私は夕飯を毎日作っています。もう何年も、すっかり夕飯係になっています。それは妻が家事が嫌いなわけではなくて、私が作りたいからやらせてもらっているのです。冷蔵庫から缶ビール出してプシュッと空けて、プハーってやりながら料理にとりかかる。この瞬間、頭が仕事から家庭に切り替わって、しだいにクリエイティブな料理の世界にのめり込んでいく。


私の頭の右側は休むこと無く働きたがっていて、何か課題を与えないとあてどなく感覚世界をさまよいます。空想というか妄想というか、理論立ての無い想像の世界を浮遊して、これが傍から見るとボーッとしているように見えるらしい。本人もこれには昔から手を焼いていて、何せそうなった私は一日そうしていても飽きない。人生の大事な一日をそんな非生産的な独自世界に埋没して過ごしてしまっていいのかという自問を繰り返した時期もありました。


ところがこの浮遊したがる右脳に『お題』を与えると猛烈な勢いで創造が始まる。まあその癖を利用して仕事しているわけですけど。しかしそういう働き続けるという癖を持った右脳なので、放っとくと延々それを続けて、やがて煙を上げてオーバーヒートしてしまいます。40過ぎてから感じるようになった『脳が疲れる感じ』、計算や書類作成などの事務処理で疲労が溜まるのとは少し違う、すごくいやーな疲労感です。そうならないためにいつのまにか身についた習慣が『ちがうお題を与える』。仕事のことでいっぱいになっている頭に違うテーマを与えると、脳って不思議ですねえ、充満していた仕事のことが一瞬で消えて、新たなテーマに向かって真っっ白な紙が用意されたようになります。それが夕飯作りというわけです。


主婦のみなさんがやるそれとは違って、気分転換であり、右脳を満足させる創作行為、つまり趣味ですから、材料は贅沢になってしまうし、ついつい作り過ぎて食べきれないこともあって我が家のエンゲル係数は途上国なみというありさま。腕前はそこそこなので、まあ妻には許してもらって遊ばさせていただいてます。
そうそう、今日の草花はご主人作の前庭のものです。ひとりでコツコツと作庭するご主人、もしかしたら私が夕飯作るのと同じ理由かもしれませんね。


私の頭の右側は休むこと無く働きたがっていて、何か課題を与えないとあてどなく感覚世界をさまよいます。空想というか妄想というか、理論立ての無い想像の世界を浮遊して、これが傍から見るとボーッとしているように見えるらしい。本人もこれには昔から手を焼いていて、何せそうなった私は一日そうしていても飽きない。人生の大事な一日をそんな非生産的な独自世界に埋没して過ごしてしまっていいのかという自問を繰り返した時期もありました。


ところがこの浮遊したがる右脳に『お題』を与えると猛烈な勢いで創造が始まる。まあその癖を利用して仕事しているわけですけど。しかしそういう働き続けるという癖を持った右脳なので、放っとくと延々それを続けて、やがて煙を上げてオーバーヒートしてしまいます。40過ぎてから感じるようになった『脳が疲れる感じ』、計算や書類作成などの事務処理で疲労が溜まるのとは少し違う、すごくいやーな疲労感です。そうならないためにいつのまにか身についた習慣が『ちがうお題を与える』。仕事のことでいっぱいになっている頭に違うテーマを与えると、脳って不思議ですねえ、充満していた仕事のことが一瞬で消えて、新たなテーマに向かって真っっ白な紙が用意されたようになります。それが夕飯作りというわけです。


主婦のみなさんがやるそれとは違って、気分転換であり、右脳を満足させる創作行為、つまり趣味ですから、材料は贅沢になってしまうし、ついつい作り過ぎて食べきれないこともあって我が家のエンゲル係数は途上国なみというありさま。腕前はそこそこなので、まあ妻には許してもらって遊ばさせていただいてます。
そうそう、今日の草花はご主人作の前庭のものです。ひとりでコツコツと作庭するご主人、もしかしたら私が夕飯作るのと同じ理由かもしれませんね。