これはねえ・・・。写真でご覧いただくのはほんとはよくないんです。というか写真ではぜんぜん伝わらない。ぜひ現物をご覧いただきたい、1枚の絵です。
作者は鴨沢祐仁さん。
一昨日ご紹介した北原さんの『みんな、おもちゃが好きだった』に鴨沢さんのことが出てくるので、一部を抜粋します。
以下抜粋/鴨沢祐仁(かもざわゆうじ)さんは、奇才のイラストレーター、漫画家だった。ハニーというメーカーのグラフィックデザイナーとして活躍した時期もあって、広告やCDのジャケットでもいい作品を残したが、代表作はなんといってもクシー君のコミックシリーズだ。1977年から雑誌『ガロ』に連載され、物質の将来をテーマに、クシー君とうさぎのレブス君が登場する形而上学的コミックとして注目を浴びた。
不思議な世界だった。オシャレで都会的なモノが満ちあふれた世界に、大人のノスタルジックなファンタジーが迷い込む。ときにSF的な宮沢賢治ワールドも入り込んだ。宮沢賢治も鴨沢さんと同じ岩手県の出身だ。僕は彼の作品が大好きで、彼の原画の90パーセントは持っている。何千枚の原画だ。
彼は2008年1月に他界した。自分のアパートの風呂場で入浴中の急死だった。僕は河口湖のミュージアムで彼の追悼展を開き、今後も継続して彼の作品の展示会を開いていきたいと想っている。しかし、彼の実生活は“すばらしく、いい加減”だった。酒に溺れて仕事の締め切りは守れず、借金に追われ、56歳で急逝するまで破天荒な生き方を貫いた。
偲ぶ会で彼と一緒に仕事をした編集者は口をそろえて言っていたが、約束を絶対守らない人だった。僕だって彼は締め切りが守れないと知っているから、サバをよんで、三ヶ月~半年くらいの余裕を見込んで彼に仕事を頼んでいた。が、それでも作品は仕上がってこない。誰と仕事をしても、そんな調子だったらしい。
あるとき、僕が頼んだ絵の締め切りがとっくに過ぎても半分しかできていなかったので、ブリキのおもちゃ博物館の隣にあるクリスマストイズの二階に閉じ込めたことがあった。
「仕上がってないなら、ここで描いて」
と、彼を缶詰めにして最後まで描かせた。
自分でも不思議なのは、年月がたっても僕のモノの好みは変わらず、モノを観る目がブレないことだ。鴨沢祐仁が好きだと思えば、その気持ちは一貫してずっと変わらない。だから彼が生前、僕のところに作品を持ってくれば、必ず買った。そして彼は売る作品がないときは借用書を書いて借金していった。金に詰まると、どこへ行ってもこう言っていたらしい。
「絵の具がないんです」
そう言われれば、絵描きが絵の具がなくては困るだろうと、みんなお金を出した。僕だって「絵の具がない」という彼のセリフを何度聞いたことか。そのたびにお金を渡し、彼はそのたびに借用書を書いた。金一万円とか、二万円とか、最高でも五万円くらいだった。誰でも貸してくれそうな金額だった。「ま、いいか」と差し出せる金額だったから、みんな返してもらうつもりはなかったと思う。/以上抜粋。
もう一度ご覧ください。
写真が小さいので左側から3分割で並べます。
まず何を感じますか?たぶん絵としての不自然さだと思います。
おそらくは鴨沢さん本人であろう人物が画面左右の中心にいて、部屋も窓が左右対称。そして床と壁の境は上下の中心に来ています。つまり、上下左右ともに2分の1、1:1で構成されているんですね。これって絵的にはありえないことなんです。とても居心地が悪い。
1:1の居心地の悪さに対して、心地いい比率と言えば黄金分割、1:1.618ですよね。このことは2008年3月16日、17日の『黄金分割 1、2』をご覧ください。
ではこの絵でその位置はどこになるのか。目見当だとネコの顔です。「まさか・・・」と思いながら定規で測ってみたら、このネコの顔は上下左右ともに、キッチリと画面の1:1.618の位置にありました。身震いしました。
「そうか、・・・鴨沢さん辛かったんだね。でもさあ、そんなこと絵に込めなくたって、酒飲みながら誰かに愚痴ればよかったんじゃないのかなあ。まあそれがアーティストなのかもしれないけどさ」
では、この絵から僕に聞こえてきた鴨沢さんの愚痴を、『美の巨人たち』ふうに書き留めておきましょう。
窓が左右対称、シンメトリーにあるこの部屋は山手の洋館でしょう。
その部屋の中心に、とても厳格な家庭で育ったおぼっちゃまのようなキチッとした鴨沢少年が直立不動で立っています。そこに立っていることを命じられたか、あるいは建築物の一部として、その位置でオブジェと化すという呪いをかけられたかのようです。部屋(世界)の中心に居て、そこを1ミリも動けなくなっている鴨沢さん・・・。シンメトリー、2分の1、中心、息が詰まりそうな、遊びや揺らぎを許さない配置。これが彼と彼のいる世界。
その足元に近づいていくネコは上下左右とも黄金比、つまり身動きが取れない鴨沢さんと対照的にとてもバランスがいい場所にいて、しかもネコですから、自由気ままの象徴ですよね。この『ネコと自分の対比』を描くために、キャンバスに定規を使って縦横の真ん中に十字に線を引いて、今度は電卓を持ち出して比率を計算し、縦横とも1:1.618のポイントにマークしました。その行為自体が、そのときの鴨沢さんを物語っています。辛くて辛くて、もう柔軟な思考も消え失せて、生真面目という不器用さによってできてしまったかさぶたを、自分で何度もはいでは血を出している。アングラ映画のシーンのように。ぼくにはそんなことが浮かびました。
この絵は単純な一点透視の遠近法で描かれています。床の板目の交点、遠近法の心点はどこかというと、鴨沢さんののど仏です。なんででしょうねえ。上下左右の黄金比のポイントはネコの眉間なのに、遠近法の焦点はのど仏。・・・命ですよね。死を意識しています。
真面目な真面目な鴨沢さんだから、きちっと、描く世界の心点に自分ののど仏を持ってきた。
「やっぱりそうですよ。鴨沢さん、あなたは、こういう絵を描くより、酔っぱらって誰かに愚痴ればよかったんですよ。もっとだらしなく、もっといい加減に生きればよかったんだ。この絵にはね、あなたが得意なファンタジーがないじゃないですか。この絵は、この絵は、あなたが鬱々として描いたこの絵は、・・・悲しくなるんだよ」
床に整然と並んでいるおもちゃ。それらはネコか、あるいはネコの飼い主の所有物でしょう。鴨沢さんのものではない。ただ中央の正20面体のサイコロはおもちゃの持ち主から貰ったものなんじゃないかと思います。それは電池で予測不可能な不思議な動きをするおもちゃで、そのサイコロを貰って、鴨沢さんは嬉しくて、夢中でそれで遊んだんだと思うんですね。厳しい家で育ったから、そんな楽しいおもちゃを生まれて初めて手にしたんじゃないかなあ。でもそのおもちゃ、電池がなくなってしまった。その空になった電池をサイコロから取り出して、呆然として自分の足元に置いたのかもしれない。
これらのおもちゃを床に並べたのは鴨沢さんです。最初から部屋におもちゃが並んでいて、その中心に自分が立ったのではありません。本来自由奔放に遊ぶためのおもちゃを、床の板目に合わせて均等に(不自由に)配したんですよ。自分が貰って楽しく遊んでいたおもちゃの電池が切れて、きっとそれですねてしまったんですね。だからバイクも、水鉄砲も、クルマも、スプーンも、ピストルも、全部左に向いています。舞台の上手から下手への流れです。順風満帆の人生。その流れに杭を打ち込んだように自分が立ってみせたんでしょう。「自分はもう流れに乗ることは、止める」と。
「鴨沢さん。今日はぼくも酔っぱらってるんで、ちょっと言わせてくださいよ。この絵を観てたらあなたの声が聞こえて来て、もう飲まずにいられなくなったんです。だからね、言わせてくださいね。あなたねえ!女々しいよ!おもちゃをさあ、そんなことに使わないでほしい!あのサイコロをもらったときさあ、うれしかったんでしょ。生まれてから一番うれしいくらいうれしかったんでしょ。バカですよあなたは。あなたは女々しいけど、ゴッホも、山頭火も、中原中也も、高田渡も、みーんな女々しい人だった。世の中の人が全員、あなたが描いたあのネコみたいに上手に生きていたら、世界は味気ないですよね。もしもそうだったら、小説も映画も芸術も必要ないじゃないですか。そうだったら情感や感動がなくなってしまって、それじゃあ人間じゃないですよ。だから、河口湖であなたのこの絵を観て、あなたが描いた弱音や愚痴を聞いて、ぼくはあなたのこと、好きになりました。鴨沢さん、ガロの鴨沢祐仁さん、なんでもう少し長く生きていてくれなかったんですか。そうしたら一緒に飲めたのに。だらしなくさ。ウダウダとさ。いつかぼくがそっちに行ったら、お酒を持って遊びにいきますからね」
・・・もうぼくは飲み過ぎて、酔っぱらってます。
鴨沢祐仁さんは、漫画家ではなくて、アーティストだったんです。そしてこの絵は、お酒の弱いぼくを二日酔いにしました。一夜が明けて今朝あらためて絵を眺めると、これは鴨沢祐仁さんが北原照久さんに書き残した、丁寧な丁寧な、心のこもった『お礼状』だったんじゃないかなあって。「ちゃんと言葉で言いなさいよ」とも思うんですけど、そこがまた鴨沢さんなんですよねきっと。
この一枚の絵に出会えただけでも、行って良かったですよ『北原ミュージアム Happy Days』。
明日に続きます。
いやあ、そんなわけで夕べは飲み過ぎてしまって(何年ぶりかです)今朝は軽い二日酔いです。反省反省。でもまあこんな朝もあります。さあてと!気合いを入れて。今日もいいいち日になるように、張り切っていきましょう!
作者は鴨沢祐仁さん。
一昨日ご紹介した北原さんの『みんな、おもちゃが好きだった』に鴨沢さんのことが出てくるので、一部を抜粋します。
以下抜粋/鴨沢祐仁(かもざわゆうじ)さんは、奇才のイラストレーター、漫画家だった。ハニーというメーカーのグラフィックデザイナーとして活躍した時期もあって、広告やCDのジャケットでもいい作品を残したが、代表作はなんといってもクシー君のコミックシリーズだ。1977年から雑誌『ガロ』に連載され、物質の将来をテーマに、クシー君とうさぎのレブス君が登場する形而上学的コミックとして注目を浴びた。
不思議な世界だった。オシャレで都会的なモノが満ちあふれた世界に、大人のノスタルジックなファンタジーが迷い込む。ときにSF的な宮沢賢治ワールドも入り込んだ。宮沢賢治も鴨沢さんと同じ岩手県の出身だ。僕は彼の作品が大好きで、彼の原画の90パーセントは持っている。何千枚の原画だ。
彼は2008年1月に他界した。自分のアパートの風呂場で入浴中の急死だった。僕は河口湖のミュージアムで彼の追悼展を開き、今後も継続して彼の作品の展示会を開いていきたいと想っている。しかし、彼の実生活は“すばらしく、いい加減”だった。酒に溺れて仕事の締め切りは守れず、借金に追われ、56歳で急逝するまで破天荒な生き方を貫いた。
ーーー 中略 ーーー
偲ぶ会で彼と一緒に仕事をした編集者は口をそろえて言っていたが、約束を絶対守らない人だった。僕だって彼は締め切りが守れないと知っているから、サバをよんで、三ヶ月~半年くらいの余裕を見込んで彼に仕事を頼んでいた。が、それでも作品は仕上がってこない。誰と仕事をしても、そんな調子だったらしい。
あるとき、僕が頼んだ絵の締め切りがとっくに過ぎても半分しかできていなかったので、ブリキのおもちゃ博物館の隣にあるクリスマストイズの二階に閉じ込めたことがあった。
「仕上がってないなら、ここで描いて」
と、彼を缶詰めにして最後まで描かせた。
ーーー 中略 ーーー
自分でも不思議なのは、年月がたっても僕のモノの好みは変わらず、モノを観る目がブレないことだ。鴨沢祐仁が好きだと思えば、その気持ちは一貫してずっと変わらない。だから彼が生前、僕のところに作品を持ってくれば、必ず買った。そして彼は売る作品がないときは借用書を書いて借金していった。金に詰まると、どこへ行ってもこう言っていたらしい。
「絵の具がないんです」
そう言われれば、絵描きが絵の具がなくては困るだろうと、みんなお金を出した。僕だって「絵の具がない」という彼のセリフを何度聞いたことか。そのたびにお金を渡し、彼はそのたびに借用書を書いた。金一万円とか、二万円とか、最高でも五万円くらいだった。誰でも貸してくれそうな金額だった。「ま、いいか」と差し出せる金額だったから、みんな返してもらうつもりはなかったと思う。/以上抜粋。
もう一度ご覧ください。
写真が小さいので左側から3分割で並べます。
まず何を感じますか?たぶん絵としての不自然さだと思います。
おそらくは鴨沢さん本人であろう人物が画面左右の中心にいて、部屋も窓が左右対称。そして床と壁の境は上下の中心に来ています。つまり、上下左右ともに2分の1、1:1で構成されているんですね。これって絵的にはありえないことなんです。とても居心地が悪い。
1:1の居心地の悪さに対して、心地いい比率と言えば黄金分割、1:1.618ですよね。このことは2008年3月16日、17日の『黄金分割 1、2』をご覧ください。
ではこの絵でその位置はどこになるのか。目見当だとネコの顔です。「まさか・・・」と思いながら定規で測ってみたら、このネコの顔は上下左右ともに、キッチリと画面の1:1.618の位置にありました。身震いしました。
「そうか、・・・鴨沢さん辛かったんだね。でもさあ、そんなこと絵に込めなくたって、酒飲みながら誰かに愚痴ればよかったんじゃないのかなあ。まあそれがアーティストなのかもしれないけどさ」
では、この絵から僕に聞こえてきた鴨沢さんの愚痴を、『美の巨人たち』ふうに書き留めておきましょう。
窓が左右対称、シンメトリーにあるこの部屋は山手の洋館でしょう。
その部屋の中心に、とても厳格な家庭で育ったおぼっちゃまのようなキチッとした鴨沢少年が直立不動で立っています。そこに立っていることを命じられたか、あるいは建築物の一部として、その位置でオブジェと化すという呪いをかけられたかのようです。部屋(世界)の中心に居て、そこを1ミリも動けなくなっている鴨沢さん・・・。シンメトリー、2分の1、中心、息が詰まりそうな、遊びや揺らぎを許さない配置。これが彼と彼のいる世界。
その足元に近づいていくネコは上下左右とも黄金比、つまり身動きが取れない鴨沢さんと対照的にとてもバランスがいい場所にいて、しかもネコですから、自由気ままの象徴ですよね。この『ネコと自分の対比』を描くために、キャンバスに定規を使って縦横の真ん中に十字に線を引いて、今度は電卓を持ち出して比率を計算し、縦横とも1:1.618のポイントにマークしました。その行為自体が、そのときの鴨沢さんを物語っています。辛くて辛くて、もう柔軟な思考も消え失せて、生真面目という不器用さによってできてしまったかさぶたを、自分で何度もはいでは血を出している。アングラ映画のシーンのように。ぼくにはそんなことが浮かびました。
この絵は単純な一点透視の遠近法で描かれています。床の板目の交点、遠近法の心点はどこかというと、鴨沢さんののど仏です。なんででしょうねえ。上下左右の黄金比のポイントはネコの眉間なのに、遠近法の焦点はのど仏。・・・命ですよね。死を意識しています。
真面目な真面目な鴨沢さんだから、きちっと、描く世界の心点に自分ののど仏を持ってきた。
「やっぱりそうですよ。鴨沢さん、あなたは、こういう絵を描くより、酔っぱらって誰かに愚痴ればよかったんですよ。もっとだらしなく、もっといい加減に生きればよかったんだ。この絵にはね、あなたが得意なファンタジーがないじゃないですか。この絵は、この絵は、あなたが鬱々として描いたこの絵は、・・・悲しくなるんだよ」
床に整然と並んでいるおもちゃ。それらはネコか、あるいはネコの飼い主の所有物でしょう。鴨沢さんのものではない。ただ中央の正20面体のサイコロはおもちゃの持ち主から貰ったものなんじゃないかと思います。それは電池で予測不可能な不思議な動きをするおもちゃで、そのサイコロを貰って、鴨沢さんは嬉しくて、夢中でそれで遊んだんだと思うんですね。厳しい家で育ったから、そんな楽しいおもちゃを生まれて初めて手にしたんじゃないかなあ。でもそのおもちゃ、電池がなくなってしまった。その空になった電池をサイコロから取り出して、呆然として自分の足元に置いたのかもしれない。
これらのおもちゃを床に並べたのは鴨沢さんです。最初から部屋におもちゃが並んでいて、その中心に自分が立ったのではありません。本来自由奔放に遊ぶためのおもちゃを、床の板目に合わせて均等に(不自由に)配したんですよ。自分が貰って楽しく遊んでいたおもちゃの電池が切れて、きっとそれですねてしまったんですね。だからバイクも、水鉄砲も、クルマも、スプーンも、ピストルも、全部左に向いています。舞台の上手から下手への流れです。順風満帆の人生。その流れに杭を打ち込んだように自分が立ってみせたんでしょう。「自分はもう流れに乗ることは、止める」と。
「鴨沢さん。今日はぼくも酔っぱらってるんで、ちょっと言わせてくださいよ。この絵を観てたらあなたの声が聞こえて来て、もう飲まずにいられなくなったんです。だからね、言わせてくださいね。あなたねえ!女々しいよ!おもちゃをさあ、そんなことに使わないでほしい!あのサイコロをもらったときさあ、うれしかったんでしょ。生まれてから一番うれしいくらいうれしかったんでしょ。バカですよあなたは。あなたは女々しいけど、ゴッホも、山頭火も、中原中也も、高田渡も、みーんな女々しい人だった。世の中の人が全員、あなたが描いたあのネコみたいに上手に生きていたら、世界は味気ないですよね。もしもそうだったら、小説も映画も芸術も必要ないじゃないですか。そうだったら情感や感動がなくなってしまって、それじゃあ人間じゃないですよ。だから、河口湖であなたのこの絵を観て、あなたが描いた弱音や愚痴を聞いて、ぼくはあなたのこと、好きになりました。鴨沢さん、ガロの鴨沢祐仁さん、なんでもう少し長く生きていてくれなかったんですか。そうしたら一緒に飲めたのに。だらしなくさ。ウダウダとさ。いつかぼくがそっちに行ったら、お酒を持って遊びにいきますからね」
・・・もうぼくは飲み過ぎて、酔っぱらってます。
鴨沢祐仁さんは、漫画家ではなくて、アーティストだったんです。そしてこの絵は、お酒の弱いぼくを二日酔いにしました。一夜が明けて今朝あらためて絵を眺めると、これは鴨沢祐仁さんが北原照久さんに書き残した、丁寧な丁寧な、心のこもった『お礼状』だったんじゃないかなあって。「ちゃんと言葉で言いなさいよ」とも思うんですけど、そこがまた鴨沢さんなんですよねきっと。
この一枚の絵に出会えただけでも、行って良かったですよ『北原ミュージアム Happy Days』。
明日に続きます。
いやあ、そんなわけで夕べは飲み過ぎてしまって(何年ぶりかです)今朝は軽い二日酔いです。反省反省。でもまあこんな朝もあります。さあてと!気合いを入れて。今日もいいいち日になるように、張り切っていきましょう!
もしかしたらその30年間、未完のこの絵が鴨沢さんの深層で低く響き続けていたのかもしれませんよね、30年間の通奏低音。大人になりきったら2度と聴こえてこない、でも聴こえているうちはただただ耳障りで時には頭が割れそうになる、あの成長期のノイズみたいな、アレ。ずっと鳴り止まないその音に、北原さんと出会ったことでやっと終止符を打てたのかもしれませんよね。北原さんにはそういうところありますからね「そんなの受け入れちゃいなよ」みたいな。
予想するに、鴨沢さんのファンタジーの描き方は、たぶん、実作業の9割方が理詰め。もしそうだとすると、そこには猛烈に孤独な戦いの側面があったはずです。人の笑顔が好きで、それを引き出すための理屈を組み立てて、理詰めで仕上げていく。しかもその理屈はみじんも感じさせないままで。理屈が透けて見えたりネタばらししたんではファンタジーにはなりませんからね。手塚治虫もウォルト・ディズニーも、天然の人ではなくて理屈と戦いの人、鴨沢さんもきっとそういうタイプの作家だったんのではないですかねえ。
でもこの絵は逆ですよね。教科書に載っている理屈をベタに使いまくって、メッセージもストレートでベタです。つまりこの絵はファンタジーではない。他の作品群とは異質な鴨沢祐仁いう人の生身の姿、30年かかって受け入れることができた自分自身だったのかもしれないなあ・・・、ねっ、こんな感じでちびちび飲みながら観ていると、切りなく引き込まれていく不思議な絵なのです。