キンシャサは大変、泥棒が多いところで、私がまだホテルにいた頃は、部屋でベッドに横になっていると、入口のガラス窓あたりから長い竹竿のようなモノが伸びてきて、それが部屋に吊るしてある私のズボンを引っかけて、また竿が入口に戻っていくので、慌てて追いかけて取り戻したことがありました。その後私が町の中の一軒家に住み始めたころ、ある時は、私が昼間、家の玄関から出かけようと外に出ると玄関脇に2人がはしごを持ってたたずんでいるのです。どうするかと聞くと、今、休んでいるだけと言います。おかしいなと思って路地をまがってすぐに戻ろうと見るともう、はしごを塀にかけていました。あわてて、彼らに近づき、ここで何をするかと問うと、これを立てかけただけだというのです。争っても仕方がないので、少しお金をあげて、これで何かを買って食べたらいいというと、それを受け取っていなくなる。

 一体にアフリカではひとのものをとることは、いいことではありませんが、日本で考えるほど悪いことではなく、持っていないものが持てるものから何かを盗むのは、むしろ当然という感じでした。ですから盗られたくないなら、盗られそうなものを持たないことです。ある晩、そのころはまだ家族が来ず、単身で過ごしていましたが、ベッドの上で眠っていて何か動くので目を覚ましたら、人が何かを持って寝ている私の上を飛び越して窓に向かっていくので、とっさに捕まえたら、まだ少年のようなザイール人でもみ合って、私が優勢で馬乗りになったら、その子がさかんに謝るのです。それでまあ話をしようということになり、身の上話を聞かされて、父親がいなくて、母親が病気で自分が母親と弟たちの世話をしているとのことでした。哀れに感じて逆に米とお金を少しあげたら、急に元気ななり帰っていきました。その子がやがては柔道クラブにきて柔道をはじめましたが、時々何かの時には、あのときはよくドロボーに来たなという話になります。一般の人とドロボーとあまり区別はないわけです。困れば人のものをとることが一般によくあり、こちらが抵抗するとあいても必死ですから危険がありますが、落ち着かせて話せば通じることが案外多かったです。
 当時、ザイールはモブツ大統領でしたが、大統領は国民に演説をするときはまず大サッカー場に数万人の聴衆をあつめ、しまらくみなに、酒などを振る舞います。そして頃合いを見計らい、大統領がニェーニェーと大声でいうと皆がニェーニェーとこたえます。さあ、静かに、とでもいっているのです。それからは大統領の演説と聴衆の叫び声がまるでミュージカルのようにリズムをつくって流れます。いまはアフリカでも民主化が進み、ああいうカリスマ的な大統領はいなくなりましたが、ああいうやりかたがアフリカにはいいような気がします。ザイールのテレビではまずニュースの前に画面に小さな雲が映り、それがだんだんと大きくなり、近づいて来るとそこにモブツ大統領が孫悟空のように雲に乗って、皆に手を振って挨拶をしていました。

 会社で仕事は、当時は日本からの繊維類、食品などの輸出が多く、また、ザイールが資源大国としてマークされたため、日本政府による経済開発協力が始まりました。また、日本企業によりザイールで銅鉱山や石油の開発輸入が進められました。繊維の商売でも、そのころはアフリカンプリントといって、アフリカの民族衣装の生地になるろうけつ染めの高級なプリントの反物が随分たくさん出ました。私の事務所はプリントの柄を次々に作り出すデザイナーでファッションメーカーでした。色も柄もどんどんと新しいのが出て流行します。日本の専門家がいろいろのデザインを考えて色を付けてその写真を毎月たくさん送ってきます。私たちがみて、それらを売れそうな柄と、あまりよくないと思うのに分けて、ザイール人に見せると、彼らの選択はその逆のことが多かったです。一体にアフリカ人の美に対する感覚は非常に鋭いものがあり、それが音楽や絵画、デザインなどに出ていると思います。日本人には不可解なものも多く、大流行した柄の一つに、布地に大きな木を描いて、その木から葉が落ちるのを描いているのですが、落ち始めたばかりの上の葉っぱはお金で1ザイール紙幣、それがもう少し下におりると5ザイール紙幣、もっと下におりると10ザイール、地上につもると100ザイールの紙幣になるものです。これが大変な評判となり、空前の数量が売れました。ろうけつ染めのアフリカンプリントはザイールの女性のあこがれの的で、これを買うために女性は家を質にいれ、反対する亭主と離婚もいとわないといわれていました。それを売る店は押すな押すなの大にぎわいとなり、警察が出てお客の整理をすることも珍しくはありません。店の表の戸を全部閉めて、まず10人だけお客を入れて、その10人が買いものを終えたら次の10人と入れ替わるという風にします。
 奥地では人々は様々な色を体に塗ったり、また、複雑なビーズの飾りをまとい、時には動物の角や爪、羽、木の実などを巧みに利用して装身具を作ります。それらが、現代のカルチエやカルダンの装身具を圧倒する優れたものであることは、珍しくないでしょう。また、アフリカ人は一般に、身体能力や運動神経にもすぐれ、人間が本来もっていた優れた感覚、機能をいわゆる現代人のようにたいかさせずに、維持しているといえます。アフリカの人の視力は平均でも3.0はあるといわれます。それは私たちにはとうてい見えない、遥かなものを識別します。
 ある時、運転手が大草原を運転していて、急に立ち止まり、どうしたと聞くと、人が助けを求めて叫んでいるといいます。私が静かに耳を澄ませてもなにも聞こえません。運転手は声の方角に移動をはじめ、まだなにも見えない遥か先を指して、きっとあの沼にはまったのだといいます、それで、そこまでしばらく車で行って見ますと、外国人の2人連れが乗った小さな車が底なしの泥沼にはまり、動きがとれず、車の半分が沼の中に沈んでいました。急いでうちの車からロープを出して投げ、それに車をつないで引っ張りあげました。また、彼らの目は夜の暗闇で、月明かりがないときでも、地面の凹凸や水たまりを見分けることが出来ます。夜遅く雨の降る中、何の明かりも持たずに真っ暗な凸凹道を穴にもはまらず水たまりに落ちずにひたひたとまっすぐに歩いていきます。彼らは遠出をするときは一日50キロ以上も歩きます。そういうときは暑さをさけるため夕方に出発し、一晩中歩いて翌朝に目的地に着きます。
 ザイールの奥地には当時まだ未開の地があり、そこには国立公園とされているところがあります。ビルンガ公園といいました。面積は四国の全部と同じくらいです。それはザイールの北東部に位置し、隣国のウガンダ、ルワンダなどと接しています。アフリカの大地溝帯の外にそってあり、エドワード湖、タンガニーカ湖、ビクトリア湖などの大きな湖が集まり大地溝帯の西に接しています。交通も不便ですから観光客も少なく、動物が自然のまま生息しているのを見ることが出来ます。アフリカの他の地域の保護区では数が少ない、カバやワニがこの地域では無数にいます。湖のなかではカバが池のカバと喧嘩をして大きな口を開けて戦っていたり、岸辺にはワニが尻尾を砂浜にあげて、眠ったふりをして休んでいます。この尻尾の近くに行くとワニは猛烈な力で、接近する動物を叩き倒して、水に引き込んで食べてしまいます。私は時に鶏に針金をつけて尻尾に近づけ、それをくわえたワニと引っ張り合いをしたものです。川や沼で見渡す限り、無数のカバがいる風景など異様に感じましたが、本当の野生の動物たちです。また、ブカブという奥地の町の郊外を歩くと当時は野生のゴリラにあえました。町はずれの小道を歩いていくと、森から出てきたゴリラの親子が道を横切ります。草むらに入る前に道の中央でゴリラがふいと前足をあげて立ちあがって、一つの前足を顔にかざしてこちらを見ます。そうすると姿と動作がほとんど人間と同じで、どうやって見分けるか難しいのです。見分け方はパンツをはいているかいないかだといわれました。あの姿を見ると、ゴリラなどは人間とそう、遠くはないと思います。ああいう仲間がいま、どんどんと数が減っていくのは実に寂しいです。


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〈庭に池をつくりたいんだけど、という相談が清水さんとの出会いでした。アフリカの家にあるようなでっかい池を・・・というわけにもいかず、でもとても気に入っていただき、故郷の長岡から運んだ錦鯉が今日も元気に泳いでいます。〉



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