連日こうしてブログをアップしていると、つくづく“ ありがたい仕事だなあ ”と感じます。年配のご夫婦からは人生を豊かにする知恵や賢さをいただき、何かの問題と対峙している方からはそのパワーを頂戴し、若いご夫婦からは夢や希望やこれから家族をつくっていくんだという初心のエネルギーを分けてもらっています。
 この恵まれた環境での仕事に熱中しながら、一方でとても気になっていることがあります。それは毎日、次から次へと起こり続ける子どもたちが犠牲になる事件です。若者が子どもを、親が子どもを、子どもが親を、そして子どもが子どもを・・・。こうした事件があまりにも続発するせいか、どれも踏み込んだ原因が解明されないままに次の事件に話題が移ってしまいます。加害者の生育環境や心理的な要因、精神的な問題点どについての突っ込んだ分析がないままに、次々と新たな事件が起こっていきます。そして犠牲になるのはいつも子どもたちなのです。
 最近やっと専門家の見解としていわれてきたのは、加害者の多くに何らかの人格障害や発達障害があるということです。つまり犯罪の遠因に幼少期の家庭環境や生育環境があるということになります。わが家はどうかといえば、とてもではないけれど胸を張って健全家庭ですとは言えません。だからといってどうすればいいのかわかりません。
 ということで自分のことは棚に上げたうえで、もういいかげんに問題の原因に向き合わなければいけないのではないかという気がします。乱暴に言えば、加害者やその家族の人権が侵害されたとしても仕方がないと言い切ってしまいたいのです。そのことと不条理に奪われていく子どもたちの命、そしてその家族が受ける一生消えることのない痛みとどちらが重いのか、誰もが気付いているのに誰もハッキリと言わない、そんなもどかしさが日を追って募っていくのです。

 こんなことを思いながら、繰り返される嫌な事件を「しかたないことなのかなあ」とため息をつきながら朝の“みのさん”を観て、さあっ!と気分を変えて現場に向かう途中で、すごい景色に遭遇したのです。それがこれです。

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 栄区庄戸にある児童公園のブランコです。ごらんのように花咲き乱れる中にブランコがあるのです。思わずクルマを止めて撮影しました。

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 散歩中の人に話しかけると、地域の人たちがボランティアで毎年種から育てているのだそうです。感動しました。感動しながら、あたりに人がいなくなったのを見はからってブランコに乗ってみました。数十年ぶりです。最初は座ってゆっくりと、徐々に大きくハイジのように、最後は立ちこぎからジャンプで着地!に失敗してスッ転んでしまいました。なんだかほんとに素晴らしくて、この花咲くブランコは、札幌にあるイサム・ノグチの滑り台に匹敵すると、ひとり無人で揺れるブランコをしばし眺めていました。

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 朝のニュースの件で重かった気持ちに光が差した感じがしました。都会もいなかも機能不全を起こしているけれど、ここには新たな地域文化が生まれているのかもしれない。それを予感させる花咲くブランコ。

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 この景色が日本中のあちらこちらに芽生えたら・・・。犯罪者を生む幼少期の生育環境の不備とそのことによる発達障害の責任は親と地域にあります。もちろん法的には本人にあるのですが、子どもが一人前になるまで守り育てることの責任は社会を構成している全ての大人にあるという、いなか的、あるいは昭和的モラルを肯定するならば、この不条理で悲劇的な現状を脱する出口は・・・。
 この庄戸の児童公園にその出口の光が見える気がするのです。



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