階段脇に立水栓を設置しました。水受けは作らずに、砂利に落ちるように、地中に排水枡が隠れています。


じゃ口の把手は「こがら」という彫刻です。


こがら(全長12センチほどの小鳥)が、飛び立つ前にチカラを溜め込んだ一瞬を表現しているそうです。
この作者は、父親が著名な彫刻家だといいます。世の常で彼は父親に反発し、反発しつつも父の背中を追って彫刻家を目指しました。「父親を越えること」というのは、すべての男の子の命題なんですよね。
父を追い、反発し、追いかけて、しかし追いつけずに日々の暮らしもままならない。それでも父を追い続け苦悩し続けた彼は、やがて父親とは違うフィールドに創作の価値を見いだしました。工業製品としての彫刻です。
いわゆる芸術作品ではなく、一般の人たちの何気ない日常の中で輝く作品を生み出したいという、そのことに光を感じた彼は、呪縛から解放されたかのようにイキイキとした蛇口彫刻を次々と生み出しました。
この「こがら」もそのひとつです。
一個の蛇口にこんなドラマがあるのです。
北原照久さんの言葉です。
物には物語がある。その物語にトキメクから集め続けることができる。
そんな彼、無名の工業彫刻家の人生ドラマを感じさせる蛇口、いいでしょう!
父の背中を追い、いつかきっと父を越えてやろうという呪縛・・・、女性にはなかなか理解しがたいことかもしれません。
・・・それよりも、ぼくの背中は息子にどう見えているんだろうか。そう思うと、ちょっと背筋が伸びます。
がんばって、がんばって、息子が呆然とするくらいのでかい背中の父でいたいなあ。
この作者は、父親が著名な彫刻家だといいます。世の常で彼は父親に反発し、反発しつつも父の背中を追って彫刻家を目指しました。「父親を越えること」というのは、すべての男の子の命題なんですよね。
父を追い、反発し、追いかけて、しかし追いつけずに日々の暮らしもままならない。それでも父を追い続け苦悩し続けた彼は、やがて父親とは違うフィールドに創作の価値を見いだしました。工業製品としての彫刻です。
いわゆる芸術作品ではなく、一般の人たちの何気ない日常の中で輝く作品を生み出したいという、そのことに光を感じた彼は、呪縛から解放されたかのようにイキイキとした蛇口彫刻を次々と生み出しました。
この「こがら」もそのひとつです。
一個の蛇口にこんなドラマがあるのです。
北原照久さんの言葉です。
物には物語がある。その物語にトキメクから集め続けることができる。
そんな彼、無名の工業彫刻家の人生ドラマを感じさせる蛇口、いいでしょう!
父の背中を追い、いつかきっと父を越えてやろうという呪縛・・・、女性にはなかなか理解しがたいことかもしれません。
・・・それよりも、ぼくの背中は息子にどう見えているんだろうか。そう思うと、ちょっと背筋が伸びます。
がんばって、がんばって、息子が呆然とするくらいのでかい背中の父でいたいなあ。