「縁側からを感じたい」ということで、でも住宅展示場の和室前にあるようなつくばいセットを置いてチマッとさせてもつまらないし・・・。アプローチ全体をいわゆる モダン和風 に仕立てました。この場合のモダンはモダニズムとは別の、まあ現代風といったところです。ブルースじゃなくて演歌なのに『港町ブルース』みたいなものです。で、現代風とはつまり・・・、だいいち 風って何よ 風って! ・・・このように洋風の家に和を組み合わせようと思うとまずは理屈を組み立てたくなるものでして・・・、・・・これがどうにも混沌としてきて・・・。かといって何でもありと称して和の作法を無視した仕立ては大嫌いだし。

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 過去何度もこのことを逡巡しながら洋風の家に和風の世界をつくってきて、今は一つの結論めいたものを持っています。
 洋楽、例えばビートルズを夢中になって聞いていた頃、同級生に言われました「英語わかんないのにそんなの聞く意味あるの?」確かにそうだとも思いつつ、でもやっぱり歌謡曲やフォーク、ニューミュージックと言われる音楽とは別格の、ある種崇高な宗教音楽を聞く感じでビートルズやエルビスやカーペンターズやボブディランを聞きまくっていました。そのうちにいくつかの単語や小節が意味を持って入ってきて、例えば『風に吹かれて』の その人はあとどれくらい歩けば一人前の男と呼ばれるようになるのだろう というフレーズが突き刺さってきて、そこから、まるで詩人か哲学者になったように思考やイマジネーションが広がっていきました。私の中に無数にあるそういう言葉とメロディーの蓄積で自分が出来上がっている気もするのです。でもいまだに英語は???でして・・・。


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 同級生の言うように、理屈としては意味不明な言語の曲を聞いても本来の意味は理解できないと思うのです。でもそれでもその曲にインスピレーションを感じて夢中で聞きまくることの方が、聞かないよりもはるかに得るものが大きい。つまり結論というのは 考えるな、感じろ! ということ。和風と洋風をあれこれ考えるより和や洋やアジアやポリネシアや、理屈抜きで感じることのほうが重要だということ。ただし、それを表現するときにはいつも通りに理屈や作法が必要で、まあそこから先はそのデザイナーの力量なので別の話になってしまいますから、とにかく 考えるな、感じろ! なのです。

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 あぁ理屈っぽい!こういう性格だから自分にそれを言い聞かせないと自分の理屈で身動きとれなくなってしまうのです。 考えるな、感じろ!

 ちなみに、この庭のデザイン的なポイントは中央の木です。アーチから玄関に向っての直線をさえぎる場所に木を植える(まっすぐ歩けなくする)ことで、通路が庭になるのです。つまり導線を寸断しつつぬれ縁前に溜まりをつくって、通り過ぎる動きの途中にたたずむ場所を挟み込んだわけでして、さらに株立ちの木の枝が場を立体的に構成して・・・あぁホント理屈っぽい。