今回の設計で意識していたことが、できるだけ木を残すということでした。普段からもともと植わっている庭木を活かして庭を構成するように心がけていますが、今回は特にその気持が強くありました。
それは、亡くなられたお父様が植物学者で、雑木林のようなこの庭をとても楽しんでいたということをうかがったことと、ご主人もまた「緑が多くて自然を感じながら過ごせる庭がいい」というご意見だったからです。

できるだけ木を残しながらも、過ごすのに十分なスペースを確保するために、ご覧のように樹木ギリギリでレンガを積むことに。

DSC_0140

DSC_0143

こういうケースの場合、事前の測量での木の位置の計り出しが正確じゃないと、いざ施工を始めたら「木に当たってレンガを積めない」ということも起こりますので、着工時には「はたして設計通りにつくれるだろうか」と、少々緊張します。

DSC_0145

数年前は時々、測量と現地の木の位置がずれているというミスがあって、現地で腕組みしながら次の手を考えるという場面がありましたが、このごろは測量に当たるスタッフも腕を上げてきて、そういうことはめったに起こりません。

事前の測量ミスへの不安がなくなったおかげで、ぼくとしては嬉々としてギリギリラインを狙うようになって、その分設計に幅と精度と微妙なニュアンスを込めることができるようになりました。 
 
DSC_0141

DSC_0144

造園では、比較的既存の樹木を活かすという考え方がありますが、建築設計は逆で(残念なことです)、はっきりと建物優先です。見積書の最初に「伐採・整地」という項目があって、新築の場合、基本的には敷地内の木はすべて処分するのが通常です。

修行時代に、幸運にも師事することができた造園家の田瀬理夫先生から、もともと生えている木の枝一本も落とさずに、木の懐に間借りするように構造物を配置するというやり方(考え方)を教わりました。
ありがたかったなあって、20年以上経って、先生との出会いが自分の大きな財産になっていることを感じています。

DSC_0146

木の懐に間借りするように・・・。
実はこれって、人間もそうあるべきなんだと思うんですけどいかがでしょうか。

自然の懐に間借りするように暮らす

地球に借家住まいしているという感覚の方が、人間は人間らしくいられる気がします。



造園家の田瀬理夫さんは「天才」です。その才能は飛び抜けているというか、突き抜けているというか。
ぼくが26歳で上京して、最初に取り組んだ千葉市動物公園2期工事の監修をされていました。新米現場監督のぼくに「庭は美術的造形ではなく、人の心を動かすための仕掛けなんだ」ということ、「木も石も、設計図にある寸法のものを配置すればいいというものではなくて、そこに物語やメッセージを込めなければならない」など、現在のぼくの仕事の基礎となっている部分を学ばせていただきました。
建物の中から庭はどう見えるのか、樹木がその脇を歩く人に何を感じさせるのか、そもそも庭はなぜ必要なのか。そういう本質的な視点から全くぶれなることなく庭を見つめ続ける田瀬先生の姿、言葉を感動しながらどんどん吸収していった若き日の自分。きらめくような時間でした。
出会いって素晴らしいですね。そしてありがたいことです。

そういう出会いの連続で、今の自分ができ上がっている。そう思うと、今日もすばらしい出会いがあるような予感でワクワクしてきます。
これこれ、こういう気持のときは絶好調なのです。今日もいい設計ができそうです。