あなたはカメラを構えるときに、左右どっちの目でファインダーを覗きますか?
それがあなたの効き目、ぼくは必ず左目です。右目で覗くととても不自然な感じがします。
サーフィンやスノーボードに乗る時、どちらの足が前になりますか?
それがあなたの利き足です。ぼくは左足が前です。
右目でカメラを覗く人は、被写体を論理的に捉え、左目で覗く人は感覚的に捉えます。
右足を前にして波に乗る人は論理的にフォームを整え、左足が前になる人は感覚的にマニューバを描きます。
右利きは論理的、左利きは感覚的。
ちょっと身近な人で確認していてください。上の質問をして、その答えとその人の性格や作品を検証してみてください。きっとそうなっているはずです。
これは脳の左右が論理脳と感覚脳に別れて働いているからです。
ここからがちょっとややこしいんですけど、右の脳が感覚的に、左の脳が論理的に働いています。逆なんですよね。
これは脳からの指令を全身に送るコードが、脳を出たところでねじれて左右逆に配線されているために起こります。
右脳(感覚脳)が身体の左側に、左脳(論理脳)が右側に作用しています。
ぼくは右脳が優勢です。
これって珍しいことみたいなんですね。男性は一般的に左脳の指令が強く、女性は右脳が強い。男は理屈で、女は感覚優先で物事を判断していくでしょ。どうやらぼくは中性的、女性寄りの男のようです。
ついでにもうひとつ、左右の優劣で変わるのが「仕事観」なんですよね。
右脳が優勢な感覚人は「成功は幸運や出会いによって導かれる」と考え、左脳が優勢な論理人は「目標を設定して成功へのプロセスを歩む」となります。
やはりぼくは前者、右脳の人です。
左脳優位の代表とも言える人がワタミの渡邉美樹さん、「夢に日付を!」ですから。
会社で部下を指導するときに、その人の左右を見きわけることが大事ですよ。右脳人間に美樹さんのような目標設定の手法を課しても成果は上がらず、逆に左脳人間に情や感覚的なアドバイスは通じませんからね。
と、ここまでが前ふりで(長い!)、本題に入ります。
庭をつくり続け、庭のある暮らしを楽しむ人たちを見ているとハッキリとわかることがあって、それをお伝えしたくて長〜い前振りとなりました。
左右のバランスを欠くと、庭は楽しい場所にはなりません。
理屈っぽさだけで庭を捉えると、お金をかけたのに全然楽しくない庭になります。よくあることです。
感覚だけで庭に向かうと、やたらに植物やレンガを買ってはくるものの、雑然として収拾がつかない荒れた庭になります。これもまたよくあることです。
庭はバランスを欠いた人に背を向けます。
ぼくにはそう思えるんですね、左右どちらかに偏った人のことが、庭は大嫌いなんだと。
なぜ脳の出口で配線が左右逆になっているのか。右が左で左が右でと、なんでそんなややこしいことになっているのか。
ぼくはそこにサムシンググレートの意志を感じます。
どちらかに偏ることなく、左右をバランスよく使いこなすべし。
そう言っているような気がするのです。そのために回路を交叉させて、わざとややこしい構造にしたんじゃないかなあ。
サムシンググレートを持ち出さないで言うとすればこうなります。
配線のねじれは、きっと最初は奇形だった。ところがその奇形を持った人がとても左右の具合が良くて、幸せな人生を送り、その幸運な奇形を受け次ぐ子どもをたくさん作って繁栄していった。一方左右が逆転していない一族には争い事が絶えずに絶滅してしまった。左右逆転族だけが生き残ったことで、奇形は奇形じゃなくなって、人体に欠くことのできない構造になった。
何万年かかけて、そういうことが起こったんじゃないかなあ。
明らかに右脳デッカチのぼくが言うのもなんですけど、左右の均衡を意識しましょうね。
きっとそれが、人間が幸せに暮らすための大事なポイントなのです。
理屈先行だと本質が見えなくなって、本質が見えないと楽しさを感じられなくなって、口がへの字のまま固まっちゃいますよ。
感覚先行だと成果が得られず、不満ばかりが募って、愚痴が止まらなくなります。
自分がどちらかに偏っていないかをチェックするためにも庭に出てください。
あなたがバランスを欠いている時、庭はあなたを無視して、あなたにとって嫌な存在に感じられるはずですから。
あ、そうそう、左右の均衡を意識すれば夫婦喧嘩も減りますよ。
古今東西、夫婦喧嘩は、右脳と左脳の衝突ですからね。
それがあなたの効き目、ぼくは必ず左目です。右目で覗くととても不自然な感じがします。
サーフィンやスノーボードに乗る時、どちらの足が前になりますか?
それがあなたの利き足です。ぼくは左足が前です。
右足を前にして波に乗る人は論理的にフォームを整え、左足が前になる人は感覚的にマニューバを描きます。
右利きは論理的、左利きは感覚的。
これは脳の左右が論理脳と感覚脳に別れて働いているからです。
ここからがちょっとややこしいんですけど、右の脳が感覚的に、左の脳が論理的に働いています。逆なんですよね。
これは脳からの指令を全身に送るコードが、脳を出たところでねじれて左右逆に配線されているために起こります。
右脳(感覚脳)が身体の左側に、左脳(論理脳)が右側に作用しています。
これって珍しいことみたいなんですね。男性は一般的に左脳の指令が強く、女性は右脳が強い。男は理屈で、女は感覚優先で物事を判断していくでしょ。どうやらぼくは中性的、女性寄りの男のようです。
ついでにもうひとつ、左右の優劣で変わるのが「仕事観」なんですよね。
右脳が優勢な感覚人は「成功は幸運や出会いによって導かれる」と考え、左脳が優勢な論理人は「目標を設定して成功へのプロセスを歩む」となります。
やはりぼくは前者、右脳の人です。
左脳優位の代表とも言える人がワタミの渡邉美樹さん、「夢に日付を!」ですから。
会社で部下を指導するときに、その人の左右を見きわけることが大事ですよ。右脳人間に美樹さんのような目標設定の手法を課しても成果は上がらず、逆に左脳人間に情や感覚的なアドバイスは通じませんからね。
庭をつくり続け、庭のある暮らしを楽しむ人たちを見ているとハッキリとわかることがあって、それをお伝えしたくて長〜い前振りとなりました。
左右のバランスを欠くと、庭は楽しい場所にはなりません。
理屈っぽさだけで庭を捉えると、お金をかけたのに全然楽しくない庭になります。よくあることです。
感覚だけで庭に向かうと、やたらに植物やレンガを買ってはくるものの、雑然として収拾がつかない荒れた庭になります。これもまたよくあることです。
庭はバランスを欠いた人に背を向けます。
ぼくにはそう思えるんですね、左右どちらかに偏った人のことが、庭は大嫌いなんだと。
ぼくはそこにサムシンググレートの意志を感じます。
どちらかに偏ることなく、左右をバランスよく使いこなすべし。
そう言っているような気がするのです。そのために回路を交叉させて、わざとややこしい構造にしたんじゃないかなあ。
配線のねじれは、きっと最初は奇形だった。ところがその奇形を持った人がとても左右の具合が良くて、幸せな人生を送り、その幸運な奇形を受け次ぐ子どもをたくさん作って繁栄していった。一方左右が逆転していない一族には争い事が絶えずに絶滅してしまった。左右逆転族だけが生き残ったことで、奇形は奇形じゃなくなって、人体に欠くことのできない構造になった。
何万年かかけて、そういうことが起こったんじゃないかなあ。
明らかに右脳デッカチのぼくが言うのもなんですけど、左右の均衡を意識しましょうね。
きっとそれが、人間が幸せに暮らすための大事なポイントなのです。
感覚先行だと成果が得られず、不満ばかりが募って、愚痴が止まらなくなります。
自分がどちらかに偏っていないかをチェックするためにも庭に出てください。
あなたがバランスを欠いている時、庭はあなたを無視して、あなたにとって嫌な存在に感じられるはずですから。
古今東西、夫婦喧嘩は、右脳と左脳の衝突ですからね。