ポール・マッカートニーは、もし生まれ変われるならヨハン・セバスチアン・バッハの左手になりたいと言い、ジョン・レノンは同じ質問にエルビス・プレスリーと答え、1960年生まれで当時12歳のいわふち少年はポールの才能でジョンのように生きたいと夢想していました。人生の指針は吉田拓郎、座右の銘はLove&Peace、アイドルは(世代的には相当ずれていますが)エルビス・プレスリー。無垢な子どもが人間の形に脱皮しようとしてクネクネうごめいていた数年間の記憶、その引き出しには安田講堂に向けた消防演習みたいな放水とフワーッと落ちてきてパッと光る火炎瓶、万博の惚けたエレキングみたいな太陽の塔、父につれられて行った、当時日本一の高さだった貿易センタービル(モノレールの始発駅です)でつくった日付け入りのメダルのキーホルダー、延々画面が変わらない浅間山荘の中継、平凡・明星、ベスト30歌謡曲、白いギター・・・。そしてその後の目まぐるしい経済成長の先には、燦然と輝くアメリカがありました。
 1960年生まれの私を形成した70年代、今でもその影響、その時に感じて身に付いてしまった価値観の上で日々を考え生活を組み立てている自分に気が付きます。同じく1960年生まれの妻カオリちゃんもそうで、そのことは我々の人生を楽しく刺激的にした反面、やたらと波風を好むようなところがあって、しなくてもいい苦労や遠回りをしてきた感もあるのです。妻曰く「呪われた1960年生まれ」。今まで出会った60年生まれの人って、確かに“何か”あるひとばかりでした。大概曲がりくねった不器用な生き方をしながら、でも必ず、本を一冊書けそうな、ドラマティックな人生を歩んでいる人ばかりでした。
 そしてこの人、クレイジーケンバンド代表取締役兼歌手、自称『東洋一のサウンドマシン』の横山剣さんも呪われた1960年生まれなのです。親の都合で3回名字が変わり、高校は4回変わって結局中退、その後もィヨコハマで破天荒なアウトローを貫いて、42歳でようやくメジャーに、今や全国区のミュージシャンなのです。
 そのCKB(クレイジーケンバンド)の鎌倉でのコンサートに行ってきました。いやあ、もちろん最高でした。カオリちゃんともよく話すのですが、この人がいてくれて、この人を知ったことでどれだけ横浜での生活が楽しくなったことか、それどころか、呪われた1960年生まれの典型であり、今やトップランナーの剣さんの曲に励まされ勇気づけられることもしばしばなのです。横浜横須賀在住でまだCKBを知らないあなた、ぜひ一度聞いてみて下さい。ちなみに、横浜のごみ収集車から流れるメロディー『G-30』はCKBの曲なのです。

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 会場は小学生からおばあちゃんまで、ものすごく幅広い年代のお客さんがニッコニコの笑顔で、地元が生んだスターの凱旋を満喫していました。みんなに愛される不良中年、カッコ良かったです。



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