庭の一番奥、建物の外壁とコンクリートブロックに挟まれたような場所を「過ごす場所」に、それもリビングからはなれているので「行きたくなる場所」にすることが今回の設計の最重要課題でした。
この点が「中途半端はゼロに等しい」ところなんです。リビングの外だったら生活空間が広がるのですから行きやすいし楽しみやすい。ところが今回のように過ごす場所を部屋から離れて設定した場合は、その場所がそうとう楽しいか、必ずそこに行かなければならない理由を設定しなければなりません。たまにしか行かない、行っても特段楽しい感じがしない場所になってしまったら「ゼロ」なのです。
立体的にはコーナーパーゴラと木製パネルと常緑樹(シマトネリコ)で「部屋感」を出して、その色を青と白にすることで「特別な場所」に仕立てました。この狙いがなければ、デッキの板塀と同じ緑と白の組み合わせにしていたでしょう。色や素材の数を増やすには、理由が必要だというのがぼくの持論です(うるさいでしょういちいち)。

立体的にはそういうこで、平面的にはタイルの見切りを円形にしたことがポイントです。円形と言っても円の3分の1くらいしか描けていないんですが、それでも円の隠れている部分を連想させて広い場所に感じられるから不思議です。それと場所のスペシャル感も出ます。


立体構成や色・素材のことや図形のことなんかを、これまで何年も何年も、クドクド考えてきて良かったなあと思いました。そのクドクドがなかったら、この場所は生まれなかったですから。しつこくクドクド考える性格の効用。

いろんなことを複合的に考え合わることでできあがった「家族の場所」です。

すでに何度かバーベキューを楽しまれたそうです。それと、子供たちが寝てからふたりでここに来てお酒を楽しんでいるそうです。ヨシッ!オッケー!
結婚生活という航海、その羅針盤はまだ発見されていない
つづめて言えば「夫婦の羅針盤は何処に」ということですよね。
夫婦の羅針盤、おもしろいなあと思いました。そしてそれはまだ発見されていないって、つまりは夫婦は行く手が定まらないままに海を漂う小舟だといううようなことですよね。地球上の全ての夫婦は座礁したり難破の危機に見舞われますから、「そうだよなあ、羅針盤がないんだからむづかしいよなあ」とうなづく言葉だと思いました。
しばらく時間をおいて気がついたんですね、もしかしたら・・って。羅針盤はちゃんとある、それは「恋」なんじゃないかなあって。
急になんなんですけどね、うちの奥さん最高ですよ。いい妻です。いやほんとに、出会えて良かったと思っています。連れ合いが他の誰でもこれほど(波乱に満ちて)充実して中身の濃い結婚生活は送れなかっただろうなあと思っています。っと、前置きした上で。
我が夫婦のこれまでのドラマを最初のシーン、中野区上高田、焼き鳥屋のカウンター席(はじめて出会った場所です)まで巻き戻して再生して考えると、我々には羅針盤はありました。お互いに相手の全てを認め合って、惹かれ合って、お互いを尊敬すらしていました。恋していたので、価値観や考え方を示す羅針盤は1ミリも振れることなく北極星を指していました。しかも恋するふたりには「ジョンとヨーコになろう」という目的地も決まっていました(ハハッ、まあ恋するふたりですから、ポワーッとそんなこと話していました)。でも・・・海図がなかったんです。恋という羅針盤によって方角はわかっていても、どっちに目的地があるのかがかいもく分からないままに船出をしたわけです。
セールは張ってみたものの風まかせの波まかせで、でも楽しかったなあ!今考えると不思議なほどなんの根拠もないまま、でもキッパリと、夢は当然実現するものだと思っていたもんなあ、航海の先に黄金の国ジパングがあると。ふたりとも漁は得意だったので毎晩船上で満天の星を見上げながら飲んで食って夢語って、カリブの海賊みたいな日々でした。カリブの海賊、いやほんとにそんな感じでしたよ、毎日ドンチャン騒ぎみたいな。
恋という、バシッと北を指す羅針盤を持っていたのに、肝心の海図を手に入れていなかった。若いふたりは、熱く夢を語り合いながら、大海をさまよい続けたのでした。
(今日は元海賊の妻が実家の姫路に行っていて留守なので、こんなことも書けました。いつもどおりに隣りにいたら照れるし怒られるしで、こういうことは書けませんからね)
「夫婦の羅針盤」、明日に続きます。
この点が「中途半端はゼロに等しい」ところなんです。リビングの外だったら生活空間が広がるのですから行きやすいし楽しみやすい。ところが今回のように過ごす場所を部屋から離れて設定した場合は、その場所がそうとう楽しいか、必ずそこに行かなければならない理由を設定しなければなりません。たまにしか行かない、行っても特段楽しい感じがしない場所になってしまったら「ゼロ」なのです。
立体的にはコーナーパーゴラと木製パネルと常緑樹(シマトネリコ)で「部屋感」を出して、その色を青と白にすることで「特別な場所」に仕立てました。この狙いがなければ、デッキの板塀と同じ緑と白の組み合わせにしていたでしょう。色や素材の数を増やすには、理由が必要だというのがぼくの持論です(うるさいでしょういちいち)。

立体的にはそういうこで、平面的にはタイルの見切りを円形にしたことがポイントです。円形と言っても円の3分の1くらいしか描けていないんですが、それでも円の隠れている部分を連想させて広い場所に感じられるから不思議です。それと場所のスペシャル感も出ます。


立体構成や色・素材のことや図形のことなんかを、これまで何年も何年も、クドクド考えてきて良かったなあと思いました。そのクドクドがなかったら、この場所は生まれなかったですから。しつこくクドクド考える性格の効用。

いろんなことを複合的に考え合わることでできあがった「家族の場所」です。

すでに何度かバーベキューを楽しまれたそうです。それと、子供たちが寝てからふたりでここに来てお酒を楽しんでいるそうです。ヨシッ!オッケー!
結婚生活という航海、その羅針盤はまだ発見されていない
つづめて言えば「夫婦の羅針盤は何処に」ということですよね。
夫婦の羅針盤、おもしろいなあと思いました。そしてそれはまだ発見されていないって、つまりは夫婦は行く手が定まらないままに海を漂う小舟だといううようなことですよね。地球上の全ての夫婦は座礁したり難破の危機に見舞われますから、「そうだよなあ、羅針盤がないんだからむづかしいよなあ」とうなづく言葉だと思いました。
しばらく時間をおいて気がついたんですね、もしかしたら・・って。羅針盤はちゃんとある、それは「恋」なんじゃないかなあって。
急になんなんですけどね、うちの奥さん最高ですよ。いい妻です。いやほんとに、出会えて良かったと思っています。連れ合いが他の誰でもこれほど(波乱に満ちて)充実して中身の濃い結婚生活は送れなかっただろうなあと思っています。っと、前置きした上で。
我が夫婦のこれまでのドラマを最初のシーン、中野区上高田、焼き鳥屋のカウンター席(はじめて出会った場所です)まで巻き戻して再生して考えると、我々には羅針盤はありました。お互いに相手の全てを認め合って、惹かれ合って、お互いを尊敬すらしていました。恋していたので、価値観や考え方を示す羅針盤は1ミリも振れることなく北極星を指していました。しかも恋するふたりには「ジョンとヨーコになろう」という目的地も決まっていました(ハハッ、まあ恋するふたりですから、ポワーッとそんなこと話していました)。でも・・・海図がなかったんです。恋という羅針盤によって方角はわかっていても、どっちに目的地があるのかがかいもく分からないままに船出をしたわけです。
セールは張ってみたものの風まかせの波まかせで、でも楽しかったなあ!今考えると不思議なほどなんの根拠もないまま、でもキッパリと、夢は当然実現するものだと思っていたもんなあ、航海の先に黄金の国ジパングがあると。ふたりとも漁は得意だったので毎晩船上で満天の星を見上げながら飲んで食って夢語って、カリブの海賊みたいな日々でした。カリブの海賊、いやほんとにそんな感じでしたよ、毎日ドンチャン騒ぎみたいな。
恋という、バシッと北を指す羅針盤を持っていたのに、肝心の海図を手に入れていなかった。若いふたりは、熱く夢を語り合いながら、大海をさまよい続けたのでした。
(今日は元海賊の妻が実家の姫路に行っていて留守なので、こんなことも書けました。いつもどおりに隣りにいたら照れるし怒られるしで、こういうことは書けませんからね)
「夫婦の羅針盤」、明日に続きます。