小さな子供にとって「世界」とは、自分の家と、歩いて行ける近所のこと。リアルに生きている人は自分と家族だけで、他の人はテレビに出てくる人と同じ、ほとんどバーチャルな存在。
子どもの世界観とはそういうものですよね。
大人になるにつれて世界の認識範囲が広がっていって、日本列島を把握できるようになり、海外旅行の経験を経て地球全体を俯瞰できる感覚が身に付きます。世界中の人が、悩み、苦しみ、喜び、感動し、自分と同じ重さの命を持って、日々幸せを目指して生きていることを実感できるまでになります。
子どもは狭い世界で自分のことを考えながら生きていて、大人は広い世界で他人のことも考えながら生きている。
世界が広がるほど、他の人の人生を感じるほど、人としての成長が進むわけです。
犬の散歩をしながら撮った近所の花です。

その成長のために、子どもは親から「ダメ!」と「早く!」を日に100回は言われながら育ちます(子育て中のお母さん、身におぼえがあるでしょ)。徹底的に自己を否定されながら、それでも親にすがりついてゆく子ども・・・。このことについてはまた後日。
ことの善し悪しは別として、それは社会性を身につけるための訓練になっているんですよね。
自分の要求を我慢して、社会からの要求に応えることが大人になるということ。

そのことに関連して最近とても気になっていることがあります。
大ヒットしているドラマ「半沢直樹」に出てくる「倍返しだ!」です(先日の最終回、ものすごい視聴率だったそうですね)。
あの言葉・・・気持にザラッと触るんだよなあ。
幼い子どもは自分の要求が全てで社会からの要求はシャットアウト、自分と社会が10対0。小学生くらいになると自分が8割で社会が2割くらい、高校生になれば自分と社会が半々になる、そんな感じでしょうか。
そして社会人になって就職して自分が1で社会が9になったとき、つまりどっぷりと社会からの要求の中で生きるようになった時に出てくる言葉が「倍返しだ!」なんだと思います。
まああれはドラマの中でのことではありますが、もしもあなたが半沢のあの言葉や表情、大和田常務(香川照之)の土下座のシーンに心動かされるとしたら、ちょっと次のことを自己診断してみてください。
あなたが応えようとする自己の要求と社会からの要求の比率は何対何でしょうか。

「倍返しだ!」はいけません。絶対にそんなことをしてはいけないし、考えてもいけません。
それは、地球を支配しているある法則があるからです。
押せば押し返してくる。引けば引き戻される。
倍返しをすると、さらにその倍返しをされます。
地球上から戦争がなくならないのは、人間が倍返しをしたがる動物だから。

人間以外の動物は倍返しはしません。それどころか、どんなにひどい目にあっても仕返しをするということもありません。仕返しは神様(自然の摂理)がしてくれることなのです。
子どもたちの喧嘩でもやられた分はやり返しますが、倍返しはしません。子どもは仕返しをしながら、それが決していい結果にならないことを本能的に知っているのです。
自分対社会の割合を考えたときに、子どものように自分が勝っている、自分の要求に従って生きている人に「倍返しだ!」という発想は出てこない。
自分の声が聞こえなくなったとき、人は人を恨み、相手を徹底的に痛めつけたい衝動に駆られます。

例えば離婚をするときに、当然相手への恨みつらみはあると思います。でもそこで相手に倍返しをしてしまった人の未来は、たいがい悲惨なものになっていきます。
グッとこらえて、あるいはさっさと忘れて、次の暮らしへと自分の声に従って進む人に明るい未来が待っています。
地球を支配している「押せば押し返してくる」という法則に例外はありません。どんな事情があろうと押せば押し返されます。だから地球は平衡を保ちながら、奇跡の星であり続けていられるのです。

「自分の比率を下げて社会からの要求に応えることが大人になることだ」と書きましたが、行き過ぎは禁物。
あなたが魅力的だと思う人を観察して、その人の「自分と社会の比率」を探ってみてください。
たぶん5対5なんじゃないかなあ。ぼくが憧れる人たちは全員、だいたいそんな比率でした(自分が6で社会が4の人はさらに魅力的。でも自分が7になると、とたんに魅力が消えてしまいます)。
自分と社会の割合が五分五分の均衡を保つことが、素敵な大人の条件。
どこか子どもっぽい人っていいでしょ、あれですよあれ。

バランスが大事なんですよ。自分の要求と社会からの要求、個人としても自分と社会人としての自分のバランスを保つことが大事。
我田引水、庭に出てください。毎日庭に出て過ごす習慣で自分の声が聞こえる自分を維持できますよ。
倍返しだ!土下座しろ!訴えてやる!・・・いやはやどいうにも・・・そっちに近づいてはいけないんじゃないかなあ。そんなことには興味を持ってもいけない気がする。それは地獄への入り口だと思うんだけどなあ。
もっと心おだやかに、人を恨むよりも素敵なことに、この限られた時間を使いましょう。
暑い夏が終わって、花たちが息を吹き返しました。
ハイビスカスも、真夏より今の時期の方が勢いよく咲くんですよ。

「押せば押し返してくる」に従えば、愛情を与えればそれは返ってくるということになりますよね。
倍返しをするなら、仕返しではなくて、愛情の倍返しだ!
子どもの世界観とはそういうものですよね。
大人になるにつれて世界の認識範囲が広がっていって、日本列島を把握できるようになり、海外旅行の経験を経て地球全体を俯瞰できる感覚が身に付きます。世界中の人が、悩み、苦しみ、喜び、感動し、自分と同じ重さの命を持って、日々幸せを目指して生きていることを実感できるまでになります。
子どもは狭い世界で自分のことを考えながら生きていて、大人は広い世界で他人のことも考えながら生きている。
世界が広がるほど、他の人の人生を感じるほど、人としての成長が進むわけです。
犬の散歩をしながら撮った近所の花です。

ことの善し悪しは別として、それは社会性を身につけるための訓練になっているんですよね。
自分の要求を我慢して、社会からの要求に応えることが大人になるということ。

大ヒットしているドラマ「半沢直樹」に出てくる「倍返しだ!」です(先日の最終回、ものすごい視聴率だったそうですね)。
あの言葉・・・気持にザラッと触るんだよなあ。
幼い子どもは自分の要求が全てで社会からの要求はシャットアウト、自分と社会が10対0。小学生くらいになると自分が8割で社会が2割くらい、高校生になれば自分と社会が半々になる、そんな感じでしょうか。
そして社会人になって就職して自分が1で社会が9になったとき、つまりどっぷりと社会からの要求の中で生きるようになった時に出てくる言葉が「倍返しだ!」なんだと思います。
まああれはドラマの中でのことではありますが、もしもあなたが半沢のあの言葉や表情、大和田常務(香川照之)の土下座のシーンに心動かされるとしたら、ちょっと次のことを自己診断してみてください。
あなたが応えようとする自己の要求と社会からの要求の比率は何対何でしょうか。

それは、地球を支配しているある法則があるからです。
押せば押し返してくる。引けば引き戻される。
倍返しをすると、さらにその倍返しをされます。
地球上から戦争がなくならないのは、人間が倍返しをしたがる動物だから。

子どもたちの喧嘩でもやられた分はやり返しますが、倍返しはしません。子どもは仕返しをしながら、それが決していい結果にならないことを本能的に知っているのです。
自分対社会の割合を考えたときに、子どものように自分が勝っている、自分の要求に従って生きている人に「倍返しだ!」という発想は出てこない。
自分の声が聞こえなくなったとき、人は人を恨み、相手を徹底的に痛めつけたい衝動に駆られます。

グッとこらえて、あるいはさっさと忘れて、次の暮らしへと自分の声に従って進む人に明るい未来が待っています。
地球を支配している「押せば押し返してくる」という法則に例外はありません。どんな事情があろうと押せば押し返されます。だから地球は平衡を保ちながら、奇跡の星であり続けていられるのです。

あなたが魅力的だと思う人を観察して、その人の「自分と社会の比率」を探ってみてください。
たぶん5対5なんじゃないかなあ。ぼくが憧れる人たちは全員、だいたいそんな比率でした(自分が6で社会が4の人はさらに魅力的。でも自分が7になると、とたんに魅力が消えてしまいます)。
自分と社会の割合が五分五分の均衡を保つことが、素敵な大人の条件。
どこか子どもっぽい人っていいでしょ、あれですよあれ。

我田引水、庭に出てください。毎日庭に出て過ごす習慣で自分の声が聞こえる自分を維持できますよ。
倍返しだ!土下座しろ!訴えてやる!・・・いやはやどいうにも・・・そっちに近づいてはいけないんじゃないかなあ。そんなことには興味を持ってもいけない気がする。それは地獄への入り口だと思うんだけどなあ。
もっと心おだやかに、人を恨むよりも素敵なことに、この限られた時間を使いましょう。
暑い夏が終わって、花たちが息を吹き返しました。
ハイビスカスも、真夏より今の時期の方が勢いよく咲くんですよ。

倍返しをするなら、仕返しではなくて、愛情の倍返しだ!