ホトケノザに魅了されたのはたしか4年前の今頃の季節。朝日が差し込む頃を狙っていつもの遊歩道を歩いていたら、畑の脇の荒地に小さいピンクが光っていました。それは凍みた朝露が日の温もりで解け始めた瞬間だったのです。
何年も歩いている道なのにその存在に気づいたのは初めてで、それがとても不思議でありつつ腑に落ちたのです。腑に落ちたとは、つまり、仏様とはそういうもので、通常はほとんどの人に見えず、見えないけど存在している。気候が厳しく花の少ない冬、誰も立ち入らない荒地にドラムロールもファンファーレもなしで地味に出現する。花の姿に気づいた人は身を低くして見入り、そのお姿の神々しさに気づき手を合わせた者には、仏様から啓示や気づきや希望が与えられる。

皿状に開いた小さな葉っぱに、鎮座するように咲く花の姿を「仏の座」と命名した昔の人に敬服しきりです。そのように自然と寄り添う暮らしぶりと、花の姿を擬人化(神格化)するイマジネーションは、日々時間に追われているぼくらが無くしてはいけないことのような気がして。
そうか、ひと株失敬して庭に植えるという手もありだな。雑草とはいえ、考えたらハーブ類も雑草だし、あのバラだって出自を辿ればシルクロードに生息し、トゲトゲが旅人に嫌われていた野茨だったわけだから。宿根草で手入れいらず、放ったらかしで毎年庭に仏様降臨、なかなかいいアイデアではないか。
他にも一絡げに雑草として駆除されるシロツメクサ、タンポポ、ドクダミ、スギナ(ツクシ)など、庭で楽しめる野の花は数限りなし。ビオトープガーデンというのではなく、園芸品種の中に配することで庭にナチュラルな雰囲気が加わり、ついでにグランドカバーとなって雑草取りが楽になるかも。