2019年02月
「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。「ばか」っていうと「ばか」っていう。「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。そうして、あとで、さみしくなって、「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。こだまでしょうか、いいえ、ひかりです。
奪えば奪われるから奪わないし、疑えば疑われるから疑ったりしない、それくらいのことはガッテン承知の助だ。信じる者は信じられ、与える者は与えられる。ふむふむ、さもありなん。感謝すれば感謝されるし、愛すれば愛される。おお、知ってるよそんなこと、と知ってるつもり?!だったやもしれず、これを知る者はこれを行うものに如かずして、これを楽しむ者にはさらに遠く、されば遠い世界に旅に出ようよ、それとも赤い風船に乗って雲の上を歩いてみようか。って、こどもでしょうか、いいえ、もうすっかりおとなです。
横浜は暖冬のまま春になりそうで・・・
スキーに行きたいなあ。
冬不足がじわじわと来ています。
因果応報というのかギブアンドテイクというのか、案外単純な自然界のシステムを福岡伸一教授は動的平衡と名付けた。なるほど!ザ・ワールド、よおく考えるとそういった類の単純なる道理に沿って進む人の方が幸せをつかんでいる、ということに気づいた複雑系な自分。都市の暮らしが長すぎたのか、長閑さ無くした田舎者。さればせっせとわが世界の中心である庭に出て、故郷の越後山脈へと続く空に向かって愛を叫ぶことといたしましょう。
「あなた」と呼べば「あなた」と答える、山のこだまのうれしさよ。「あなた」「なんだい」空は青空ふたりは若い。そう、あの頃きみは若かった。
「幸せだね」っていうと「どこが」っていう。「今日はきれいだね」っていうと「今日はってどゆこと、何を買いたいの」っていう。「いやいやそうじゃなくてね、なんか、ふと、きみってきれいだなあって思ってね」というと「そういうのはいいから、早く設計を上げて欲しいんだけど」という。そうして、あとで、さみしくなって、「今朝はごめんね」っていうと「あんたのごめんは聞き飽きた」という。こだまでしょうか、いいえ、だれでも。
叫べど返らぬ遥かなる山の呼び声。山の神よ、何をそんなにトゲトゲしておるのだと思うのだが・・・けん怠期でしょうか、いいえ、だれでも。
まあええわいな、「不機嫌は自分が損するだけだよ」という苦言も聞き飽きただろうし言い飽きた。子曰く、言葉が意味を失ってからが夫婦の正念場、寡黙に間合いを図りつつ人生の仕上げとなる共同作業をする季節なのであろう。
「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。「ばか」っていうと「ばか」っていう。「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。そうして、あとで、さみしくなって、「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。あれは幻想だったのでしょうか。
何はともあれ、山の神様たちよ、日々機嫌よく過ごそうじゃああ〜りませんか。え、花粉症?いやはや毎年のことながら困ったものですなあ。でもねえオレが花粉を撒き散らしているわけじゃないんだから、それって八つ当たりでしょ。まあまあ気を落ち着けて、ようやくバラが終わったから肥料をやって、花咲く春を思い描いて過ごしましょう。
そうだ、この曲、アレグラよりも効くと思うよ。
ちなみにお若い方々はご存知ないと思うので付記します。山の神とは「結婚から年を経て口やかましくなった妻・かかあ」の意なり。
「ただいま」っていうと「ええっ、もう帰って来たの」という。こだまでしょうか、いいえ、だれでも。
細胞は無個性で生まれ、そこが脳内ならば脳細胞になり、皮膚に出現すれば皮膚細胞として活動を始めるという、つまり周囲の様子を察知して自分の役割を見い出す性質のものだそうです。
そういう細胞の集合体であるぼくらなので、朱に交われば赤くなるのは当然のこと。逆説的には「環境を変えればいかようにも自分を変化させ得る」となります。
あなたの住環境はいかがでしょうか。庭はどうなっているでしょう。
なりたい自分にふさわしい環境整備を。
ことに庭は重要です。庭が整えば体内時計が整い、ホルモンバランスが整い、疲れれば癒され、集えば夢を語らせ、あなたをサポートしながら目的地まで導いてくれます。
新芽が膨らめば希望が膨らみ、花が咲けばあなたの夢も開花する。
庭ですよ庭、いい庭があれば人生は上々。
ガーデニングのベテランさんはご自分で植えられます。もう工事中から植栽計画を立てて現場が植木鉢だらけになることもしばしばで、それはそれで楽しいものですが、意欲はあってもはてさて何をどのくらい植えたらいいのか思案される場合には、スタートとしてお任せで植えさせていただくことに。これが好評で、草花の植え込みが完了した時にお客様から頂戴する感動の声は、わがチームの園芸スタッフの生きがいとなっているのです。
After
森さんの場合もそうで、建物以外の土地は漠然と駐車スペースが2台分(1台は来客用)、ビルトインガレージからご主人の趣味であるバイクを出し入れする通路、あとは玄関先に樹木があれば、くらいにイメージしていたようです。
これが Before です。
ぼくは図面を拝見し「あのお、庭は必要ないのでしょうか」とたずねたところ「庭ですよねえ、そうなんですよねえ、欲しいけど、無理でしょ」という反応。「車2台とバイクの出し入れができればいいわけですよね。それにこのままだったらガレージ前にあるリビングのカーテンは締め切ったまま暮らすことになる気がするんですけど」と話し、ラフスケッチを描きながらいくつかの考え方をお伝えしたところ、はなっからあきらめていた庭出現の可能性に、俄然会話が弾み出しました。
最初にお出ししたプランをご覧ください。フロントヤードは木製パネルと植栽で前庭感を出し、土間コンクリートはナチュラルな印象になるよう洗い出し仕上げにしました。問題のバイクの出し入れを確保しつつ、縁側で出やすくし、リビングの目隠しを設置してその内側を「過ごす庭」に、さらに奥のスペースは家庭菜園になっています。
After 1
Before 2
After 2
Before 3
After 3
Before 4
After 4
Before 5
After 5
Before 6
After 6
『その2』へ続きます。
3万年前、人々は石器を使うことを覚え、共同での狩りを始める。住居前の広場が作業場として、人が集う庭のような場所となる。
1万年前、囲炉裏を中心とした家族団らんの時を過ごすようになる。
1400年前、蘇我馬子が池や石組を配した庭園を築く。自然を模した最初の作庭。
1200年前、中国の影響で、宗教観を表す庭園様式が出来上がる。
600年前、枯山水、築山、借景。
400年前、茶庭、回遊式庭園など権力者によるステイタスとしての庭。片や庶民にガーデニングブーム到来。
100年前、西洋庭園の影響を受けながら、雑木の庭、芝生、流れなどを取り入れた自然描写としての庭が広まる。
90年前、商家の坪庭、文士の庭など粋人の庭文化。一般住宅に庭スペースが設けられるようになる。
現在、多くの人々にとって庭は観光地にあるものと解釈され、自宅の庭をどう扱っていいのかは90年間途方に暮れたまま。その答えはディランが歌っている通り風に舞っているのだが、庭は暮らしの外に追いやられたままなのでそれを捕まえられずにいる。つまり庶民の庭という意味で言うならまだ現在は黎明期であり、これまでの庭の歴史を踏まえるなら第二創世記(創成期)、セカンドジェネシスなのである。
縄文人はまだ庭という概念を持っていなかった。
野鳥と同じく自然な世界に生息していたので、
ことさら自然を暮らしに取り入れようなどと
考える必要がなかったのだ。
野鳥たちは今もその自然な世界にいるが、
ぼくらは諸事情によって
そうではなくなってしまった。
しまった、と嘆くことではないかもしれない、
それは進化なのだから。
お弁当以上に、財布以上にスマホが手放せなくなった今、
庭が持つ意味の重大さにいち早く気づいた者が、
この不自然な幸福システムを楽々と享受することができる。
考えたら鳥だって、ずいぶんと不自然な進化を遂げた生物だ。
出自は恐竜なわけで、それが虚空に暮らしの場所を広げるという
革命的に変なことを身につけて生き延びたのだから。
と、いうことはだ、庭は現代人の翼なのだ、
という解釈もできる。
この解釈が、
サピエンスが暮らす空調の効いた部屋のカーテン越しに
揺らめく光となりますように。
ことに、子育て中の方々に。
あるいはここまで懸命に暮らしてきて、
そろそろ仕上げに取り掛かろうとしている人たちに。
庭のセカンドジェネシス・・・岡本太郎ならきっぱりと縄文回帰を主張するだろうが、すでに彼は吹田市千里の丘にこしらえた、翼を生やした岩戸にお籠りあそばした。
次の大阪万博が開催されることには、秋元康プロデュースによる現代のアメノウズメらのダンスで岩戸が開かれ、日本中の庭に面したカーテンも一斉に開かれ、そして途方に暮れていた庭スペースが庭となり、そこに人々の笑顔があふれんことを。
相変わらず起抜けすぐに、パジャマにコートを羽織って庭へ出る。時間はだいたい5時くらいなので、空には金星が輝いている。全身が目覚めて、さて出勤の身支度を。ん、待てよ、ちょっと変化をつけてのんびりとした朝を過ごしてみようかと思い立ち、芝生にしっかりと日が差し込むまでのんびり朝食をこしらえてみることに。この頃は気温のアップダウンに同調させて、自分を変化させる人体実験中。
部屋まで光が入ってくると、さっそくまったりする同居人たちが、ついつい緩急自在の緩が自在にできていないことを知らせてくれるのです。
ゼウスは命じるにあたり「プロメテウスよ、猿どもに知恵を授けても良いが、決して火を使うことを教えるのではないぞ」と言い添えていました。しかし時は折しも氷河期、プロメテウスは凍える猿たちを哀れに思い、ゼウスの言いつけに背いて火を与えてしまったのです。
猿たちは火で暖をとり、煮炊きをし、土器を焼き、やがて火の威力を武器にして争うようになりました。
危惧していた展開にゼウスは烈火のごとく怒り、プロメテウスを拷問にかけた後に天上界から追放し、いい気になって争いごとに酔いしれる猿どもに戒めの災いを与えようと、そのオスの群れにパンドラという名のメス猿を送り込んだのです。
美しさと賢さと好奇心を備えた魅惑的なパンドラに、ゼウスはひとつの箱を持たせました。「パンドラよ、決してこの箱の蓋を開いてはならぬぞ」と何度も何度も言いながら。開けてはならぬと繰り返されるのは、お笑い芸人ならずともお馴染みのネタ振りですからいつかは・・・とうとう ゼウスの忠告を破り、美しきメス猿パンドラの手によって、禁断の箱は開けられてしまったわけです。
中からは不安、苦悩、怒り、嫉妬、病、貧困、争い、その他ありとあらゆる厄災が溢れ出し、オス猿たちは阿鼻叫喚の地獄絵図。パンドラは慌てて蓋を閉じましたが時すでに遅しで、箱の中にはぽつんと「希望」だけが残されていたそうな。
ああパンドラよ、せめて箱を空っぽにしてくれたらその後のオスたちは、いくらか救われたであろうに。
ジューンベリー
シマトネリコ
10年後も、20年後も、小湊さんちの庭が輝き続けますように。
昨日は19度まで気温が上がり気分は春そのものでした。予報ではまた寒くなって、明後日あたり雨が降るとのこと。この揺れ具合が「もうすぐ春ですよ」と肩を揺すられているようで、いいんだなあ。
雪国にいる頃は立春とは大陸から渡来した暦上の区切りであって、日本には馴染まないのだと思っていたし、雪国を後にしてからも「立春=まだまだ厳しい寒さが続く」 と認識していたので、今朝のようなことは生まれて初めてなのであります。
こうなると贅沢なもので、一回くらい雪降んないかなあ、などと思ったり。まあそれ以上に春がすっくと立ったことがうれしく、立て続く楽しみな設計と相まって心ダンシングしています。
か、花粉が・・・と厳重にマスクをしている女房よ、なんども言うが病は気から。そんな単純なものじゃないのよ!とグズグズの赤鼻で反論されると言葉もないが、アレグラとか抗ヒスタミン剤でブロックしてからでも、大いに春を吸い込もうではないか。
石井邸
では2メートル前後だとどうなるか、テーブルを片側に寄せて半円形に椅子を配置する座り方となります。
新築の小湊さんちは、建物の脇の道路側と裏側に1メートル80センチの通路というか庭スペースがあり、引越しが済み、さてさて、そこをどのように考えたらいいだろうということでご来店。細長い場所がただの通路にならないよう『ガーデニングを楽しむ・外の部屋で過ごす・縁側で自然を感じる』という3つのエリアに分け、こういうプランになりました。
バーベキューテラス
縁側のある庭
After 1
Before 2
After 2
Before 3
After 3
Before 4
After 4
ここでのポイントはゆっくり歩くように仕立てること。まっすぐ歩くと通路、曲がって歩けば庭になるのです。それと植物に包まれること。見下ろすだけではなく目線や頭上に葉っぱがあれば、そこは畑ではなく庭空間になります。
レモン
ブルーベリー
ブルーエンジェル
エレガンテシマ
ヤマボウシ
あとはそこでの過ごしかたを考えながら椅子やベンチを配置し、パーゴラで部屋っぽさを出し、照明器具を配することで夜も室内と同じように生活空間として楽しめるようにする。このように、家を設計するように庭を組み立てて行くことで、カーテンを開け外を感じながら暮らせるようになり、ともすると防草シートと砂利で通路にしてしまいがちな場所に「心地いい外の部屋」が出現するのです。
つづく