2011年08月

庭・幸福 原理主義( 石井邸 24)

石井さんちのご紹介、今日が最終日です。

途中別の記事を挟みながら、約一ヶ月間書いてきました。他にもご覧いただきたい庭がたくさんあり、それがどんどんたまってゆくので、ひとつのお庭の紹介が長くならないようにという気持ちがありながら、今回はまた長々と、思う存分書いてしまいました。



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この石井さんちの庭はぼくには特別な感慨があります。つくづくすごいなあと。
これは得意の自画自賛ではなくて、なぜこういう庭が出現したのか、ガレージの屋上が何ゆえここまでの庭に変身できたのか、その源にある奥様の存在が、ものすごいなあと感じているということなのです。



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出会いからしてすごかった。
ニコニコしながら店に入ってきて「やっと出会えたわね」みたいな感じで、いきなり庭への思いを語り始めました。そして一緒に来たお子さんたちに「このおじさんとの出会いは運命なのよ」と。



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庭を設計し、それを吟味するうちに、奥様がお持ちの庭へのイマジネーションが、ぼくの何倍も強いことを知りました。
それは施工が始まってからも同じで、ぼくの設計をもとにして、できあがってゆく庭を観ながらの奥様のヒラメキ、提案によって、設計よりも濃く深い庭に仕上がりました。
年中ひっきりなしに庭を生み出し続け低手も、今回のような経験は希です。
いつもぼくが100を提案し、そのうちのお客様が選んだいくつかのことが現実の庭を形づくってゆく、というパターンなのが、今回はぼくが絵にした100をもとに、それを奥様が200の世界をイメージし、ぼくとしては頑張って何とか150の庭まで引き上げた、そういう感じでした。



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奥様のそういう能力は、庭にだけ発揮されるのではありません。暮らし全般、奥様自身とご家族の人生全般に、すばらしい効果を生み出しています。傍目にハッキリとそれがわかる。奥様を中心にして、みなさんとてもイキイキと有意義な日々を送っています。
そのこと、そのコツを掴みたいなあと、もしそれを我がものにできれば、ぼくと家族の人生は安泰ですし、それを他のお客様に伝えながらの庭提案ができます。「いわふちの設計する庭はものすごい幸運を招くらしいよ」というような仕事ができたら、それこそぼくの本願ですからね。



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奥様がお持ちの特殊能力がぼくに照射され、続いて屋上に照射され、魔法のようにできあがった庭の写真を並べながら、一ヶ月間考え続けた結果、・・・そのコツを解明することはできませんでした。何となくは掴んでいる気がするし、手にしてみればとても単純明快なことだという感触はあるんですけどねえ。あと一歩、という感じです。
しかし世の中に無駄なことはないもので、ウダウダとコツ探しを続けているうちに、ぼくの中で鮮明になった別のことがありました。



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庭は幸せのもとと、幸せになるヒントだけでできている。 

そして、

庭は、幸せな人と、幸せになろうとする人だけを招き入れる。



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言い切ってしまいます。庭とはそういうものなのです。もしそうじゃない庭は、庭の態をしたディスプレイか、何となく庭風な空き地なのです。
奥様はそれをご存知でした。だからぼくを捜していた。建築家や造園師や他の人にいくらこのことを話しても言葉が通じないほどの違和を感じていたから、だからぼくとの出会いを運命であるとまで言ってくださったのでしょう。



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庭のことを追求してゆくことは、幸せな暮らしを探求すること。突き詰めて、突き詰めて、とうとうぼくは「庭・幸福 原理主義」に至りました。原理主義者、怖いですよー、原理原則のみに思考を集約してゆく。



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ぼくの中に生まれた原理主義者がマイクを要求していますので、しばしお聴きください。


あなたが庭をお持ちなら、その庭が本当に庭なのか、庭っぽい空き地なのかを判断してください。その基準は「あなたとご家族が、その庭があることによって、大きな幸せを感じながら暮れしているかどうか」ということです。そうならその場所は庭、そうじゃなければ、そこを庭と呼べる場所にしない手はありません。何しろそれには「幸せ」がかかっているのですから。あなた、幸せになりたいでしょ。
もしあなたが大して幸せになりたいと思っていないのなら、ぼくの話はまったく影響しないので、安心して続きをお聴きください。幸せになりたい人は、人生が大きく変わる可能性がありますから、心してお聴きください。

日本有数のお金持ちがいます。特定の分野において、世の中に高い評価を受ける実績を残した人がいます。絶大な人気を得ているタレントがいます。あなたは庭への認識を少し変えるだけで、それらの人たちよりも確かで大きな幸せを手に入れることができるのです。
どんなに成功した人であっても、そのことと幸福感はイコールではありません。まったく関係のない、違う概念の世界です。成功したら幸せになれるなていうことは一切ないのです。それどころか、何かに秀でるためには違う部分の犠牲を必要としますので、家庭内のバランスを欠いていたり、自らが心身を患ったり、だれかに恨みをもたれたりということもあります。

庭は幸せのもとと、幸せになるためのヒントだけでできています。そして、庭は幸せな人と、幸せになろうとする人だけを招き入れてくれます。そんな不思議で特殊な場所は、庭以外にはこの世に存在しません。

このことを知ったあなたは、今日から毎日庭に出て、庭を見つめ、庭と語らいながら暮らしてください。そうすることが、あなたとあなたの家族が、どんな成功者よりも幸福な人生を送るための、ただひとつの道なのです。




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いやいや、原理主義はいけません。「◯◯こそが唯一の道」という話には決して近づいてはいけないのです。
でもこの原理主義者、なかなかおもしろいことを言うなあ。しばらくぼくの中で生息させておこうと思います。



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この庭から、いろんなことを感じ、考えさせられました。おかげで、またひとつ庭への思いが深まり、ぼくの中の引き出しが増えました。



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素敵な仕事をさせていただいた石井さんに感謝です。そして、石井さんとの出会いへと導いてくれた運命に感謝しています。いやあ、楽しかったー!





2011年の夏( 石井邸 23)

8月が終わります。いい感じに暗くなってきた庭をご覧いただきながら、今日はこの夏を振り返ってみます。



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節電の夏、「今年はエアコン使わずに乗り切るぞ!」と宣言した通りに、ほぼエアコン無しの夏でした
(留守番するノアの熱中症回避のため、2回ほど使いました)。そういう方多かったんじゃないでしょうか。



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いくつか気づいたことがあります。



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今考えるとバッカみたいだったなあと思うほど、夏になったらエアコンフル稼働で、家では汗をかかずに過ごすことがあたりまえになっていた自分を発見しました。



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所々傷んでいた網戸を張り替えて室内に風を通すことを意識したら、「いい風だあ。癒されるなあ、エアコンなんていらないよ」と、妻共々、何度もその江ノ島方向から室内に吹き込んでくる風に目を細めました。



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エアコン使わないことに身体が慣れると、そうめんが美味く感じる。いつも食品棚の奥に追いやられてた妻の田舎の特産品「揖保の糸」が、ものすごい存在感を持ちました。
そうめんはエアコンがない時代のごちそうなんですよね。スイカもそう。



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田舎の人は今でもエアコン無しがあたりまえ。
両方の田舎を巡って、室内に風を通すことはもちろん、その他にも諒を味わう知恵を駆使しながら暮らしていることに、大きな豊かさを感じました。
同時に、田舎は緑と土の分量が多いので、朝晩は肌寒いくらいまで気温が下がること、山沿いでは暑い日には必ず夕立があって、そのひと雨で畑も人も一息つくという、その見事な自然のシステムに唸ってしまいました。



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いくら昼間暑くても、昼間が暑いほど、夜の庭は涼しく感じる。
これが最大の発見です。夏の夜、庭に出ないなんてことは、ぼくにはもう一生あり得ないことです。ほんと、あの夜風と夜空と金鳥の日本の夏の香り、最高。




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震災と原発事故がきっかけで、ぼくとしては、いくらかの人間らしさを取り戻す夏になりました。
それと反して被災地の夏は、精神的な過酷さが増しているようです。そりゃあそうですよね、だれでもかれでも強い人ばかりじゃないですから。家族も家も仕事も無くして、平らな気持ちでいられる人などいるはずもないですしね。



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仮設住宅には全棟エアコンが取り付けられています。それはそうです、あのプレハブの長屋では、閉め切ってエアコン効かせなければゆで上がってしまいます。
でも、東北の人たちは、これまでエアコン無しで諒を感じられる夏の過ごし方をしてきたんです。
じいちゃんばあちゃんたちが体調を崩さなければいいんですが。心配です。じいちゃんばあちゃんには、単純に温度が低ければいいってもんじゃないんですから。
あの大型スチール物置みたいなグレーの長屋に、濡れ縁とよしずと蚊取り線香と庭(畑)を追加してあげたいなあ。夜風が心地いい縁側のある庭と畑がなければ、東北人の暮らしは整いません。



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テレビで「年寄りは若い人たちに迷惑かけるから、私はお墓に避難します。ごめんなさい。」と書き残して命を絶ってしまったおばあちゃんの話がありました。いやあ、せつなくて、くやしくて、しばらく涙が止まりませんでした。
あんまりですよねえ。日本中の人が総掛かりで被災者のことに思いをしていても、そのおばあちゃんの気持ちを救い上げることができなかった。
そのおばあちゃんは、日本人すべての人のおばあちゃんなんだと、ぼくにはとても強くそんな感じがあります。

東北とはそういう場所、日本人全員の故郷のような、日本の良心が自然と呼応しながら、おとぎ話を伝えながら、祭りを継承しながら、100年前と今日と何も変わっていないような暮らしがある場所。
今必要な物資は・・・、赤十字に集まったお金はどうなったのか・・・(まだ20%ほどしか使われていないそうです)、放射能汚染の真実は・・・、いいろいろありますけど、そろそろ次に必要な支援のカタチが見えてきました。

仮設住宅での孤独死、中高年の自殺者急増など、あまり報道されませんが、心の問題や生きがいの問題が出始めています。
故郷のすべての年寄りに、子どもたちに、ぼくらはもっと細やかに思いをするときなのかもしれません。物資も必要、お金も必要、芸能も必要。こんどはそれに加えて、ぼくらの「故郷の人たちを思うような気持ち」が必要です。



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震災の日、東北には雪が降っていました。
呆然としたまま春が過ぎ、行政の動きに苛立ちながら暑い夏が過ぎました。
来る秋は、東北人が最も喜びに湧く季節。放射能のこともありますけど、豊作だといいなあ。農家の人にとっては、たとえ食べられない米であっても、豊作はうれしいものです。
秋風に揺れるよく実った稲穂の波を眺めていると、農民ではないぼくでも希望で胸がいっぱいになります。日本人を元気にする日本の風景です。


夏の終わりかあ。
2011年8月、毎日いろんな思いがめぐる夏でした。
この夏取り戻した、夏の夜風の心地よさ、そうめんの美味しさを、忘れないように暮らしていきたいなあ。






 

草を育て、草を食って暮らす( 石井邸 22)

石井さんちの夜景をご覧いただきながら、朝、庭に出て思ったことを書きとめておこうと思います。



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今朝もまた、気持ちのいい天気です。

「今年はうまく育たないなあ。土の具合が悪かったのかなあ」とすっかり収穫を諦めていたモロヘイヤが、ここ数日で急激に成長しました。
これまで伸びが悪くて、葉っぱが硬くて美味しくなかったのが、勢いがついたら別人のように、それはそれは見事な、柔らかくて粘り気があることが見てわかる、八百屋さんでもなかなかお目にかかれないような良い葉が茂っています。

何の具合だったのかなあ。ちなみに昨年は7月中に食べまくって、8月に入ったら葉が小さく硬くなりました。今年は7、8月と硬いままで、今になっていい葉が茂り出している。この意外性が、楽しいんだなあ。



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ゴーヤも秋の近さを察知しているようで、一気に花数が増えました。
これからありったけのチカラで実を付けて、その収穫を終えるとシューッと枯れてゆく。その様子を見るたび、春から夏の思い出が巡ります。

花も良いけど、野菜づくりもいいものです。
野菜を育てるということは、土をつくり、苗を植え、収穫を楽しみに水や肥料をやり、虫を駆除し、花が咲いては喜び、実が付いては喜んだ、その時間の記憶が蘇る楽しみなんだなあということがわかります。 



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石井さんちは何カ所も畑をお持ちで、80過ぎのおばあちゃんが毎日自転車でそこを巡りながらたくさんの野菜を育てています。
この庭の下のガレージには大型冷蔵庫があり、そこに収穫した泥付き野菜が新鮮なまま貯蔵されています。
施工中に何度も大量の芋やネギを頂戴して、おかげさまで今年の夏は野菜摂取量が多く、体調万全で過ごせました。いつも「ほれ、もっといっぱい持っていきなさい」と、段ボール箱にドッサリ野菜をつめてくれるおばあちゃんの顔は、田舎で見慣れた、日に焼けて顔中笑い皺の最高の笑顔でした。そして動きが軽やかで、きっとトップアスリートのように全身が鍛えられているんだろうなあと感じました。
・・・うちの爺さんがそういう人だったなあ。



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元気なお年寄りには「正しさ」を感じます。言葉じゃなくて、その暮らしぶりから、全身で正しい生き方を教えてくださっているような。
「あんたも長生きしてみなさい。せっかくいただいた命を、まじめに、思いっきり笑いながら長生きしてみなさい」と言われている、そんな気持になります。

そういうお年寄りは農村に多いです。太陽と土から養分を吸収しているかのように元気な笑顔。やっぱり日本人は草を育てて、草を食いながら生きてきた民族なんだなあと思います。
草と根っこと木の実と、少しだけ魚と、ごくたまに獣の肉。これが日本人の元気を引き出す食事なんですよ、きっと。

家庭菜園ブームで、園芸店では年々野菜苗の売り場が拡張されています。
田舎では野菜を作ることは生活のリズムであり糧なわけですが、都会で暮らす人には、「正しさ」を感じ取る機会です。



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野菜を育て、野菜を食べ、まじめに、思いっきり笑いながら長生きしましょうね。







ふと思いました。野菜づくりをしながら暮らすのは、親の義務なんじゃないかと。ぼくの親も妻の親も、そのまた親も、みんな農家なわけじゃないけど、野菜をつくりながら子育てしてきましたからね。
だから、親が野菜をつくる姿をみせないまま子どもを育てるのは、まずいんじゃないかなあと。
まあ、絶対的にまずいことではないにしても、見せといた方がいいことのような気がしますし。それと、野菜に思いしながら暮らすくらいの余裕が、うまく子育てをすることにもつながる気がします。
親がストレス溜め込んでいっぱいいっぱいになっていては、子どもはいい根っこを張れませんからね。

さっ、気候がよくなってきましたから、秋野菜の植え付けでもしましょうか。まずは苦土石灰と牛糞堆肥で土を直してから。






太陽のようなパワーに魅了されました( 石井邸 22)

徐々に暗くなってゆく庭をご覧いただきながら。



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人にはいろんなタイプがありますよね。豪快な人、優しい人、明るい人、暗めな人、理知的な人、感覚的な人、活動的な人、物静かな人・・・。それぞれに、そのタイプならではの能力を持っていて、同時に違うタイプの人との関係性によって、世の中がバランスよく回っている、そういうものだと思います。



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中には内向的な自分にコンプレックスを持ちながらの思春期を経験したという人もいると思いますが、社会に出てある程度の経験を積むと、そのコンプレックスは、まったく無意味なことだったと気がつくはず。たいがいそういう人は、内向的だからこそ評価されるような仕事に能力を発揮しています。
世の中は、違うタイプの人間同士が折り合いを付けながら、 凸凹をカバーし合ってできあがっている、ということに気づいたときが、社会人になったときなのかもしれませんね。



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また、タイプが違うから惹かれるということもあります。
自分と違うタイプの人と会ったり話したりすると、その考え方や暮らし方に新鮮な刺激を受けて、毎日がとてもイキイキとしてきます。違うタイプであっても、その人の長所を取り入れたり、うらやましいなあと思うだけでも、自分の思考に幅が生まれます。だからだと思うんですけど、長くいい関係を続けている友人というのは、たいがい自分とはタイプが違いますよね。
ジョンとポールのように、陰と陽、強と弱、凸と凹。だから惹かれる。



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今回の石井さんちの仕事で、ぼくは奥様に強く惹かれました。ぼくとは違う、ぼくが持ち合わせていない個性に、強烈な魅力を感じたのです。
それはひと言でいうと「パワフル」ということ。奥様が発し続ける陽のパワーが半端じゃありません。



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この庭はぼくの設計ではありますが、ぼくだけでは生み出すことはできませんでした。
奥様の、まるで太陽のような圧倒的なパワーに魅了され、そのパワーに押されまくったり引っ張られたりしながら設計変更を繰り返していった結果、できあがった庭なのです。



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毎朝4時半に起きて、お子さんたちのお弁当づくりから始まって、一日中目まぐるしく動き回っている奥様。常に「もっと美味しいものは・・・」「もっと楽しいことは・・・」「もっと美しいのは・・・」と、いろんなことへの興味と意欲が尽きなくて、片っ端からそれらに向かって突っ込んでいく感じです。ボーッとしている時間がほとんどありません。
「子ども5人、犬5匹、夫とおばあちゃんと、もうほんと、大変なんだから」と言いながら、実のところ義務感で動いているのではないことがわかります。愛情なのです。
あふれる愛情と尽きない好奇心。結果的にいち日を隙間なく使っているという感じです。



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奥様のような人並みはずれてエネルギー値が高い人、その源泉が愛情と好奇心という、そういうタイプの人に出会うと、つられるように、こちらもフルパワーで対応することになります。それがものすごく心地よくて、いい相性だなあと感じながらの仕事でした。



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タイプでいうと奥様が太陽で、ぼくは月。
とてもありがたい、うれしく楽しい出会いだったなあ。






今朝は最高に気持ちのいい天気です。光、風、温度、湿度、これぞ秋晴れ!(まだ8月か。でも間違いなくこの感じは秋晴れ)
稲刈り、ぶどう狩り、運動会・・・、空気感から楽しい思い出がよみがえってきて、とてもいい気分で出勤しました。
今日は家の中にいたらもったいないです。いやほんと、もったいない。
とにかく外に出て、思いっきり気持ちのいい休日を楽しみましょうね。








幸せな天秤( 石井邸 21)

今日から5回、徐々に暗くなってゆく庭をご覧いただきます。



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日が沈んで、庭に明かりが灯ると感じる情感。

三角ベースが楽しくてずっとやっていたいのに、ボールが見えなくなってくるのでしかたなく「また明日ねー」と家に帰るときのあの情感です。
もっと遊んでいたい、永遠に続けばいいのに、そう思う気持ちと、もう片方には「空腹」。遊びと夕飯、友だちと家族、その天秤が均衡状態になる瞬間。
子どものころに、このどっちに傾いても幸せが待っている天秤を与えられたことに、感謝だなあ。

庭に明かりが灯るときに感じる情感は、あなたが幼い日にもらった幸福感なのです。 幸せを幸せと認識することがないほどの幸せに満ちた、たくさんの記憶が、庭の灯りで引っ張り出されるのです。

子どもたちに、何の不安も恐れもない、ただただ楽しい時間をたっぷりとプレゼントしましょうね。その記憶が、将来、その子を支えます。





いやあ、毎日ただひたすらに仕事しまくっています。設計に集中し、頭を弛緩させるときには写真整理をし、駆け足でノアの散歩をし、庭に出て蚊取り線香焚いて脳内電池が切れてウトウトするまで仕事をし、こんどは寝ながら夢で仕事をし、朝起きて仕事のこと考えながら掃除と散歩をし、気合い充実させながら店に行って仕事をし・・・。

充実しているといえば充実しまくっていますが、何となくまだまだ足りない。何だろうなあこの焦りみたいな感覚。

ま、いいか。そんなこと考えているのも時間がもったいない。
さっ、集中!
プランをお待ちの皆様、恐縮ですが、もう少し首を長く伸ばしていただいて、楽しみにお待ちくださいね。








 

申し訳なかったなあ・・・( 石井邸 20)

最近はまっている楽しみが、夜庭に出て仕事をすること。庭仕事じゃなくて、パソコン開いての仕事です。
ここ数日は夜風が秋めいてきて、そりゃあもう気持ちいいったらありゃしない。真夏は真夏で、日中の暑さの余韻を感じながら、短パン&Tシャツで、リゾート気分で楽しみました(蚊取り線香の大きい缶を2つ使い切りました)。

別に家に帰ってまで仕事しなくてもいいんですけど、夜に庭で過ごすことの快楽は、一度やったら病み付きなのです。
せっかく庭があるのに、その楽しみを一度も味わうことなく暮らしている人がものすごく多いんですよね。もったいないなあと思います。

こんなふうに夜の庭を楽しむために必要なのが照明器具です。
思えば、ぼくのプラン図に必ず照明器具が入るようになってまだ8年ほどです。それ以前はご要望があればライティングを考えるという程度でした。今振り返ると、なんだか申し訳なかったなあと。お客様の中に「夜の庭を楽しむ」というイマジネーションがなくても、それをぼくが提案できたいたとしたら、その方、そのご一家の暮らしが、ひとつ楽しく豊かに広がったかもしれないと思うのです。
だから今では、庭の必需品として、すべての設計に照明器具を入れ込んでありますし、たぶんこれから一生、照明計画抜きの設計はしないだろうなあと思っています。


石井さんちに設置した照明器具です。



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いつものマリーンライトとフロアーライトです。

明日から数日、徐々に暗くなってゆく庭をご覧いただきます。もんのすごく美しいですよ。







暗くなるとカーテンを閉めるって、やっぱりもったいないです。
夜景の美しさ以上に、夜の空気を味わう楽しみを放棄するなんて、人生の楽しみの何%かを捨てているようなものです。

以前ブログでご紹介した一柳さんちの奥様は、夜中に庭に出て「ラジオ深夜便」を小さく流しながら本を読む時間が大好きだとおっしゃっていました。
早朝から夜遅くまで、ご主人と子どもたちとおばあちゃんと猫の世話で、目まぐるしく動き回る毎日で、深夜だけが自分の時間と感じられるのだそうです。その密かな楽しみの時間を庭で過ごす、いいなあ、すてきだなあと思いました。
これがその庭です。



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夕暮れ、夜、深夜、明け方、ちゃんとそこに庭はあるのです。昼間とは別世界の夜の庭を、あなたも楽しんでみませんか、習慣として。もしかしたら、人生観が変わるほどの何かを感じることになるかもしれません。いやほんとに。





日常を変えてみるということ。


夜、庭に出るなんて考えたことなかったのに、やってみると楽しい楽しい。

朝食を庭で食べてみる。いち日の質が変わることに気がつく。

早起きして、いつも妻任せだった花ガラ摘みをしたら、妻の笑顔が倍増した。

七輪を持ち出して150円のサンマを焼いてみたや、1500円の美味さだった。

ガラスふきをしたら庭が絵のように思えて、バラを植えたくなった。

庭で昼寝をしてみる。木漏れ日や空の美しさに癒される。

庭に餌台を置いたら、野鳥の種類の多さに驚いた。


とにかく昨日と違うことをしてみましょう。庭の楽しみはどんどん広がっていきます。その広がりはあなたの世界が広がったということなのですから、同じ1年を、倍の広さを持って生きたら、あなたは倍生きたことになります。

庭って、そういう場所なのです。
 




 

いないいないばあ!効果( 石井邸 19)

石井さんちの写真を並べていると、そこがガレージの屋上であることをすっかり忘れてしまいます。
設計時からそういう狙いはあったものの、施工しながら奥様から出されるアイデアを反映させて行くうちに、さらに「脱屋上」な雰囲気になっていきました。
奥様の中に、ぼく以上に、そこを屋上ではなく地面にある普通の庭として成立させたいというイマジネーションが膨らんでいったのでしょう。 

道路からそのガレージを眺めると、こうです。



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母屋のとなりに立つ納屋兼ガレージの上、下からだとそこにどんな世界が広がっているのか、まったく想像できません。



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そこに行って、初めてこの庭の存在にビックリする。こういう演出効果も庭の魅力を高めるひとつの方法です。


例えば、庭が建物の裏手にあって、来訪者はリビングに通されるまでその庭の様子も、存在すらも知らないというようなケースでは、この「そこまで行って初めて飛び込んでくる風景の驚き」を意識した設計をします。「おじゃましまーす」と入ってきた人が、次の瞬間「エーッ!なにこれー、すごーい!」と声を上げてくれることをイメージして。
もしそれができたら、そこからすてきな時間が展開されること間違い無しですからね。

隠しておいて、パッと見せる。今回は庭全体、庭の存在そのものを隠して見せたわけですが、これは回遊式庭園でも多用されるテクニックです。その「いないいないばー」を使うことで、観る人の気持ちを掴んで、掴んだまま引っ張って誘導してゆくことができます。
突然現れる。チラッと見せる。次も何かあるかもしれないと期待させる。期待を裏切っておいて、すぐに期待以上の何かをプレゼントする。庭を使って人の気持ちを惹き付けること、コントロールすることを、数百年前の庭師たちは企み続けました。京都に行くと、このテクニックを使っていない庭は存在しないほどです。
ところがいつのまにか、そんなことは、あまり誰も考えなくなってしまったんですよねえ。なんでかなあ。







美しい造形が人に感動を与えることもあるし、意図的に気持ちに働きかける目的のためにできあがった造形が、とても美しい、ということもあります。

庭に限らず、その形が美しくない場合は、たいがいその裏にある意図が美しくないものであったり、本質が正しくないことが多いのです。ほんとですよこれ。そんな視点で周囲を観察してみてください。
理屈じゃなく、その見た目の美醜で判断することも大事なのです。
テレビを観ながら、政治家とか、評論家とか、タレントの顔を、その時点での人気は別として、美しい人とそうでない人に分けて、半年くらい観察してください。美醜判断の正しさがハッキリとわかるはずです。
本を読んでいてもそうです。言葉の美しさもさることながら、その本の装丁やページを開いたときのグラフィックの美醜が、ぼくにはとても気になることがあります。スーパーに行けば食材の、洋服を買いに行けばディスプレイの美醜。一番気になるのが、鏡を見たときの自分の顔。まあこれは自己肯定感が異常と言えるほど強いので、毎日まあまあ合格点ですが。

あと、仕事柄でしょうか、とても気になるのが街並です。美しい街とそうでない街がありますよね。
できることなら美しい街で暮らした方がいい。同時に、自分が暮らしている街を美しくしてゆくことが必要なのです。
なぜなら、美しい街は、住む人の気持ちを日々美しく整えてくれるから。
そのことに気づいている人はきっと少ないと思うんですが、これって、暮らしにものすごい影響力を持っていることであり、美しい街で暮らすということは、幸せな暮らしを築く上でとてもありがたいことなのです。
逆に、美しくない街、劣悪な風景の街に暮らしていたら、どんなに頑張っても、なかなか人生は美しい方向には向かいません。
かつて犯罪者のるつぼだったニューヨーク(今はそんな印象ありませんよね)。地下鉄は落書きだらけで、ゴミは散らかり放題で、商店や住宅や駐車しているクルマの窓の多くは割られていたといいます。そこで、市長のジュリアーノ氏が提唱したのが「街を美しくしましょう」という、小学校の道徳の時間のような政策でした。市民総出で落書きを消し、割れた窓を修繕し、ゴミをなくしました。
すると驚くべきことに、犯罪の発生件数が激減したそうです。「美しい環境を実現すれば、人の心は美しくなり、醜い行為をしなくなる」ということを、見事に実証してみせました。
これをブロークン・ウィンドーズ・セオリー(破れ窓理論)と言います。

生活環境を美しく整え、ものごとの価値判断を美醜に置く。やってみてください。すぐにそのことの効果を感じるはずです。






今朝のテレビで、馬淵さんが原発問題についいて話す中で「一点突破、全面展開」という言葉を使いました。もと左翼(現家庭内左翼)の妻はそれに激しく反応。それは全共闘が使っていた言葉で、一般的には使わないと言うのです。
彼女にとって懐かしいその言葉に高揚し、成田のときにどうしたこうした、中核がこうで革マルがこうでと、ひとしきりかつての闘争の日々を聴かされました。さながらジャンヌ・ダルクのような。
ささいな言葉が一気に気持ちを活性化させるってあるんですよねえ。

涼しくて、適度に湿気があって、いい感じの天気です。
さっ、溜まりに溜まった設計に向かって、一点突破、全面展開で頑張りますよ! 




テミヤンライブ Vol.61

早いなあ、もう1ヶ月経ったんだなあ、という感じです。
このひと月も、充実しまくりでした。 前回のライブで充電したパワーを使って一気に駆け抜けた感じです。

毎回思うこと、テミヤンライブに行くと波動がいい具合に整うんだよなあ。
あなたもぜひ、その感じを味わってみてください。明日の夜、6時30分〜、横浜人形の家4階です。



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今回は61回目。やや秋めいてきた空気に、優しくて深いテミヤンの歌声がまたいい感じだろうなあと、この夏を締めくくる時間が過ごせるんじゃないかなあと、とても楽しみです。
2011年8月、あなたはどんな夏だったでしょうか。そんなこと考えながら、湘南の歌声と北原さんの真夏のエレキサンドを聴いてみませんか。





ではいつものように「北原照久ミュージアム」。
ラジオやテレビ、ブログにいただいたコメント、お会いしたときなどに、北原さんから発信された印象的な言葉を並べる「北原照久・言葉のコレクション」です。



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テーマ「心に残る鉄道の旅」


スキー列車だね。昔は夜行列車だった。

「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった」って、勉強できなかったぼくが、その場所に行くと川端康成を思い出したなあ。

あの石炭の匂い、ワクワクするんだよね。今でも列車に乗るとワクワクして寝られない。だから本を読んだり原稿書いたりして、落ち着けるひとりの時間を楽しんでいます。

旅の行き先にちなんだ本絵を読むのもいいよね、宮沢賢治とか。

ぼくは速読みだから、名古屋までで1冊、大阪だったら2冊読むこともあるんですよ。



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こんど六本木ヒルズで現代作家アート展やります。

ぼくはおもちゃだけじゃなくてアート作品も集めているんですよ、もう36年間。自分でも、こんなに集めたのか!と。そしてあらためて作品を並べると、よくここまでのものつくったもんだなあ!という驚きがあります。

よくこんなにたくさんの作品と出会って、ときめいて、集めたもんだなあと思いますよ。自分でもあきれています。

最初は与勇輝さんの作品から始まりました。一目見て、これを部屋に置いたらどうだろうって考えたらワクワクしました。


作品を観ると作家が楽しんでいることがわかります。でも同時に、そこには百の苦しみがあるはずです。それはコレクションも同じだから、ぼくにはそれがわかります。

アートはときめき、そして百の苦しみ。

百の苦しみがあっても、百一のときめきや感動があればいい、ということが作品から伝わってきます。



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家に図書館と読んでる部屋があるくらい、ぼくはたくさん本を買います。まだ読んでいない本でも50冊はあるかな。

何でそんなに本を買うんですか?ときかれたら「これが男のホンカイだ」って。



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今日の雨はいいね、恵みの雨だね。

どんなにきれいな花でも、水をあげなければ枯れてしまう。

「おいしい」「ありがとう」「上手だね」と、家族にちゃんと水をあげましょう。ほめるというのは花に水をあげるようなものですよ。鏡の法則で、ほめると相手もこちらをほめてくれるしね。



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春の七草を言える人って多いでしょ、セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロって。じゃあ秋の七草って言える?

秋の七草の憶え方は「お好きな服は」。

オスキナフクハ・・・オミナエシ、ススキ、キキョウ、ナデシコ、フジバカマ、クズ、ハギ。

これ知ってると、スゴーイ!って言われますよ。



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元気に明るく挨拶できたら、成功の半分は手に入れたようなものだ。


元気に明るく挨拶できれば、幸せは向こうからやってくる。

自分が変わればいいんですよ。過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる。



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旅って、行くときは面倒くさいという気持もある。最高で月23回飛行機に乗ったからね。

でも、行くと必ずよろこびがあって、来てよかったーって思う。



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最初は拾ってきた柱時計を部屋に置いた。油を注したら動き出した。その部屋に、ペコちゃんを置きたい、映画のポスターを貼りたい、好きなものに囲まれて暮らしたい、そう思うようになって集め続けました。



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ビレッジシンガーズの小松さんから訊いた話です。

外国のギタリストが怪我で右手の指を2本失った。周囲は嘆き悲しんだのに、本人は違った。残った3本の指で練習して、怪我する前よりもすばらしい演奏ができるようになったんだって。3本の指で人を感動させるギターが弾けるようになるまでに、どれだけの努力があったことか。

すばらしいのは、今あるもので何ができるかを考えた思考だよね。なくしたものを嘆くより、今あるもので何ができるかを考える。ポジティブに考えると世界が変わる。周囲の嘆きが感動に変わったんだからね。



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何にでも興味を持つ。

好奇心がある人に、おもちゃは語りかけてきます。物が語りかけてくる、物には物語がある。その物語にときめく。すべてのスタートは好奇心からなんですよね。



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ぼくがコレクションを始めた時期が良かったんだと思います。ものを捨てる時代だったから。



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巨大な倉庫に、ミュージアムをあと10カ所つくれる量のコレクションがあります。

ぼくが集めたすべてのコレクションを一カ所に並べることができたら・・・、夢ですね。



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北原さんが出演する番組を何気なく聞きながら、オッと引っかかった言葉をこうして手帳にメモっていると、北原照久という人物がおもしろくてしかたなくなります。
ものすごく思考がシンプルです。そして多くの人にとって範としたい正しさを持ったポジションをキープし続けています。
それをご本人は意識されているのか(自己演出的な部分があるのか)というと、たぶん、ないんですよ。それが凄い。


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かつて船井幸雄さんが、「北原照久さんはチャクラが開きっぱなしですね」という最高の賛辞を贈ったことがある、という話を聞いたことがあります。ぼくは、知れば知るほど、まさにそういう人なんだなあと感じています。他になかなか説明がつく言葉が見当たらないのです。




チャクラが開きっぱなしということは、全身で宇宙と呼応しているということです。
すべての人に予期せぬことが起こります。予期できなかった試練に対しても、宇宙と呼応できている人は、それを「次へ進むためのワクワクする導き」と捉える。だからほとんど落ち込むということがありません。
ぼくのような凡人なら一ヶ月は落ち込みっぱなしになるような出来事でも、北原さんの場合は「よーし、そうきたか」と、すぐに次の一歩を歩み出します。
落ち込んだかに見えて、次の瞬間にはさらに高くジャンプしている姿、「万象肯定・万象感謝」という言葉そのままに生きている姿をこれまで何度も目撃できたこと、それが、ぼくの中で大きな宝物になっています。





庭が幸福を支える( 石井邸 18)

「エントロピー増大の法則」というのがあります。すべてのものは無秩序になりたがる、というものです。
例えばリビングや玄関が、数日放っといてもそのままとか、時間が経つほどにどんどん片付いてゆくということはあり得ませんよね。乱雑になり、劣化し、無秩序になりたがる、そういうものです。
それに抗いながら、毎日掃除をし、洗いものをすることで、エントロピーの増大速度よりも速く秩序を生み出し続けることが、幸福な人の暮らし方です。乱れるよりも速く整える、失うよりも多くを生み出し続けることが、よりよく生きているということに他ならないのです。



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庭は室内以上にその法則を実感できます。屋根がなく吹きさらしで、植物が植わっていて、ペットや昆虫が自由に活動していますから、そこが無秩序に荒れてゆくスピードは室内の比ではありません。 



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年月とともに美しく豊かに成長してゆく庭、というのが理想ですから、お客様に「庭は育つものですよ」と話すことがあります。時間が経てば立つほど、庭の魅力は増して価値は高まると。
でもそこには注釈が必要なんですね、「あなたが一緒に成長すれば」という。



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庭は放ったらかしたすぐに荒れてゆく場所ですから、その自然が持つ荒れることのスピード以上に整えること。
それは修行です。しかもただ整え直すだけではだめで、季節ごとに新たな花を植え、木を剪定し、ペンキを塗り、小物を取り替え、進化させてゆく必要があります。
この修行こそが庭があなたに与える最も大きくて重要なことなのです。



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この修行を怠ることなく、庭を美しく維持し進化させていける人は、必ず幸せへと進んで行きます。
庭の様子を感じ取りながら、そこを美しく育ててゆくこと。そういう暮らし方ができている自分を日々確認しましょう。



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庭は、あなたがちゃんと幸福に向かって生きているかどうかを知らせてくれる場所。



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そういう捉え方をすると、庭の存在が、あなたと家族の幸福をささえてくれます。



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ぼくと世の中との大きなギャップって、こうして掘り下げて考えると「困ったこと」ではなくて、「もっと伝えたいこと」なんだなあと思いました。ぼくのような掘り方を、たぶん古今東西誰もしていないんですから(ぼくは聞いたことがありません)、ギャップはできて当たり前なんですよね。

もっともっと、広く大きく、ぼくが考える庭世界を発信していこうと思います。それも、徹底的に。







努力が足らない( 石井邸 17)

どのようにしたら、庭を家族のための有効な場所、幸福な暮らしに欠かせない場所にまで高められるのか。
昨日書いたように、自分で何とかするか、あるいは世の中に希にしか存在しない、ちゃんと設計ができるガーデンデザイナーを探すか。
そのどちらを選ぶにしてもそれでけではだめで、あなた自身が持つべき視座が重要になってきます。 



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まず、庭のこと以前に、いいですか、質問です。

あなたは、「あなたとあなたの家族の幸福のために」ということを毎日意識しながら暮らしていますか?

これなんですよ、庭に価値を生めるかどうかの分岐点。



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庭があることで暮らしが豊かになる、という人は庭がなくても豊かに暮らしていく人です。暮らし全般に幸福感を生み出す努力を怠らないからです。だから庭なんてなくても、その人の幸福感が半減したり揺らぐことはありません。ただ、そういう人が庭に意識を向けると、その人の幸福感が庭にまで広がって、庭があることで、さらなる幸福感を得ることができるのです。
このややこしい言い方をシンプルにするとこうなります。

幸せを目指す人だけが幸福感に満ちた庭を手に入れることができる。

あるいはこんな言い方もできます。

家族を笑顔にするための努力をしない人は、いい庭を手に入れることはできない。



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どうでしょう、庭に対する認識が変わったのではないでしょうか。庭を、家を建てて余った場所にするか、幸福感を増幅する場所にするか、それはあなたの日々の幸福への欲求と姿勢によって決まるのです。

庭とはまったくそういったもので、暮らす人の幸福への意欲がモロに現れます。ガーデンデザイナーはそれをお手伝いするだけ。



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ということはですよ、せっかく庭があるのにそこが雑草取りのための場所になっているとしたら、幸福に向けた努力が足らないということなのでしょか?
思い切って断言しちゃいますね。その通りです。

それでは、日本中にそういう庭があふれているということは、日本人の多くが幸せに向けた努力が足らないということなのでしょうか?
たぶんそうなんです。ぼくの中ではそういう結論になります。明治、大正、昭和、平成と、暮らしが便利で快適になればなるほど、家族への思いや幸せへの努力は希薄になってきてるのです。そんなこと意識しないでボーッとしていても、べつに飢え死にするわけでもないし、家族意識よりも個人尊重みたいなことになっていますから。
そもそも、毎日自分と家族の幸福のために何かをしようなんて考え続けている人は、そう多くはないですしね。おそらく数パーセントなんじゃないですかねえ。



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あなたはその数パーセントに入っているでしょうか?

その数パーセントの席数は決まっているわけではないので、あなたがそこに参入しようとすればすぐに入ることができます。簡単なことです。ただし、そこに行ったらずっと居続けられるのかというとそうではありません。
誰でもすぐに入れるが、居続けるためには努力を怠ってはいけない、そういうルールになっています。
まさに、庭はそういう場所ですよね。
イマジネーションと日々の手入れによって大きな幸福感を生み出せる場所、それが庭。



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庭に限ったことではなく、幸福感を意識しながら暮らすことは大事です。それをしない人は、どこかで大きくつまずいて、痛い思いをしてからそのことに気づきます。でもできれば痛い思いをしない方がいいので、子育て中の方は、何とかしてそれを子どもに身につけさせてあげたいですね。
そのための方法はただひとつ、親がそのように暮らすことです。



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ええっと、何の話でしたっけ。アッそうそう庭です庭、どうしたらいい庭が実現できるのかという話でした。
要するに「もっと幸せになりたい」と強く思いながら暮らすと、庭は幸せな場所になってゆきます。間違いありません。仕事が忙しくて、子育てが大変で、ガーデニングが苦手で・・・庭が荒れ放題の人は、ちょっと立ち止まって、幸せって何だっけ?と考えてみませんか。



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大天才かあるいは奇人変人のガーデンデザイナーと世の中との、大きなギャップについて考えています。
明日は「庭が幸福を支える」という話です。




今日は再び魚沼に来ています。
早朝まだ暗いうちに土砂降りの横浜を出発して、県境の長いトンネルを抜けると、そこは快晴の夏でした。といっても空気はやや秋めいていて、稲穂が垂れた田んぼに大量の赤とんぼが飛び交っていました。

先週と同じく、息子と、甥っ子姪っ子たちと、魚釣り&河原でバーベキュー &温泉&地酒&田舎料理で、これ以上ないほどのリラクゼーション。
明日はまたフル充電状態で横浜に帰って、しばらく徹底的に仕事します。

いやあ、今年の夏も楽しかったー。


 

憧れの庭付き一戸建て( 石井邸 16)

石井さんちの草花をご覧いただきながら。

庭付き一戸建てという言い方、最近あまり耳にしませんね。
昭和時代には「憧れの」付きで、そういう言い方というかうたい文句があった気がするんですが。



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これだけたくさんの家が建っていて、そのほとんどに(建ぺい率の関係で)いやでも庭スペースがあるのに、たいがいその場所を活用できていない。物干し場や畑にしているならましな方で、何となく木を植えて、休日にホームセンターで買ってきた草花を植えてはみたものの、一年を振り返るとそこでやったことといえば雑草取りだけという庭が大半です。他にはウッドデッキを取り付けたけど使ったことがないとか、雑草取りが嫌なので庭中に石や砂利を敷いたが、さてそれで?いったいどうしたらいいの?みたいなことだらけです。



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結局のところ、残念ながら庭文化が育たなかったんですよね。庭スペースはあっても、そこを幸せな暮らしのために活用するという発想がないままに、建物だけが耐震&高機密高断熱へと進化を遂げ、庭は置き去りにされたまま今日に至る、みたいな感じでしょうか。
余裕がなかったんですかねえ、金銭的とか気持ち的に。だとすると、悲しいなあ。庭を楽しむのにたいしてお金などかからないし、庭を楽しむことで気持ちの余裕が生まれるのに、全く逆方向に向かって足踏みしているのですから。



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庭をそのように、ちゃんと提案する人がいなかった。これは言えます。
ガーデンデザイナーと名乗っている人、それを仕事にできている人の数自体ものすごく少ないのです。造園、園芸、外構、エクステリアに関する仕事をしている人は限りなくいますが、ガーデンデザイナーとなると、ぼくの知る限り全国で多く見積もっても数百人じゃないかなあ。もしかしたら数十人かもしれません。「もしぼくならこの人に頼みたい」というところまでハードルを上げれば、十数人です。そんなものです。とっても珍しい仕事なのです。



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つまり、庭スペースは無限に存在しているのに、そこを暮らしの場所として有効活用するというような提案をする人が、ほとんど存在していない。庭付き一戸建ての庭をどうしたらいいのかとうことは、未開のジャングルみたいな状態なのです。
だから(ちょっと辛辣な言い方になってしまいますが)必然的に建築設計士による眺めるためだけの庭や、住宅メーカーが紹介する外構・造園業者が提案する中途半端なデザイン遊びみたいな庭ができあがってしまい、その庭は、その後何ひとつ家族の幸福感に寄与しないまま荒れ果てていくことになってしまうのです。



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ではどうしたらいいのかというと、自分で何とかするしかありません。ジャングルを自らの手で切り開くのです。それか、ものすごく希少な、ガーデンデザイナーと呼べる人を探し当てて相談しましょう。



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意外でしょ、家のこととは違って、庭のことをちゃんと考えてくれる人がほとんどいないということ。でもそれが現実なのです。



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では、そんな現実は現実として把握した上で、庭スペースを持っているあなたはこれからどっちに向かって次の現実をつくり上げていけばいいのか。
自分で何とかするにしてもガーデンデザイナーを捜すにしても、その庭を実り多い場所にできるかどうかは、実のところ、あなた次第なのです。

この続きはまた明日。









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