2017年11月

庭のつれづれ

範囲を絞ると世界は広がる。

広い庭を隅々まで活かすには大きな意欲が必要です。それはなかなか困難なようで、大概は持て余してしまい、全体的にめりはりなく雑然としてしまうものです。
そんな時には居場所や見せ場を限定し、そこを見事に仕立て上げてください。範囲を狭めたその場所に楽しさや美しさが出現すれば、その他の場所は背景としての意味を持って庭全体に価値が生まれます。

もしもあなたが何らかの困難な課題を抱えてるなら、あるいは今後そのような局面に立たされた時には、全体を見て呆然とすることなく、最も重要と思われるワンポイント(あなたにとって本当に大切なこと)にフォーカスして、そこを中心とするほんのわずかな範囲にだけに額縁を設けて、その小さなカンヴァスにあなたが思う理想の世界を思い描いてください。



写真は無限に広い世界から
ある範囲を限って切り取る行為。
それをズームアップして
さらに範囲を狭めると、
不思議なことに心象世界が広がる。

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Yuming はファンのためでなく自分のために曲作りすると言い切ります。 これぞ範囲を狭める手法の究極。ぼくらはとかく SNS の「いいね」やフォロアー数を気にして、あたかもそこに生活の場があるかのように勘違いしてしまいがちですが、霊長類研究の山極寿一氏によれば、ヒトにとって適正な生活集団数は30〜50人(意思統一ができ、団体行動か取れる人数)で、社会構成は110人(名前と顔が一致する人数)だそうです。あまり帳場を広げ過ぎると、庭と同じく場を持て余し荒らしてしまう可能性がありますのでご注意を。

おこがましくも松任谷由実様に賛同します。お客様から「よくブログネタがつきませんねえ」と言われることがあり、たまに読み返せば自分でも驚くやら呆れるやら。でもなぜネタが尽きないかはわかっています。それは、体裁は広く間口を開けつつも、多くの場合はその都度のある個人に向けて、あるいは自分に向けて書いているのです。誰かに伝えたいこと、物申したいことは次々起こるし、自身への不満、要望、激励、注意喚起、動議発令となれば切りがなく出てきますから。
いち日の大半を庭の空想に費やしている者が夜の庭で綴る与太話の、一片でもあなたに届いて、光ったり震えたりすることがあれば、「これぞ音叉の共鳴」と無上の喜びでありまして、恐縮至極の有難き幸せなので御座候と姫路地下街懐かしく。常連ご贔屓筋の皆様、呆れることやら、異論・反論・オブジェクションやら、意味不明と首をかしげることもあろうと思いますが、そんな時には目を細めて薄ぼんやりとご覧いただくということで、どうぞ今後ともよろしくお付き合いのほどを。


 

庭のつれづれ

荒天か、好天か。

「天気」は英語で weather 。ウェザーには「色褪せる」「風化する」などの意味もあり「荒天」とも訳されるそうです。それに対して日本語の「天気」は そのままで「好天」の意味に使えます。と、これは暮れなずむ町の光と陰の中で仕入れた金八先生の受け売りなんですけど、なかなか興味深いことですよね。
この違い、英語を使う地域の人々は古来より天候に立ち向かいながら、日本人は晴天を喜びお天道様に感謝しながら日々を送ってきたことの表れなのでしょう。



この時期、
夜明け前は薄雲に包まれて
日中とは正反対に湿気が多い。
それが日の出とともに
ものの30分ほどでみるみる青空に。
飛行機から見れば、雲海の早送り。

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マルコ・ポーロは『東方見聞録』に「黄金の国ジパングには、勤勉にしていつも上機嫌な民が暮らしている」 とその印象を記しています。マルコ・ポーロが見たのは700年前の日本。以前墓所の設計をした横浜市南区の乗蓮寺に「尼将軍(北条政子)お手植えのカヤ」があり、そこの立て札に樹齢700年と記されていたと記憶しているので、頼朝が関東を治めてしばらく経った、つかの間平和でのどかさがあった時代の日本を見物して歩いたものと思われます。



上を向いて歩いていたら
皇帝ダリアの開花第1号を発見。
冬の始まり始まり。


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鎌倉時代と今とを比較して、今の方が物質的にはるかに豊かなわけで、それはもう地球上で類を見ないほどのレベルにあるのですから、せいぜい機嫌よく日出ずる黄金の国に暮らす幸せを味わいましょう。
「こんにちは」という挨拶は「今日は(こんにちは)いい天気でようございますねえ」という意味。出会う人出会う人に、こちらから晴れやかに挨拶する好天な心持ちが、好転を招くのだと信じつつ。





今日は「港南台店」にいます。




 

砕けた瓦

ひとりじゃないって すてきなことね
 
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私は此頃自ら省みて「私は砕けた瓦だ」としみじみと感ぜらるをえないようになった。私は瓦であった、自分から転げ落ちて砕けてしまう瓦であっだったのだ。
玉砕ということがあるが、私は瓦砕だ。それも他から砕かれたのではなくて、自ら砕いてしまったのだ。見よ、砕けた破片が白目に曝されてべそを掻いている。
既に砕けた瓦はこなごなに砕かれなければならない。木端微塵砕き尽くされなければならない。砕けた瓦が更に堅い瓦となるためには、一切の色彩を剥がれ、有らゆる外殻を破って、以前の粘土に帰らなければならない。そして他の新しい粘土が加えられなければならない。



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これは種田山頭火のエッセイ『砕けた瓦(或る男の手帳から)』に出てくる悔恨の文章だ。彼は職を失い、家を失い、家族を失い放浪の旅に出た。その失う経緯の背後か中心かは定かでないが、そこには常に嫌な酒の匂いがしていた。作品群から推測するに、いわゆるアル中だったことは間違いのないことだが、幸いにしてなのか不幸にしてなのか(アル中に幸いなどないのだが、後年こうして彼の自由句を味わっているぼくには幸運だ)、性格がとても女々しかったことによって、こうして後悔を噛み潰しながら歩けたのだから、牢獄暮らしか早々に病死することに比べたら増しだった言えるだろう。



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後年に天才と称される俳人に「女々しい」とはいささか失礼とは思うものの、別のエッセイ『雑記』を読めば、酒に対する考えのくだりから天才の女々しさを感じざるをえない。



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今年の私は山村庵居のよろこびに添えて、二つの望みがある。
好きなものは、と訊かれたら、躊躇なしに、旅と酒と本、と私は答える。今年はその本を読みたい。まず俳書大系を通読したいと思う。これが一つの望み、そして二つは酒から茶へ転換することである。いいかえればアルコールを揚棄したい、飲まずにはいられない酒を、呑んでもよい酒としたいのです。前者は訳なく実現されましょうが、後者は自分ながらあぶない。そこでまあできるだけ割引して、せめて酒に茶を混ぜたいと念じている(そんな無分別な考えを起こすなという悪友もある。じっさい、私にもそんな気がしないでもないのですが)。 



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どうですこの煮え切らない女々しさ。しかも両文章共に、その続きには主観的が過ぎる文壇への評論と、自分勝手に過ぎる不遇の身に至った言い分やら、言い訳やら、言い逃れやらが続いていて、そして毎度のこととして不出来な自分からの逃避の旅に出るというパターン。もしも彼の俳句に酔うことが楽しみという方は、俳句以外の文章(主に手帳に書きつけた日記的なもの)には手を伸ばさない方が無難な気もしている。
ぼく自身がかつてそう思ったのだ。なのになぜ今、この愉快でもない文章を書棚から引っ張り出したのかと言えば、ここのところ連日、朝一番の OHA!4 から酒癖の悪い横綱の醜態が大事件として報じられているからだ。その勢いたるや政治や芸能の狂気やら不倫やらを跡形もなく吹き飛ばす勢いで、まあそのような事柄は吹き飛ばしたほうがよいのだが、次に吹き込んで来た風もまた爽やかさを感じぬ酒臭いものであるのが残念至極。しかも、先場所などは渦中の相撲取りを、ぼくは名指しで応援していたのだからなおのことだ。





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日馬富士よ、よかったじゃないか相手の怪我がこの程度で済んで。もしも鍛錬を積んでいない素人衆だったら殺人犯になっていたところだ。相撲取りの現役などは人生のほんの一時のことなのだから、十分に悔いて、自ら割った瓦のかけらを粘土にまで砕き尽くして出直せばいい。あまた報道の中には、君の一途さや情熱的な来し方を評価する声もあるが、そんなものは酒でのしくじりの前には全く意味を持たない。君は言い訳のできない狂気に、一瞬であっても飲み込まれてしまったのだ。
横綱まで登り詰めた君のその胆力があれば酒を断つことなど容易いと思うし、誰でもその程度のしくじりは通過しているのだから必要以上に恥じることはない。悪童ドルゴルスレン・ダルワドルジに倣って、大いに後悔しながら君はダワーニャミーン・ビャンバドルジに立ち返ればいい。今は持って行き場のないその意識を、はっきりと明日へと向けるのだ。人生の本番は、まだまだこれからなのだから。



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この際、世の酒飲みに告ぐ、というか宣言しておく。
あなたが身の破滅を招くことを誰も止められない。あなたが地獄へと落ちない唯一の方法は自覚しかないのだということを知っておいてほしい。これが前置きで、宣言とは次の通り。
酒飲みが狂い出したらぼくは即刻逃げる。瓦を叩き割るならどうぞご自由に、としか言いようがない。ぼくにできるのはその瓦のかけらで、自分と、自分が愛する者たちが傷を負わないようにすることだけだ。



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やめたいけどやめられない、というのが依存症。患者たちはきっと「もうお酒をやめなさい」と何度も言われながら、有難くもそう言ってくれる人に向かって、愚かにも、繰り返し狂気をぶつけてきたに違いない。いつもそうだ。それが症の典型的な症状なわけだが、自分の愚かさを許容してくれるであろう者と自分よりも弱い者に対してのみ狂う。どんなにベロンベロンでも、悪魔のような冷静さで相手の強弱を見極めながら狂っている。それは端から見たら卑劣極まりない姿なのだということを、頭の隅に置いといてほしいものだ。脳内にまだまともな余地が、雑草だらけであっても手付かずの庭スペースが残っていればの話だが。



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今日は不愉快な話題でしたが、これもまた幸せな家庭を維持するのに重要なことなので、あえて。
もしも家族との晩酌が楽しみな方は庭でやったらいいと思います。外にいるとすこぶる楽しく酔えるし、近所の手前もあり、穏やかに会話が進みますから。





以前お庭をやらせていただいたソーシャルワーカーの方から、アルコール依存症者とその家族向けに、断酒会などの組織的なサポートがあることを教わりました。そのひとつに AA(アルコホーリクス・アノニマス / 飲酒で問題を起こす人たち)という自助グループによる集団精神療法があり、そこに『 AA-12ステップ』という依存脱却プログラムがあることを知り、読んでみたらとても理に適った内容だと思いました。ただし AA の発祥がアメリカであるためか、文章が直訳的で分かりづらく幾分宗教っぽかったので、ぼくなりに一般の日本人に馴染むよう書き直してみました。
もしかして自分はアルコール依存の領域に入っているかもしれない、という方向けに添えておきます。


AA-12ステップ

1、もう飲んではいけない、飲んだら不本意な人生に終わってしまうと自覚した。

2、酒に病んだ自分は立ち直れると信じた。

3、指導に従いアルコールを断つと決心した。

4、これまでの反省点を表にまとめた。

5、自分の過ちを認めた。

6、改善すべきことをすべて具体的に並べた。

7、どうか立ち直らせてくださいと祈った。

8、これまでに迷惑をかけてきた人、傷つけた人をリストアップし、その人たちに謝りたいと思った。

9、機会があるたびにその人たちに謝罪し、埋め合わせをする行動をとった。

10、反省を続け、くじけそうになっても即座にそれを打ち消した。

11、静かに考える時間を作り、立ち直ることを繰り返し念じた。

12、その確信を他のアルコール依存症の人に伝え、日常のあらゆることを「断酒後の幸福な暮らしのために」という理由づけで行った。

 
酒飲みの皆さん、おたくの庭に花は咲いているでしょうか。荒れ果ててはいないでしょうか。その庭の状態が、あなたのご家族の心の状態を映し出しています。
もしも庭が殺伐としていたら断酒会や AA の前に、あなた自身の労力を使って、その庭を花で埋め尽くしてください(何かから立ち直ろうとするときにとての有効な方法です)。そんな気も起こらないようなら、先々周囲を苦しめないために専門医を受診してください。すでに家族の痛みをわが身に感じることもできなくなっているあなたの力だけでは、きっとその地獄の入り口から引き返すことは無理ですから。
どうかお早めに。あなたが愚かに酔っ払って叩き割る瓦のかけらで(暴力だけでなく、絡みや暴言や奇行も含めて)、家族の心を傷つけないために、ことに子どもたちに辛い傷を負わせないようにと、心からお願いします。
誰に何を言われても、何度失敗を重ねても、酒にすがって、苦しんだ挙句に寂しくのたれ死ぬ道を選ぶなら、
くれぐれも周囲の迷惑にならぬよう、どうかあなたおひとりでお願いします。あなたは、これもその病に特徴的に、地球は自分を中心として回転していると思っているのでしょうが、それは症状による幻想だということも付け加えておきます。
では健闘を祈ります。もしくは、さようなら。





今日は「港南台店」にいます。

ああ、晴れ晴れとした気持ちで設計に入るために、今朝は薄暗いうちに森へと向かうことにします。





 

エロイムエッサイム

いやあぁぁ・・・、これえぇぇ・・・、どうしよっかなあぁぁ・・・と、ずいぶんと長いこと、何年もですね、迷いに迷ってですね、でもやはり皆様にはお伝えしといた方がいいのではないかと思い至り、書くことにしました。



里山の田んぼに
悪魔のようなあいつが。

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ぼくはこれまで住宅地を歩き回りながら、数十万軒の外構と庭を、庭者としての感慨を持って見つめてきたわけです。それでですね、ポストにですね、あるでしょ玄関先に。そこに「ある言葉」を貼り付けているお宅が、そうですねえ千軒に一軒くらいの割合で存在するんです。でですね、そのお宅の庭が、ああ、何と言いますか、つまり、呪われている感が漂っているのです。庭だけじゃなくて家全体というか、敷地全体というか、色がないというか、活気が感じられないというか、息がつまるような。よそ様の家に対して適当ではない言い方になりますが、やや殺伐としているというか。いろんな意味で少々きつい暮らしをされているのかなあと、そんな感じがして仕方がないのです。



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その言葉というのは「チラシお断り」。
何ででしょうねえ、ほぼ例外なくそんな雰囲気が漂っちゃっていて。この現象に気づいているのはぼくだけではなく、訪問販売とか、訪問看護とか 、配達業務の人たちの間では知れ渡っていることなわけですが。
逆に「ご苦労様です」や「ありがとうござます」と貼ってある家からは、何が起こっても幸せ方向に展開するだろうなあという、有難い光明が発せられているように感じます。



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さあ、急いで、呪いの言葉が貼られていないかポストをご確認ください。
おっとその前に、悪霊から身を守るために全身にくまなく般若心経を書き付けてから。そうそう耳にもお忘れなきように。芳一みたいに耳を食いちぎられてはいけませんので。
アロイムエッサイム、エロイムエッサイム、悪霊退散!



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エロイムエッサイムとは悪魔払いの際にその悪魔を呼び寄せるための呪文(映画『魔界転生』で天草四郎役のジュリーが唱えていましたよね)。その正体を見極めたら勇気を振り絞って、喝!と、即刻縁を断ち切ってください。



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犯人の加門良は、
横浜山下町で小さなバーを営む元刑事で、
裏では男娼の顔を持つ悪魔。
群がる女たち、
三億円の現金、
時効間近の彼を追い詰めてゆく刑事。
自分の余命が少ないことを悟った悪魔は・・・
「悪魔のようなあいつ」、
「のような」、ということはつまり、
彼はほんの少しだけ悪魔になりきれなかったのです。
空前の視聴率をとったドラマの主題歌がこれでした。









今日、天使のようないわふちは「港南台店」にいます。「の、ような」ですが。 




 

庭のつれづれ

ヒーリング チューニング

こんなにいそがしいのに、何でカメラ片手に森をほっつき歩いているのかと思うことがあります。
しかし設計に入ると、森を歩いたからこの発想と集中力が得られているのだという実感があります。
ピアノの調律みたいなことなのでしょう。



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癒しとはなんぞや。
そは麻酔で人を眠らせてから
傷んだ心を介抱するメラトニン、
新鮮な明日のために寝室へと誘う
ゴールドベルクのアリア。







 

日出ずる国に生まれ出ずる悩み

日出ずる国に生まれ出ずる悩み。はてさて、この庭をいかにすべきかと。



咲くも実るも色づくも、今のうち。

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人は悩まない方法を心得ています、それはその対象を無視することです。視界に入れず、話題に上らせず、時々は思い出すものの、まあ私には関係のないことと思考を途切れさせる。それは平静を維持するための知恵であり優れた柔軟さであるとも言えます。 
ただ、庭くらいは真っ直ぐ見つめて、そこにユートピアを想像し創造足らしめるほどの積極的な胆力を持たないことには、人生の何もかもから軟弱に逃げ続けることとなりはしないかと。



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実際、散々と逃げ惑った末に自ら退場してゆく者は限りないわけです。自らでないにしても、立ち向かうという姿勢のないままに時間切れとなる人も少なからず。
訃報を受け取ることが増える年齢となり、その度に空行く雲か、地面に揺れる草か、どこかしらに焦点を合わせては「きみは、それで満足できたんだろうか」と、「あなたは大した悔いを残さず終えたんだろうか」と、強く口を結んだままで叫んでいます。



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明日ありと 思う心の仇紅葉
夜半に嵐の吹かぬものかは



庭くらいは真っ直ぐに見つめて、見据えて、そこにユートピアを想像し創造するほどの積極的な胆力を。庭ごときに怖気ているようでは、生まれ出ずる悩みからも逃げの一手以外なくなってしまいますから。
と、つらつらと、遠方で無念のエンドロールとなってしまった友の冥福を祈りながら、ご家族の未来が花いっぱいであることを願いながら、お悔やみに行けなかったことを詫びつつ、悩みなど微塵も持たぬ顔で、先になり後になりしながら越後の山の頂を目指し歩いたあの日のことを思っています。

あっけらかんと言う、ぼくはまだそっちへは行かないよ。まだまだだ。横浜で、おまえも知っての通りのわがまま振りのまま暮らしているので、悔いにまみれて終りたくはないという、最大のわがままを通すためにね。
それがすっかり済んだ後に、出会いや、別れや、武勇伝やら間抜けだったことやら、土産話を山ほど持っておまえを訪ねることを約束する。物知りの坊さんの話によれば、そっちの世界には悩みも痛みもないそうじゃないか。それをうらやむわけでなく、まだ悩み続け、痛みを感じていたいと願っているのだが、でもそっちのそういうシステムなら、おまえの早すぎたという悔いも消え去っていることだと思う。
どうだろう、これも坊さんの話によるものだが、そっちの世界にもしもそういう役回りがあるならだが、おれの背後霊をやってもらえないだろうか。そうすればいつでも、夜の庭で話ができるじゃないか。おれの背中にとりついて、残り時間のマネジメントと監視役をしてもらえないだろうか。たまにでいいから愚痴を聞いて欲しいし。家庭を持ってから人並みを超えて猛烈に働いたというおまえが、まだ仕事をしたいと思えばの話だが。
冗談だ。そんなことしていられないほど、きっとそっちは満ち足りているんだろうから、せいぜい楽しんで、その合間に、次もまたおれと同じ時空に生まれる段取りをしといてくれ。おまえが嫌じゃなかったらだが。じゃあ、また会う日まで。
おっと、言い忘れるところだった。いろいろと、ありがとな。





小説や詩には全体十割の一分ほどに当たる文字数にメッセージが込められ、他の九割九分の言葉がその補足というものがあります。それならばと、最初から前書きやエンディングや後書きから、その一分だけを探し出して読めばいいのかというとさにあらずで、補足にこそ物語があるのですから横着をしてはいけません。
昨晩、「若きウェルテルの悩み」を連想させる題名に惹かれて、有島武郎の「生まれ出ずる悩み」を読んでみました。九割九分は読まないよりは読んだ方がいいかなという内容で(ぽこっと空いた穴から吹く風を塞いでしまおうという、寂しさ紛れの動機だったせいかもしれません)、一分は時間を割いて読むに値するものだという感想。故に横着をして、一分に当たる二カ所を抜き出し書き留めておくことにします。ぼく経由のあなたへのメッセージとして。


君、君はこんな自分勝手な想像を、私が文学者であるということから許してくれるだろうか。私の想像はあとからあとからと引き続き湧いて来る。それがあたっていようがあたっていまいが、君は私がこうして筆取るそのもくろみに悪意のない事だけは信じてくれるだろう。そして無邪気な微笑みをもって、私の唯一の生命である空想が勝手次第に育ってゆくのを見守っていてくれるだろう。私はそれをたよってさらに書き続けてゆく。


そして僕は、同時に、この地球の上のそこここに君と同じ疑いと悩みを持って苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ。このせつなる祈りの心は君の身の上を知るようになってから僕の心の中にとこに激しく強まった。
本当に地球は生きている。生きて呼吸をしている。この地球の生まんとする悩み、この地球の胸の中に隠れて生まれ出ようとするものの悩み、それを僕はしみじみと君によって感ずる事ができる。それはわきいで跳ね踊り上がる強い力の感じをもって僕を涙ぐませる。
君よ! 今は東京の冬も過ぎて、梅が咲き椿が咲くようになった。太陽の生み出す慈愛の光を、地面は胸を張り広げて吸い込んでいる。春が来たのだ。
君よ、春が来るのだ。冬の次には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし・・・・僕はただそう心から祈る。


ぼく経由のメッセージを受け取ってくれたあなたに、今度はぼくからとして繰り返します。
咲くも実るも色づくも、今のうち。今でしょ。今ですよ、今。




 

庭のことだま

咲き時を知るしたたかさ。

住宅地に極端に花が少なくなるこの時期にバラは咲きます。女王様は、代々受け継がれ躾けられた帝王学によって、咲き時を知っているのです。
とはいえ散歩道にバラなどは咲いておらず、キョロキョロと花を探したものの見当たらず。こんな時には、と心得たもので、足元に咲く雑草にフォーカスしました。



雑草の皆様、
派手目な園芸品種が少ないこの時期こそ、
いつも地道で、可憐にしてしたたかな、
あなたの出番ですぞぉ。

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普段よりも少し気張ったオシャレをして、
颯爽と元町辺りに繰り出しましょう。
花は、虫に見られてこその花ですから。
木枯らしに抱かれて出会いは風の中。
君は薔薇より美しい。



みんなの前で頑張った花は、誰もが知っている花になる。
誰も知らないところで頑張った花は、見たこともない花になる。

詠み人知らず





今日は「金沢文庫店」にいます。




 
 

庭の法則


隠れると安らぐ。


人は物陰を好みます。林の中や壁際や、晴れた日の樹の下などはことさらに。
その理由はぼくらが猿だから。草原で暮らすインパラやトムソンガゼルは、周囲に遮蔽物があると
その物陰に肉食獣が潜んでいる気がして落ち着けません。森で暮らす猿族は逆で、岩陰や茂みに身を隠していないと落ち着けないのです。
庭を室内と同じく安心できる場所として成立させるために、樹木やトレリスやパーゴラを使って「隠れる心地よさ」を演出してください。



横を向いても見上げても
何かに目が当たるように仕立てることで、
庭の認識が平面(地面)から空間へと変化し、
そこに出て時を過ごしたくなります。


樋口邸 Before

樋口邸Before


After

After



石井邸

石井邸


栗原邸

栗原邸


石丸邸

石丸邸


藤木邸

藤木邸


中山邸

中山邸


 



 

Graceland Style『人がいてこそ庭』

人がいてこそ庭。

庭は植物のためでなく人のための場所。
バラも木々も脇役で、そこでの主役はあなたです。



庭は、植物は、人を映します。
色づく葉の色も
見る人が色づかない状態であればただの枯葉で、
それに魅了されることなどないのですから。
草木を風景の主人公と感じる時、
あなたは紛れもなく
その風景の中で主役を張っています。

 
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何事においてもその自覚を失いませんように。何が起きてもその座を明け渡すことなかれ。
主役を食うバイプレイヤーという道もありますが、それもまた強烈な主体性のなせるわざ。
やがて散るゆく一葉の身なれど、その一瞬が来るまではまでは、誰もがみな主人公。





与太郎

ぼくがかの同居人と暮らし始めてより幾星霜、当初から彼女の行いで気にくわない事柄がひとつありました。それは仕事やら何やらで彼女がパソコンを操る時に、いつもその脇にコーヒーカップを置く癖があること。もしもひっくり返したらとんでもない事態になると、その惨状を思い浮かべては肝を冷やしていたのです。
もちろん何度も嗜めました。だがしかし、そのような進言に耳を貸すような質の女ではなく、それどころか返事もせずに微かに鼻で笑いつつ、内心意地でもその習慣を崩すものかという反発の感情が湧いていることが、空気の振動で伝わってきます。
「まあいいか」と、そもそもはぼくが持ち合わせていないその豪放さ故の恋心でもあったので、仕方のないことであると諦めるに至り、そしていつしかそんな危惧も、平成なる暮らしに紛れて消え去っていたのでした。 



昨日、富士が雪化粧。
里はといえば晩秋から初冬へのバトンタッチで、
日増しに風が冷たくなり、空気は乾燥してゆきます。
散歩道の花も選手交代の時期で、
コウテイダリアが咲くまでの少しの間、
色づいた葉っぱが風景の主役です。

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昨晩のこと、いつものように読みかけの本とパソコンを携えて庭の書斎へと。厚着にビーサンというちぐはぐな格好なれど、よく歩いて火照った足に風が心地いいのです。その至福の演出のひとつとして、近頃お気に入りのバーボンを舐めるというのが通例となっているのでそれも用意して。もちろんグラスは用心深くパソコンから離して置いています。
事件というのは、いつも突然に襲いかかってくるものです。テーブルのかたわらでくつろいでいた猫のミーが、昆虫か鳥か、はたまた季節外れの幽霊か、何かに反応して跳ね動いた拍子にグラスを蹴倒し、狙い定めたごとくの見事さで、グラス一杯のウイスキーのほとんどがパソコンのキーボードに降ったのでした。



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瞬時に思ったことは「データが!」で、次にはパソコンの値段とデータ復旧にかかるであろう金額。危機に際してとっさにお金のことを考える小心な自分を追い越す素早さで登場したもうひとりの自分が 、アルコールでびしょ濡れになった物体を手に取り逆さに振って水分を払い、次いでテーブルに常備してあるティッシュボックスから素早く5回引き抜いて拭き取り作業をし、どうやらまだ正常に稼働しているようなので、急ぎシャットダウンの操作をしました。
その後、薄い機械箱の内部まで乾燥するようにと遠目からドライヤーを当てまして、不安なまま数時間放置してから恐る恐る起動。ぼくはよほど運が強いのか、はたまたマッキントッシュの構造が優れているのか、今のところ不具合は起こらずに動いてくれている次第です。



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誰が言ったのか、あるいはどの本に書いてあったのか、「何も心配することはありません。あなたが心配していることなど起こりません。不幸な出来事は、いつも予想だにしない時に、信じられない方向からやってくるのですから、心配しても仕方ないのです」という言葉が浮かびました。
豪放な妻は一度もカップをひっくり返したことがないわけで、ぼくが長年その光景に肝を冷やしていたことは全くの無駄であったわけで、それどころか苦言を呈していた自分の方がその憂き目にあったのですから、曰くやれやれとはこのことです。



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しかして今後はこれを教訓として細かいことは気にせずに、というわけにいかないところがA型の悲しさでありまして、「やれやれ」はため息混じりの「はてさて」に。 
流れる雲に見え隠れする月を見上げつつ、深慮遠謀、静止熟考を重ねた末に、まあ何事にもハンドルの遊びといいかますか、余裕といいますか、そういう意味での心配事のひとつやふたつを抱えていた方が、その重みで浮き足立たずに暮らせるであろうという結論に至った次第です。ただし、これからはほどほどにと。あまり細かいことにきちきちしていると互いに息苦しいし、というか、先方は意に介さずのスタイルであるからにして自分が息苦しくなるだけなので、だから今後は努めていい加減さや浅はかさの能力を開発しようと、つまりは鈍感力に秀でた与太郎な宿六でいようと、その点はA型ならではの生真面目さで、己を厳に戒めたのでした。



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いくらだい?

ええっと、具入りで十六文でごぜえやす。

銭が細けえんだ。お前さんの手に置くから、そこに手え出してくんねえ。

へい、これに願います。

十六文だったな。ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、今何時だい?

よつ(四刻)で。

いつ、むー、なな、やー、ここのつ・・・・




 

庭のつれづれ

卵・鶏問題

幸せだから花が咲いているのか、花が咲いているから幸せなのか。
何れにしても花と幸せには正の相関がある。

気分がいいからカーテンを開けるのか、カーテンを開けるから気分がよくなるのか。

楽しいから庭に出るのか、庭に出るから楽しくなるのか。

幸運な人が庭を得るのか、庭が人を幸運へと導くのか。

庭ですよ、庭。



出勤前途中、少し遠回りをして
初冬の森を行く。
うつむけばカサカサと鳴る寂しい枯葉道、
見上げれが空に映える葉の光。
思いっきり見上げて背を反らせたら
開いた胸に入ってくる、
冷えた空気が心地よし。

折しも今日11月9日は「いい空気の日」だそうな。

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幸せになりたいから歩くのか、歩き続けるから幸せになるのか。
何れにしても進むことと幸せには正の相関がある。

立ちどまるなふりむくなあなた
ちぎれた糸をたぐってはいけない
誰かがブルース口ずさむ道を
コートの衿をたて走ってゆけよ

この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる
迷わずゆけよ 行けばわかるさ

この道はいつかきた道
ああそうだよ
あかしやの花が咲いてる
この道はいつかきた道
ああそうだよ
さんざしの枝もたれてる

中国三大思想のひとつである老荘思想を核とし、アミニズムや易学を融合させ、森羅万象に倣う無為自然を目指す思想がタオイズム。
タオとは道のことです。
今日も歩を進めましょう。行けばわかるさ。





今日は「港南台店」にいます。 





 
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