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朝日新聞 2006年5月8日 『惜別/元商社マン 清水孝さん』より

アフリカ愛して愛されて

 「あのタフな人が、まさか交通事故で・・・」。悲しい知らせを聞いたケニアの友人たちは驚き、怪しみ、そしてがっくり肩を落した。
 アフリカ一筋に30年余。三菱商事の商社マンとしてザイール(現コンゴ)、タンザニア、ケニア、南アに駐在、各地を飛び回った。雄大な自然と厳しい環境を生き抜く人々の逞しさにほれ込んだ。
54歳で自ら望んで早期退職をしてからはナイロビに拠点を移し、日本製中古車の輸入販売業をしながらのアフリカ暮らし。11年間でざっと8千台を売ったという。「儲けはそこそこでいいから」と格安ビジネス。「ほとんどアフリカ人たちが買ってくれた」のが自慢だった。この話をする時はきまって「うれしいよぉ」と目を細めた。
 一橋大時代に鍛えた柔道がパワーの源だった。初任地のザイールで、さっそく若い現地スタッフを誘って柔道クラブを開設。小柄な日本人が屈強な大男を投げ飛ばす。原っぱでの連夜の稽古は評判になり、子どもから大人まで数十人が常連に。その後も、どの勤務地でもクラブを立ち上げた。教え子は200人を越す。「君たちが頑張れば、アフリカの未来は明るいぞ」と熱っぽく語った。豪快で繊細で、気さくな人柄が慕われた。
 ザックをかついで日本から来る若い旅人にも「うちにおいで」と気軽に声をかけ、泊まる所を提供するなど何かと面倒をみた。60歳からアフリカの最高峰キリマンジャロ(5895メートル)登山に挑戦。「次はウガンダの霊峰ルエンゾリに登りたい」。家族が住む横浜の自宅に電話をかけ、首都カンパラで雇ったハイヤーで下見に行った。その帰路、真っ暗闇の一本道でトラックに追突、ウガンダ人の運転手らとともに亡くなった。
 ホテルの部屋には、出かけ際に食べたのか、おにぎりの梅干しのタネが二つ、新聞紙にくるんで残されていた。
(大野拓司)
しみず・こう 1月29日死去(交通事故)65歳 4月29日お別れの会

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 奥様にうかがうと、あと数キロで到着という地点での事故だったそうです。クルマは大破したのにご本人はほとんど無傷、熟睡していたらしくとても穏やかなお顔だったそうです。すぐに現地入りした奥様は、何とかご主人の御兄弟たちに会わせたいと考え、苦労して御遺体を日本まで連れて帰り、長岡で葬儀を行ったそうです。
 生前、一年の半分はアフリカで過ごしていた清水さん。日本にいる時は毎週関越道を飛ばして長岡の実家に行っていました。高齢のお母さまを見舞うためです。私が訃報を聞いた時に、そのお母さまがどれだけ悲しんだことかと思い、胸が詰まったのですが、実はおかあさま、事故の一週間前に他界されていて、清水さんはその葬儀を済ませてアフリカに飛び、そしてすぐに・・・。

 明日からは清水さんが母校の長岡高校での講演会用に用意した文章を紹介しようと思います。講演会は中越地震で中止になったのですが、アフリカのパソコンに残されていた原稿を奥様が見つけたものです。やや長いので、数日にわたっての掲載になります。読んでいただいた全ての人に、素晴らしい“ 何か ”をプレゼントしてくれる内容だと思いますので、よろしくお付合いください。



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