2012年06月

テミヤンライブ Vol.71

明日21日、71回目のテミヤンライブです。



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この案内をするときに、また1ヶ月、頑張ったなあって思えます。
テミヤンライブが、長い航海の寄港地みたいになっています。毎月ここで食料と燃料を補給して、また出発するみたいな。
あなたもぜひ、この整う感じを体感しにきてください。



では、「北原照久ミュージアム」です。



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スティーブ・ジョブズの「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」をぼくはこう解釈しました。

夢を持ち、夢を追い続けよ。たとえ「バカみたい」と言われることでも、自分が本当にやりたいことなら、それを愚直にやり続けなさい。



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自分こそが最大の財産です。絶対にそれを忘れてはいけない。
もうひとつ大事なことは、何でもいいから夢中になれることを見つけること。



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テーマ「好きな楽器」

ぼくは50歳からウクレレを始めました。エレキは51歳から。
自慢じゃないけど譜面読めないんですよ。
譜面読めなくても、楽しいと思うから練習する。少し弾けるようになるとますます楽しくなってまた練習する。それを続けているうちにちゃんと弾けるようになりました。
譜面よりも、楽しいと思う気持ちが上達のコツです。
楽器を通していろんな人と知り合えたこともうれしかったなあ。



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音楽はいいですね。演奏するのも楽しいし、聴くのも大好きです。
ぼくはジャンルが広くて、クラシック、ポップス、演歌、ジャズ、何でも聴いちゃう。何せコレクターだから。



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今日はリンカーンの言葉です。

待っているだけじゃダメだ。

できそうもない大それたことでも、不可能ではない。

木を切るのには6時間が必要だ。そのうち4時間は斧を研ぐことに費やせ。

真に良い評判を得られるように心がけること。

年月そのものよりも中身が大事。

いつも物事の良い面を注視する。

リンカーンの人生は、16代アメリカ大統領になるまで失敗の連続でした。
失敗しても失敗しても立ち上がった人の言葉は重みがありますね。
松下幸之助さんはこう言っています。

失敗は失敗ではなく、続けることをやめたときを失敗というのだ。



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今日は高橋尚子さんの言葉です。

長い階段は、一気に上がろうとすると途中でへばってしまいます。
いち段ずつ確実に上がっていけば、いつか頂上に行けますよ。

止まらないことです。歩むという字は止まることが少ないと書くでしょ。立ち止まらずに、一歩一歩。



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テーマ「あなたが好きなミュージアムは」

新横浜のラーメン博物館が好きですねえ。3丁目の夕日の世界。

そしてもちろんうちの博物館。今7カ所のミュージアムがあります。

ニューヨークのグッゲンハイムっていう博物館みたいなのをつくりたいですね。
エレベーターで上まで行ってから、カタツムリのように回って下りながら観てゆく建物です。
そこですべてのコレクションが観られる、そういうのが夢です。
あと10年くらいかかるかなあ。
とにかく、この夢を語り続けます。



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今日の言葉は陶芸家の河井寛次郎。文化勲章も人間国宝も断った気骨の人です。すごいよね、ぼくならひょいひょいもらっちゃうけどね。

手を抜いたら手がかかる。



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苦労は知らない方がいい。でも、苦労を知っている人は輝いていますよね。
今辛いと思っている人には、後で輝きが待っていますよ。




それでは、明日夕方6時30分、横浜人形の家でお会いしましょう。











 

梅雨の晴れ間のゆうゆう散歩

ひとつの設計が終わると散歩をします。
それは頭の中がちょっとした興奮状態で、そのままだと次の仕事に入って行けないからです。歩くことでいったん頭を沈静化させないと、違う庭のイマジネーションを広げられません。不器用な頭の構造です。
もうひとつの、もっと切実な理由としてはメタボ対策があるんですが。

散歩と言えば「若大将のゆうゆう散歩」、最高ですね。加山雄三という人は、どれだけの人をいい感じに引っぱり上げてくれるのでしょう。ありがたいありがたい。
75歳、・・・いやいやあのお方は年齢などは超越した存在、永遠の若大将。




録画しといて夜観ています。その度に、なんだか整っちゃって、そこからまた一仕事したくなってパソコン持って庭に出ます。いやほんとに、ありがたいありがたい。
番組中に流れる曲もいいですよねえ。ぼく、だいたい知ってますよ。




年代的には、ぼくの周囲に若大将ファンは一人もいませんでした。ぼくよりも10歳上の人たちのスターですからね。でもなぜか大好きで、中学生の頃にレコード買いあさって聴きまくっていました。
それが今こうして、加山さんに毎日引っぱり上げてもらえるんですからね。不思議と言えば不思議なことです。コネクティング・ドッツ、点連なりて線となすって、こういうことなんですよねえ。
そのつど興味が湧いて熱中していたことが、後に思わぬカタチで作用してきます。




ひとつ困ったことは、加山さんが肉と甘いものを実に旨そうに食べるシーンが多くて、こちらのダイエットのタガは外れっぱなしになってしまって。
まあそれでいいんです。あの体型、田舎の言葉(関西ローカル)でいうと「いい具合にボテが入った」、そしてがっしりとしたあの感じが、どう考えても理想像ですよ。医学的にどうなのかはわかりませんけど、あの「肉食ってるぞー!」という感じの体つきを目指します。
ダイエットなどと、考えただけで気持ちが後ろ向きになりますからね。加山さんに倣って、肉食って、甘いもの食って、ビッグスマイルでいきます。






そうそう、散歩の話です。設計が終わると次を始める前に歩きます。
昨日は「レノンの庭」から5分の距離にある「四季の森公園」を歩きました。
梅雨の晴れ間の森林公園、気持ちいいですよ。

公園に入ると、けっこうな人出でした。



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いつものバードウォッチャーの砲列。ここにカワセミがやってくるのです。



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ぼくは急ぎ足になっていました。その先にこの日の目的地があったからです。
数日前に店に遊びに来た常連のお客様に「公園の裏側にある菖蒲田が見頃ですよ」と教えていただきました。そこが目的地。



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見事でした。



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まさ、今が見頃です。



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花の時期意外は、とっても地味な場所です。それが別世界のようになります。
山陰のただの通路が、花咲くことで人を呼び寄せシャッターを切らせるんですですよねえ。



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バラが終わって、空気がしっとりする頃に咲く花は、バラとはまた違った感慨があります。



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これを楽しみに集まった人たちからは、歓声が上がることはなく、ため息が聞こえるようなそんな感じ。花に見とれながらもの思うような、花を見つめながら記憶のスクリーンを観ているような。
味わうってことかなあ。花を味わう。



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ぼくもしばし、その花を味わいました。
田んぼから生えているってのがいいです。花の背景に水面が見える。ぼくの記憶のスクリーンには、新潟の田んぼが映し出されていました。

さあてと、すっかり頭がクリアーになったところで、店に帰って次の設計に取りかかろうかと歩き始めてすぐに、足が止まりました。
菖蒲田の脇の山陰に咲いていたアジサイの色があまりにきれいで、思わず近づいてシャッターを切りました。



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梅雨の晴れ間のアジサイ。それも咲き始めの不思議な色合いに魅了されました。

アジサイって、ほとんど意識に引っかからないんですよね。鎌倉みたいにアジサイが目当てで出かければ別ですけど、いつも歩く道に咲いていても、それで足を止めるって少ないです。
でも、なんだかこの日はアジサイの色に惹き付けられました。

よくよく辺りを見回すと、公園のあちらこちらにアジサイが点在していました。
・・・悪いクセが。
早く帰って設計しなければいけないのに、頭の中には良からぬ構想が浮かんでいました。

結局それから2時間をかけて、公園中を歩いて、あじさいの花を撮影しました。
ものすごくきれいですよ。アジサイはアップで撮るといい感じなんです。
雨に濡れたアジサイもすてきですが、この日のように柔らかく晴れている日のアジサイの色は、童話の世界にいるような、不思議な魅力があります。
その写真と、2時間歩き回りながら思ったことは、明後日ご覧いただこうと思います。 







アジサイと言えば、レインボーの最初に出てくる花はアジサイなんですよ。3年前の今時期に、吉永さんちに咲いていた柏葉アジサイです。







アァ―ッ、次の曲仕上げなきゃなあ。その曲用に写真を撮りためているうちに時間が経ってしまって、そうこうしていたら仕事が溜まりに溜まってえらいことになっちゃって、先送りになったままです。
っと、言い訳しててもしょうがないですよね。
好きでやってることなんで、楽しみは先送りせずに、近日中に仕上げます。もう頭の中では完成しているのです。
それにしても、この数ヶ月間の忙しさは・・・。
設計、取材、その他諸々、すべて楽しみなことばかりです。楽しみなことばかりでこれだけ忙しいと、分身の術を使って片っ端から楽しみたくなります。
設計をお待ちのみなさま、すでに3ヶ月お待ちいただいている方もいらっしゃって・・・。
散歩したり写真撮ったりしながらコンディションをベストに保ちつつ、ひとつひとつ丁寧にやっていますので、どうか大きな心で気長にお待ちください。
ほんと、申し訳ないと思っています。頑張ります。











 

コペルニクス的( 槌矢邸 6)

和室前のガーデニングエリアを解説します。

お隣さんとの境に木製パネルを設置しました。
主たる目的は目隠しです。庭でくつろいで過ごすために、必要な個所にはキチッと目隠しをすることが重要なのです。

主たる目的は目隠し、ということは従たる目的もあるわけです。
次のビフォー・アフターをご覧ください。目隠しに加えて、もうひとつの狙いが効果的に実現されています。



Before
ビフォーD

After
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正面奥のパネルがあることで、庭空間に区切りがついています。
庭スペースの終わりに、目が当たる何か(木やトレリスや塀など)があることで、その手前の空間を庭として認識するようになります。

あなたの頭の中で、ちょっと After から奥のパネルをなくしてみてください。

どうでしょう、手前の囲炉裏の左側のパネルまでが庭で、そこから向こうは庭空間ではなくて背景になってしまいますよね。

このことはお客様との打合せで毎回お話しすることです。微妙なことなんですけど、自分の土地の空中を捨てちゃってたら、それに気付かないままだったら、ちょっともったいないというか、残念なことです。

庭の制空権はあなたにあります。地面だけが庭じゃありません。

あなたの庭が、立体的に、空間として我がものにできているかどうかをチェックしてください。

たった一枚の木製パネルによって、コペルニクス的展開で庭空間が成立しました。テラスの向こう側のその場所に施したことは、ベンチ兼用の縁台の設置と地面の石張りです。



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石張り部分にテーブルを置いて、縁台に腰掛けて、夜の庭を楽しんでいただきたいなあという、そういうシーンを思い浮かべながら構成しました。



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実際にはここに鉢植えがレイアウトされていくかもしれませんし、物干台が置かれることになるのかもしれません。それもまたよしです。
今まで使わなかった場所、庭としての楽しいシーンが思い浮かばなかった場所が、とにかく暮らしに役立つ場所になるのですから。

ぼくは10年後に、この場所が、ぼくのイメージした通りに役立つことになるという予感があります。 
子育てが一段落したときに、きっとご主人は夜の庭を楽しむようになる。
奥様が育てているバラの鉢植えをちょっとだけ横にずらして、テーブルを置いて、読書用のスタンドを点けて、一人夜の庭で過ごす。
誰にでも、そんな季節がやってくるんです。
いやこれは寂しい話じゃなくて、そこからが楽しいんですよ。

男たる者、子育てが終わって、自分と向き合う時間を持つようになってからが、いよいよ本番。
そのときに、夜の庭が役に立ちます。


また子育て真っ最中のお父さんたち、夜の庭が書斎になるっていうことを、あなたの思考の引き出しにしまっといてください。いつかそれが、この上なく上質な時間をもたらしてくれるはずですから。


今日はあえて書きますね、子育てが終わってしみじみと感じていること。

なかなか子どもができずに辛い日々を送っている人がいて、そうかと思えば育児に疲れて辛い日々を送っている人もいて、子どもが思うように育ってくれなくて辛い日々を送っている人もいます。
子ども以前に、結婚相手に巡り会えないことを辛く思っている人がいて、結婚生活がうまくいかない辛さに喘いでいる人、離婚の辛さを耐えながら必死で笑顔をつくっている人、みんな重たい辛さを背負って今日、2012年6月18日を過ごしています。

他人の痛みは実感できないものです。歯の痛みでも女房にすら理解してもらえないのですから、心の痛みとなれば、それを理解し共有するなんてなかなかできないことです。
でも、自分が痛かった時のことは忘れたくても忘れられません。その思い出したくもないほどの痛みを思い出しつつ、ぼくはこう思います。

自分自身に夢中になることを忘れると、何もかもが辛い状況として襲いかかってくる。

まず自分を愛することです。自分が大好きで、その愛おしい自分が子どもが欲しいと思っているとなれば、子づくりは幸せな行為になります。でも、自分に自信がないとか自分が嫌いという状態での子づくりは、苦行です。
結婚生活も、子育ても同じです。思考の中心に「ステキな自分」がいないと、何もかもが辛いことと感じられるようになってしまいます。

よく辛いという字に一を足すと幸いになるっていいますよね。その一って何でしょうかね。
辛さに足して幸せになる一って、一人の一、一人、自分自身ということじゃないかなあ。

辛いに足して幸いとなる一は、一人の一。自分自身の今日を輝かせることが、辛さを幸せに変えてくれます。

辛い時って、みんな自分が見えなくなっているんですよね。

何か重たい辛さを背負っているあなた。いったんその荷物を下ろして、庭に出て、空を見上げて、深く呼吸をして、口角を上げてみませんか。
気持ちが晴れ晴れとしたら、さっ、もう一度その荷物を背負ってみましょう。きっと「あれ!?こんなに軽かったんだ」って思えますよ。

いやちょっとね、知り合いに、頑張って頑張って頑張っている人がいて、でもその人の庭が、見るも無惨に荒れ果てているのを目撃してしまって、・・・辛かったなあ。辛いんですよ、荒れている庭。

荒れ果てた庭からは、辛い悲鳴が聞こえてきます。

ちょっと頑張って、庭を輝かせたらいい。庭が荒れ放題だったら、その人は辛さからは抜け出しにくいです。

まず庭を輝かせること。
庭を輝かせるとは、自分を輝かせることなのです。



話を槌矢さんちに戻しましょう。
一枚のパネルで空中を制した場所に、縁台と石張りを施しました。
そうやって庭空間を組み立てたことで、もともとそこにあった木が活きました。



Before
ビフォーC

After
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でしょ。周辺が整うことで、まるで別の木みたいにイキイキとします。

これなんですよこれ。全体はよくなると、細部もよくなる。
問題解決のためには、問題そのものよりも、基本的な設定や周辺の整備を先にやった方がいいのです。 
悩んで苦しんで、その辛さに埋没していく限り、その悩みは消えることはありません。どんどん深みにはまっていきます。
悩み以外の部分を活性化させた上でその悩みと対峙した方が、出口を見つけやすいことは明らかです。

暮らしのリズムを整えて、食事に気をつけて、家や庭を隅々まで掃除して、台所の鍋もピカピカに磨いて、できれば思い切った模様替えまでして、とびきりのおしゃれをして、予定表を楽しみなことだらけにして、さあ、悩めるもんなら悩んでみなさい!


いろんなことがあるけど、辛さに溺れないように、頑張りましょうや。
頑張ってる人に頑張れって言ってはいけないっていいますが、「頑張りどころ」と「頑張り方」があるんです。
「頑張りどころ」は今日です。そして「頑張り方」は基本設定の見直しと環境を整えること。
まずは今日、問題そのものじゃなくて、身の回りの整備から始めましょ。ゴミを捨てて、風通しを良くして。
そして目指すのは、昨日の木村さんみたいな、周囲を巻き込むトルネードスマイル。あなたが輝くことです。
頑張れー!

それができたらもう大丈夫。事態は次々と好転していきます。
パネル一枚で庭の制空権を手にできるみたいに、今は出口が見えなくても、きっとコペルニクス的な解決がやってきますよ。
必ず。絶対。大丈夫ですって。人生はそんなに悪いもんじゃありません。








 

奥様のトルネードスマイル

雑誌の取材で木村さんちにおじゃましました。

施工は3年前です。



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出幅があまりない庭を、部屋の高さまで持ち上げて「過ごす場所」に仕立てました。



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その左右にはガーデニングを楽しめる場所を、道路からの目隠しと部屋からの眺めを意識しながらつくりました。



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After 3
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建物から道路までが1m70㎝という一般的にはそこに出て過ごすことをイメージしづらい庭に「過ごす場所」と「ガーデニングを楽しむ場所2カ所」が出現したこのビフォー・アフターに刺激されて、自宅の狭めな庭にガーデンリフォームの夢を広げた方もたくさんいらっしゃいました。


木村さんちで印象的だったのがハートのコーヒーカップです。



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旅行先のホテルで見つけて買い求めたものだそうです。
こういうものに心惹かれるところがとっても木村さんらしくて、思わずパシャッと撮影。
この写真がその後好評で、同じものを探した人が何人もいらっしゃって、うちのお客様の中で、このカップがちょっとしたブームになりました。

あと、ご主人のご希望で植えたジューンベリ―とカツラノキ。



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そういえば、このカツラの葉っぱもハート形です。

そう、木村さんご夫婦はハートフルなのです。
庭と玄関先にはたくさんの寄せ植え、室内にはしゃれた小物やいい感じの絵が飾られていて、いつもとびきりの笑顔で暮らしています。

3年ぶりにおじゃましたら、変わらぬ笑顔で、庭のことをほめちぎってくださいました。



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笑顔は伝染します。
奥様の笑顔はものすごく伝染力が強くて、ライターさん、カメラマンさん、そしてぼくらも、ニッコニコのままの取材でした。



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奥様のほめ殺しのような大絶賛と庭の様子から、この3年間がすばらしい時間だったことが感じられました。この庭がその時間の舞台になったんだなあといううれしさ。
もっとも、庭がどうであろうと、毎日を楽しみまくるご夫婦なんですけどね。

笑顔は伝染する。

奥様を中心にして記念に一枚撮らせていただきました。



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いいねいいね。
あまりのいい感じに、ぼくも参加したくなって、カメラマンさんに写していただきました。



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奥様、最高!

周囲を巻き込むトルネードスマイル。

にこやかに過ごした木村さんご一家の3年間が、庭にしみ込んでいました。
笑顔が積み重なっていく庭、いいんだなあ。





 
 

40日経過

40日が経過して、平均体重1000グラムです。4匹合わせて親と同じ重さまで成長しました。
離乳がうまくいっていることと、運動量が増えてきたので、体重の増加ラインは緩やかになってきました。

顔つきがずいぶんと犬らしくなってきて、それぞれの個性もハッキリしてきました。



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ここ数日のトピックとしては、ノアさんの躾けが始まったこと。
成長が早いのから順に、噛んだり引っぱったりしながら教育し始めました。
基本は見守りつつ放ったらかしで、調子に乗りすぎると押さえつけておとなしくさせます。



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子犬も母親の表情を読むように、アイコンタクトをとるようになってきました。



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でもまあ基本放ったらかしなので、ノビノビとじゃれ合って、相変わらず盛んに噛み合いをしています。



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そして調子に乗りすぎてギャン!と悲鳴を上げるとノアさんの教育的指導が入る。



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一瞬おとなしくなるものの、また懲りずにまた噛み合いを始めて、でもしばらくするとご覧のように4匹くっついて静かになります。



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このダンゴ状態がとても心地いいようで、夜中もずっとこの状態です。
幼い頃、おしくらまんじゅうしたりプロレスごっこした時の感覚がよみがえってくるんですよねえ。そして遊び疲れてくっついて寝る。
同じなんだろうなあ、あの高揚感とか感心感とか。なんだか懐かしい感覚でムズムズしてきます。

しばらく静かにしていて、お腹がすくとまたいきなり活動的になって、ノアさんのおっぱい目がけて突進!



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いくら吸い付いてももうほとんど出ないし、ノアさんも横着になって立ったままだし、まあコミュニケーションとってるって感じです。
そうやってる間に離乳食を用意して、さあご飯の時間。



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すごい食欲です。



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ペロッとたいらげて、食後のトイレをすませると(人間の赤ちゃんと同じで、食べるとすぐにトイレです)、しばらくまったりした時間になります。



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そのまま寝てくれるといいんですけど、・・・また動き出して、



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ソファーで寝ているミーにちょっかいを出し始めます。



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さあ、ここからが大騒ぎ。試合開始のゴングが聞こえる感じです。



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ミーの闘魂に火がついて、可愛がりがスタート。



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ミーも楽しそうなんですけど、やり過ぎて子犬が声を出すと、ノアさんとぼくらに叱られるので、力をセーブしながら4匹の相手をしています。



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叱られないように注意しながらなので気疲れするようです。子犬たちが攻撃をやめるとミーもおとなしくなって「やれやれ」って感じで退散していきます。



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定位置である台所のカウンターに行って、子犬たちを振り返るんですよ。「何なんだあいつら」って言いいながら、悪ーい顔で。



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ノアさんも定位置のマットでグッタリ。



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ミーは椅子に移動して熟睡に入ります。



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子どもたちのパワーについていけないふたりなのです。



そろそろぼくらも子犬の躾けを始める時期になりました。
Glucken CLUBの先生からいただいた本を読み始めています。



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犬の躾けっておもしろくて、「この子は手こずりそうだ」とか「こいつは物怖じしないから楽そうだ」とか言いながら、妻共々楽しみにしていました。
まずはしっかり勉強して。

妻は先行して本やインターネットで躾けの知識を集めています。B型は好きなことにはすごい集中力を発揮するのです。
そんな妻が言っていました。

躾けをする前に、ノビノビと、ゆったりと育てること。怖がることや嫌がることはしないようにして、安心し切って、楽しいことだけで時間が過ぎていくようにしてあげることが大事。

納得ですよね。

犬と暮らすって、いいなあ。

 

 
さっき妻から電話がありました。「大変なことになった!」と、いつもの出だしで。妻の「大変なこと」には馴れているので落ち着いてその先を聞きました。
「メダカの子どもが生まれてる!」。
庭の睡蓮鉢にボウフラ退治で入れておいたメダカが産卵し、孵化したようです。それで水槽を買ってくるようにという電話でした。
・・・やれやれ。犬5匹、猫1匹、カブトムシ60匹に加えて、今度はメダカが、恐らく数10匹。
・・・あとは、オームとカメレオンでも飼いましょうかねえ。

ま、楽しいわが家です。





子曰く( 槌矢邸 5)

昨日の記事を読んだ方が「レノンの庭」に立ち寄ってくださいました。これから「地球がもし100㎝の球だったら」と「センス・オブ・ワンダー」をららぽーとの書店に探しにいくのだそうです。まだ小さいお嬢ちゃんの手を引いた、笑顔が服着て歩いているみたいな若いお母さんでした。

こういうふうに反応してくれる人がいるってうれしいんだなあ。見ず知らずの人がブログに反応して会いにきてくれるって、なんだか奇跡の出会いみたいな不思議な気持ちになりました。
よくあるんです、ぼくが知らないブログの常連さんが店にきてくれて、先方は読み込んでくれていますので、まるで旧知の仲のようにいきなり話が弾むことが。
妻もあるそうです。「カオリさん、ワンちゃんかわいいですねえ!」とか、知らない人にいきなり話しかけられるそうです。妻の誕生日のネタを書いた日に、初めて会った人から「お誕生日おめでとうございます」と言われてうれしかった、ということもあったそうです。
ブログを介してうれしさ楽しさがつながる、おもしろいもんですよね。

今朝来てくださった若いお母さん、わざわざ立ち寄って声をかけてくれたことがうれしく、それ以上に、さっそく本屋さんに向かうという、その軽やかさがいいなあって思いました。

感じたらすぐに動き出す。感じたら動くことから感動が生まれます。

ヒョイヒョイとすぐに動く人と、なかなか動き出さない人がいます。自分のことを考えると、基本ヒョイヒョイタイプです。
例えばラジオで「分子生物学の福岡信一教授の新刊『動的平衡2』が発売になりました」なんて聞いちゃうと、もうその足で書店に直行です。もしその店に置いていなかったら次の店、そこにもなかったらまた次の店と探しまわります。
(つい最近インターネットで買えばいいんだということに気がつきまして、何と画期的な世の中になったんだと驚きました。と言っても、買い方がわからなくて、妻にお願いしていますが。)

そうやってコロコロと転がるように動いている時のぼくは活性化しています。そしてその状態のあとに、必ずすばらしい出会いや感動的な出来事がやってくるということを経験的に知っています。
だから、合理的に考えれば後日移動途中にある本屋に立ち寄るとか、インターネットで購入するとかすればいいとわかっていても、とにかくすぐに買いに走るという、ご理性を欠く「即行動」がクセになっています。

よく考えると合理的じゃなくても、とにかく即行動することで自分が活性化します。

そういうことでのぼくの価値観は明確で、合理性を追求することにはあまり意欲がわきません。それよりも、傍目には「バッカじゃないの」と思われるようなことに夢中になって、ネチネチと楽しみ尽くすことの方を選びます。
このブログもそうですし、本業である庭のこともまた、合理的な思考では成立しないものです。
庭だけじゃなく、家のことも。例えば妻の機嫌を維持するためには、合理性は絶対禁物なのです。
ご主人方、このことを忘れると痛い目に会いますよ。

合理性は、会社で徹底的に追求すればいい。
でも、庭も家庭も、合理主義では成立しません。


ご主人、あなたが合理的に、論理的に話すとき、奥さんの顔から微笑みが消えるという法則に気付いてくださいね。

会社以外では、何かに興味を感じたら即行動。ワクワクしながら軽やかに動き回る暮らし、それがいいのです。





では、槌矢さんちの庭。
今日はあらためて、庭の全貌をご覧いただきます。



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着工前とは全く違う世界が生まれました。
庭がこのように整うと暮らしにパワーを与えてくれます。そして家族を支えてくれます。
きっと槌矢さんご夫婦は、これから長くそのことを実感してくださるんじゃないかなあ。この庭はそういう庭に仕上がりました。

いい庭って、暮らしにパワーを生み出し、家族を支えてくれる庭。

ぼくがよく感じるこのことを、今日は書きたいと思います。どうすればそういう庭に仕上がるのかということです。


事業の経営収支には損益分岐点というのがあります。最初は赤字だった売り上げが、徐々に上向いていって、あるところまでいくとそこから収支が黒字に転じる、その分岐点のことです。
そこに行くまでがえらく大変で、それを越えたところから、今度は次の手を打つなどの攻めの経営ができるようになります。損益分岐点にたどり着かずにつぶれてしまう店や会社も多く、そこまでたどり着くことが最初のハードルなのです。
「損益分岐点」、原子力発電でいうと「臨界点」、船井幸雄先生的にいえば「百匹目のサル」、世の中にはそういう、そこまで行けば世界が変わるという地点、レベルがあって、それは庭の仕立てにも存在しているのです。

庭の仕立ては、あるレベルまでやり切ることが重要。
そこまでたどり着かずにやめてしまうと、その後の庭は苦難の場所になる可能性があります。



理想のカタチはわかっていても、なぜかその途中でやめてしまうクセがついている人がいます。
それはコストの問題とか、何か具体的な理由があるわけではなく、クセなんです。そうとしか言いようがない。
楽しむことに恐怖心があるのかもしれません。よくわかりませんが、ここまでやったらすてき、楽しいとわかっていても、その手前でやめてしまう人。

ぼくは自分がそうなっていないかが気になることがあります。もし気付かないうちに自分がそうなっていたら・・・。

満足いくところまでキッチリとやり切ること。そこまでやらないと、意味が生まれません。

もしぼくが、わかっているけどやり切らない人になってしまったら、・・・恐ろしいんです。もしそうなったら、いろんなことがうまくいかなくなって、苦難の人生になることは確実ですから。
ぼくはわがままで、かつとても気が小さいので、そういう苦難は慎重に避けたいと思っていますから、だから時々、自分がそうなっていないかをチェックします。

理想型までやり切って意味が生まれた庭は家族を支えます。
理想型まで仕立て上げ命が吹き込まれた庭は、成長しながら家族を支え続けます。



昨日は夕方早めに帰って、庭の芝刈りをしました。さらに、ジューンベリーの枝を整えて、妻の指示に従って植木鉢の配置を変えました。
キッチリとやり切りました。バラが終わってからややトーンダウンしていた庭が、イキイキとしました。

「よしよし、これでだいじょうぶ。これでしばらくは、うちの庭はぼくらを支えてくれる」と、ホッとして、いつものように夜の庭を楽しみました。

庭でも何でも、
一歩手前でやめてしまうクセがつかないように注意して、満足いくところまで、意味が出るところまでやり切りましょう。

そういわれても・・・というあなたに、やり切るということを別の言い方にしてみますね。

庭でも何でも、遠慮しないで楽しみまくりましょう。十分に満足いくまで、徹底的に楽しみ尽くしましょう。

ね、これならやれますよね。


子曰く

これを知る者は、これを好むものに如かず。これを好む者は、これを楽しむものに如かず。

です。








 

スプーン一杯の幸せ

地球がもし100㎝の球だったら、それを覆っている空気の層の厚さはどれくらいなのか。

1㎜!

ビックリしますよね。
100人ほどに訊いて、たったひとり正解したのが理科大好きの高校生の息子でした。「おとうさんそれはねえ、リンゴの皮くらいの厚さだから、直径1mだと・・・1㎜くらいだよ」と。
知りませんでしたよねえ、そんなに薄いとは。
国際宇宙ステーションからの地球の映像を観ても、ぼくのはそこまで薄いというイメージは持てませんでした。

地球がもし100㎝の球だったら、大気の厚さは、わずか1㎜。
 
ちなみに、国際宇宙ステーションは3㎝の高さを回っているそうです。
では、海の深さは、エベレストの高さは、・・・。
この本に書いてあるそれらの数値を並べてみますので、直径1メートルの球体があなたの目の前の手に触れることができる位置に浮かんでいると思いながら、ひとつひとつイメージを組み立てていってください。

直径1m、その球体が地球です。ゆっくりと自転しているので、表面の厚さ1㎜の空気層に浮かぶ雲は、シャボン玉の表面が虹色に光りながら変化していくように流れています。

その球体の表面積は畳2条ほどで、そのうち1畳半が海なので、陸地は90㎝×90㎝、机くらいの広さです。その陸地に63億人の人間が住んでいます。


この取っ掛かり、絵的にイメージできていますか?まだまだこれからです。

大気の厚さが1㎜なのに対して、エベレストの高さは0.7㎜です。その高さで酸素ボンベが必要なほど酸素は薄くなります。
海の深さはというと、最も深いところで0.9㎜、平均で0.3㎜です。


あなたの目の前に浮かんでいる球体に、これらのことを付加できたでしょうか。

なんだか愛おしくなりますよね、地球。

次に水です。その球体の表面には、いったいどれくらいの水が存在するのでしょうか。

畳1畳半分の広さで平均0.3㎜の深さの海にある水の量は660ccです。たった瓶ビール1本分の水しかないんです。しかもそれは海水ですから、植物を育てることも人が飲むこともできません。
では淡水はどれだけあるのかというと、17cc。お玉一杯が50ccですからその4分の1です。


直径1メートルの地球にはお玉の4分の1しか淡水がないって、ちょっと、恐ろしい気持ちになってきませんか。ぼくなんかは繊細なもんで、ドキドキしてきます。
でも本当の恐ろしさはこれからです。

その淡水の大部分は地球の上下の部分で凍っていて、実際に循環している淡水は、・・・5cc、小さじ1杯しかありません。それが大気中で雲になって、雨が降って、川の流れや地下水になっています。

たった小さじ1杯の水で、地上のすべての生物が命をつないでいるって、ね、冷や汗が流れますよね。
小さじ一杯って、「スプーン一杯の幸せ」ってことですよね。レモンちゃん、古すぎますね。


どうでしたでしょうか。直径1万2756kmの地球を、1mの球に縮めて捉えてみると、今いるこの場所が、この環境が、今日という日が、この上なく有り難いことに感じるでしょ。

楽しいのでもう少し続けてみましょう。今度は地球の外、宇宙空間をイメージしてください。

地球の直径が1mだと、月の大きさはバスケットボールほどです。そしてそれは地球から30m離れて回っています。
太陽は、なんとなんと東京ドームくらいの大きさで、12キロ先で燃え盛っていて、そこからの光が地球に届くのに8分以上かかります。


これくらいにしときましょうか、気が遠くなって地上に帰って来れなくなりそうなので。


この本には、今日引っぱり出して書いた数値の他に、オゾン層のことや、生物のこと、食料問題、森林伐採、そして温暖化のことなどがとてもわかりやすくまとめてあります。
地球がもし100㎝の球だったら」、あなたも本屋さんで探してみてください。「センス・オブ・ワンダー」共々、いつでも手に取れるところに置いといて欲しい本です。


数年前ワタミの渡邉美樹さんが、著書に「世界共通の教科書が必要」と書かれていました。
ぼくはこの2冊を、世界中の人に読んでほしいなあと思うのです。
その前に、震災以降、というか震災を経てもなお迷走を続けるばかりのあの人たちに、読んでいただきたいなあ。

地球の直径を1mまで縮めて考えると、何が大切なのか、何を大切にしながらどう生きればいいのかが、ハッキリとわかります。

ぼくはこの本を、パソコンのバッグに入れていつも持ち歩いています。もう読み返さなくても丸暗記できていますが、それでも持ち歩くことで時々目に止まって、その度に背筋が伸びて呼吸が深くなるのです。

背筋を伸ばしてしんこきゅうすると、今日という日が有り難く思えます。

こんなことを書くと、年寄りやお坊さんの言葉みたいに思われるかもしれませんけど、でもねえ、この本にのめり込んでいくと、心底そう思うんですよ。
生きてることを有り難く感じるって、基本中の基本。そこがぶれ始めると、悩みや苦悩が襲いかかってくるのです。そういうものです。
「感謝しなさい」なんて言われてもなかなかできるものじゃなくて、有り難さを感じることで感謝の気持ちがわき上がってくるもの。感謝の気持ちがあふれている人には幸せもあふれています。
だからこの本を、あなたもぜひ。






本を買わなくても、今日書いた数値を手帳かどこかにメモしておくといいですよ。誰かと会話するときに使いまくれる知識です。特に子どもたちと話すときには、繰り返し織り込みたいことだと思っています。







夜の庭でスケールを変えてみる

毎晩庭に出てはパソコン開いて写真整理や書き物をして、その後は就寝時間まで本を読みます。
昨年の震災以来続いているその習慣によって読んだ数十冊の本の中で、何冊かが自分の中にしみ込んで来て、それはいつまでたっても消えることがなく、気付くと自分の思考の一部になっているものがあります。
今日はその中から「地球がもし100㎝の球だったら」という本のこと書こうと思います。

その前に、後々考えると、この本に出会うためのイントロダクションのような存在だったと思える、もう1冊の本をご紹介します。



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レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー/(上遠恵子 訳)新潮社版」です。

帯にはこう書いてあります。

子どもたちへの
一番大切な贈りもの

 
美しいもの、未知なもの、神秘的なものに目を見はる感性〔 センス・オブ・ワンダー 〕を育むために、子どもと自然を探検し、発見の喜びに胸ときめかせるーーー 

子どもと一緒に出かけてみましょう。
自然は、嵐の日も、おだやかな日も、
夜も昼も、憂鬱そうに見える日も、
子どもたちへの、一番大切な贈りものを用意しておいてくれます。
「沈黙の春」の R・カーソン 最後のメッセージ。
 

レイチェル・カーソンは海洋生物学者で、自然保護と環境問題の先駆的存在の人です。
農薬の環境汚染を研究調査した「沈黙の春」執筆中に、深刻な癌宣告を受けた彼女は、その後闘病しながらこう考えたそうです。


自分の命が終わってしまう前に、自分が生涯を通して感じ取った「かけがえのないもの」を次世代に残したい。 

 命の終わりを知ったときに、人から発せられる言葉が持つチカラ、重み、輝きってありますよね。辞世の句、遺言、愛する人に伝えようと、必死で、振り絞るように紡がれる言葉。
そうやって書かれたこの本「センス・オブ・ワンダー」には、レイチェルが1歳8ヶ月甥っ子のロジャーを毛布にくるんで、嵐の夜に海辺に向かうところから始まります。そしてロジャーが4歳になるまで、ふたりで、家のまわりの森や海を冒険しながら、自然から受け取ったさまざまな事柄が淡々と綴られていきます。

本文から、レイチェルの思いが詰まった一節を書き写します。

もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら。世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに眼を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。


一時間ほどで読むことができるこの本を幾晩か繰り返し読みながら、ぼくは子育て中のすべての人に、この本を手元に置いてほしいなあと思いました。
レイチェルはこんなことも書いています。

わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。

ぼくには何人かの、障害を持ったお子さんを育てているお母さんたちの顔が浮かびました。
いろんな障害がありますけど、ほとんどの場合、「感じる」ことにおいては障害など存在しません。
同級生のように走れなくても、うまく周囲とかかわれなくても、その子が感じる風の音や陽射しの温もりは、心をウキウキさせて、その子の心に満ち足りた世界を生み出していることが見てとれるからです。
そのこと以上に重要な、生きていることのよろこびとか価値って、ぼくには思いつきません。

障害の有無など関係無しに、自然と呼応することで心が揺れることで、人は美しく輝くのです。
「世のため人のため」といいます。もし生きることの意味、その人の存在意義を「他者へのいい影響」とするなら、その子たちは見事にその役割りを果たしながら生きています。それは、彼等のお母さんの顔を見ればわかることです。みなさん、すばらしく美しい表情で毎日を送っています。
ぼくは、自分の母親がそんな表情になれるような生き方をして来なかったことを反省しつつ、今さらながらに、吹く風に心ゆらすことの大切さを思っています。社会的に成功するとか、自分の夢を実現するとかいうこと以前に、もっともっと基本的な大切なこととして。

社会人ということ以前に、自然の中で美しく咲く花になることを忘れてはいけない。


夜の庭でぼくの中に深くしみ込んできた本「センス・オブ・ワンダー」。子どもを持つすべての人に、かつて子どもだった人すべてに、手元に置いてほしい1冊です。


夜の庭に居ると、そこがまぎれもなく宇宙の一部であることを感じます。自分が奇跡の星の住人であり、自然の循環の中で生きているのだということを、夜風や星空や虫の声や、遠くから聞こえる団らんの声から感じることができます。

夜の庭に居ると、気持ちがピュアになります。
自分が自然の一部であり、地球人であること思い出します。


そんな特別室のような夜の庭で読んだ「センス・オブ・ワンダー」に、心が洗われるような思いがするとともに、ぼくは自分の仕事がなし得る重要な役割りを再認識しました。

暮らしの中で「地球人である我に返る場所」が庭。

毎日そこに立ち返れることができることの素晴らしさ。人が自然の一部として輝きながら、与えられた命を美しく燃焼させるために、庭は必要不可欠な場所であり、そういう役割りを果たせる庭を生み出し続けることが、ぼく自身の燃焼なんだと。

そんなことを思ってから数日後、大型書店でのことです。
いつもは通り過ぎてしまう児童書のコーナーで、微かに光る背表紙がありました。そういうことってありますよね、本が呼んでいるってこと。
そうやって出会ったのが、地球がもし100㎝の球だったら」です。


 

DSC09982
世界文化社



直径1万2756kmの地球を、1mの球に縮めて捉えてみるとどうなるか、という本です。

以前「世界がもし百人の村だったら」という本がありました。それと似たロジックで、縮尺を縮めて、それも人がふたりで持てるくらいまで小さくして考えてみるということによって、地球の本質、その存在のありようをリアルに感じることができます。


DSC09983




地球がもし100㎝の球だったら、大気圏の厚さってどのくらいだと思いますか?
ぼくは会う人会う人100人くらいにこの質問をして、一番多かった答えが3センチでした。

直径1mの地球を覆う空気の層の厚さはどのくらいなのか、あなたもイメージしてみてください。
 
つづく 




「もっと!」が劇的な変化を生む( 槌矢邸 4)

この数日間、朝起きる時間が遅くなっていました。遅いといっても6時過ぎなので朝寝坊ではないんですが、自分としては5時にスッキリと目覚めるのが理想なので、ちょっとリズムが乱れていることが気になっています。
こういうときにディフェンシブになると、ドッと疲れが吹き出してしまうことは百も承知していますから、攻めることにしました。
今朝は4時に起きて、一瞬庭に出て(まだ真っ暗)、すぐに身支度して出社。いつもは朝のまったりした時間に、徐々にテンションをあげていくことが習慣になっているのを、ちょっと変化させてみました。
朝食は吉野家の朝定食、その後駅前のスタバでコーヒー買って、まだガラガラの保土ヶ谷バイパスを一路「レノンの庭」へ。

何となく体調悪いなあということありますよね。何となく気分が冴えないままで数日が経ってしまうとか、そういう体調不良前夜みたいな、未病ですか、そういうこと。
そういうときに素早くリカバリーするためには、変化させることが一番。それもちょっと無理する方向へと何かを変えてみる、刺激を与えてみるということをよくやります。
昭和時代のテレビみたいなもので、映りが悪くなったら、叩く。
うちの実家は町の電気屋さんで、居間の棚にはドライバーやハンダゴテなどの修理道具がたくさん置いてありました。でも、自分ちのテレビが映らなくなると、親父は・・・よく叩いていたなあ。
ぼくもそのテレビみたいなもんで、まず叩いてみる、自分は叩けばなんとかなると、そう思い込んでいるようなところがあります。

調子が悪い時はまず叩いてみる。昭和に製造された人の修理方法です。

避けたいのは、調子が出ないままで時間を過ごしてしまうこと。そうやってだらだらとダメ状態を続けると、ろくなことになりません。「リカバリーは素早く」が大事。

リカバリーするために、どこがいけないのかという現状分析することも必要ですが、それよりも、とにかく変化させること。それも負荷をかけることがぼくには合っているようです。
いつもより3時間早く出勤すると、時間がたっぷりあっていい気分です。
製造年月日が昭和35年3月14日のおんぼろテレビ、時々叩けば、まだまだ使えます。


ではルーティン、槌矢さんちのビフォー・アフターをご覧いただきましょう。
湿気が強くてこもった場所、どう扱っていいかわからないままに時間が過ぎていた庭スペースの変貌です。



Before 1
ビフォー1

After 1
アフター1



すごい変化でしょ。



Before 2
ビフォー2

After 2
アフター2



庭が生まれ変わりました。
新築のさら地状態からだったらいつものことなんですが、そうじゃなくて、新築時に設置したウッドデッキが朽ちて以来、何年間もビフォーの状態だったわけですから。 



Before 3
ビフォー3

After 3
アフター3



今までは、リビングのカーテン開けると、その外に見える風景は苔むしたお隣のブロックでした。
それだけでも、ちょっと気が滅入っちゃいますよね。 



Before 4
ビフォー4

After 4
アフター4



それも解決して、さらに、そこに出て過ごしたくなる場所ができたわけですから、ぼくとしてもちょっと興奮するほどの変化です。



Before 5
ビフォー5

After 5
アフター5



このように、マイナス要素が一気にプラスに生まれ変わるという変化に立ち会えることのうれしさ。



Before 6
ビフォー6

After 6
アフター6



この劇的な変化をもたらしたものは、ぼくの設計じゃなく、かけたコストでもないんです。
ほんとですよこれ。 



Before 7
ビフォー7

After 7
アフター7



いくら丹念に設計しても、いくらお金をかけても、この一気にプラス世界が出現する劇的な変化は生まれません。



Before 8
ビフォー8

After 8
アフター8



ではいったい、何がこの庭を生み出したのかというと、それは槌矢さんご夫婦の「もっと!」という気持ちです。



Before 9
ビフォー9

After 9
アフター9



「もっと!」という気持ち。
苔むしたコンクリートを眺めながら、多くの人はそれを見慣れてしまいます。庭に出て楽しむことができなくなっても、日常には他に楽しいことはたくさんありますから、庭が楽しいことリストから外されたままになります。「別にこれでもいいじゃない。しかたないよ」と、何年でもそのままで過ごし続けます。 



Before 10
ビフォー10

After 10
アフター10



ぼくは、その悲しい状況から抜け出すための設計をするわけですが、お客様の中にそれに呼応する気力、元気、欲求、ワクワク感がないと、仕事として成立しません。
その呼応がないままで設計通りに仕立ててみたところで、これもまたカタチだけの庭になってしまって、時間の経過とともに色あせていくことは目に見えています。



Before 11
ビフォー11

After 11
アフター11
 


見慣れた日常に「もっと!」という気持ちを持ち続ける人だけが、劇的な変化に遭遇できます。

例えばサッカーってそうなんですよねえ。なかなか得点できない時間帯が続いていても、攻め続ける姿勢を無くさなければ、突然チャンスが舞い込んできてゴールが決まります。押しまくられるばかりでひたすら守りに入っている状態では、間違っても得点はできません。

ご来店から打合せ、完成まで、槌矢さんご夫婦はいい試合を見せてくれました。






朝早くに店にきたおかげで、余裕しゃくしゃくで設計に入れます。
おまけにさっき「今日の門馬さんちの取材は雨で延期でーす」と電話が入って、ますます余裕ができました。
門馬さんちにうかがうのは先の楽しみになって、今日はタップリと設計する時間ができて、雨が降ってきたので集中力も増すし、いやあ、早起きするといいことだらけの展開になります。
何となく調子が落ちそうになったら、とりあえず叩いてみる、負荷をかける方向に変化させてみる。
もしあなたが昭和生まれならやってみてください。
昭和のテレビは、叩けば何とかなります。電気屋の息子が言うんですから間違いありません。











庭は「あなたの場所」なのです( 槌矢邸 3)

もう一度ビフォーをご覧ください。



ビフォー4

ビフォー9



新たな庭に向かうとき、ぼくはよく「もしここが我が家だったら」と考えます。もしも自分ちだったらどんな庭に仕立てるだろうかって、そう考えると、そこで展開される可能性がある楽しいシーンがリアリティーを持って浮かんでくるからです。

この庭のこもった立地といつも湿気がある感じが、ぼくが思う「心地よさ」の条件と合致しました。
そして瞬時に思い浮かんだのが、昨日ご覧いただいた Plan A です。



Plan A
槌谷様 A



この、いわば「ぼくの庭」である Paln A をもとにして検討していただきました。
ここからがすばらしい展開でした。
おふたりは、これまでどう考えたらいいのかわからないままになっていた庭スペースに、光明を見出したんですね。そしてその光にワクワクしながら、このプランと庭を見比べながら、自分たちの楽しいシーンを思い浮かべてくださいました。
これなんですよこれ。

何ごとも、自分が主役になって考えることが大事。

「庭のことは造園屋さんの言うようにしとけば、まあそれでいいんじゃない」と、その程度で庭を仕立ててしまうと、そこは造園屋さんによる、造園屋さんのための庭にしかなりません。
世の中にはそういう庭があふれています。まあまあ眺めはいいとしても、よくよく考えてみると何のために存在しているのかわからない庭。強いて言えば、植木屋さんが年に数回手入れに入るための庭です。
何で自分ちの庭スペースを、わざわざお金を払ってまでその意義を放棄してしまうのか。
日本人はそういうことに疑問を持たないままで来てしまったんです。残念なことです。
海外赴任の経験がある方や年に数回海外旅行をする方たちは、庭の意義や意味を体感していますから、もっと庭に対して積極的でありどん欲です。せっかくの庭スペースを、植木屋さんの手入れのための場所になんかしておきません。

庭は造園業者のための場所ではありません。あなたとあなたの家族が、至福の時を過ごすための場所なのです。

ここなんですよ、「お金を賭ければいい庭になるなって、そんあことは絶対にありえない」ということ。

あなたの庭への認識が問題なのです。そこに意義や意味を求める気持ちがなければ、庭は大きな無駄使いのままになります。

これって本を読むことと似ていますよね。自分がその本に興味を持てないままにページをめくっていっても、何も入ってきません。それは時間の無駄遣いです。
ぼくは本をよく読みます。活字よりも、絵や音楽に反応していた昔の自分とは別人のように、買いたい本、読みたい本がたくさんあって、常に数冊、多いときには十数冊を同時並行で読みあさっています。
本に惹かれることが少なかった昔と、本無しには日常が成立しなくなっている今と、何が変わったのかというと、「寿命を意識し出した」ということだと思っています。

若い頃には自分の命に限りがあるなんて、まあそんなことは理屈としてはわかっていても、それを実感することはありませんでした。それが今は、限りある時間を有意義に過ごしたいなあと思うようになりました。その時間を自分のものとして、しっかりとそこに意義や意味を持たせたいと。

自分の時間には限りがあると実感したとき、人は本を読み、庭に思いをするようになります。

そう、「自分の人生」を意識して、限りあるその時間を愛おしいと感じるタイプの人に、庭は大きな意味と意義をもたらす場所なのです。


槌矢さんご夫婦が Plan Aにトキメキを感じて、それを我がこととして捉えて、見慣れた「困った場所」に有意義な家族の時間をイメージしてくださったことが、ぼくとしてはうれしくてうれしくて。
本屋で立ち読みしていたら、たまたま手に取った本がヒットすることがあります。もうその場で読み切ってしまいたいほどのめり込んでしまう本との出会い。おふたりに、 Plan A はそういう響き方をしました。

その庭世界にのめり込むうちに、そこを自分たちの場所としてイメージするうちに出てきたいくつかアイデアを織り込んで、変更設計したのが、次の Plan Bです。 



Plan B
槌谷様 B



平面図と正面立面図を拡大します。
槌谷様 B-1



 2分割して、さらに拡大します。
右半分。
槌谷様 B-4



左半分。
槌谷様 B-5



右方向の立面。
槌谷様 B-3



左方向の立面。
槌谷様 B-2



いい感じに仕上がりました。
ぼくがその場所に立って瞬時に思い描いた Plan A は、夜中に書いたラブレターのような、翌朝読み返すと自分で赤面してしまうようなところがありましたが、この Plan B なら切手を貼ってポストに投函できます。
「ぼくの庭」は「槌矢さんちの庭」になりました。 





「自分に与えられた時間には限りがある」ということを実感したとき、人は本を読み、庭に思いをするようになる。
そのきっかけはさまざまですが、若くしてそういう気持ちを持てる人は幸いだなあと思うのです。子どもには、ちゃんとそのことを植え付けながら育てたいなあって。
そこに思い至ってからが本番。早くにそう思えた人の人生は本番が長いということですからね。
ぼくなどは気づきが遅かったもので、その分むやみに本を読んでいるわけです。
そして庭に思いをする毎日。
それはつまり、限られた人生を有意義なものにしようと、真剣にそう思って暮らす人たちの応援をしているということであり、ぼくも一緒に、そうやって年を重ねていきたいという願いでもあるのです。 
 
今朝打合せにうかがったお宅でも聞いた言葉、「残りの人生を思いっきり楽しみたいから」。
その奥様、すごくいい笑顔でした。そして、すてきな植物があふれた庭は輝いていました。

庭を美しくするポイントは自己肯定感。
自分が大好き、自分の来し方をほめてあげたい、自分も家族も愛おしい、今が一番幸せ、そう思える人の庭は、輝いています。



いやあ、今日も気持ちがあふれちゃって、ついつい長く書いてしまいました。

さて、スイッチを切り替えて、設計に没頭します。











瞬時にできあがったプラン( 槌矢邸 2)

家を建てる時点で、実は皆さんけっこう庭へのイマジネーションを膨らませています。それが実際に新居に入る頃にはその庭への思いは半減しています。住宅メーカーとの打合せや、どんどん嵩んでゆくコストのこととか、引っ越しの苦労などに翻弄されて庭どころじゃなくなっているんですよね。
そして引っ越しがすんで暮らし始めてみると、今度は庭が持つ現実が見えてきます。
思っていたよりも狭かった、日当りや土の状態が良くない、道路から丸見えで庭どころかカーテンも開けられないなど。
建築の苦労で半減していた庭への意欲は、そこで完全に消え去ってしまいます。
そのまま一生、庭に意識が行かないままで人生を送る人って、けっこうな割合なんです。

住宅展示場を訪れるときに持っていた庭へのイマジネーションを思い出しましょう。
あなたは頑張って、あこがれの「庭付き一戸建て」を手に入れたんですから。


槌矢さんちの場合は、新居に入ってすぐにウッドデッキを設置して、そこで庭のある暮らしを楽しみました。
ところがそのデッキが数年で朽ちてしまった。庭の風通しが悪く、湿気も強い、デッキには向かない条件だったのです。
壊れたデッキを撤去して、あちこちに苔が生えた庭スペースを前に、ご夫婦はしばし呆然。そのしばしが数年間に及びました。

その間、庭は暮らしの場所として機能しなかったばかりか、この先どう扱っていいのかが思い浮かばない「困った場所」になっていました。
はい、そこでぼくの登場。
ご夫婦は、その場所を具体的にどうしたらいいのか思いつかないままで、うちのお店に来てくださいました。

「お待たせしました」というような出会いがあります。運命の出会いです。

「ちょっと登場が遅れたのは、あなたに出会うための準備をしていたからなんですよ」と、そう言いたくなるような出会いの連続。出会うべくして出会ったと思うしかないような出会いが積み重なっていきます。
たぶん今、ぼくは「モテ期」には入っているのです。

店でお話をうかがって、予感がしました。そして後日現地を見た瞬間に、その予感はワクワク感に変わりました。
やっぱりそう、ご夫婦には困った場所になっていた庭スペースが、ぼくには好条件が揃った場所に感じられて、その時点でもう頭の中にプランができあがっていました。
これです。



Plan A
槌谷様 A



平面図と正面立面図を拡大します。
槌谷様 A-1



2分割して、さらに拡大します。
右半分。
槌谷様 A-4



左半分。
槌谷様 A-5



右方向の立面。
槌谷様 A-3



左方向の立面。
槌谷様 A-2



どうでしょう、イメージしていただけるでしょうか。
こもった場所を、印象としては明るく整備しつつ、構成的にはさらにこもった場所に仕立てました。 

ぼくはこのプランをご覧いただいたときに、ご主人の目からウロコが落ちるのを確認しました。
奥様の目には、はげかかったウロコが、取れかけのつけまつ毛のようにぶら下がっていました。

このプランを、ウロコが落ちた目で庭に当てはめてイメージしていただいて、後日細部を変更した Plan B を明日ご覧いただきます。
A から B へ、扱いかねていたその場所に思い描いた「ぼく庭」から、おふたりが庭へのトキメキを取り戻してイメージした「槌矢さんちの庭」への変化です。

お客様の中に庭へのトキメキが蘇ったとき、その庭はぼくの手から離れて、ご家族の幸せに貢献する場所として生まれ変わります。
ということは、ぼくは庭へのトキメキを設計しているということになります。

ガーデンデザインとは、庭へのトキメキを引っぱり出す作業。

ウ〜ン、名言。





庭のバラがすっかりなくなって、祭りの後のような気分です。
しかしそんな感傷に浸る間もなく、活発に動き出した子犬たちを追いかけ回している毎日。幸せです。
近所の公園では色とりどりにアジサイが咲き始めました。

何もかも、楽しいんだよなあ。

文句無し!天気はいいし、妻の機嫌もいいし、朝ご飯はうまかったし、設計への意欲は尽きないし、何の文句もありません。
やるべきことは目の前の設計に熱中すること。
気が遠くなるほどの設計依頼がたまっていますが、ひとつひとつ、丁寧に、思いを込めて設計するのみです。


今日の「前を向くカレンダー」にはこうあります。

取り込んだ洗濯物に
顔をうずめたら、感じる?
希望の匂いを。 


希望、幸せ、ありがたさ、そういうものですよね。
洗濯物に顔を取り込みながら、一瞬感じるその香りで、気持ちにパーッと光が差して、ググーッと波動が上がっていく感じ。
しあわせだなあ。

っと、浸ってないで、設計設計。




 
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