ガーデンリフォームですから、もともと庭に植わっていた樹木を極力残しつつプランするようにしました。いつも基本的にはそうしようと考えていますが、特に今回は、奥様から「庭の木や草花は想い出があるのでできるだけ残したいんです」というご要望がありましたのでなおさらでした。

このモミジはもともと植わっていた木です。そしてひとめ見て「いい木だなあ」と。時々あるんですよそういうこと。

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その姿から、かなり庭好きで、けっこう凝り性の方がかわいがって育てた木だということがわかります。うれしくなるんですよね、こういう木に出会うと。
どんなにいい仕立ての高級な木を買って植えても、木は生長しますから、放ったらかしたら早晩姿は乱れて、下手すれば枯れてしまうものです。反対にたいした木じゃなくても、愛情を持って付き合っていけば必ず見事な木になります。最初から樹形がヘンテコな木でさえ、年季が入るとそのおかしな形が味わいになるもので、だから植木屋さんの畑には変な形の木もたくさん植わっています。けっこう需要があるんですよ、そうい木って。

このモミジを丹念に手入れしながら大切に育てていた方はもうこの世にはいません。「樅の木は残った」という大河ドラマがありましたけど、この庭では「紅葉の木は残った」です。いいですよね、木が元気だと、その木にまつわる想い出やその木を育てた人のことが蘇ってきて。しかも庭木を見て故人を偲ぶ場合、不思議と悲しいし気持にならないものなんですよ。これは昔、ぼくに剪定のしかたを教えてくれた植木屋の親方さんが、茶飲み話で言っていたことです。その時は何気なく聞いていましたが、後年自分でも何度かそれを実感しました。
なぜ木を見て思い出す故人の想い出は悲しくなくて楽しいことばかりなのか、というと、その木が息づいているからです。故人とその木がダブって、亡くなった気がしなくなるんですね。
このモミジはぼくにはそう見えました。お会いしたことのないその方と、撮影の合間にけっこう会話しましたよ。先にこちらからご挨拶したら、とっても気さくに話しかけて来てくださいました。

降ったり止んだりの空模様だったので、モミジの葉に細かい水滴が。ファインダーをのぞきながらぼくはその葉っぱと話していました。完全に木と故人が重なっていました。

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庭には他にもいろんな灌木類が植わっていて、アジサイ、アオキ、ツゲ、チャノキなど、いかにも昭和を感じさせる木々がそのモミジに見守られるように茂っていました。

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ほんとに庭が好きな方だったんだなあと、そんなこともモミジに向って話しかけて、いつしかぼくは、自作の坪庭が自慢だった祖父(先日七回忌が済みました)と会話していました。

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庭っていいですね。ぼくがこの世からいなくなった後に、ぼくのことを思い出して語りかけてくれるような庭を、子どもたちと、そのまた子どもたちに残したいなあ。

いやあ、あのモミジがあまりにいい感じだったので、何だかタップリと幸せな想い出が蘇ってきました。

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っと、延々ノスタルジーに入っていきそうなので軌道修正して、話を庭木に戻しましょう。

今回新たに植えたのはエゴノキとミカンの2本です。エゴノキは庭のほぼ中央に。これは庭全体に厚みを持たせるためと、いわゆる雑木を植えることで、今風のナチュラル感を出したかったからです。そしてミカンは、物置を隠すために植えました。どちらの木もお隣りさんから見栄えがいいように、という配置にもなっています。

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幸せな庭をつくるために、邪魔になる木を切ることはよくあります。塩とお酒でお清めして、パパッとお払いして、チェーンソーで一気に。でも、想い出の木、魂が宿った木はとてもじゃないけど切る気になれないので、それを残してプランします。

庭は植物のための場所ではなくて人のための場所です。人がいて庭です。木に宿っている想い出の人もまた、庭にいる人なのです。


 
突然ですが、夫婦について思うところがあって、書きとめておこうと思います。今日お客様とそんな話になったものですから。

家族の中で唯一血縁がないのが夫婦です。生まれも育ちもちがう男女が、縁あって結婚して、そこからふたつの家族プラスひとつの家族という生活がスタートします。お互いの実家を気遣いながら、自分たち新米家族をいい具合に成長させていかなければなりません。
年期の入った夫婦の実感として難しいですよねえ夫婦って
家族のかなめは夫婦です。夫婦がいい関係性を維持できなければ当然家族も崩壊していきます。世の中で、さまざまなことで理不尽に奪われる命に次に、家族の崩壊は悲しいことだと思っていますので、庭を考える時でもそのことが常に頭にあります。どういう庭にすればこのご夫婦はいい感じで成長していけるのだろうか、という思いが常にあるんです。
庭が夫婦にできることって、そんなこと毎日考えているのは世の中でぼくだけかもしれません。庭屋は庭のことを考えるものですし、なかなかそこで過ごすご家族のこととか、ましてよそのご夫婦の行く末を真剣に考えながら庭づくりをしているという同業者には、今のところ出会ったことがありません。ひとことで言うとぼくが変わっているのかもしれませんね。本人的には「何で?」なんですけどね。

夫婦がいい夫婦で歳取っていくことの困難さ、離婚までいかなくても、仮面夫婦とか「主人と一緒の墓にだけは入りたくない」とか、悲しい人生ですよね。喧嘩もするでしょうし、意見が合わないこともあるでしょうし(基本、意見は合いません。庭の打合せをしているとつくづくそう思います)、でもねえ、なんとかかんとかいい関係をキープしていただきたいなあと。何度喧嘩しても気がついたら関係修復できていて、喧嘩する前よりもちょっと絆が強くなった、そういうのがいいですね。喧嘩しいしい仲が良いってのが理想かな。

家族の中の他人である連れ合いとうまくやっていく方法がふたつあります。ひとつはぼくが設計した庭で暮らすこと。もうひとつは理想の夫婦との交流です。
年輩のお客様と話すと、奥様方から何度も同じ話が出ました、「今は主人と仲良く庭を楽しんでいるけど、平らにここまで来たわけじゃないから。何度出ていこうと思ったことか」。
日常的に、そういう荒波をうまいこと乗り越えて来たご夫婦とお付き合いがあれば、夫婦のことで窮地に立った時に「あのご夫婦ならこういうときどうするだろうか」ということを、実感を持って考えられます。となりにいいお手本があれば、いろいろ考えずにただそれを真似すればいいんですから。

ぼくにとってのお手本は庭のある暮らしを満喫しているお客樣方です。年齢に関係なく夫婦で庭を楽しめるということは、まちがいなくいい夫婦だからです。それともうひと組、北原照久さん、旬子さんご夫妻。そのレベルの高さは究極です。妻とあまりこういうことを話したことはないんですが、いつか必ずその域までたどり着きたいという思いが、きっと我が妻の中にもあると思っています。もしそうなら、いつかはそうなれると思うんですね、いつも言う通り、人生はイメージできたらできたも同然ですから。

少し前に夫婦という航海の羅針盤は未だ発見されていないということを書きましたが、ふたりの目的地が同じなら、そこにふたりで行きたいなら、けっこうがんばれるんじゃないかなあ。これってチェックポイントですよ。羅針盤がないうえに船(夫婦)がたどり着きたい目的地もハッキリしていなかったら、疲れ果てたあげくに難破してしまいます。

「うちの夫婦は漂流しているなあ」と思う方も多いと思います。羅針盤がないんですからねえ、しかたないですよね。ぼくが知っている難破しないための方法は夢を語ることです。そんな状況で愚痴を言い始めたら・・・、ね、終わっちゃいますよね。

世の中には 数多くの 言わない方が良いことと
数少ない 言うべきことがあります


言わない方が良いのはグチと悪口で、言うべきことは夢です。