ではもう少し近づいていきましょう。

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After 6
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階段を上がっていくと、左側が子世帯。

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After 7
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そして右側が親世帯の玄関です。

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After 8
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振り返ると、こうです。

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After 9
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二軒を隔ててたフェンスもなくなって、

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After 10
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両家共有の、前庭のようなアプローチになりました。

垣根(フェンス)を取っ払うと、ものすごく自由な関係性が生まれるんですよね。
今回のように親子じゃなくて、他人同士であっても、フェンスを無くした方がいいんじゃないかなあって気もしてきます。田舎の家ってそうですからね。裏の畑を通ってご近所さんが縁側からやってくるような。いいと思うんだけどなあ。


 
最近、夕食後にゴロゴロしながら家族でテレビを観るのが習慣化しています。疲れている時はそのままウトウトして、娘に「お風呂入ったら」と起こされます。田舎にいた頃に昼食後、昼の憩いのテーマ曲をBGMにウトウトしていたあの感じ、幸せなひと時です。
そのウトウトの中で「!」と思ったことがありましたので、それを書きとめておこうと思います。

「そういえば、ハングリーさとかコンチクショーで仕事することがなくなったなあ・・・」
歳取って怒りのパワーが減少したのか(若い時って怒ってますよね)、いやちょっと違うんだなあ。「楽しんでいいんだ」ということに気がついたのかもしれません。今さらながらなんですけどね。

以前は楽しむことに不安がつきまとっていた気がします「バチが当たるんじゃないか」って。油断大敵、いつもコケないように力が入っていました。
それが「転ぶのって楽しいぜ」という感覚になってきた。経験的に転んでもたいして痛くないことがわかったし、転ぶことで感じる「こりゃあ楽しい」ということがけっこうあって、だから転ぶ前よりニコニコしながら起き上がっている自分がいます。だから「もう忙しくて楽しんでいる暇しかありません」みたいな毎日なのです。

思考から「べきである」がほとんどなくなって(周囲からはいいかげんに見えるかもしれないなあ)「まあ、いいんじゃない」が多くなってきて、ぼく自身がその楽しい世界に入り込むほど、お客様から「ありがとう」と言っていただく回数が増えていくのです。だからうれしくなって、ますます夢中で、楽しく転げ回るという楽しさのスパイラルに入りつつあります。

気持のどこかで、ほんの1ミリくらい「これでいいのかなあ」と思いますが・・・、すぐに天から、あの声が聞こえて来ます「これでいいのだ!」