昨日は午前中は東京で庭の打ち合わせ、午後は港南台店の模様替えをしました。
暖かかったですね。その春らしい天気も手伝ってかホームセンターはごった返していて、園芸コーナーもぼくの期待以上ににぎわい、みなさんが花や芝生を買い求めていました。
うちの店に来られる方も多く、植物のことや庭の相談などで半日しゃべりっ放し。久しぶりに活気のある時間を楽しませていただきました。
やっぱり春はこうじゃなきゃ!

みなさんと話していて、ようやく気持が平らになり気力が満ちてきた、そんな感じを受けました。
それから、庭ってやっぱりいいもんだなあと。

ぼくの場合、庭の話はほぼイコールで家族の話になります。芝生の手入れも、縁台のことも、花壇や砂場やウッドデッキのことも、そこで過ごすそのご家族を主人公としたシーンの話ですからね。これが楽しい楽しい。そりゃあそうです、お客様と一緒に庭での楽しいシーンをイメージするのですから、楽しいに決まっています。
「花は幸せの象徴」、「庭はしああせな家族の場所」、あらためてそれを実感できた日でした。


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地震後ずっと、書こう書こうと思いながらも、もう少し落ち着いてから・・・と先延ばしにしていたことがあります。それは「泣く」とうこと。みなさんの涙腺が弛んでいる状態ではこういう話題はジメジメしてしまって、伝えたいことも伝わらなくなってしまいますからね。
でも、花を買い求める笑顔の人たちに元気を確認し、もうそろそろ書いておこうかと思います。


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フォークシンガーで精神科医の北山修さんが、以前ラジオで話していたことです。


 


人は悲しいときにちゃんと泣いておかないと、後々心のバランスを崩しやすいのだそうです。泣ける人はちゃんと次ぎに進んでいけるが、がんばって泣かなかった人、無理に笑顔を通した人に問題が生じやすい。だから、辛かったり悲しかったらちゃんと泣いといてくださいね、という内容でした。泣くということは、デリケートな構造の人の脳を、健全に維持するために欠かせないラジエーター(放熱器)のようなものだということでした。
年配の方はこのこと、経験的にわかりますよね。

数年前にこの話を聴いてから、ぼくは涙に肯定的になりました。肯定しすぎて、最近ではドラマを観ては泣き、本を読んでは泣き、子犬がかわいくても泣き、ついにはご飯がおいしいから泣くという始末。妻も同じ感激型なもんですから、もう涙腺崩壊夫婦になってしまいました。いやほんと、テレビドラマを観ながらふたりでティッシュボックスの奪い合いをしているのを、娘があきれ顔で見ていることがよくあります。
中年になると涙もろくなるというのは、きっと脳の機能が衰えることによるオーバーヒートを予防するための防衛本能なのかもしれませんね。


避難所からの中継で、家を無くしたおばあさんが「世界一の大災害らしいから、これから世界一のがんばりを見せますよ!」と。もういけません、涙涙。
まだ言葉が出ないほど辛い人の姿に泣け、その辛さから立ち上がろうとする人に泣け、ぼくの脳はオーバーヒートしないように機能してくれてます。


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泣くということについて、ぼくの手帳にこんなことが書いてありました。


「もし、悲しんでいる人に出会ったら・・・」

「涙」
涙がとまれば、また元の笑顔にれます。

「泣」
泣くのをやめれば、またち上がって前へ進めます。

でも、目の前で悲しみに打ち震えている人には、こんな言葉、かけられるものではありません。悲しみの前に、言葉は空虚です。

「憂」
憂い・・・悲しみ、不安。

そばにだれかいてくれると、人+憂で
しさに変わります。

できることはただ寄り添うこと。でくのぼうのように、ただそばにいて、一緒に泣いていること。
泣きましょうよ。ただただ思いっきり泣きましょうよ。


中越地震から3年目の冬、息子と一緒に故郷にスキーに行きました。川口町の雪景色には、まだ仮設住宅があり、胸が苦しくなったことを覚えています。「もう3年たったのに・・・」。

寄り添って、仮設住宅が一棟も無くなるまで寄り添い続けていきます。
場所は離れていても、みんなの気持が寄り添い続けていることがチカラになるはず。
吉本由美さんのいう通り「みんなつながっている」のですから。


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寄り添いながら、ぼくの持ち場で「幸せな家族の庭」を思いっきりイメージし続けますよ!


昨日の晴れから一転、今日は一日中しとしと雨。元気いっぱいなつもりが、またちょっと落ちちゃったかなあ。
なあに、寝て起きれば何とかなる。明日もいそがしいぞー!