昨日書いた「出会うべくして出会った」という感覚。だれでも、そういう出会いの繰り返し、積み重ねで現在の自分が形成されているといえます。


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我が半生を振りかえるとまさにそうで、ぼくは「出会い」によって育てられ、そして生き延びてきたのです。


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けっこうハチャメチャな青年期をおくる中で、父親にこう言われたことがありました。「おまえは不思議だなあ。それだけわがままに好き勝手やって、普通だったら世間様にこてんぱんに叩きのめされるはずなんだが、ピンチになると必ず誰かが出てきて助けられる。おまえは運がいいなあ」と。


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ほんとにそうでした。
性分でしょうか、周囲の友人たちが真っすぐに伸びたレールに乗っかろうと頑張っている中、ぼくだけ人と違う、長く曲がりくねった道を選んで歩いてきました。しかも肩を怒らせて。
そういう生き方をしていると世の常で、当然のごとく途中いくつもの危機に遭遇します。自業自得ではありますが、そうやって痛い眼に遭わないと物事の道理を理解しないというような、簡単に理解してたまるか!みたいな頑固さ、偏屈さ。それが我が個性だったのです。
「決して自分から丸くなってはいけない。そうやって理想を捨てたり夢をなくしてしまったら、世の中を転がりやすくなるかもしれないが、形はいびつになってしまう。ぼくは楕円形の自分など許せないのだ!摩擦を恐れず、痛みをこらえて、ぶつかってぶつかって、そうやって自然に角が取れていけばやがて美しい球体になれる。ぼくは一生をかけて、地球のような球体になりたいのだ!」って、そんなイメージでした(・・・ねんどくさい人ですよね)。

繰り返される危機。さすがにもうダメか・・・と思うことも何度かあって、そこで必ず奇跡のような新たな出会いがあるのです。そしてその出会いによって次が開けてきました。友人だったり、師匠と呼べる人だったり、妻との出会いもそうでした。それとそうそう、本との出会いも。
振りかえると、それらの出会いすべてに「出会うべくして出会った」というような感慨があります。

出会いによって救われ、導かれてきた半生。
父親の言う通り、ぼくは出会いに関してはむちゃくちゃ強運なのです。


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そんなぼくなので、年末のラジオで聴こえてきた北原さんの言葉、心にしみました。

道に迷ったから、たくさんいい人に出会えた。

いい言葉ですよねえ。


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出会うことの不思議さありがたさを、歳を重ねるほど強く感じるようになって、同時に出会うことの楽しみもふくらんできました。

さあて、この先どんな出会いが用意されているのか、ワクワクします。 いい出会いを待ちながら、まだまだ道に迷いながら歩き続けますよ。



どうです!昨日よりも数段いい結論にたどり着けたでしょ。めでたしめでたし。