2018年09月
水分、日光、栄養分、水はけの良い土壌、必要条件を満たせば花は自ずと開花します。
人も同じ。庭を整えれば家庭が整い、家族全員が花咲く日々へと向かいます。
もしかしたら、「花ならともかく、人生の開花はそんなに単純なことじゃないよ」とおっしゃる方がいるかもしれません。でもですね、庭が整わないままで家庭を整えることは難しいですよね。それに花を咲かせる人が花咲くことを繰り返し目撃してきましたから、ぼくはこれ、間違いないと思っています。
嘘だと思うなら、荒れ放題ないしは楽しく感じられていないその庭を整え、呆れるほど花いっぱいにしてみてください。少なくとも何かが好転してゆくでしょうし、もしかしたら奇跡に次ぐ奇跡によって、あなたの想像力を超える日々がやってくる可能性もありますから。本当に。
前回放送のホンマでっか!?TV によれば、これまで森林浴の効果は樹木から出るフィトンチッド(枝が折れたり皮が傷ついた時に発生する揮発性の抗菌物質)によるものとされてきましたが、最新の研究ではそれ以上に音が作用しているとのこと。それも、人には聞こえない高周波の音域によって心が癒されるのだそうです。
雨音、水滴、せせらぎ、
水音の癒し効果は抜群ですよと先生方。
ただしマウス実験の段階ですがと注釈が入りました。
さすが科学者は実直というか、ケレン味がないというか。
ぼくからすると、そんなこと実験する必要もない
当たり前な事実だと思うのですが、
そういう Sense of Wonder が研究者の資質なんでしょうね。
聞き取れない音が心に作用している、Sound of Silence 、毎夜静寂の庭で過ごしていると確かにそうだなと思います。
聞こえなにのに聞こえている超音波に似て、見えるはずがないのに見える、言葉にしなくても伝わる、オーラ、波動、念ずれば通ずなど、ぼくらの周辺は広大な認識不可な摩訶不思議世界が存在しているのです。サン・テグジュペリでしたっけ「大切なものは目には見えない」と申しておりましたし、心の耳を澄ませて心の目で見つめる、そんな時間が必要ですよね、夜の庭なんかで。
分子生物学者の福岡伸一がよく使う動的平衡という概念、生命とは、自然とは、絶え間なく入れ替わりながら平衡を保っているのだということを、庭にいると実感します。
草木の循環、大気の循環、気候の循環、枯れては咲き、嵐もあれば小春日和もあり、凍てついたり猛暑だったり、すべては移ろいながらも生命存続に過不足ないバランスのとえれた現状を、はるか何万年も続けている。それをぼくらはごく当たり前のことと捉えているので、とかくそこにある流動性を感じ取れなくなっているのではないかと思ったりもします。
この動的平衡は思考(心)にも起こっていることで、例えば健康を失う、職を失う、長年抱いていた夢や希望を何らかの出来事で失うなどした時には、必ずその喪失に見合うだけの補填が行われます。それは優しさだったり、感動だったり、感謝だったり、主に心に出現するとても人間らしい感情。年寄りになるとやたらに涙もろくなる、というのはきっとそれで、たくさんの抜け落ちた心の穴を幸福感で埋めるために涙が必要なのです。そしてそれができる人、レジリエンス(復元力)の強い人は年齢を重ねるほどに笑顔も濃くなってゆく。
花の写真を撮らせてもらってもいいでしょうか。
ああお兄ちゃん、どうぞどうぞ。よかったらあっちに木戸があるから中入って撮ったらいいよ。
ありがとうございます。でもここからで十分です、ははっ、道路にまでこんなに溢れちゃってるから。
でっかいカメラ持って、あんた写真屋さんかね。
いやいやただの趣味ですよ。花を見ると撮りたくなっちゃうんですよね。田舎育ちで、母が家の中から外から花だらけにしている人だったから。あ、だったからって、まだ元気で花だらけにしてますけどね、近所の人が呆れるくらい。
そうかい、それはいいお母さんだ。だからあんたもそうやって花が好きなんだねえ。遠慮しないでたくさん撮ってちょうだいな。この子たちの綺麗な時期はすぐに終わってしまうから。
しばし夢中でシャッターを切っていたら、おばあちゃんが冷たい缶コーヒーと、庭の花を数種類切って束ねてでっかい紙袋に入れたのを、フェンス越しに手渡してくれました。
ありがとうございますう。いいんですか、こんなにたくさん。
どうぞどうぞ、よくみなさん声をかけてくれるからうれしいんですよ。まだ蕾のを入れといたから部屋に飾ってくださいな。
ぼくは深く深く頭を下げ(なんとなんと、突然涙が溢れてきて、それを悟られないためでした。母のことと同時に祖母の記憶が思い出されて)、「すっごくいいのが撮れたから、後で写真を届けますね」と伝えて打ち合わせへと向かいました。
あれから5年が経ち、おばあちゃんは元気で庭仕事をしているだろうかと、あの分厚い笑顔を思い出しています。あまり行かない地域なのでもうお会いすることはないかもしれないけど、ぼくの中では、ぼくが元気な限りおばあちゃんは元気なままです。宝物の出会いでした。
夏を咲き続けて越えるバラは
赤系が多いという発見。
やはり情熱、なんでしょうね。
来し方の素敵な庭人たちによって、ぼくは今日も循環しています。それと幼い日の、花に囲まれて育った記憶によって。
庭の余剰地をどう使ったらいいかわからないまま荒地になっているケースがあります。
そこを果樹園にしてみてはいかがでしょうか。
ウメ、アンズ、サクランボ、フェイジョア、柑橘類、ベリー類など、庭で楽しめる果樹はたくさんあります。
ウメ
スモモ
ブルーベリー
ライム
ジューンベリー
カキ
アンズ
幸運の到来は予知できないが、不運に見舞われることは誰にでも予測がつくのです。雑然とした部屋、鬱蒼とした庭、笑顔が消えて久しい暮らしには、いたるところが悪魔の隠れ場所。
まずが庭から整えましょう。天からの使いの目に止まるよう、花いっぱいにして。
漢字では千日紅で、毎日香とは違います。
しかしその姿を見つめていると
気持ちが穏やかに整って、
自然と手を合わせたくなるのです。
空海が恵果阿闍梨より託され持ち帰った、
胎蔵界曼荼羅を見るようで。
大日如来が姿を変えた数多の神々よ、
願わくば花咲く庭に舞い降りたまえ。
そこには清廉に、賢明にして懸命に、
幸福を目指す民が暮らしておりますゆえ。
南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛・・・
あ、ちなみに百日紅はサルスベリ。
ジンチョウゲ、クチナシ、ジャスミン、キンモクセイなど、香る花はファンファーレのように季節を告げてくれます。
身を隠しつつ周囲の様子を把握えきるというのがヒトのベストポジション。
壁際や、茂みの脇や、木々に囲まれている居場所設定で安心感が得られます。
たとえ見晴らしのいい広々とした庭であっても、
座ったときに目が当たるくらいの高さの壁際が心地いいものです。
これはヒトがサルであることの証し。
ぼくらは遮蔽物だらけの森の中で、
身をひそめて、身を寄せ合って暮らす生き物。
雲が動いているようで光が激しく変化しています。
もう蝉の声はなく、時々正体不明の虫の音が聞こえてきます。
首タオルで汗を拭いながら高台にたどり着くと、開けた空は晩夏のような、初秋のような。
深い緑に覆われた広大な暮石群に、横着にも頂上からまとめて合掌いたしました。
どうかもうしばらくこちらでの時間をお与えください。まだまだやり残しの仕事が山になっていますので。
思う存分働ける境遇に感謝です。いや本当に感謝です。ついでに、我が家に素晴らしい庭があることにも。
今夜のこの心地いい風が、やたらに厳しかったこの夏に被災された方々、ひとりひとりにも届きますように。
どれだけ辛くても、庭に吹く風は、ほんの少しでも、必ず癒し効果を発揮します。
土日はいつも庭を通して様々な人生ドラマに直面するのです。おおむね幸福に満ちたものなわけですが、その人たちも含めて人生には必ず死ぬほどきつい時期があるわけで、そんな時に、その時のためにも、庭の充実は大事だなあと思っています。
昔々「美しい方はより美しく、そう出ない方は・・・」というCMがありましたよね。幸せな人はより幸せに、そうでない方は・・・それなりに庭を楽しんでおきましょう。できるなら、バラを10種類ほど植えて、庭で朝ごはんを食べてからいち日を始められるくらいに整備しといてください。そうすれば相当の危機がやって来ても平気の平左で乗り切れるのです。平気はちょっと言い過ぎかもしれませんが、少なくとも(絶対に)踏ん張る力にはなりますから。
季節外れではありますが、これを。
何にも咲かない冬の日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて花咲く時が来る。
異様な豪雨、異様な台風の動き、異様な暑さ、気象に関する「観測史上初」「かつてない」「命に関わる」という異様な言葉がクリシェになってしまったこととは別に、今回の台風直後の地震、これをどのようなメッセージと捉えればいいのかと考え続ける数日です。Yuming が言う通り、目に映るすべてのことがメッセージですから。
たまに霊園を歩くと神妙な気持ちになりますね。