めずらしく庭の上空をトンビが飛んでいます。
江ノ島から遠出してきたのかもしれません(江ノ島とわが家の距離は10kmほどあります)。
気持ちよさそうに旋回しています。
ところで、鳥にとって空を飛ぶのは特別なことではありませんよね。
蟻が穴を掘ることも、魚が泳ぐことも、蜂が蜜を集めることも、彼らにはごく当たり前の営みなわけで、特に意識することなく行っている行動です。
では、ぼくら人間に特徴的な行動とはなんでしょう。
鳥が飛ぶように、人間が無意識に行っていることとは?
ぽくは、それは「旅」何じゃないかなあと思っているわけです。
アフリカに住んでいたぼくらの祖先は牙も腕力も持っていない、自然界でのいじめられっ子のような弱い猿でした。
猛獣や恐竜に怯えながら、気候の変化に打ちのめされながら、生き延びるために旅立つことを選択しました。
残酷な現実から逃れるための逃避行です。
猿人が四足歩行から立って歩くようになった要因がそこにあると考えられています。直立歩行は首が疲れないので長距離を移動するのに適しているのです。
いじめられっ子が食料を求め、安心して暮らせる場所を求めての旅は地球全体にまで広がりました。
直立歩行の長旅の間に脳が大きくなり、両手を使うようになり、文明を築いて、いつのまにか猛獣に怯えることなく暮らせる種族になりました。
もう安住の地を求めて彷徨う必要なくなったわけですが、それでも人は、鳥が空を飛ぶように、蟻が穴を掘るように旅をすることが身に付いたままでした。
でももはやそれは逃避行ではなく希望を求める冒険です。
山の向こうにあるかもしれない理想郷を目指して、水平線の彼方にあるという夢の島を目指して旅することが、人間に備わっている性質。
高い山や海底や宇宙にまでに思いを馳せる、逆に遺伝子や分子という目に見えないほどの極小の世界への探求、どちらも人類の希望への旅です。
それともうひとつ、恋愛し、悩み、夢を追い、感動したり落ち込んだりする、自分の内面への果てしのない旅もあります。
まだ旅の途中。
この先どこまで行けるやら。
とにかくてくてくと歩くのみ。
夜の庭で明日のスケジュールを考えているとき、ふとそんな気持になります。
アフリカの森を出るときに、その猿は野の花など目に入らなかっただろうと思います。生存のための命がけの行動なので、それどころではなかったはずですから。
でもその移動が希望に向かうものになった頃には、きっと風に揺れる花や葉の輝きやせせらぎの音が、旅人の心を癒し、歩を進める元気を与えてくれたに違いありません。
さてと、今日も希望に向かって歩きます。
ありがたいことに、ここ数年の道は行けども行けども花だらけで、素晴らしい出会いばかりが続いています。
神様、感謝します。
どうかもうしばらくこのすてきな旅を続けさせてください。
ぼく的には、辿り着きたい場所はまだ遥かにかすんでいますから。
江ノ島から遠出してきたのかもしれません(江ノ島とわが家の距離は10kmほどあります)。
気持ちよさそうに旋回しています。
ところで、鳥にとって空を飛ぶのは特別なことではありませんよね。
蟻が穴を掘ることも、魚が泳ぐことも、蜂が蜜を集めることも、彼らにはごく当たり前の営みなわけで、特に意識することなく行っている行動です。
鳥が飛ぶように、人間が無意識に行っていることとは?
アフリカに住んでいたぼくらの祖先は牙も腕力も持っていない、自然界でのいじめられっ子のような弱い猿でした。
猛獣や恐竜に怯えながら、気候の変化に打ちのめされながら、生き延びるために旅立つことを選択しました。
残酷な現実から逃れるための逃避行です。
猿人が四足歩行から立って歩くようになった要因がそこにあると考えられています。直立歩行は首が疲れないので長距離を移動するのに適しているのです。
いじめられっ子が食料を求め、安心して暮らせる場所を求めての旅は地球全体にまで広がりました。
直立歩行の長旅の間に脳が大きくなり、両手を使うようになり、文明を築いて、いつのまにか猛獣に怯えることなく暮らせる種族になりました。
でももはやそれは逃避行ではなく希望を求める冒険です。
それともうひとつ、恋愛し、悩み、夢を追い、感動したり落ち込んだりする、自分の内面への果てしのない旅もあります。
この先どこまで行けるやら。
とにかくてくてくと歩くのみ。
でもその移動が希望に向かうものになった頃には、きっと風に揺れる花や葉の輝きやせせらぎの音が、旅人の心を癒し、歩を進める元気を与えてくれたに違いありません。
ありがたいことに、ここ数年の道は行けども行けども花だらけで、素晴らしい出会いばかりが続いています。
神様、感謝します。
どうかもうしばらくこのすてきな旅を続けさせてください。
ぼく的には、辿り着きたい場所はまだ遥かにかすんでいますから。