2. キンシャサ時代

 キンシャサは昔のベルギー領コンゴで独立後はザイールという国名でしたが、最近はまだコンゴといっています。ザイールはアフリカでも海岸線が少なくて国土のほとんどが内陸ですので、西欧文化の影響が他のアフリカの国よりも少なく、アフリカの本来の姿が多く残っている国で、いろいろ不思議な事も多くアフリカのブラックホールともいわれています。国はコンゴ川をかかえ、大きな草原と森林地帯があります。かつて、リビングストン、スタンレーなどの宣教師や探検家が入って最も苦労した国だそうです。また銅、コバルト、金、ダイヤモンドなどの資源が豊富でしばしば欧米の利権争いの舞台になってきました。私は1972年の10月にキンシャサに向かいました。飛行機がキンシャサに近づき、空からみると、一面が緑の絨毯でその中をコンゴ川が大きく迂回しながら、とうとうと流れていました。飛行機から出ると、まだ早朝でも大変暑くて蒸すので驚きました。キンシャサにはすでに会社の年上の駐在員が1年ほど前に来ており、私はその増員できたわけです。最初は住居も定まりませんでしたからホテル住まいをして、自炊でしのいでいました。温度が暑い上に湿度が高く、言葉はフランス語だし、泥棒は多いらしいし、これはなかなか大変だなと思いました。そのころはアフリカの各国は植民地から独立して旧宗主国に反発し、アフリカの人々は今まで虐待されたため、外国人に敵意を持つことが多かったです。ザイールはベルギーの植民地で、植民地時代はベルギー人葉ザイール人を動物のように扱い、日中も市街地の道路を歩くことさえ許さず、アフリカ人が、その辺でたむろすると水撒きホースで追い散らしたりしていました。まだ独立間もない頃でしたから、贅沢な生活をしてザイール人を家畜以下にこき使うベルギー人の生活と、仕事もなく、裸足で、ボロをまとい、目だけをぎょろつかせて、ひっそりと生活するザイール人の生活はあまりに極端にかけはなれていました。
 これだけ遠くの国に来るといかにも勝手が違いました。いくつかを紹介しましょう。キンシャサに着いてまもなくの頃に、トレーニングの為に、毎朝早く、コンゴ川のほとりにそってランニングをしていました。大変、蒸し暑いので、私は上半身は裸で柔道着のズボンだけをはいていました。ある朝、いつものように走っていると様子がおかしく、鉄砲を持った兵士があちこちから、私の方に接近してきて、私は取り囲まれました。何が起きたかさっぱりわからず、とっさに走って逃げ出したいような衝動におそわれましたが、走ったら、あの鉄砲で撃たれるかもしれないと思って留まり。覚悟をして、彼らに連れられて行きました。何を聞いて現地の言葉で話しますからさっぱりと事情がわかりません。川縁の大きな建物の中の地下に連れて行かれ、その一室に入れられました。
 言葉ほとんど通じず、何故かと聞いてもいっさい説明はされません。外部と連絡を取ろうとしても電話もかけさせてくれません。私もパスポートもお金も持っていませんから、なにも証明出来ないわけです。まさか、殺されたりはしないだろうけど、不安でたまりません。兵隊の態度がひどく、捕虜か罪人を扱うようなやり方です。一番下のクラスの兵隊らしく英語は勿論、フランス語も出来ません。それでもだんだん時間が経ってくると、そこの兵隊の部隊の幹部が出勤してきて、ようやく話が出来ました。お前は中国人かと問われ、日本人だというと、急に親しそうな態度に変わり、捕まえられた理由を聞くと、早朝にこの地域を上半身裸で草履を履いて走ったのは何の目的かと聞かれました。これはトレーニングで柔道の為だと説明すると、その幹部は、私の住所、氏名、国籍、親の名前、この町に滞在している理由などを詳細に聞き取り、その上で、また、他の部屋に行き、戻ってくると、よし、一応、スパイ活動はしていないと判定するので、これで解放するとのことで、釈放されました。私が走っていたところは大統領の官邸から近く、早朝にその辺を裸で走るのはスパイだと思って兵隊が捕まえたのでした。そのころのキンシャサでは町のあちことによく、兵隊による検問があり、身分を問われたり、お金を要求されたりしましたが、急いでいるときなど、ついついお金を渡してパスさせてもらったものです。また、兵隊の方も、相手が外国人となると必ずお金を取れると考えて、しつこくあれこれと尋問をしてきます。運転証を開いてみてから、いや、これではないと突き返してきます。何が悪いのかと聞くと、この免許証には不備があるという。何が不備かと問うと、不備は不備だ、そんなことがわからないかというだけです。そこで、ハタと思いつき、免許証の中に100円くらいのお金を挟んで渡すと、OK、さっさと行けとのことです。こんなことはいつもありました。
 会社の事務所では雨が降るとほとんどの社員が出勤してきません。何故かと問うと、傘がないという。それではと、傘を買って与えても雨が降るとやはり来ない社員がいて、私はカッとなりそのものの家に行き、何故に傘もあげたのに事務所に来ないかと糺すと、相手は、きょとんとして、あの傘は確かにもらいましたが、自分の弟があの傘を使って学校に行ったので、自分は会社には行けないとのこと。まあ、争っても勝ち目はないとあきらめました。
 また、こんなこともありました。キンシャサでは通常はどこの役所も店も朝は8時頃から12時まで働いてその後12時から3時頃まで休みでほとんどの人々は家に帰り昼食をとって昼寝をしてそれから事務所に来てまた3時から5時頃まで働きます。最初は私はそういうやり方になじめなかったので、昼も事務所で簡単に食事をして、昼休みも、町であちこち、それでもやっている店や工場に仕事で出かけました。相手が休んでいても、ちょっと失礼に起こしたりしていました。ある時、親しい取引先のザイール人が私にいいました。あのね、昼のこの時間に、カンカン照りの太陽の下で働いているのはトカゲと日本人だけだなといわれました。


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〈以前にお土産でいただいたアフリカのインスタントコーヒーと、先日現地の従業員だった方が日本まで持ってきてくれたという、アフリカの清水家の庭になっていたアボガドです。このアボガド、全く癖がなく、ちょうど食べごろで最高の味でした。娘のシオリが「なにこれ~!おいしい!ウチアボガド好きかも~」と大騒ぎ。一口で、わが家にアフリカの空気が広がりました。〉



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