一昨日の「森はなぜ荒れないのか」の続きを、昨日書き忘れてしまって(相談会でたくさんの人たちと話しているうちに、満ち足りた気持になって、ブログのことが頭から消えてしまいました)、今日書きます。



人はなぜ庭などという、放っとくと荒れ果ててしまうような厄介な場所を生み出したのでしょうか?


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実際、庭を厄介な場所って感じている人、ものすごく多いですからね。ぼくはほぼ毎日そういう方とお会いします。相談会でも、その手の話が中心でした。その厄介さを消し去って、庭をよろこびの場所に変えることがぼくの主な仕事なのです。
でもほんと、なんで庭は生まれたんでしょうね 。どんなに庭を楽しんでいる人にとっても、やっぱり多少は厄介な場所ですよね。


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ちょっと視点を変えてみましょう。
放っとくと荒れてしまうのは庭だけではありません。キッチンもリビングルームも、たったいち日片付けをさぼっただけで荒れてしまいますよね。仕事もそうで、机の上、引き出しの中、パソコン画面も、放ったらかしで片付いてゆくということはなくて、常に乱雑になっていきます。


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つまり、生活というのは基本的に荒れてゆくもので、それを整理し秩序を維持することが生活の基本だということです。もっと大仰にいうと、生きるとは無秩序な周辺に秩序を与えて統制してゆくこと。シンプルにいうと、人生とは整理整頓すること、となります。


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はい、答えが見えてきましたね。庭ってのは人間に課せられた「統制しながら生きなさい!」という神様の指示に応えるための修行の場なのです。庭付き一戸建てにはもれなく修行の場が付いてくる、というわけです。


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神様に指示された修行を怠ると・・・、きっとろくなことにななりませんよね。だからね、修行するぞ!修行するぞ!修行するぞ!
まあこれは冗談ですけど。


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昨日「森は荒れない」と書きましたが、正しくは「森は荒れながら、それ以上のスピードで回復している」のです。それが自然のパワー。
明日はそのことから入って、今わが家で起きている不思議な現象のことを書きます。







昨日相談会にお越し下さった皆様、ありがとうございました。きっと庭へのイマジネーションが広がったのではないかと、お話しをしながらそんな手応えを感じることが多いいち日でした。
最初は「小さな庭なんでいろんなことはできないように思うんですけど、何をどうしたらいいのかわからなくて・・・」と、なんだか不安そうな表情でやってきた奥様が、話し始めて5分後には目を輝かせて「庭をそんなふうに考えたことなかった」と、庭への夢をいっぱいに膨らませていました。そういうときにはぼくは小さくガッツポーズ。さらに話し込んでいいるうちに、話題は庭から遥か遠くなって、犬の話、子育てや夫婦の話、今夜のおかずの話と、あっちこっちに広がっていきます。
初対面の人と、こんなに楽しい時間を過ごせることのうれしさってものすごく大きいことです。大好きです相談会。

そうそう、「庭で『自給自足もどき』を実践して、それを子供たちに体感させたい」と張り切っているご夫婦がいました。すてきだったなあ。
庭を積極的に「家族が育つ場所」と捉えているおふたりから 、また学ばせていただきました。このこと、「幸せへの扉」として、書きとめておこうと思いました。



相談会、今日もやってます。


相談会 四季877

相談会 四季-2


ご一緒に、あなたの理想の庭をイメージしましょう。