リビングの外にある1メートル20センチ幅の通路。

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一般的には建物の基礎がドロはねで汚れないためと、雑草取りを楽にするために砂利を敷きますよね。
その1メートル20センチ幅の通路をテラスにすると、けっこういいもんですよ。地面を持ち上げて、タイルを張って、それだけで部屋が外に広がった感じになるし、小さめの椅子テーブルなら置ける広さですから、いつでもそこで過ごせます。「狭いから無理だ」とあきらめないで、いち度イメージしてみてください。部屋が広がって、室内と外が解け合って、リビングの居心地が大きく変わりますよ。

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今回のいちばんの狙いは庭に出やすくすることでした。それは同時に庭から家にも入りやすくなるということで、仲良しのお隣りさんが玄関からではなく、庭を通ってここから「いるー?」とか言いながら入ってくる、そんなことをイメージしてつくりました。田舎の縁側みたいなもんですね。

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こういう場合、地面を持ち上げるだけでは片手落ちで、同時に、立体的な要素として塀やフェンスを設置するといい感じの場所になります。できれば部屋に立って目が当たる高さまで。そうすることでカーテンを開けていても外の風景が絵になるし、立って目が当たる高さの壁や塀があると、そこまで部屋が広がったという認識が生まれるからです。

今回その役を果しているのはタカショーの千本格子ユニットです。奥様の和風好み(室内も洋室に和テイストがあしらわれていて、とても落ち着きのあるリビングなのです)にあわせてこれを選択しました。

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じつはこれアルミなんですよ。アルミフェンスに木目のプリントを貼ってあるんです。
すごいでしょこの味のある本物感。プリントの耐久性も抜群で「さすが、こだわりのタカショー!」と言いたくなる製品です。

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持ち上げたテラスには植栽スペースを設けてあります。部屋からの景色として考えた時に、これもまた有効な手法です。

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景色のアクセントにライトを一灯設置しました。おもしろいでしょこれ、お月様が転がっているみたいで。積水エクステリアのムーンランプです。

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テラスから階段を下りて、庭と、その向こうのお隣りさんちへと続く延べ団が見えます。

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どうですか、通路をテラスにすることで、ずいぶん便利で楽しくなるでしょ。


 

梅雨時期はわりと穏やかな梅雨らしい梅雨だったので、ちょっとホッとしていたんですが、やっぱり地球の悲鳴は聞こえて来ましたね。集中豪雨でたくさんの方が亡くなりましたね。
中学生の頃に田舎の新潟で、雪崩で老人ホームが埋まってしまって多くの命が奪われたことがあります。街中が重苦しい空気になって、それでも降り続ける雪が恨めしかったのを憶えています。自然相手じゃ切なさや悔しさをぶつけようもなくて「犯人や責任者や、非難できる相手がいた方が楽だなあ」と思ったものです。
集中豪雨での被害も自然相手ですから、今この時に、ぶつけようのない悲しみや辛さに耐えている人が大勢いらっしゃると思うと・・・。ぼくが考えられることは「生きてる者が、理不尽に命をなくしてしまった人の分まで、精一杯生きましょう」ということだけです。

尊敬して止まない和民の渡邊美樹さんが、こんなことをおっしゃっています。

私にとって、人生とは「1円玉が詰まったガラス容器」というイメージです。
そのガラス容器は大きな砂時計の形をしていて、中にはぎっしりと1円玉が詰まっている。そして、私たちが1日生きるごとに1円玉は1枚ずつ下へ落ちていきます。その数は人生の全日数分、すなわち、80年としてほぼ3万枚です。
しかし、その中に1枚だけ金色の1円玉が交じっていて、その金色の1円玉が落ちたとたん、残りすべての1円玉も一気に落ちてしまう。つまり、それが死です。
金色の1円玉がいつ下へ落ちるかは、神のみぞ知るで、わかりません。それが最後まで残る保証はどこにもない。むしろ、途中で落ちてしまう(寿命をまっとうすることなく死んでいく)ケースの方がずっと多い。それは30年先のことかもしれないが、明日のことかもしれない・・・。
私には、人間の生がそれほどはかなく、死はそれほど確固としたものに感じられるのです。その事実を悲観的にとらえれば、人生のすべては死に至る過程であり、今日を生きることは死に一歩近づくことでしかないということになるでしょう。
しかし、だれの命も有限であり、明日を確約された人間など誰一人としていない、誰にも必ず・・・もしかしたら予想よりも早く・・・明日が来ない日が訪れる。この非情な事実を前提として、だからこそ、その砂漠の水の一滴一滴のように尊い一日一日を、完全燃焼、完全納得しながら生きていかなくてはならないと思うのです。

人生が2度あったなら、最初は下書き、2度目は清書と言った人がいます。しかしもし、今日と同じ日がもう一日用意されていたとしても、私は迷うことなく、今日と同じ過ごし方をしたいと考えています。
たとえ今日が昨日とまったく同じ繰り返しであっても、それで一片の後悔もなければ、一行の余白も残らない。付け加えることもなければ、やり直すこともない。思考も行動も態度も、何ひとつ変える必要を感じない。
そんな中身の濃い一日を一つひとつ積み重ねていく確固たる生き方を、私はいつも自分に課したいのです。


どうですかね、きびしすぎる考え方ですか?それとも「言葉だけなら何とでも言える」と思うでしょうか。
縁あって、渡邊美樹さんと2日間にわたって同席させていただく機会がありました。そのときにはっきり思ったことは「この人はその言葉通りに生きているんだなあ」ということでした。会話、表情、姿勢、立ち居振舞いのすべてがその言葉通りで、そして余白(ボーッとしている時間)が一切なく、常に太陽のように周囲を照らしていました。ものすごい方でした。

ぼく自身、美樹さんに心酔しているものの、とてもその強い生き方を真似ることはできません。それでも日々、物まねの練習はしています。ほんの少しずつでも近づきたい、すばらしい死生観、人生観だと思います。

水害で亡くなられた人たちの冥福を祈りながら、悲しみの中にいるご家族には・・・何にもしてあげられませんけど、その思いの分、明日もまた一片の後悔もなければ、一行の余白も残らない。付け加えることもなければ、やり直すこともない。思考も行動も態度も、何ひとつ変える必要を感じない。そんな一日を目指してみます。チャレンジです。