2018年08月
庭にやってくる鳥の姿は心和むものです。
鳥を発見するとミーは野生にかえります。
いつもいいようにあしらわれていますが。
楽園の風景に鳥のさえずりは欠かせませんから。
今日は港南台店にいます。
雨が上がって陽だまりの中
時は転がりつづけ
僕はまたひとつ乗りおくれ国道に立っていた
光る風とかげろうにもつれ
川の流れに沿って
あなただけがこの道のりをわかってくれる
一番電車を見送って
目覚めの紅茶を飲んで
シャツのそでをまくり上げ
オンボロ車に乗って
あの丘の上 ゆれて染まる季節の変わりめ見つけ
昨日の唄をひとつ口づさみ国道に立っている
はるかな夢はあの森を抜け
緑の風に溶けて
明日の唄が南の街へ連れてってくれる
一番電車を見送って
目覚めの紅茶を飲んで
シャツのそでをまくり上げ
オンボロ車に乗って
雲のあい間に見えるよ
ほら君が駆けてくる
ロードマップを拡げたら僕の昨日が遠のいてく
光る風とかげろうにもつれ
川の流れに沿って
あなただけがこの道のりをわかってくれる
一番電車を見送って
目覚めの紅茶を飲んで
シャツのそでをまくり上げ
オンボロ車に乗って
意図せずに、思わず口を衝いて出る歌ってありますよね。その時々の状況に合わせて、脳内のDJが記憶のライブラリーから選曲してくれるメロディーと歌詞。
これ、加川良の「明日天気になあれ」は過去三十年間、折々に口ずさんできたぼくの宝物のひとつです。とは言っても全曲ではなくワンフレーズだけ。
さて、それはこの歌詞のどの部分でしょうか。
男は頑張る生き物です。家族のために、社会のために、自己実現のために、とにかく頑張ります。そして頑張るほどに壁にぶち当たり、痛い目に遭い、打ちのめされてへろへろになるのです。それでも多くの男は倒れないし逃げもしない。何が彼らを支えているのかというと、それはですね、傷だらけの闘争を見つめてくれている女性の存在なのです。子どもの頃は母親、成人したら彼女、結婚したら女房。
生物界の慣習として母は息子を旅立たせ、彼女はもっと見つめるに値する男を見つけ去って行きます。そういうものであり、それが正しいのです。では結婚後はどうでしょう。
暮らし始めて数年もすれば、彼がスーパーマンではなくやさしく繊細にして、同時にひ弱な精神の生物であることに気づくはず。でもですね、奥様、そこからがあなたの腕の見せ所なのであります。男が持つこの「自分を認めてくれる女性のためなら命がけ」という特性を知っておけば、ラブラブのままチャーミーグリーンに至ることもできますし、狡猾に活用するなら一生あなたに懸命なる奉仕を続けるサーヴァント、あるいは億万長者にして従順なるスレイブを得ることになります。「わたしはね、あなたがどれだけ頑張ったか知っている」、これだけで旦那様は忠誠を誓うことでしょう。さらに「わたしはあなたの才能を信じている」と言おうものならもう。
この仕事をしていると、たくさんの成功した男に出会います。同時に、その成功は単にその男の能力によるものではないということを繰り返し知るのです(私見でありますが、良妻と悪妻、どちらが夫のポテンシャルを引き出すかというと、圧倒的に後者。あ、失礼、余計なことでした)。
夕食時に「あのね、わたしね、すてきな庭が欲しいんだけど」と目に前の男に言ってみてください。どんな反応であれ、彼の脳内には新たな光が射し込むことでしょう。庭なんぞはほんの序の口ですから、タイミグを見計らいながら次々にお願い事を提示してください。それがいかに大きく高い課題であっても、女神から目標を授けられることで奮起しない男はいないのです。
やがてボロ雑巾のように疲弊した男がとうとう力つきるその瞬間に、「ありがとう、あなたのおかげで幸せな人生でした」という言葉だけはお忘れなきように。シェイクスピアの時代より、男はそのひと言に向かって生きているのですから。
今日は港南台店にいます。
一度目は映画「永遠のゼロ」を機に起こった百田尚樹ブームの頃、触れ込み通りに男の中の男、国岡鐡造(出光佐三)に惚れ込みながら一気読みし、大河ドラマの総集編を見終わったような雄大な読後感だったことを記憶している。
上下巻の上を読み終え、期待通りに性根が元気を回復したが、少し、あれっ、という感慨がある。主人公の鐡造が、前回とは別人に思えているのだ。混迷の時代を駆け抜けた鬼神の商人だったのが、清廉にして自然体な、何というか、とても植物的な人物像として浮かんでいる。
本が変わるはずもなく、これは明らかに読み手の変化だ。鐡造の比ではないが、それなりにいろいろあったここ数年で、ぼくの中に植物的感覚、植物成分が蓄積されたのかもしれない。この分だとあと数年で、ぼくは植物人間(ナチュラリスト・タオイスト)になるかもしれない。
さて、今夜から下巻に移ることとする(上巻は玉音放送から始まり、一旦時間をさかのぼってから終戦で終わる)。庭の風が変わって、読み始めの灼熱とは季節がめぐったようだ。奇しくも良いタイミングでのチョイスだった。できるだけゆっくりと、映像を浮かべながら読み進めようと意識しながら、果たして読了時に、国岡鐡造はどのような人物になって物語を締めくくるのか、自分の世界はどのように変化しているのか。
仕事仕事の毎日にあって、忙中閑あり、壺中天あり夜の庭。読書の秋が来る前に、蚊取り線香を灯しながらの庭時間も乙なもの。お試しあれ。
今日は港南台店にいます。
ヒトは草原に住むシマウマではなく森で暮らす猿の一種なので、林や岩陰のような身を隠せる場所を好みます。
Before
After
Before
After
ようやく暑さが峠を越えて、庭に秋風の使者が登場。
ホバーリングの名手であり、ストロー付きの顔も動きもユーモラスなオオスカシバです。
チョウ目スズメガ科で、つまり蛾なんですけど、すばしっこく飛んで、姿は派手派手で、遠目にはスズメバチのように見えます。
これが擬態。野鳥から身を守るために備わった能力であり個性なわけです。周囲に馴染んで身を隠す擬態もあれば、このように強い者を真似る擬態もあるんだよなあとあらためて。
進化とは長い時間をかけて、たくさんの試行錯誤と犠牲の末に得られる変化なわけで、さてぼくら人間はいかがであろうかと、花を見ても虫を見ても人と重ね合わせるいつもの思考癖。
8月は祈りの季節でもあります。庭から遠くの入道雲を眺め、ぼく自身は良き進化を重ねているだろうかと自問してみました。
回答、良し悪しは定かでないものの、変化すべく、ジタバタともがき続けてはいます。
今日の午前中は横須賀→逗子→横浜と現場巡りをして、昼から金沢文庫店にいます。
花の多くは虫を呼び寄せるために咲いています(虫媒花)。
その姿を見つめることで、ミラーニューロンの触手が伸びてあなたも蝶となり、雄大な自然の流れに合流できますよ。
地球上の哺乳類は4000種ほど。それに対して昆虫は5000000種類います。地球は植物と昆虫の星なのです。
夏バテという言葉が死語になりつつあるような。
人類は知恵と努力によって、
温暖化を凌駕する快適さを獲得しました。
いよいよ庭の出番。
数年後にはエアコンと逆の意味で、
エアオンと同等の価値を持って、
庭のある暮らしが脚光をあびることでしょう。
10年経ったら「庭遊びで夏バテる」
という贅沢が流行るかも。
他には魚類、爬虫類、鳥類、目に見えないバクテリアとか、ヒトの存在など気にもかけずに繁栄している生物はみな、植物と深く関わりながら生息しています。
哺乳類の中の霊長目は220種、その中の大型霊長類は、オランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボ、ヒトの5種類で、すべてが絶滅危惧種。
4種類が滅んでから最後の1種類が後を追うというシナリオか、1種類が先に消えて4種類に生存の可能性を残すのか、神様はどちらを選択するのでしょうか。
せいぜい庭で植物に親しみ、愚かさをひた隠しにしながら平和な種族であることを神様にアピールしておきましょう。
今日は港南台店にいます。
ぼく自身、日々庭で過ごすことの最大の目的は頭の整理整頓です。悩みや迷いや、混沌としがちな思考回路が、花を眺め、風を浴びるととてもいい具合に整うことを感じています。
こればかりは室内ではなかなか得られない庭の効用。あなたもぜひお試しあれ。
Before
After
Before
After
庭を設計していて楽しいことのひとつに「条件が違う」という点があります。広さ、日当たり、周辺環境、家族構成、要望など、ひとつとして同じものはなく、それが毎回の意欲に繋がっているのです。
その条件下での最良を生み出せば、それがオンリーワンの庭になる。場所が持つ利点を生かしつつ、欠点と思われがちな、例えば日当たりの悪さなどを「日当たりが良くないからこそ〇〇を楽しめる」というふうに利点に転換してゆくと、必ず他では実現不可能な魅力を持った庭空間が出来上がります。
ゆえにコンプレックスなし。
あるのは個性。
個性によってニッチを得ている。
ゆえに生物多様性の調和あり。
それぞれが個性的に咲き誇る百花繚乱。
新潟平野には昔からあちこちに石油が湧く場所がって、それを人々は「くそうず(臭い水)」と呼んで嫌っていました。もったいないことですよね。ちなみに現在では原油と天然ガスが生産されています。
ウィークポイントだらけで全身からくそうずが染み出しているぼくは、膨大な埋蔵量を持つ油田のようなもの。
設計時、手元には老眼鏡とハズキルーペがあり、作業内容によって、裸眼、老眼鏡、ハズキルーペを慌ただしく使い分けています。
午前中金沢文庫店で作業をし、午後は港南台店に移動という日があり、港南台店に到着して(車で20分)メガネケースを開けたら、ない。「いかん、文庫に忘れてきた」と、一瞬ハズキルーペを使えばいいかと思ったものの、普段老眼鏡でやっている作業に代用するととても目が疲れて30分でピント調節の筋肉が動かなくなるのです。で、やむなく文庫店へトンボ返り。
心当たりの場所にはなく、店内くまなく探し回ったものの見つからず。そうだ、コンビニに寄った時に手に持って入ったような・・・急ぎ行って、店員さんに尋ねましたが「ありませんよ」と言いながらも、店内を一緒に一周して探してくれましたがやはりなし。
ああ、暑さのせいか歳のせいか、どうも注意力散漫なんだよなあ。あれ気に入ってたんだけどなあ。惜しいなあ、3万円したんだよなあ。注意力三万円、ナンツッテ。とぶつくさ嘆いていたら、店員さんが「あのお、もしかしたらもしかしてなんですけどね、それ」とぼくの視線よりも少し上を指差したのでした。
えっ。ど根性ガエルのひろしみたいに探し物は頭に乗っかっていたのでありました。恥ずかしすぎてぎこちなく笑うしかなく、「おさわがせしました」をペコっとお辞儀をし、カラダカルピスと生茶を買い求めましたとさ。めでたしめでたし。
この頃こういうことが多くて、・・・暑さのせいだと思いたいのですが。
今日は港南台店にいます。