藤原正彦さんの「美的感受性」の話に感銘を受けました。その要点をちょっと整理しておこうと思います。



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物理や数学に必要なものは偏差値や知能指数の高さではなく、美的感受性。



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自然界のあらゆること、ものごとの本質は美。美しいものはたいがい正しい。



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美的感受性は後天的に親から学ぶもの。
子にそれを学ばせるためには、親が美しい文学を読み、美しい自然の中で、美を意識し、美に触れ、美に感動しながら暮らすことが必要。
 

 

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凄い、やっぱり凄いことです。数学者がたどり着いた自然科学の本質が「美」であるということ。
藤原先生はさらに、「日本人は、自分たちが世界一の美的感受性を持った民族である、ということに誇りを持って生きなさい」と言い、お話しはだんだん右傾しながら著書「国家の品格」へと続いていきましたが、ここまでで十分でした。


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何となくね、ぼくも長年そうじゃないかと思っていたんですよ。ただ、右脳デッカチ美術系頭のぼくがそれを言っても、なかなか共感してはもらえませんでした。「いわふちの価値観ではそうなんだろうけど、世の中美しさだけじゃ生きていけないからね」と。でもね、ほらね、やっぱりそうなんですよ。立派な学者さん、それも一般的には美などという感覚的な世界と対極にあると思われる数学の先生が、そうおっしゃっているんですからこれはもう間違いない。 美しさと正しさはイコールなのです。だったら、美しさを追い求めて生きる、いいんじゃないですかね。


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難しい年頃の娘にですね、「とにかく部屋の掃除をして、美しい身なりで過ごしなさい」と言うんですけどね、勉強やバイトよりも掃除が先だって。まあ父親の言葉などははなからシャットアウト。
そんなやり取りを、妻は、「あなたはいっつもそういう観念的なお掃除原理主義者みたいなことばっかり言うけど、それじゃ現実問題は解決しないのよ」と。
まあいいです。あなたたちが思っているより「美しく暮らす」ということが重大なことであるということを、これからぼくが実証してみせますよ。美しく暮らして、あなたたちをめまいがするほど幸福に満ちた世界へと導いてみせます。観念が大事なのです。お掃除原理主義、いいじゃないですか。美しく暮らすことが幸福実現の基本なのです。
っと、話がそれて、わが家の愚痴になってしまいました。
そうじゃなくてですね、美的感受性ということ、美を意識して暮らすということが、思いのほか大事なことだということなんです。


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なぜぼくが藤原先生の言葉にこんなに興奮しているのか、それは、これこそがぼくが考える庭、ファミリーガーデンの、本質的価値の真芯だと感じたからです。

「美しさは正しさ」だとすれば、「美しい庭は正しい庭」です。では正しい庭、庭の正しさってなんだと思いますか?それは、幸福感です。その庭があることで幸せを感じること、その庭を舞台にした幸せな時間、それが庭の正しさです。ということは、庭の美しさと幸福感はイコールだということ。美しい庭イコール正しい庭イコール幸せな庭。つまり、美しい庭イコール幸せな庭です。
まどろっこしいでしょ、こんな、言ってしまえばあたりまえなこと。でもそれを意識している人はきっと少ない。
誰だって庭は汚いよりも美しい方がいいと思うに決まってますけど、毎日庭を眺めながら、「ウ〜ン・・・美しい」と感じたり、あるいは「もっと美しくするにはどうしたらいいだろうか」と考える人は少ないのです。
意識した方がいいですよ、絶対に。あなたの庭を美しくすること、それは幸せになるための作業なのですから。


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庭屋の経験上、言い切ってしまいます。庭が美しい家の住人は、例外なく暮らし全般が美しい。そして例外なく幸福感に満ちた毎日を送っています。


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美的感受性の話、明日も続けます。
明日は、ぼくを右脳デッカチ美術系頭にした、3人の美術教師の言葉です。