日置さんちのリビングには、独特の「幸せな空気感」があります。その空気感の発生源は、裁縫とトールペインティングが得意な奥様が手づくりした、ソファーカバーやテーブルクロス、クッションなどです。

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その「幸せな空気感」は、さっそく庭へと溢れ出しました。

パーゴラに取り付けた、手づくりのタープ(シェードセイル)です。

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夏の庭らしくミッキー柄のブルーの生地です。赤いパーゴラと相まって、ウッドデッキが楽しい雰囲気になりました。
寸法が大きいので、ご主人にも手伝ってもらった共同作品だそうです。
秋が深まったら、また違う柄で制作するとのことでした。

そのタープの下のベンチにはクッションと、

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ペイントした鉢カバー。

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チャッチャッと、こんなふうに描けたらいいですよね。うらやましい才能です。

芝生に置いた椅子のクッションにも、リゾートフルなワンポイントが描かれていました。

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ヤシの葉。 

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美術部出身のぼくとしては「これを描いているとき、奥様は幸福感でいっぱいだっただろうなあ」と、その時間が想像されて、グッと来てしまいました。描いているときの幸福感。

物をイメージして、つくり出す、描く、そういう時間が生活の中に存在しているのがすごいことですよね。そうやってできあがった手づくりの物にかこまれて暮らす。奥様は幸せを生み出す達人です。



「表現欲」ということがあります。
食欲や物欲は誰にでもありますが、この「表現欲」はある人とない人がいるのだそうです。

ぼくは田舎にいる頃から表現欲過多で、絵を描いたり、粘土をこねたり、写真を撮っては夜中に現像したり、曲を作って、ギター一本抱えて「県内縦断コンサート」をやったり。その欲求が強いばかりに、世間からやや変人扱いされていたような時期もありました。新潟では、そういったことはただの道楽で、そんなことばかりしていたぼくは「役立たずの道楽者」だったのです。
当時は「何で俺だけこうなんだろう」と、周囲とのギャップに思い悩んでいました。思春期ってそういうものなでしょうけど、いつも何かしらモヤモヤしていて、絵を描いたり写真を撮っているときだけ、ぼくはそのモヤモヤから解放される。
だから周囲から「そんな飯の種にもならないことばっかりやってるんじゃない」と言われても、それをしないと自分を保てなかったのです。
でも、今となってみれば、その厄介だった「表現欲過多」の延長線上にこの仕事があって、こうして暮しが成り立っているのですから、人生とは面白い物です。

その、当時のぼくにとっては苦しみの源だった「表現欲」を、ぼくの中で肯定させてくれた言葉があります。ピーター・カブリナというハワイのウインド・サーファーがインタビュー記事の中で語っていた言葉です。

晴れた日は海に出て波に乗る
雨の日は家で木彫りをする
どちらも同じこと
自分の中の「表現欲」を満たしているのです

衝撃的でした。そういうのアリなんだー!と。それと「表現欲」という言い方。それまでぼくの中でモヤモヤとしていた得体の知れない欲求が、そこ言葉でハッキリと定義されたのです。得体が知れないから不安になる。それを定義できれば、「表現欲」という呼び名があればちゃんとそのことと向き合える。そういうことってありますよね。長い長いトンネルから突然抜け出した瞬間でした。

うちのお客様の3割以上の人たちが、トールペインティングや陶芸、木彫り、アートフラワーなどの創造的な趣味をお持ちです。
みなさん、ご自分の中の「表現欲」を満たしながら暮らしているのです。そしてその作品は、暮しに「幸福な空気感」を生み出しています。

「表現欲」のある人は幸いです。