2018年02月

はなまるマーケット

子どもの頃、お絵描きをすると花マルってもらったじゃないですか、赤鉛筆の一筆書きで、お日様ぐるぐるの周りを花びらが囲んでいるやつ。それが幼心にとってもうれしくて、調子に乗って絵を描きまくった記憶があります。ぼくは無口で地味で引っ込み思案な少年でしかたら、お絵かきの花マル以外にあまり評価を受けた記憶がなく、だから人一倍うれしく感じたのだと思います。そのはなまるのご利益か、今はこうしてお絵描きで暮らせるようになりました。よく「ほめて伸ばせ」と言われるように、ほめの効果は絶大なものです。



ウメもバラも、何の花であっても
ほめるとよく咲く、
という現象は確かにあります。


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この「ホメホメ大作戦」がここ10年のトレンドだったわけで、あっちでもこちでもほめろほめろと言われたり書かれたりしてきたわけです。どころがです、健康法やダイエット法と同じで、流行ると必ずアンチテーゼが出てきます。リンゴ、バナナ、納豆、古くは紅茶キノコ、最近だと炭水化物抜きダイエットとか。ぼくなんかすぐに乗っちゃってですね、炭水化物抜き、やり出すと何でも夢中になる熱中症なもので、あっという間に7㎏減となりました。こりゃあ効果てきめんとよろこんだところに「血管系の病気になりやすい」とカンカンカンと警鐘が鳴り響きまして、おまけに大阪で、それが原因と思われる重大な交通事故が起こったものですから、はい、ダイエットはそこで終了となったわけです。考えたらバランスが悪い食事で体重落としたらどこかしらおかしくなりますよね、と遅ればせながらの当たり前な結論に達したのであります。



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もうひとつ、オキシトシンもそうでした。いわゆる幸せホルモンのひとつとされ(母乳をあげている時や、人や動物との触れ合いによって分泌される)、愛情の源でありストレスを緩和し体調が整い社会性が高まり云々と、万能薬扱いだったのが、ここに来て過剰な分泌が排他性と攻撃性を高めて、モンスターペアレントやコミュ障の原因になると、正反対のことが言われ始めました。これらは「わが子を護りたい」という母性の高まりが、思考よりも感情側に出てしまったがゆえのことなのでしょう。また自分に対して好意的に振る舞う人をむやみに信じてしまう傾向があり、正常時ならあり得ないような詐欺被害にあったり、どう考えても怪しい団体に引きずり込まれたりしますのでご注意ご注意です。



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何事も程が大事なわけです。で、「ホメホメ作戦」ですけど、これもこの頃、その弊害が言われています。要約するとですね、ほめないと何もしなくなる。さらに進むと、以前ほめられていたことがほめられなくなった場合に、目標というか、気持ちの拠り所を失って無気力になったり、何でほめてくれないんだと欲求不満に陥って突然切れたりするとのこと。それとほめられ癖でバランス保って育った人は、男性の場合はマザコンに、女性の場合は怪しいはなまるマーケットな人たちにまんまと騙されやすなど、アンチとなれば怒涛のごとくな状況となりまして、これまた当たり前ですけど、ほどほどの、という結論に至った次第です。



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トレンドと離れて経験則で言うならば、本当にほめたい時にだけほめて、つまりはほとんどほめずに、本人に自分で自分をほめるたくましさ(自己肯定感)を持たせるのがベストなんじゃないかと。かく言うぼくなんかですね、女房をはじめ、他の家族も、職場でも、誰もほめてくれないもんだから、毎晩庭に出ては、よっ天才!あんたはエライ!あんたが大将!いやあ大したもんですなあ!と、自分をほめてほめてほめちぎって、明日の設計への自信を捻出しているのであります。



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とてもありがたいことに、お客様だけはいつもいい具合にほめて伸ばしてくださるのでそれでいいんですけど、とは言うもののぼくの場合、花マル効果が出やすい体質にして慢性的にほめられ不足につき、弊害の心配はございませんので、もっともっとバランス欠いてひっくり返るくらいほめていただけると、神がかり的な才能が開花すると思っているのですが。
特に女房殿、年に0.5回じゃなく朝昼晩と日に3回とか、どうぞご遠慮なさいませんように。ぼくの才能開花はあなたの幸福に直結するのですからにして。





今日は金沢文庫店にいます。





 

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アホちゃうか。
 
関係ないね。
 
ホナ、サイナラ。

ずっと内緒にしてたんですけど、この三つの台詞を脳内で使うととても身軽になります。「アホちゃうか」は主観を持つこと、「関係ないね」は課題の分離、「ホナサイナラ」は整理整頓です。
何でもかんでも背負い込んどったら、重くて身が持ちまへんわいな。
軽やかに、軽やかに、ゴーインマイウェイや。



これ、何とも軽やかで好きなんです。
霊性画家にして冷静主婦の
精霊シエルさんが描いてくれました。 

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ぼくがホナサイナラとなった時には
遺族となられる皆様、
遺影はこれでお願いいたします。


あるいはこれで、

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ということで、ヨロシク。



軽やかなラブソングをぎこちなく歌うエルヴィス。





これは当時のアメリカで最高に権威があったテレビ番組、エドサリヴァンショーのものです。エルヴィスは PTA から「腰の動きがいやらしい」と非難を浴びていたため、番組出演にあたり、プロデューサーからアクションをしないようにと釘を刺されていました。それに加えて演奏中は上半身しか映されなかったという、ロックンロールの歴史を語るときに欠かせない、伝説となっている映像です。





今日は港南台店にいます。
 


 

庭夜話

ロングロングタイムアゴー、イザナギとイザナミが日本列島をおつくりになってしばらく経った頃の出来事です。出雲の国にナムジという男がいました。彼はスサノオの六代目の末裔という身分でありながら、内気でやさしい性格だったためか、数十人いた異母兄弟たちからパシリ扱いされていました。
ある時兄弟たちは、因幡の国に移り住もうということになり引越しの旅に出ます。そのお目当ては因幡にいるという美しい姫君です。一同はナムジに荷物を背負わせて、姫君のことなど話しながら愉快に歩いてゆきます。
岬の突端の浜辺まで来たところで。丸裸に毛をむしられ傷だらけでうずくまっているウサギに出会いました。兄弟たちは互いに悪い目配せをし、ウサギに言いました。

哀れなウサギよ、海水で身を清めてから日光浴をするが良い。さすれば傷は治るであろう。

ウサギは言われた通りにしましたが、治るどころか海水が乾いて塩となり、全身が燃えるように痛み出し、悲鳴を上げてのたうちまわりました。その様子に大笑いをして、兄弟たちは行ってしまいました。

持たされた荷物入れた大きな袋を肩に掛けて、遅れてやって来たナムジは泣いているウサギを見つけて立ち止まりました。

おお、なんとひどいことだ。

これはきっと天罰です。私は海を渡りたいばかりにサメたちを騙しました。だからバチが当たったのに違いありません。私は己が愚かな行動を悔いながら、このまま命を終えとうございます。

何をおっしゃるウサギさん、罪の報いはもうそれで充分だ。早く傷を癒して、今度は正直者になって、他の者たちの役に立つよう暮らしなさい。


兄弟たちから蔑まれながらも勉強好きで医療の知識を持っていたナムジは、衰弱しているウサギにこう続けました。

あっちの小川の水で丁寧に体の地と塩を流してから、河原に生えているガマの穂を叩いて綿毛をたくさん集めなさい。それに包まって養生をすればきっと良くなるよ。



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ウサギはナムジの言葉に従いそのようにしたところ、たちまち傷は癒え、もとの美しい白ウサギになりました。ナムジはそれを見て安心して笑い、兄弟たちを追って歩いてゆきました。
小さくなってゆくその後ろ姿に向かって、ウサギは何やら予言めいたことを叫びます。

あなた様こそが姫君の心を射止めることでしょう。

予言は的中します。因幡の国に到着してほどなく、ウサギとのエピソードが国中の話題となりました。実はウサギには文春に知り合いがいて、ネタとして提供したのです。時の人となったその男の心根のやさしさに惹かれた姫君は、言い寄る他の兄弟には目もくれず、ナムジを結婚相手に選びましたとさ、めでたしめでたし。とはいかなくて、その後パシリのナムジの幸運を妬んだ兄弟たちにより、二度もひどい殺され方をして(二度とも母の愛情による奇跡で生き返りました)、紀伊の国まで追われ、さらに執念深く迫ってくる兄弟たちから逃れて、とうとう根の国にまで行ったのです。

根の国とはナムジのひい々々々々爺さんに当たる、現世を取り仕切る大神であるスサノオが暮らす、地中深くにある神の国です。そこまでゆけば、きっとスサノオが助けてくれるに違いないと思い、すがるような気持ちでたどり着いたものの、ああ何ということでしょう、頼みの綱のスサノオによって、そこでも散々な目にあいます。最初は毒蛇がうじゃうじゃしているの部屋に閉じ込められ、次は蜂とムカデの部屋に。何とかその窮地をクリアしたと思ったら、次は林の中に行くよう命じられ、その林ごと丸焼きにされそうになったり。しかしそれはスサノオがナムジを試していたのでした。理不尽な試練に耐えたナムジの辛抱強さと誠実さ、そして運の強さを確認したスサノオはこう言いました。

ナムジよ、お前をワシの後継者に指名する。今日からお前は大国主の神と名乗るがよい。さっそく出雲に帰って、そこに天まで届く大神殿を建てなさい。

こうして出雲の国は愛を叫ぶ世界の中心的な場所となしました。あれほどナムジを憎んでいた兄弟たちもスサノオが後見人となれば、長いものには巻かれよとばかりにひれ伏して、その支配下に入りました。やがて他の国々の長も人望厚き大国主の神に従い、ついに彼は、地上世界を支配する最初の神になりましたとさ。

それから幾星霜、四国に現れた若き異端の僧侶、空海が、大陸に渡り持ち帰った密教思想に登場する大黒天(マハーカーラ:偉大なる暗黒の神)を、人々は大国主の神と重ね合わせ大黒様と呼び、福の神として信仰しました。兄弟たちに押し付けられた引越し荷物、肩に担いていた袋には七つの宝が入っていると言われています。寿命、人望、清麗、威光、愛嬌、大量。不本意ながらもそれらの宝を背をっていたからこそ、ナムジはウサギを助け、伴侶に恵まれ、生田の苦難もしのげたのです。
気がつきましたでしょうか、七つの宝のはずが、ひとつたりません。これが日本神話の特徴的なところでして、神々は完璧な存在ではなく、いつも何かひとつ欠落しているのです。あるいはひとつ余計だったばかりにとんでもない事件に発展したり、覗いちゃダメよダメダメって言ってんのに携帯見ちゃったり、山彦は海彦の大事な釣り針無くしてしまうし、タケルもねえ、強いしカッコいいし、いいヤツなんですけどねえ、人格が一ヶ所だけ破綻しちぇってるというか・・・。イザナギとイザナミに始まり、アマテラスとスサノオ、現在のぼくらに到るまで、男女にはひとつの欠点や、ひとつの失敗や、余計なひと言や、そういった「ひとつ」によって引き起こされるごたごたが続いています。

私見です。思うにこれは最初の間違いが尾を引いているのではないかと。イザナギのひとつ余分なところとイザナミのひとつ足りないところを合わせて、この世に神を誕生させるというあの儀式、一度めは段取りを間違えてしまいます。その結果イザナミは骨のないぐにゃぐにゃな子(蛭子の神、後に恵比寿様として祀られる)を出産するわけですが、ふたりはその不具の子を葦の船に乗せて海に流し棄ててしまうのです。そして何事もなかったように二度目からは正しい段取りで交わり、順調に神を増やし、八百万と言われる神々の国をつくり上げるわけですが、ぼくはですね、最初の子と共に七番目の宝が失われてしまったのではないかと推測しているのですが。
寿命、人望、清麗、威光、愛嬌、大量、さて、足りないあとひとつの宝とは何でしょう。お分かりですよね。八百万の神がおわす国に暮らすすべての者には、それを探すという修行が課せられているのかもしれません。どうかたくさんの人が、夫婦が、恋人たちが、最後の宝を見つけ出し、物語がめでたしめでたし、となりますように。



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庭で月を見上げながら、改心したあのうさぎが月に移住して、正しくあれと、やさしくあれと、頑張れ頑張れと、ぼくらを見守ってくれているのかもしれないなあ、などと。





今日は金沢文庫店にいます。



 

コノハナノサクヤヒメ

すっかり夜明けが早くなり、出勤前の、寄り道、横道、散歩道は陽を浴びながらとなりにけり。薄暗い頃は足元を見ていたのに自然と顔が上がるのだから、人も花のようなものだなあと思いながら、歩速が上がり息上がる。
里山の、誰も立ち入らない奥の方で枯れ残ったアジサイが光っていた。近づいてレンズを向けると、ああ、枯れ花も人知れず春をことほぐ様子なり。



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アマテラスの孫ニニギノミコトは、散歩途中で出会ったコノハナノサクヤヒメに一目惚れをしプロポーズをしました。こりゃあ玉の輿じゃわい、とよろこんだコノハナの父オオヤマツミはニニギに言いました。それでは姉のイワナガヒメもセットで嫁がせましょう。コノハナは次々と花が咲く繁栄を、イワナガは岩のような永遠の命をもたらします。しかしニニギは容姿に劣るイワナガヒメが好きになれず、コノハナノサクヤヒメとだけ結ばれました。それに怒ったオオヤマツミ親父の呪いによって、いやあ、あな恐ろしきは娘の父の逆鱗に触れることなりでして、ふたり末裔の神々、その遠い子孫である私たちの寿命までもが儚いものになりましたとさ。



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ニニギノミコトのわがままは自然な成り行きなれば、責める事などできますまい。そのおかげで私たちは、制限時間内に花咲かせようとする性質となり、平昌でも繰り広げられている命を燃やす感動が得られているのですから、良しとせねばなりませぬ。



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よくよく見れば中の方に新芽がちらほらり。



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茂みは寒さを凌ぐ産屋だったんですね。



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光を受ける、枯れ花のうれしそうな顔に合点がいきました。





今日は港南台店にいます。




 

庭のことだま

春を待つ手紙。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」忘れていた言葉がよみがえった。
季節は今までの遅れを取り戻すかのように、急速に進み始めた。鳥はさえずり、周囲の緑は、病室の中までも爽やかに色づかせた。そして、そこにあるお前の匂い、呼吸、ほほ笑み、平凡な会話、後には何も残らないような毎日が、この上なく幸福であった。 堀辰雄『風立ちぬ』より



陽だまりでは、春の揺らぎがすぐそこに。
ある日突然、春を待つ人からの手紙あり、
その言の葉は温かし。 
恋(いと)しさと、切なさと、心強さと、
ありがたきかな遠きもとかの。
ありがたきかな遥かなる山の呼び声。

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直子より

追いかけました あなたの姿だけ
幼いあの頃の想い出あたためて
あれから幾年 友さえ嫁ぎゆき
その日を待つように父母も逝きました

人間だから求めてしまうけど
それこそ悲しみと知ってもいるけれど


俊一より

変わらぬ心を素直と呼ぶならば
オイラの気持ちは最終電車だろう
涙を見せると足元がフラフラリ
女々しくなるまい 男の意気地なし

時間が僕らに別れをすすめてる
このままいることで 寒い冬越えられぬ


直子より

約束なんて破られるから美しい
誰かの言葉が身体をかすめます
あなたはあくまで男でいてほしい
私を捨てても あなただけ捨てないで

傷つくことに慣れてはいないけど
ましてや 他人など傷つけられましょか



俊一より

夢またひとつ二人で暮す街
通り通りゃんせ オイラだけ通せんぼ
これが最終のひとつ前の便りです
春には小川に 君の櫛流します

待つ身の辛さがわかるから急ぎすぎ
気付いた時には月日だけ年を取り

誰が誰かを恋しているんだね
それは当てのない遥かな旅なんだね
旅する人には人生の文字似合うけど
人生だからこそひとりになるんだね

ここでも 春を待つ人々に逢えるでしょう
泣きたい気持ちで 冬を越えてきた人






今日は金沢文庫店にいます。
 

 

来客招運

来客の多い家は幸せになるという定説があります。だからそういう庭を、という思いも込めて「集う庭」を設計しているわけです。



ウメの印象に隠れてしまいがちな
冬物語のダブルキャスト、ボケの花。
花言葉は「平凡」で、由来には
「丈夫で小ぶりな木だから庶民の小さな庭でも育てられる」
 というニュアンスが含まれているそうな。
古来より、庶民は狭い庭を楽しんでいたのですね。
 

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 その来客招運説を実感する現象があります。それは、お客さんがあるときには奇跡のように家が片付くということ。いつも人が集って常に片付いていたら、そりゃあ幸せになりやすいに決まってますよね。



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こんなこと公表してはいけないと思いつつ言っちゃいますけど、女房は掃除が、苦手なのか嫌いなのか、もしかしたら信仰上の理由でもあるのかいなと思うほどなのです。ところが誰か遊びに来るとなったらさあ大変、本郷猛か一文字隼人かはたまた大魔神か、ヘンシン!となり、お掃除大作戦を敢行するのであります。



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昨日仕事中に娘からメールが入りまして、「美空とお宅に来てるんだけど、今夜家まで送ってくんない?」と。お宅って、そうかあ、そうだよなあ、お宅になっちゃったんだよなあと思いまして、そんなこと思っても仕方のないことなので気を取り直しまして、当然すぐに店閉めて帰宅して、美空ちゃ〜んと抱っこしたらものすごく泣きまして、娘が「あらあら、きっとお腹が空いているのよ」とおっぱいあげまして、じゃあゲップちゃんしようねぇとぼくが抱っこしたらまたもや泣きまして、火がついたように泣きまして、娘が「ミソちゃんその人はね、何でも買ってくれるんだから泣いてはダメよ」と諭しても、手をぼくの顔に突っ張って、頑強にそっぽを向いて泣きまして、まあいっか、これも成長の過程であると思いまして、娘に手料理の冷凍を持たせまして、途中イトーヨーカドーで離乳食用のすり鉢と国産のカボチャとサツマイモとホウレンソウとカブと、娘のところの犬たち用のササミを買って持たせまして、帰宅して、庭に出ていつもの時間を楽しんでからトイレに入ったら、アッと驚く為五郎、トイレの神様降臨かと思うほどピッカピカに掃除してありまして、急に、ものすごく寂しくなったのでした。そうかあ、娘はもう本当にお客さんになってしまったんだなあと。



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花咲か爺さんは、とぼとぼと山へ柴刈りに行きたくなったのでありました、とさ。めでたしめでたし。





今日は港南台店にいます。
 



 

バルトークピチカート

ぼくは気に入ったことを繰り返す。気に入った本は三回読むし、気に入ったラジオ番組のいくつかは二十年以上聴き続けているし、テレビではここ数年、小さな旅と探偵ナイトスクープとホンマでっか!?TVを欠かさない。朝晩庭に出て過ごすことはもうすぐ七年、友人に半ば強引に勧められて始めたこのブログはいち日も欠かさずとうとう十二年だ。
冷めない、なかなか冷めない、どころか、繰り返すほどに熱を帯びてくる。しかしそれは執念深いわけではない。根性があるとか、そういう類いのものとも違う気がする。執念も根性もどちらかといえば薄い方なので、幼な子が同じ絵本を何度も読んで欲しがるような、単にそういう性格か、あるいはまさしく幼いのかもしれない。頑固という人もあるがそれとも違う。なんというか、反復が楽しいのだ。



早朝の山陰でススキが凍りついていた。

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なんと冷たい試練であろうかと足が止まったが、
立ち尽くす頑固ジジイにも朝日が射してきて、
みるみる溶けて和らいで行った。

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何を思うか枯れススキ。

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やむなくばったり倒れるその時までは、
武蔵坊の気概で立ち続けよとエールを送る。

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さすればその頑固成分が、
三寒四温でシェイクされ、
この山のいい肥やしになることだろう。

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自然の冷たい試練かと思いきや、
瀬上池まで行って戻ってきたら、
すっかりご機嫌に春めく陽射しを浴びていた。




性分とは別に、宇宙には慣性の法則があり、その物理的な決まりごとが精神や思考や行動パターンにも影響している。草木や昆虫を観察すれば、それは明らかなことだ。そう結論づけると、ぼくのこの傍目には退屈そうに、あるいは粘着質に見えるかもしれない日常にはそれなりの正当性が得られるだろう。
ことに男性にはその傾向が強い気がする。ぼくの父も、女房の父も、年齢が行くほどに同じ行動を繰り返し、変わったことは避けるようになるんだなあと何度も感じてきた。だからぼくがそうなるのは自然な成り行きだ。

ただしこの習性には欠かせないことがひとつある。それは「刺激」、同じことを繰り返すために常に新鮮な刺激が必要となる。弓で弾く類いの楽器の弦を指ではじくピチカートのような意外な刺激が。
ピチカート。楽譜に記されるピチカートの記号は地図記号の果樹園に似ている。だから反復には果実が必要なのだ、と、こじつけてみる。おお、これは案外いいかもしれない。年齢が行くと、男はジューシーな果物、スイカとか洋梨とか、そういうものが無性に食べたくなることがあるのだ。ことに二度寝するしかないほど早すぎる早朝に目が覚めてしまった時などに。あるいは辛いもの、酸っぱいもの、臭いもの、やたらに甘いもの、とにかく刺激が欲しくなる。

女性の皆様におかれましては、かつては行動的にリードしてくれた男がそうでなくなっても、落胆なさらないでください。それはいたって正常な変化です。その男は長い思春期を抜けて、ようやく忌まわしい中二病を脱して、ついに人生の成熟期を迎えたのです。
だから基本、放っておいて、もしも退屈そうに見えたら弦を指でつまんでバチン!と。でないとそのまま意識が薄れてゆき、毒にも薬にもならない、影の薄いおじいさんになってしまう可能性があるので。まあいずれはそこに到達するのでしょうが、できるだけ長引かせた方が介護を先延ばしにできるでしょうし、芝生の手入れとか、天井の電球を取り換えるとか、何かしら役に立つこともあると思うので。

女性は変化を好んでどんどん活発になり、男性はルーティンと称して反復を好むようになる。そうそう、女房は乗馬を始めたらしい。そうじゃなくてもバレイだ、お芝居だ、コンサートだ、食事会だとお忙しそうなのに、その好奇心と行動力はたいしたものである。一方ぼくはといえば、庭の書斎でのひとり時間がいよいよ楽しくて仕方がない。
毎晩ジューシーフルーツや、辛いもの、酸っぱいもの、臭いもの、やたらに甘いものをつまみにお酒を舐めながら(好きなんですけど、幸いにしてとても弱いので)、音楽を楽しみ、本を楽しみ、それに加えてこの頃では沈思黙考する時間が増えてきた。その無為な時間には、気づくと女房のことを考えていたりする愛妻家である。例えば、あの暴れ馬を乗せる馬は、仕事とはいえさぞや大変であろうなどとその姿を想像したり。おっといけねえ、こんなこと書いたら指ではじかれそうなのでこのくらいに。

女性は変化を求め、男性は変化を避けるようになる。これが神の差配だとすれば、さて、そのココロは。まあいいか、お互いそれぞれに、存分に楽しいのだから。
この道を行けばどうなるものか。行けばわかることなれど、どうやら若い頃に思い描いていた、チャーミーグリーンな老夫婦とは、いくぶん様相が違ってきた。





バルトークの自分に妥協を許さぬ姿勢は、
まるで苦行者のようだったそうです。
厳格で近寄りがたく、でも時々とてもユーモラスで、
悪い人ではなかったようです。

 取っつきにくいけど、聴き出したら
どこまでも引き込まれてゆく、
これが頑固ジジイの世界なり。






今日は港南台店にいます。 



 

庭のことだま

もしも自由が欲しいなら、両腕を横に大きく広げて上下に。
もしも自由なんかよりもここにいたいのだ、と思うなら、それは幸いなこと。 


毎日階段を上がっている。だがその一段一段がいつも楽しい場所というわけではない。正しい場所とも言えない。概ね毎晩、庭で、多かれ少なかれその踊り場に不足を感じている。
それでいいのだと思う。満足な日が続いたら、きっと歩けなくなってしまうからだ。きっと、歩くことが好きなのだ。
それといつも、まだここじゃないと思うから。
でもそれは、その次の、最高なこと。



Free as a Bird 

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鳥のように 自由に それがその次の 最高なこと
鳥にように自由に

快適なベッドルームに 巣に戻る鳥たちのように
翼を持つ彼らのように

どうなってしまったんだよ かつてのぼくらの あの暮らしは
 本当にお互い無しで暮らせるだろうか
どこで見失ったっていうんだ あんなに大切だった 感触を
きみにいつでも ぼくはとても豊かにしてもらっていた

鳥のように 自由に それがその次の 最高なこと
鳥のように自由に

快適なベッドルームに 巣に戻る鳥たちのように
翼を持つ 彼らのように
なることを・・・

どうなってしまったんだよ かつてのぼくらの あの暮らしは
ぼくにいつでも きみはとても豊かさをくれた

自由に


作詞:ジョン・レノン( 意訳:菊地成孔 )



ジョンが残した未完の曲を他の3人で仕上げたという、このビートルズ最後の作品は、とてもジョンらしく、とてもビートルズらしいものとなった。それは4羽の鳥が月を渡って行く姿のように思える。先頭を行くのはジョンだ。
ファンは口を揃えて彼らが自由を教えてくれたと言う。ジョンはきっと、ぼくらよりも的確に、正確に、自由のことを知っていたのだろうと思う。自由な世界のことはもちろん、その先にあることも、その手前にあることも。

髪と髭を伸ばしてボロを着るのは簡単だ・・・
さて、と、ではいかに、と。それも自由だとビートルズは教えてくれたのだが。

「良い子は真似をしてはいけないよ」と、黄泉の国からアンクルジョンは言っているような気がする。この詩を、多くの人が恋愛・失恋レベルで捉えるであろうから。
ぜんぜん違うのだと、ぼくは思っている。何せ息子を育てるために、音楽活動を休止してハウスハズバンドを選択した人なのだから。
伝説となっているあの五年間が、自由を煽動し、先導し続けたジョンにとっての最初で最後の、本当に自由な時間だったのだと思う。まだ十代だったぼくに、それはとてつもなく偉大なことに思えた。だって、そうでしょ、デモとか前衛芸術とか革命めいたことと真逆の、「家庭」に自由を見出したのだから。
だからぼくも、息子が生まれるや会社を辞めジョンを真似た。それ以来真似しっぱなしだ。いやいやぼくのことなど横に置いて、注目すべきはこの曲の原型が録音されたのが1977年、ということはショーンが2歳だから、主夫活動の合い間だというところにある。
想像するに、そうとう育児に疲れ、ヨーコともギクシャクして、かなり険悪になっていたのだろう。ヨーコはご存知の通りの女性だし。でもまあ、ジョンとヨーコであろうと、イザナギとイザナミであろうと、ヒデトシとカオリにしても、子育て中の夫婦とはそういうものなのだろうと思う。そんなふうに思って聴くと、すんなりと全部の行に納得が行く。あえて付け加えればそんなゴタゴタも込みで、その自由がいかに偉大なものだったかを、世界中のファンが知っている。

ジョンは、その後の一生分の対価とも言える孤独な気持ちを抱えて、孤児院ストロベリー・フィールズの庭から自由を求めて羽ばたき、ルーシーのいる空をどこまでもどこまでも飛び続け、ついに家庭という自由の地に降り立つことができたのだ。
ぼくはそれも真似をしようとしてきた。これからもその地を目指すことは間違いないのだが、アンクルジョンの忠告も身に沁みる。家庭を自由の地にするという革命の成功が、どれほど稀であることか。革命が成って後に、その自由を保持することも。
ひとりでは成し得ぬものだという点が、最大の難関だ。
逃走か、闘争か。稀であってもそこを目的地と定めるなら、家庭からの逃走は避けられる。あとは時間内にたどり着けるかどうかなのだが、それは神のみぞ、としておくしかない。とにかく今日も、両腕を広げて上下に動かすことにする。バタバタと、ドタバタと、ジタバタと、鳥のように、自由に。





今日は金沢文庫店にいます。




 

Homeopathy

ホメオパシー(同質療法:毒をもって毒を制する)。
失恋の傷は、失恋を内包した次の恋愛によって癒される。あらゆる別れの痛みは、別れを内包した新たな出会いによって癒される。



新たに植えるバラを思案中。

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女房に相談すると必ず意見が食い違うので、
今年は独断で植えます。

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まったく、咲けば大喜びするくせに、
何でいちいち反対するんでしょうね。

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いっつもね、
あんたはセンスが悪いセンスが悪いって。

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じゃあね、あなたを選んだセンスはどうなのよ。



なになに、はあ、花を枯らしたからガーデニングはもう嫌と、もうあんな思いをしたくないと、なあるほどですねえ。それでは薬局でバラの苗をお出ししますから、急いで、できれば今日中に植えてください。え、植えるとか、はい、辛いから来ているのにって、ですよねえわかりますわかります。でもねえ、これがその深刻な症状を改善させる、医学界最新にして唯一の処方箋なんですよ。はあ、でもバラは嫌、ええ、トゲが、はい、痛いですからねえ。 だけどそんなこと言ってたら治りませんよ。この症状が進行しますとね、恋もできなくなるし、ペットも飼えなくなるし、ええっと、つまり臆病病って言うんですかねえ、すべてに消極的になってしまいますから。嫌でしょ、そんなの。もっと進むと鬱とかね、併発の危険もあるし、とにかくバラが一番効果がありますから、必ず植えてくださいね。はい、はい、肥料ね、はい、オベリスクもいいですね、はい、そういうことです。ではお大事になさってください。
あ、ひとつ言い忘れていました。バラには強い副作用がありますから用法用量を守って、絶対に植えすぎないようにしてくださいね。ご存知でしょ、オーバードーズ。バラの魅力に取りつかれると幸せすぎて躁状態になったり、食費を削ってでも増やしたくなって、極度な栄養失調に陥る危険性がありますから。ええ、ええ、そういうことです。十分にお気をつけて。じゃ、お大事に。
次の方どうぞお。
はいお掛けください。で、どんな具合ですか。なに、ご主人が浮気を、はあ、帰りが遅くて、ええ、はあ、嘘ばっかりを、なるほどねえ、悔しくて眠れないでしょ。でっしょう。はあ、涙が止まらない、なあるほどお 、それはお辛いですねえ。それではバラの苗をお出ししておきますから・・・





今日は港南台店にいます。




 

庭のことだま

To be or not to be, that is the question.

悩むことと考えることは違います。
思考は前進で、悩みは足踏み。以前ですね、10年近く悩み続けた課題があったんですけど、振り返ると、ちょっと長すぎたなあと思っています。今なら同じ悩みを、夜の庭での思考によって数日でクリアすると思うんですよね。まあそれも、あの長いトンネルを通ってきたことの効用だとは思うのですが。
尽きせぬ波のざわめく音に眠れぬ夜もあるけれど、星屑なんか数えてみても涙でそれも続かないけど、それでもいつの間にか青い空がのぞいてるものなり。
だから悩み多き者たちよ、To be! 軽やかに、軽やかに。



徐々に近づいてくる足音あり。

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早咲きの梅を狙って東へ西へ。
気がづけば、
撮影していて手がかじかまなくなりました。
今朝は早出して、横須賀の田浦梅林経由で出勤します。 



To be or not to be は、一般的に「生きるべきか死ぬべきか」と解釈されていますが、ハムレットの筋立てに添えば、本来は、「復讐すべきか否か」となるそうです。つまり生きるのか死ぬのかじゃなくて、死を覚悟で、毒殺された父の復習に踏み切るかどうかを悩んでいるわけです。あ、ご存知でした?ぼくは読んだことがないので、女々しいハムレットが自殺を逡巡しているのだとばかり思っていました。シェイクスピア殿、英雄ハムレットにそのような思い違いをしていたことを、どうかお許しくだされ。
ぼくはもっとベタに「やるの、やらないの」という訳で。
迷った時にはやってみる。やってみれば正解か失敗かがはっきりして、どっちにしても次の指針になるじゃないですか。ガーデニング上達のコツは、その繰り返しなのです。









今日は金沢文庫店にいます。

 


 

声出しの効用

近ごろ、動作に掛け声がともなうことを自覚しています。さほど気合いを入れる必要がない、例えばベッドから起き上がる時などに、ヨイショ!と声が出てしまう。57歳、来月で58歳、アラ還(阿羅漢なら密教における最高位なんですけどね)どうなんだろうかと、思ったもののまあいいかと、誰に迷惑かけるわけでもないのでこの際これを利用すべく強化して、暮らしに弾みをつけようと思い立ちました。



北風吹き抜く寒い朝も
心ひとつで暖かくなる

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清らかに咲いた可憐な花を
みどりの髪にかざして

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今日も ああ

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北風の中にきこうよ春を
北風の中にきこうよ春を

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考えたら働き盛りの年齢なわけでして、かつて労働にはそれぞれに労働歌や掛け声があったわけですからね、エンヤアドットとかエッサッサとか。
ヨッシャ、ホイキタ、エンヤコラサ。ちょいと調べてみましたら「声出し」は脳にとてもいいそうですし、ホンマでっか!?の心理植木によれば、労働歌によって共同作業の効率は2〜3倍にアップするとのことなので、ここりゃあやはり積極的に取り入れたほうが良さそうだ。転けたりぎっくり腰なんかも防げそうだし、それに何だかほのぼのしますしね。
というわけで、ぼくがいちいち声を発していても笑わずに、見て見ぬ振りでお願いします。
では張り切って仕事に出かけることといたしましょう。
ヨッコイショーイチ! 



世界で最も売れた労働歌は、ブラジルの港湾労働者が
積込作業で歌ったという
ハリー・ベラフォンテのバナナボートではないでしょうか。
歌詞は「もうじき日が昇る。
オイラは辛い仕事を終えて家へ帰りたいんだ。
だから親方さん、早いとこバナナの数を数えておくれ」
というもの。
ぼくとしては、歌詞は全く違いますけど、
ゴールデンハーフのが懐かしく思い出されます。



 
昨晩、しばらくサボっていたワンダーコアをやりすぎて
腹筋がイテテイテテイテテ・・・





今日は港南台店にいます。





 
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