パシャパシャと撮影していたら、奥様がハーブティーをごちそうしてくださいました。庭で摘んだミントを洗って熱湯を注げばできあがり。美味い!
フレッシュハーブティーはミント、カモミール、レモングラスなど、いついただいても気分がスッキリして、ゆたか~な気分になります。

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これがそのミントです。

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ティータイムを楽しんで、撮影再開しようとしたら、庭の隅にブライダルベールが咲いていました。この花には想い出があって・・・、再び椅子に腰掛けて「あの日」のことを思い出し、手帳に書きました。

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中学1年の、季節は今ごろ、学校帰りに渡辺農園という園芸店でブライダルベールの鉢植えを買って帰って、四畳半の自室の窓辺にぶら下げました。当時、別に花に興味があったわけではなく、もちろん将来庭の仕事に関わるなんて夢にも思っていなかったぼくが、なぜ唐突にそんな鉢植えを買って帰ったのかは謎です。まあ気まぐれだったんでしょう。
鉢には育て方のシオリみたいなのがくっついていて、その小さな花が昼間は咲いて夕方には閉じて、また翌日明るくなると咲く、と書いてありました。そこに興味が行っちゃったんですね。
その小さな花が開いたり閉じたりする様子を自分の目で確認したくなったんです。で、どうしたかと言うと、翌日学校を休んで(熱があるとか嘘ついたんだと思います)朝から晩までその花を眺めていました。部屋でひとり、電気をつけないで、レコード聴きながらずーっと花を見つめていました。シオリに書いてあるように、日光に当たると無数にあるつぼみが見事に開いて鉢植えはその名の通り、ブライダルベールでつくったように淡く白いボールになりました。そして夕方にはすべて小さく閉じて、深緑の葉っぱのボールになりました。
35年前の、特に何ということのないそのいち日のことが、ものすごく鮮明に記憶に残っていて、ブライダルベールを見かけると条件反射的によみがえってくるんです。花を眺めながらその日聴いたレコードは吉田拓郎のライブ盤「ともだち」と、カーペンターズの2枚組ベスト盤と、サイモン&ガーファンクルの21曲入りベスト盤と、エルビス・プレスリーの「エルビス・オン・ステージ」、よく覚えているでしょう。それくらいその日のことは鮮明な記憶なのです。
それがなぜなのかと考えると、きっとぼくにとってこの上なく幸せないち日だったんじゃないかなあと思っているんですね。もともとそういうことが大好きで、土手に寝っ転がって流れる雲を見上げているとか、魚釣りに行ってじっと川面を見つめているとか。
周囲から見るときっと呆けているようだったと思うのですが、当人はそういう時にただボーッとしているのではなくて、実はものすごくいろんなことを考えているんです。理論的にものごとを思考しているのとは違って、空想の世界。ありえないストーリーが浮かんできてそのドラマの主役として空想世界を駆け回ったり、空想と言うには曖昧でカタチを成していない、色とか香りとか、田んぼでオタマジャクシを触った時の感触とか、そういうのに浸っていることもありました。ひとことで言うと、ものすごく内向的な子どもだったということですね。

自分のそういう面を「自分のイカした個性」として受け入れられたのは、30歳を過ぎてからだった気がします。それまでは自分のそういうところに、ほんの少しだけですけどコンプレックスを感じていて、できれば人に悟られたくないと思っていた気がします。

これが田村さんちでハーブティーをいただいた後に手帳に書いたことです。何だか微妙な話で、わかりましたかねえ。
この話、明日に続きます。


 

「きのうの続きのつづき」、書道家武田双雲さんの話がとても興味深くておもしろかったです。ほんと、いい番組です。
双雲さんは37歳で、自分が37歳の頃のことを思い出せば「まだ若いのに、何でそんなに人の心を打つ書が書けるんだろう」という???がわいてきます。当初、それがぼくの双雲さんへの興味の中心でした。そう言えば浅見帆帆子さんは32歳で、双雲さんよりもさらに若い。そういう人たちが人を元気づけ感動される言葉を持っているのですから、ものすごい人たちです。でも考えたら、坂本龍馬は33歳で、宮沢賢治は37歳でこの世を去っていて、それまでにあれだけのことを成し遂げたんですからね。ただぼくがボーッと歳を取ってしまっただけなのかもしれませんね。
まあ、年齢は関係ありません。おふたりの言葉は「腹に入る(北原照久さんがコレクションを購入する時の基準だそうです。腹に入るものを買う)」、納得できて波動を引っ張り上げられる気がします。

双雲さんの書を見て涙を流す人がたくさんいるのだそうです。日本人だけでなく、日本語を解さない外国人までもが作品を見て感動し涙するというんです。ものすごいことですよね。
こんなこともあったそうです。作品展の会場で知的障害のある成人の女性(知能は3歳児くらいだといいます)が双雲さんお書の前から離れなくて、いつまでもそこに立って作品を見つめていた。その女性のご両親がその書を購入して帰ったそうです。ぼくはその話を聞いて身震いしました。「すごいよ!文字の意味が理解できない人まで感動させられる書道家って。そんな表現者が、いったい地球上に何人いるだろうか」と。

ラジオでそのエピソードを聴いた翌日、正直に言うとぼくは設計の手が止まってしまいました。いくら考えても線が描けなくなってしまったんです。「ぼくの設計は理屈抜きに感動を与えられるものなんだろうか。それだけのチカラが、ぼくにはあるんだろうか」そう考え始めたらもうだめでした。そういう気持の時にはどうあがいても中途半端な仕上がりになるので、途中で設計作業をやめて他の仕事をしました。

落ち込みも激しいんですが立ち直りも早い方なので、翌日にはもう自信(何の根拠もない自信ですが)に満ちていつものペースで設計できましたけど、でも心の底に「よろこんでもらえるだけじゃなくて、お客様を感動させられる庭を設計したい」という思いが刻み込まれました。

武田双雲さんは、ぼくに新たな課題を与えてくれました、「感動する庭」。ありがたいことに過去何度か、お客様からそう言う感想をいただきましたが、そうじゃなくて、つくり手の課題として、「感動する庭」ということを、ひとつの柱に据えて仕事をしていきたいと。
そして、そういう仕事をしていくためのヒントも聴かせてくれました。それは双雲さんの座右の銘です。

「全てを遊びに」

武田双雲/息子がずっと遊ぶことしか考えていないんですよ。それが衝撃的で、すごいなあ、かなわないなあと思ったんです。だから息子を師だと思って、全てのことをワクワクしながらゲームだと思ってやってみようと決めました。妻との買物もあまり好きじゃなかったんですが、ゲーム感覚になると楽しいし、何でもかんでも遊びだと思えば楽しい。たまに悲しみや弱気になることもあるでしょ、そうすると来た来たーって。そういうポジティブは自分も嫌いではないのでポジティブを遊ぶんです。ラジオに出ても「今日のゲストはボジティブな武田双雲さんです!」みたいな紹介をしてもらうとか。


いいでしょうこの人、武田双雲さん。「息子を師として」なんてところがとても自由闊達でイキイキしていますよね。無邪気な、その淀むことのない生命力みたいなものが、きっと感動を生む原資なんでしょうね。
ワクワクしながら夢中で仕事すれば、きっと感動する庭にたどり着けると思いました。さっそく今日から、ワクワクと、思いっきり遊びながらの設計にチャレンジします。
勉強になるなあ。

さあっ、今日から夏休みです。子どもたちよ、とりあえず宿題なんかほっぽり出して、思いっきり遊ぼうぜ!