨットでの史上最年少単独無寄港地球一周を成功させ、その後も数々のヨットレースで活躍している、海洋冒険家の白石康次郎さんのものです。 


「自然を守ろう」とか言う人多いんですけど、ぼくはそれはおこがましいと思いますねえ。
自然は守られたいなんて思っていないですから。 


あなたはこの言葉、どう受け取りますか。「自然は守られたいなんて思っていない」ということ。ちょっと唐突かもしれませんから、その前後の脈絡も含めて書きます。



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自然はあまりに大きくて厳しいものです。
洋上にいると、自然に対してぼくがコントロールできることは少ないですよ。おのれを尽くして、あとは神のみぞ知るですね。天にお任せするしかありません。
自然界に人間界を持ち込んでも無駄です。郷に入っては郷に従えで、海に出たら自然界の掟に従います。

逆に人間界の考え方で自然をコントロールしようとしたら、大変なことになります。
例えば今「自然を守ろう」とか言う人多いんですけど、ぼくはそれはおこがましいと思いますねえ。


自然は守られたいとなんて思っていないですから。


人間は人間本意の自然を守ろうと思っているだけで、温暖化で苦しむのは自然じゃなくて人間ですから。自然はまるで困ってないですよ。

よく考えてくださいね、自然の立場から言うと、それによって人類が滅びても、自然は何にも困らないんです。




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どうですか、きっと納得できたんじゃないかと思います。
確かに、自然が破壊されることで困るのは自然ではなくて人間なんですよね。そして、人類が滅んでも自然は何にも困らない。それどころか、もしかしたら、というか、おそらく自然は大喜びするんじゃないですかね。自然の側に立って考えれば、人類はあまりに暴走しすぎですからね。自然はそれに対する自浄作用として、地球の体温を少し上げているだけ。



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最初はエッと思った白石康次郎さんのこの言葉、自然の捉え方、自然との向き合い方、正しいんだなあと感じます。同時に、人間はそろそろ自然への意識を変えないと、とんでもない罰を与えられると。

「自然は守られたいなんて思っていないですから」。

うん、そこに気がつく人って、実はものすごく少ない。
その少ない感じが、ぼくがもどかしさとともにいつも言っている「庭は幸せのためにある場所」だということに気づく人の少なさと似ていて、きっとそこに何らかの共通点とか類似点があるような気もして。庭と自然、リンクしますしね。
そんなわけで、この言葉からぼくの中に広がってゆく世界を、数日かけて言葉にしておこうと思います。



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「庭は幸せのための場所」、「自然は守られたいなんて思っていない」、気づいてしまえば当たり前のことです。一度体感すれば、ごくごく普通のこととして認識されることです。でもほとんどの人はそれに気がついていない。何でですかねえ、日本中の人が気づいてくれたら、日本の国民総幸福指数はブータン並になると思うのですが。


この話、明日に続きます。
あなたも、自然をどう捉えて、なにを思って自然と対峙していったらいいのかを考えてみませんか。このことから、あなたとあなたのご家族、特に子供たちの幸福が加速してゆく可能性があります。
まだどんな文脈で書いたらいいか現時点では見えていませんけど、ぼくがお伝えしたいことの肝はそういうことなのです。
・・・上手くその結論にたどり着けるといいんですけど。まあやってみましょう。



さっ、今日も大汗かきながら、設計に熱中します。






人を上機嫌にさせる花( 栗原邸 21)

さあてと、庭に話を戻しましょう。


「バラの囲まれて過ごしたい」
これがご主人からのご要望でした。

庭の打ち合わせをしていてよく感じることですけど、男の人ってのはロマンチストですよね。奥樣方にとって庭は「現実的な生活の場」で、ご主人方にとっては「夢見る趣味の場」なんですね。

時期的にちょうど春のバラのシーズンだったので、つぼみがついた数種類のバラを植え込みしました。



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本格的な開花は来春からですけど、もともと植わっていたバラと合わせて、かなりの数の花をみることができました。



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いやあ


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バラって


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ほんとに


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いいもん


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ですね。


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もともとアジアにあったノイバラがローロッパに持ちこまれて、中世から現在まで改良が重ねられてきました。
貴族や特権階級の人たちがパトロンとなり、競って新種を咲かせては自慢していたこの花が、こうして気軽に園芸店で入手できるということは、考えたらものすごくゴージャスなことです。
 


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ラッキーラッキー大ラッキー、優雅に贅沢に、貴族になったつもりでバラを楽しみましょう。



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バラって大変そう・・・というあなた。確かに手入れにはコツがいるし、苗も肥料も他の植物に比べると高価ではあります。
でもねえ、手間がかかっても、少々お金がかかっても、ぼくは少しも気になりません。
花の時期は朝から妻の機嫌がいいんですから、安いもんです。

ついでにわが家のバラをごらんください。妻ご自慢のピエールドロンサールです。



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いいでしょう!朝起きるたびにこの花が増えているんですから、そりゃあ誰だって上機嫌になりますよね。
人を上機嫌にさせる花、バラ。

妻曰く、バラを咲かせるコツは冬場の肥料をしっかりとやることだそうです。そういえば、寒い時期に土入れ替えたりして一生懸命やってたなあ。感謝感謝、おかげで今年もすばらしい花を楽しませていただきました。

〈 今日のひと言 〉 

何にも咲かない冬の日は、下へ下へと根をおろせ。

やがて芽が出る花が咲く。

バラって、ほんとうにいいもんですね。







 

復興の狼煙プロジェクト

昨日のラジオで、北原さんがこのブログのことを宣伝してくださったおかげで、いきなりグンとクリック数が伸び、ありがたいやら緊張するやらです。

そしてお電話をいただいて、あれこれ話す中で「いわふちくんところでさあ、復興の狼煙って知ってる?すごいよあれ、感動するぜ。検索して観てみてよ」と。
さっそく探しました。一分後ぼくは、感動どころか、堤防決壊、涙が止まらなくなっていました。



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3月11日。地球が小さく息をしました。

それはわたしたちにとってあまりにもおおきくそして悲しい呼吸でした。

町は色を失いました。

思い出として語らうまでにはどれだけの月日が必要かわかりません。

そろって歩み出すにはあまりにも深い傷だし、

未だ現実と向き合うことを許されない東北の仲間もいます。


それでも、わたしたちは生きています。


たくさんの支援とたくさんの愛情と、

そしてなにより「自分にできること」を探してくれたたくさんの想いすべて。

しっかりと受け取りました。

わたしたちは、このエネルギーを大切に大切に育んでいくつもりです。

月日が経ちこのポスターが色褪せた時、沿岸の街は活気の色に染まっているはず。


みつめていてください。

この地から「ありがとう」を形にできるその時まで。


さあ復興の狼煙が上がりました。
 


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此処でなきゃ駄目なんだ。



これからを、取り戻す旅。



余計な言葉はなくていい。



甘くみるなよ、大槌人だ。



それでも今日も海を見る。



あの日と戦い続けて行く。



チョー悲しくなんかない。



忘れたいけど覚えておく。



頑固者の、出番のときだ。



ひとつひとつ咲かせるよ。



被災地じゃねえ正念場だ。



瓦礫を、踏み台にするさ。



野球がしたいです、神様。



悔し涙は、嬉し涙にする。



そして絆は家族になった。



前よりいい町にしてやる。



大笑いできるその日まで。



続く未来に胸張れるように。



心まで壊されてたまるか。



仲間は力だと、わかった。



かわりに気づいた宝物。



しおれてちゃ男がすたる。



夢は勝つ。かならず勝つ。



埃も泥も、思い出にする。



もうふざけんじゃねえぞ。



かじりついてどこまでも。



ため息つかないと決めた。



諦めるな、と帆立が言う。




クリックして、じっくりとご覧ください。

「復興の狼煙」ポスタープロジェクト




追いつめられたとき、人は言葉を発する。言葉につかまって立ち上がる。言葉が航路を指し示す。言葉に願いを込める。言葉で決意をする。思いがつのると言葉になる。言葉って、凄いですね。そしてどの顔も、決然と生きている顔です。
 
 

テミヤンライブ vol.59

明日6月23日(木)、59回目のテミヤンライブです。


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震災で数回中止になっていたライブが再開されて、ぼくを含めててたくさんのファンがホッとしました。毎月一回このライブを楽しむことで、気持の疲れや乱れをリセットしてまっさらな状態に戻れる、その効用を知った人にはもう欠かせない時間なのです。
人は気持がまっさらになると、意欲がわいて、笑顔があふれて、「さあて、また明日からがんばるべえ」となります。整うと元気が出る。

普段いろんな人との会話でこのライブの話題になると、いつか行ってみたいなあ、また行こうかなあ、という声をたくさん耳にします。もしあなたがそうなら、明日行きましょ。行ったら必ず思いますよ、来てよかったーって。

ぼくらは楽しみに行くだけですが、やる方は大変なことだと思うんですよね、毎月毎月。59回ですよ。毎回会場を楽しませ感動させるって、ものすごいことだと思います。感謝感謝大感謝です。ぜひ頑張っていただいて、100回を目指していただきたいです。
ぼくは思うんですね、今は一部の人の、知る人ぞ知るテミヤンライブですが、きっといつか大ブレイクして、このテミヤンと北原さんのライブが横浜県民ホールでやるようになったらいいなあと。そして年に一度武道館で。ゲストは山崎ハコさん、杏里さん、ブレッド&バター、森口博子さん、中尾ミエさん・・・、スペシャルゲストは、そう、加山雄三&ワイルドワンズ。ウ~ン、ワクワクします。
ほんと、それくらいの魅力があるライブなのです。皆さんもぜひ体感してください。




ライブで、テミヤンが毎回歌ってくれる「スマイル」という曲、何度聴いてもいいです。





テミヤンと北原さんが、石巻の子供たちにおもちゃを届けに行ったときの写真を拝借して並べます。
一枚ずつ、ゆっくりと、写真に入り込んでみてください。


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この写真の笑顔、何度みても、沁みます。背筋がしゃんと伸びて、口角が上がって、「頑張れ!」じゃなくて「負けてらんないぜ!」って気持になるんだなあ。

詳しくはこちらをクリックしてください。


震災から今日までの北原さんの動きは「高速回転」でした。きっと日本で一番動き回っていたかもしれないと思うほど回転速度が上げっていて、ぼくは、その周辺に笑顔と元気の輪っかが幾重にもできあがっていくのを目撃しました。
被災地だけじゃなく、日本中の空気が深く深く沈んでいた100日間に、しっかりと輝き続けて、進路を示す灯台の灯りのようだった北原照久さん。うれしくありがたいことです、こういう人がいてくれること。
出会ってから3年、ぼくの中に、一歩でもその世界に近づきたいという気持は強まるばかりです。そんな思いから、北原さんがラジオやライブで話した言葉、ブログに寄せてくださったコメントからの言葉を拾い集めている手帳が満杯に膨らんでいますので、今日もその中から引っ張り出して並べてみます。






「北原照久ミュージアム」


高橋邸の記事を見ながら泣けました。みんな辛い事や悲しい事、くやしいことはあるんですよね。でも神様は辛い事をいつしか忘れさせてくれますよね。「どんな悲しみさえ、いつかは思い出になる」神様が人間に与えてくれた最高のおくりものです。「二月の雪,三月の風、四月の雨は美しい五月のためにある」マザーグースの言葉です。高橋邸にあふれんばかりの花が咲き乱れますように。


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大人になっても少年の心を持ち続けるには「言い訳をしなくてもいい環境をつくる」ことです。言い換えれば好きな事を仕事にするのには人の何倍か努力する事ですね。でも本当に好きなことだったら意外とできるものですよ。



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僕はモノにも自然にも人間と同じように感謝とか有難うとか話しかけています。でもほとんどは誰もいないときにね。自然、例えば太陽、月、星、海,木、何でもいいんです。自分が何か感じたら「感謝,有難う」って僕は言って祈ります。これをするだけで間違いなく波動はあがりますよ。とってもいい習慣だと自分でも思っています。みんな真似したらいいよ。



環境問題、とっても大事なことです。もっと大事なことは心です。「やさしさ、思いやり、人の痛みを知る」、この心があれば人にも自然にも、もっと違った接しかたができるでしょうね。一人一人が謙虚でやさしい気持ち、本当に大事です。



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ひとつ付け加えてください。「とにかく人生はいい出会いです」。この「いい」が非常に大切ですよ。いい出会いをするには自分の波動を上げる事です。ぼやいたり、恨んだり、ねたんだり、すべて波動を下げます。波動は同じレベルで引き合いますから気をつけましょう。いつも三カン王「関心,感動,感謝」でいてくださいね。 



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今日の一言、「親の意見とナスビの花は、万に一つの無駄が無い」。


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横浜元町バックのキタムラの北村宏さんにいいことを教わりました。武田双雲の「幸せは獲得するものでもなく、訪れるものでもなく、気付くことである」この話をしたら「そうだね気付くことも大事だけど築くことだとおもうよ」と。そのとおりですね。今を大切に「感謝と有難う」で毎日を明るく楽しく生きていくことの積み重ねが幸せなんですよね。


松尾芭蕉の「今日こそは 人も年寄れ 初時雨」最高にいい俳句です。晩年の松尾芭蕉が若いお弟子さんと晩秋のころ読んだ詩です。君たちは晴れている日がいいだろう?でも年を重ねて秋のしぐれを見るとなんて心がおちつくんだ。君たちも今日は歳を重ねた気持になってこの晩秋のしとしと降る雨を感じなさいという俳句です。


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「妙な自信」いいですね。自信は大事ですよ、自信とは自分を信じるということですから。自分を信じられなくていったい何を信じればいいんでしょう。僕はいつも自分に言い聞かせています。「やればできる」ってね。これも全く根拠のない「妙な自信」です。
平原綾香の「ジュピター」の歌詞に「夢を失う事より悲しいことは自分を信じてあげられないこと」ってあります。吉本由美さんの詩です。この言葉を縁で吉本さんにも平原さんにも会うことができました。言葉には力がありますね。


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「おごるなよ 月のまろきも一夜限り」は仙涯和尚です。ユーミンの「14番目の月が好き」と同じぐらいいい言葉ですね。
歌の続きですがジュピターの「愛を学ぶために孤独があるというなら意味のない事などおこりはしない」この言葉もグッとくるね。自分に起こることはすべて意味がある。いやなことや辛いこと、悔しいこと全てを否定しない。「我に七難八苦を与えたまえ」こんなことを言えたら本当にかっこいいね。曲がりくねった道だけど、振り返れば一本の道です。 


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音楽熱中倶楽部いつも聴いてくれてありがとう。今回のテーマ「母」は沢山の方からメールやお便りをいただきました。うれしかったのはこの番組を聴いて「こんどから自分の誕生日に母に感謝の気持ちをこめてプレゼントします」とか「母の介護で最近疲れてしまったのですがラジオを聴いて自分の気持ちが浄化されもう一度、母に感謝して介護をします」とか、あらためて本当にたくさんの方が聴いて下さっているんだなぁと再認識しました。楽しんでがんばります。 



今日のひと言、「親孝行は親のためではない自分のためにする」。



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時間は「過ごす」のではなく「使う」のです。何か人にものを頼むときは「忙しい人に頼め」という言葉があります。忙しい人は時間の使い方が上手で時間の大切さを知っています。暇な人に頼むといつでもできると思ってなかなかやってくれません。「忙中閑あり」という言葉もありますよね。時間はみんなに平等にあります。これを有効に使うと人生は二倍にも三倍にも楽しめます。


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今日のひと言、「介護はね、親が命がけでやる最後の子育て」。 


言葉には力があってそれに気がつくと人生はいい意味でちがったものになりますよ。ぼくも高校時代に担任の先生に「北原、やればできる。同じ高校生、同じ人間、だったらお前だってやればできる」、この「やればできる」に反応しました。それからの人生は、人がやったことだったら俺だって「やればできる」と思って生きています。人の出会い、言葉との出会いに感謝です。



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山崎ハコさんの35周年コンサート感動的でしたね。沢山沢山挫折したハコさんは、今なんて素敵で輝いているんでしょう。「悲しみを知らない人は喜びもしらない」、「不幸を知らない人は幸福もしらない」、まさに地でいっていますね。今日のハコさんを見ていて、音楽は人を感動させるしハコさんの歌は一冊の本を読んで感動したり、いい映画をみて感動した時のそれと同じでした。「私いま幸せです。と思えることはこれまでの人生すべて正解」、「曲りくねった道も振り返ると一本の道」、そんなことを感じさせるコンサートでした。


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昨日、いい言葉を教えてもらいましたよ。高校受験の前日、「なんでもっと頭良く産んでくれなかったの」と愚痴をこぼした時、母が返した娘へのキッパリのひと言、「努力したら、できるように産んである」。


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今日のひと言、「感謝と笑顔があれば、幸せは向こうからやってくる」。


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入院してたって、ものは考えようで、病気だから入院させられたんじゃなくて、元気になるために入院しているって思えばいい。

捕われると行き詰まる。陸から海を見てるのと、海から陸を見るのとでは、全く違って見える。見方を変えれば悩みは消えて、必ず元気になる。

元気があれば大丈夫。


いろんなことあるよなあ。愚痴ったりぼやいたりしたくなるよね。そういうときにはこうしたらいい。愚痴を言ったら言いっぱなしにしないこと。悪い言葉で終わるとその言葉通りになっちゃうから、「・・・と思ったけど大丈夫」「・・・だけどうまくいく」って、小さな声で付け加えて、ポジティブな言葉で終わらせる。いい言葉で終わらせれば、必ずよくなるんだよ。



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ついに梅雨入り、いいねえ。

博物館の庭が花いっぱいできれいですよ。梅雨時期は庭が美しい。

こんなふうに、梅雨だって楽しく考えれば楽しくなります。すてきな傘を買うとか、雨の曲を聴くとか、なんでもワクワクとときめいていられる人は、梅雨でもさわやかです。 


追いかけて追いかけて、少しは近づけたかと思うとまた見失って、その繰り返しです。それは北原照久という人がタフに走り続けているからでしょうねえ。見ている方が音を上げるほど、まったく休むということがありません(うちの爺さん、そういう人だったなあ)。そしてすごいのは、走りながら進化し続けているということ。出会った頃「いやどうもパソコンは苦手で・・・」と言っていたのに、今ではツイッターまでやってるんですからね。驚きですよ。



プリンセスダイアナ( 栗原邸 20)

妻が「来る原さんちにおもしろいクレマチス植えたから撮っといて」と。
これでした、プリンセスダイアナ。



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ネーミングがいいですよねえ。



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ベンチ脇のオベリスクと、背後のパネルに絡むように植えてあります。



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その名前だけで、いろんなシーンが思い浮かぶ、プリンセスダイアナ。



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何となく、納得のネーミングですよね。



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わが家にもすごい名前の花があります。イングリッドバーグマンというバラです。



イングリッドバーグマン
 

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ウ〜ン、これまた納得。



〈  今日のひと言  〉

どんなに美しい花でも、水をあげなければ枯れてしまう。


さっ、今日は早めに帰って、わが家のバラにタップリと水あげましょうかねえ。バラって、妻のことですけどね。
・・・水はいいから仕事してちょうだい!と言われそうですけど。ここんところ設計の上がりが遅いと、チクチク文句言われているのです。
きれいなバラにはトゲがあります。








 

Kind of Blue( 栗原邸 19)

栗原さんちの照明器具です。



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すっかりワンパターン化している、マリーンライトとLEDのフロアーライトという組み合わせです。
いいんですワンパターンで、いいものはいい。

で、夜はこうなります。



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日々いろんな方に庭の提案をしながら、まだまだ夜の話には抵抗感をお持ちの方が多いことを感じ、とても残念に思っています。
「夜はいいんです、庭に出ないから」、「暗くなったらシャッター閉めるんで、ライトはいりません」という反応から、丹念に時間をかけて夜の庭のすばらしさを説いて、その認識をひっくり返す作業を何千回も繰り返してきました。そしてガーデンライトを設置しつづけてきましたから、上空から見下ろすと、きっと夜の横浜周辺は何ルクスか明るくなったのではないかと思います。
ぼくはあきらめが悪い性格なのでこれからもそうします。なぜなら、このポイントは、庭を価値ある場所にするためにすごく大きな、重要なことだからです。ぼくがこのことの啓蒙活動をやめたら、日本の庭文化は、家族の幸福感は、その進化を失速してしまう、ものすごくオーバーに言うとそんな気持なのです。
過ごす庭にしろ眺める庭にしろ、夜真っ暗だったら、庭の存在は日中だけのものになりますよね。それでは庭の存在感は半減、あまりにもったいないのですよ。

ここんところ日課になっている夜の楽しみが「夜景を眺めながら庭で仕事」です。今も庭でこの原稿を打っています。
夕飯後に庭に出て、パソコン開いて、BGM は(世界で最も売れたジャズのアルバム)マイルスの「Kind of Blue」。目の前にはリゾートっぽさ満点のライオンズマンションと、そのむこうに栄区公田の街並の灯り、遠くの山陰ギリギリには江ノ島灯台が10秒に1度の点滅を繰り返しています。晴れの日は星と月と流れる雲、雨の日は雨音としっとりした空気。そして夜風を楽しみながら1〜2時間夢中でキーを打って、やがてぼくの電池残量が少なくなるとウトウトと眠くなる。仕事しながら心地よく力つきてゆく感じ、クーッ!至福のときです。
仕事じゃなくてもいいんですけど、夜の庭は、まるで宇宙とつながっているような、自然界の波動と同調できるような気持よさがあるんですよ。自然に反して過ごした一日をチャラにしてくれる、一度経験したらクセになるひとときです。

「夜は庭に出ないから」と決めちゃわないで、ぜひ、庭を持っているすべての人に味わっていただきたいなあ、夜の庭。
いち日の終わりにひとりで過ごす夜の庭は、まさに Kind of Blue です。





 
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