2020年09月
食欲の秋、芸術の秋、読書の秋、ガーデニングの秋、夏の疲れをリカバリーしつつ、冬に向けて皮下脂肪と心の栄養素を蓄える季節となりました。
光が秋になりました。
過ぎてしまえばなんのことはない。なんであれほど緊張していたのか、なんであれほど不安だったのか、少なからぬ人にとって、なんで死ぬほど辛かったのか。
これは30年前から思っていること。緊張や不安や怯えや絶望は、季節と歩調が合わなくなった時に起こり、季節などどうでもいいやと思った時に深刻化し、季節を感じられなくなった時に破綻を迎える。
秋です。秋の光を見つめて、その澄んだ感じが、あの異様だった夏と違うことを確認しておきましょう。
それができたらまずはひと安心。次は全身で光と空気を味わって、その感触にふさわしい音楽か文学によるトリートメントで仕上げを。音楽も、文学も、季節を感じられなくなった時に心をチューニングするための、人類が生み出した最高の発明であり、本来的にはそれ以外の意味も意義もないものなのですから。
この旋律が悲壮に思えるなら、目を閉じて。
物悲しく思えたら、目を閉じて、お聴きください。
繰り返し、繰り返し、繰り返し。
マイナーからメジャーへ、マイナーからメジャーへ、
そして終盤は、曖昧な穏やかさ。
曖昧な穏やかさ。
曖昧さ、穏やかさ、極上な庭の夜風。
支度はできたかい もう列車がやってくる
大した準備はいらないよ ただ乗るだけでいい
ディーゼルのハミングを聞いて 必要なのは信じることだけ
チケットは要らない ただ生きていることを神に感謝するだけ
ヨルダン行きの列車に乗り込むんだ
乗客を増やしながら 西海岸へ 東海岸へ
みんなの部屋も用意されている 信じる心がその部屋の鍵だ
君が神様に忠誠を誓うならそれが鍵なんだ
部屋が当てがわれないのは悔い改める見込みのない者たち
自分のことしか考えられなくなってしまった罪人
哀れだと思うだろ 悲しいけどそういうことなんだよ
神の国へ向かう列車には 罪人が隠れる場所はない
支度はできたかい もう列車がやってくる
大した準備はいらないよ ただ乗るだけでいい
ディーゼルのハミングを聞いて 必要なのは信じることだけ
チケットは要らない ただ生きていることを神に感謝するだけ
ふたりともカッコよすぎでしょ。明日はこんなイメージで。とてもとても足元にも及びませんが、イメージだけでも。スペンサー的に言うなら、イメージすること、理想を思い描くことがわが仕事。
というわけで、理想の庭をひとつひとつ丁寧に思い描いておりますゆえ、さんざんお待たせしている皆様、どうか広い心でご容赦を。順番が来たら最高のプランを仕上げますので、気長に、楽しみにお待ちください。
医者に言われましてね、「いわふちさん、あなたの性格だといくら薬を飲んでも血圧は下がりません。何かにつけて、もっと不真面目にしてください」って。多くの病は生真面目さによるストレスから発症するようで、そう言われれば確かに、と心当たりだらけです。不真面目、不真面目、積極的に不真面目さを目指したことがないものでとても戸惑っていますが、まあ、いい加減にってことですかね、「ああ〜い〜い湯加減だあ〜」みたいな。しばらく真面目に、不真面目修行に入ります。
久しぶりの晴天に、犬の散歩をサボって
カメラ携え早朝散歩。

蓮は実が出来上がると自分で首を折って、種を水に落とすんだなあ。

終わりまで役割を果たす姿は生真面目なようでいてユーモラス。

申し合わせたように、満足げに同じ箇所で折れている。

よく笑う爺さん婆さん蓮の花

ミルト・ジャクソンのヴィブラフォンはマスカットの香り。
Affordance : 環境が動物に与える「意味」
アフォーダンス理論 : 1950年代、アメリカの心理学者ジェームス・ジョローム・ギブソンが「アフォーダンス」という造語を用いて、物や環境には動物の行動を促す特性があるとした理論。よく使われる例として、引き手金具のついたタンスについて「このタンスと私には引いて開けるというアフォーダンスが存在する」というものがある。
環境や状況によって動物の行動が促されるなら、住環境は整えておく方がお得なことは言わずもがな。庭に例えれば、放っておくとすぐに荒れ始めるその場所は住人に手入れを促すようアフォードしているわけで、ここで健全な精神状態にある人は庭によって動かされ、落ち葉を掃き、草を抜き、暮らしが美しく整ってゆく。何らかの理由で思考や精神のバランスを欠いていたり、動物的生命エネルギーが低下している場合には、庭から目を背けてその存在を無きものとする。
不滅の灯明というのをご存知でしょうか。比叡山延暦寺に最澄(天台宗の開祖しにて空海の盟友。共に遣唐使の任を果たした後、ド派手な活躍で時代のヒーローとなっていった空海とは対照的に、比叡山にて地道に後継を育て、浄土宗の開祖となった法然、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、浄土真宗の親鸞、日蓮宗の日蓮など多数の高僧を輩出した仏教の父)が灯したオイルランプの炎が、1232年後の現在に至るまで一度も消えることなく灯り続けているというものです。あれはですね、驚くことに油当番とか管理責任者とかはおらず、修行僧の中で気がついた者が油を補給するという、ルールなきルールで受け継がれてきたそうでして、そう、これがアフォーダンス。義務ではなく、努力でもなく、小さな炎の揺らぎにその廊下を通る人が動かされている。修行僧たちは今で言ったら東大・京大クラスの仏教大学で仏門を志すエリート中のエリート、真面目で清らかな精神を持った学生たちですから、素直で、打てば響き、気づけば動く心持ちによって、開祖が灯した小さな炎は不滅となっているわけです。
アフォーダンス、周辺環境に人が動かされる様。美しい人は美しい環境によって、賢い人はかい賢い環境によって、愛情豊かな人は愛情溢れる環境によって育まれる。どうですか、どうします、庭。秋のガーデニングシーズンです。アフォーダンス・ダンス・ダンス。踊るように、春に植えた一年草を秋冬モードに植え替えて、 季節と歩調を合わせたその新たな環境によって動かされ、導かれ、木枯らしが吹く頃には温かい笑顔のあなたが、ご家族を幸福へとアフォードする存在になっていますように。
ゴージャスで、情熱的な Beguine にて。
男性ならばスペインの伊達男を真似て、
バイタリス、MG 5、マンダム、ブラバス、エロイカ、
ビンテージ、バルカン、オールド・スパイス、タクティクス・・・
鬱陶しいほどに香る昭和時代のオーデ・コロンのように、
濃厚な愛情表現で。
ビギンのリズムが始まると
あの優しい楽の調べがよみがえる
光鮮やかな熱帯の夜がよみがえる
色あせることのない思い出がよみがえる
君と僕は再びあの星空の下にいる
そして浜辺ではオーケストラの響き
ビギンのリズムが始まると
ヤシの木さえ枝を揺らすように思えるのだ
どうあがいても過去を蘇らせることは出来ぬにしても
あの調べが僕の心を捕えるときだけは
再び永遠(とわ)の愛を誓い
二度と別れはしないと誓うのだ
何と神々しい瞬間、何と静寂に溢れた恍惚
雲が現れ、僕らが味わった喜びを
吹き散らすまでは…
そして今、人々が
無駄にしたチャンスを呪うのを聞くと
その意味が痛いほど分かるのだ
だから、ビギンを演奏させてはだめなんだ
昔は炎と燃えた恋を熾火(おきび)のままにしておこう
昔の恋はその欲望をただの思い出として眠らせておこう
ビギンのリズムが始まるときは
そうとも、ビギンのリズムを始めるがいい、演奏するがいい
昔あった星々が再び君の頭上に現れるまで
君が僕に再びこうつぶやくまで、「あなた、愛してるわ」と
すると突然分かるのだ、僕らが素晴らしい天国にいることが
ビギンのリズムが始まると
ビギンのリズムが…始まると
さてさて次は台風です。当初は関東直撃かと見られていた12号は東に外れ、それでもキャスターはこぞって「秋雨前線と相まって危険な状況が予想されますので厳重な警戒を」と。まだ言うか、そこまで危機を煽りことがあなたたちの仕事なのかと思いつつも、用心しといて何こともなければそれでよし、仰せの通りにいたしましょう。
心配事の9割は起こらないと申します。されど残る1割に10割の恐怖をいだく用心深さが、もともとひ弱で草原のいじめられっ子だったホモサピエンスの特性。ゆえにここまで個体数を増やしてこられたわけで、巷間言われる「心配ないからね、必ず最後に愛は勝つ」は励ましの言葉であって、実際には心配しないと絶滅の憂き目にあうのです。強靭な肉体に知恵と美貌を兼ね備えていた同胞ネアンデルタール人が滅んだ原因には諸説ありますが、強気で自信満々だったことによる慢心が遠因であるというというのが学者たちの見解ですから。
青くなって尻込みなさい、逃げなさい、隠れなさい。それが二十数種類いたと言われる人類の最後の生き残り、ホモサピエンスの生きる道。ウッキッキー、自然と敵対したって敵いっこないし、家庭という小さな洞穴に身を潜めて、身を寄せ合って、嵐が去るのを待ちましょう。そして台風一過の青空が戻ってきたら一家揃って、庭でバーベキューでもやりながら互いの無事に乾杯ですよ。
緩急自在に、ストレスをあ溜めては発散する。緊張と弛緩、節約と贅沢、悲しみと喜び、退屈と感動、カインとアベル、サイモンとガーファンクル、ボケとツッコミ、ソモサンとセッパ、しゃがんでジャンプ!しゃがんでジャンプ!溜めることも発散することも家内安全商売繁盛、円満家庭を維持するための愛情に基づく行為ですから、つまりはその繰り返しで家族の幸福が高まってゆくのです。だからしゃがむ時には次に高く飛び上がることをイメージしましょうね。しゃがんで、ジャンプ!しゃがんで、ジャンプ!
すっかりご陽気なおっさんバンドになったヴァン・ヘイレンで。
悪童たちも歳を重ねて、トゲも毒気も抜けていい感じ。
キッスやエアロスミスのカヴァーを得意とするバンドだったんですよ。
八方塞がりになったら、九方目をさがせ。
どん底まで落ちたら、掘れ。
ハードルが高かったら、くぐれ。
養老先生、上手いこと言いますね。言葉ひとつで暗闇に明かりが灯る思いがします。解剖学者は冷たくなった人体を腑分けしながら、目に見えない精神も解剖しているんでしょうね。北山修も医学部の解剖の実習から意識が変容してシンガーソングライターになり、帰ってきた酔っ払い、おの素晴らしい愛をもう一度などのヒットを飛ばした後に少々気を病んで精神分析医のお世話になりまして、それがきっかけで精神科の大先生としてご活躍。 生物学者はスピリチュアルに行きがちだし、細胞を研究すると哲学者になりがちだし、やっぱりね、つまりは、身体ってのは精神の乗り物であって、人とは精神なり、ということなのでしょう。
九方目をさがすのも、どん底を掘るのも、ハードルをするりとくぐるのも、健康な心があってからこそできること。メンタルヘルス・ユア・セルフ。アルコールとかギャンブルとかの各種依存傾向、鬱っぽい感じ、なんかわかんないけど急にイライラするとか、身近な人が敵に思えるとか、人に会うのが怖いとか、眠れない、食欲がない、食欲が止まらないなど、そこから目を背けたときから病は始まります。軽めのうちに察知して、庭に出てリカバリーを。朝日から始まるセロトニン→メラトニンのリレーが、正常な脳機能維持にはとても有効ですから。あとね、家族を大切に。それが基本中の基本。
ホームセンターでは台風襲来を当て込んで、あの大行列の夢よもう一度ということでしょうか、レジ近くにコーナーを設けて養生テープが山積みされています。どうですかね、売れますでしょうか。昨年買い込んだやつが、他に使い道もないのでどのお宅にも大量に余っていると思うのですが。でもこういうのが秋の風物詩になって、やがて家族の安全を祈るというニュアンスを含んだ季語になるんじゃないですかね、養生テープ。
養老先生も養生テープを買うのかなあと養養つながりでイメージしてみれば、多分、ですけど、買わないと思うんですよね。あのお方は永遠の少年にしてナチュラリスト& タオイストなので、台風が来たら嬉々として森へ行き、昆虫たちがどうやって凌いでいるのかを観察するんじゃないかなあと。自然の掟として「逃げれば追われる」というのがあるんですよ。防御に回ったら攻め続けられる。だから養生テープのバッテンを目印に飛来物が攻めてくるような、まあ、幻想ですけど。同時に「攻めれば攻め返される」というのもあって、「守も攻めるも黒鉄の 浮べる城ぞ頼みなる 浮べるその城日の本の 皇国の四方を守るべし」では撃沈必至なのですよ。だからほどほどに、そこそこ用心しながら興味津々で台風を感じてみるというのが、健全なあり方かもしれません。子供の頃にワクワクして雲の動きを見上げていた、あの感覚を思い出して。
翻弄されるも突き進めば、
台風のポリリズム心地良し。
季節のページが1枚めくれて、さて、今日もまだ半袖でいいかな、などと一瞬迷う朝の庭。過ぎてみればあの灼熱の日々は遠い日の花火なり。花火、花火、庭の隅っこに捨て置いていたニチニチソウとランタナが、花火のように咲いた夏でした。
業務多忙につき、紺屋の白袴、情けなやわが家の庭は夏枯れの傷痕残るままに荒れ放題。ちょっと待ってろ、設計が一段落ついたら見事に秋冬オートクチュールに仕立て上げるから。
季節に押しまくられて、体をかわしてうっちゃったつもりがアマテラスの粘り腰は千代の富士並み、背中を突かれてあっさりと土俵下まで転がされることもしばしば。いけませんなあと反省しきり。
なれど、反省を土俵際で意欲に転換するのは得意技にして、千秋楽まではまだまだ日がある。今日の取り組みは気合充分、正面突破の電車道で。
あのお、今度埼玉から横浜に引っ越すんですけど、横浜で庭のことなら御社だと、会社の同僚から。それでお電話したんですけど。
その同僚の方はもしかして社会部の記者さんですね。よろしくって、連絡をもらっています。
そうだったんですね。彼女は10年前にそちらで庭をやってもらったそうで、本当によかたって、興奮気味に教えてくれたんですよ。
それはそれは。で、新築ですか?
はい、11月に引き渡しです。
では図面か現地の写真をお持ちになってご来店ください。あ、埼玉だと遠いですね。こちらに来られることあります?
ええ、ほぼ毎週打ち合わせや進捗の確認に行っています。その時に主人と一緒にお店に伺えばよろしいですね。主人も庭をとても楽しみにしていて。
そうしてください。
ホームページを拝見して驚いたんですけど、横浜では普通に庭でバーベキューをしているんですね。衝撃でした。お花もいっぱいで、皆さん笑顔で暮らしている様子に憧れが膨らんでいます。
ええ、こちらでは市の条例で、週末に家族でバーベキューをしないと罰せられるんですよ。それと庭が荒れていたり、カーテンを締め切って暮らしているとガーデン自警団によって通報されて、厳しい指導が入るんです。なかなか恐ろしい地域ですから御覚悟を。いやはや、マルクス主義上に発生した上層支配者階級による集団幻想という無意識的策略に、文学や芸術やガーデニングに代表される個人幻想が凌駕されてしまったことを示す、忌まわしき現象です。
ハハハ、ブログのままの人なんですね。庭よりもいわふちさんにお会いするのが楽しみです。
秋風に、こうしてまたひとつ笑顔の庭が誕生する予感。恋の予感に似て。恋は遠い日の花火ではない。庭も、家族円満も、遠い日の花火ではないのです。などとブログ的戯言呟きながら、とりあえず今日の取り組みに気合を入れて、振分親方を真似て顔を張る。
気合いに9月の潮風をマリアージュ。
大袈裟ではなく、庭に吹く風は地球の隅々までを何万周も巡ってきた空気の流れ、見上げる空は宇宙空間です。その雄大さに身を置くことで得られる癒しや希望や活力が、そどれほど暮らしを豊かに、健全に導いてくれることか。
朝に夕に ロマンティークが止まらずに
恋しさと せつなさと 心強さと
いやあマジで、庭って気持ちが解放されて、
こればっかりは室内では味わえないことです。
カーテンを閉め切っているなって、
ああ、なんともったいないことを。



奇跡の星にいる、このわずかばかりの奇跡の時間に。
その感覚は室内では感じることができないもの。せっかく庭やベランダがあるのですから、そこに出て、時を過ごして、宇宙と地球と自分のスケール感や関係性に思いを巡らしてみてはいかがでしょう。
江ノ島から吹く風に、女房ともこんな時があったなあて、しみじみと。