3月11日、地震、そして津波。
ものすごくハッキリしたことがあります。人間は、自然からどんなに手ひどく痛めつけられても、その自然を恨むことがない。



DSC_0808



家族の命を奪った相手が海じゃなくて人間だったら、あるいは人間がつくり出した不自然エネルギー発生装置だったら、その人は一生相手を恨み続けるでしょう。でも自然の前には、人には悲しみは湧いても恨みの感情が出て来ない。
「復興の狼煙」に「それでも今日も海を見る」という言葉がありました。泣けました。
自然は恨みの対象にならず、愛する人を奪ったにもかかわらず、残された人を支え、励まし、明日へと導く。
まったく、何なんでしょうね自然ってやつは。



DSC_0810



つまり、それほど自然は圧倒的な存在だということです。人間は卑弥呼の時代から、そんな自然に恐れおののき、祈り、その恩恵に感謝し、それを神と呼んで生きてきました。だから神様を恨むなどということは、DNAレベルであり得ないことなんですね。

インターネットや宇宙ステーションなど、夢の世界が現実になっている今でも、人は卑弥呼の時代と変わらず自然を神と仰ぎながら生きている生物なんです。
ぼくは思います、今このことをしっかりと確認しておいた方がいいと。



DSC_0809



人はここ数十年、人はそのことから離れてはしゃぎすぎました。自然から遠いところで幸せを築こうとして、そしてそれがうまくいかずにもがいているのです。

嫌な話ですが、日本の自殺者数は10年連続で3万人越え、今回の災害の犠牲者数を上回ります。自殺未遂者の数は自殺者の10倍と言われていますので、毎年30万人以上が自らの命を絶とうとしているということです。どう考えても、社会が大きく病んでいますよね。
その根本に、ぼくは「不自然」があるような気がしてしかたありません。自然と離れたところで形作られたシステムや思考や価値観、そこに自然と相容れない何かがあることが「不自然」です。

土に触れない子供、不自然です。

高機密高断熱の家、不自然です。

原子力エネルギー、不自然です。




DSC_0814



津波にさらわれた命のこと、被災した人たちの苦しみ、放射能に故郷を追われた人たちの悔しさ、子育てしている親たちの不安、それを思うとき、ぼくらはハッキリと、変化するべき時なんだと思います。
どう変化すればいいのか、不自然から不を取っ払ってしまえばいい。

もっと自然を感じる暮らしにシフトしませんか。柔らかく言うと「ロハス」、厳しく言うと 「反・原発・自然・原理主義」みたいな。

まずはあなたとあなたの家族のために、暮らしの中の不自然の不を見つけては排除する、自然にシフトする、そんな暮らしをイメージしてみましょう。

はい、これがこの話のゴールです。


「自然は守られたいとなんて思っていない」から「思考のベースにある圧倒的な自然」、「自然が分母で人が分子」、「自然育」、そして今日の「それでも今日も海を見る」と展開してきました。いかがだったでしょうか。

本音を言えば、(できるだけ穏やかに書いていますが)今ぼくの中には大きな疑問と怒りの感情があります。はっきりとそれがあります。そのことが自分自身嫌で嫌でたまりません。怒りの感情を持って気分がいい人はいませんからね。でもきっと、被災した人たちの心には、ぼくの数万倍の怒りが潜伏しているはずなんです。笑顔で踏ん張っている報道しかありませんが、実際の心には、笑顔と同じだけ、頑張って笑えば笑うほど、悲しみや恨みや怒りが積み上げられているのだと思います。

震災直後から福島に飛んで、写真を撮り続けている宮嶋茂樹さんという報道カメラマンがいます。
彼は言います。

「この現場は最悪です。余震や原発が恐いということで言えばバグダットの空爆の方が怖かったし、散乱する死体の数ではアチェの方がよっぽど多かったんです。でも、ここは・・・。戦争というのはまだましなんだと思いました。戦争は敵がいますよね、家族を殺した、家を焼いた敵がいる。だからその敵をやっつけるまでがんばるんだということが強烈な生き残りのパワーになるんですよ。ところが今回のような天災は、まったくそれがない。海を恨んでもしょうがねえやって。だから頑張ろうという活力や復興へ向かうことの根拠が出づらい。これまでたくさんの戦場や災害を撮影していましたけど、私の知る限り、破壊が一瞬でこれだけ広範囲に渡ったのを見たことがありませんでした。それと経済大国日本が、これだけ時間がかかってもまだほとんど復興ができていないということが歯がゆいというか、ほんとにひどいことだと思います。それだけ今回の震災はひどいんです。復興にはこれから何年もかかるということを、国民がほんとに覚悟せねばならないと思います」

「戦争の方がまし」という言葉が突き刺さりました。
敵がいない、自然を敵にはできないことが確かに辛さではあるんですが、でもそれでも踏ん張れる、笑っていられる、そこが東北の人たちの凄みでもあるんだと思います。代々厳しい自然と対峙して生きてきた人たちの中にある、DNAの力です。

「復興の狼煙」から。

諦めるな、と帆立が言う。

これが東北人であり、日本人なのです。


震災の日からいろんな思いが巡る頭の隅っこで、「よくわからないけど、このままではいけない、とにかく変わらなければ」と思い続けていたそのモヤモヤ感が整理されて、ほんの少しだけ気持が軽くなりました。
不自然から不を探し出して排除してゆきましょう。自然に自然に、自然体で、自然に倣って、自然に訊きながら。



DSC_0813



最後の最後に我田引水。「自然に自然に、自然体で、自然に倣って、自然に訊きながら」、そういう暮らしをイメージするときに、庭は大活躍するのですよ。いやほんとに。