いつもこのブログを見てくれている小笠原くんからコメントがきました。
今日は縄本さんちの夕暮れ時をご覧いただきながら、彼のコメントを読みながら浮かんできたあれこれを書こうと思います。



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彼は園芸資材メーカーの新人営業マンで、身長190センチ(だったかな?)、ものすごく背が高くて、性格はいつも日だまりに居るように穏やかです。そのコントラストがおもしろいんですよ。そうそう、ジャイアント馬場とかキラーカーンみたいな感じです。身体はでかいが心根は真から優しい人。
その彼のコメントを読んでいたら、「小笠原くんは素敵な人生を歩むなあ」と思いました。
そういう人って居ますよね、この先長い人生で、何が起ころうとも大丈夫だろうなって思えるタイプの人。
それと同じことを縄本さんちからも感じていました。それで今日はこのことを書き留めておこうと思ったのです。 



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例えばこういうことです。

「青春に挫折はつきもの、恋愛は狂おしく悩むもの、勉強が頑張るもの、社会は厳しいもの、仕事は大変なもの、子育てはがんばるもの、人生とは辛いもの」と、成長過程で、あまりにそういう洗脳がされすぎているんじゃないかなあと。
大概の子はそう教えられると、それを鵜呑みにします。そしてまっすぐに、そのような人生を組み立てるのです。

ところが、縄本さんご夫婦や小笠原くんは、その洗脳にはまりません。まったく逆に人生を捉えています。

青春は希望に満ちている
恋愛は甘美で眩く輝くもの勉強はむちゃくちゃおもしろい
社会はやさしい
仕事は生きがい
子育ては満ち足りた時間
人生はすばらしい


この違い。



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人生が辛くて大変なものであるなどということは、それを経験した後に、作家が書いたことであって、ただのドラマ的な表現なのです。それは同時に「罠」。
その罠に片っ端から引っかかっているのが我々なんだと思うんですね。

人はイメージした通りに生き、人生は発した言葉通りに展開する。

だから、人生を悲観的に捉える人の人生は間違いなくそのようになるし、すばらしいものと捉える人にはそのように、感動的と捉える人には感動的な人生が待っている。
でしょ、間違いないですよねこれって。ぼくはそう確信しちゃってるんですけど。



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問題は、子どもたちに人生をどう認識させるかなんですね。
子どもは親を見て育ちますから、親がどのように人生を捉えているかでその認識は決まります。


「レノンの庭」によく遊びにくる近所の小学生との会話です。

「イワちゃん、いつもそこで何しているの?」

「仕事だよ、庭の設計」

「何で?」

「おもしろいから」

「?????」
首を傾げています。

「でもそれって仕事でしょ。おもしろいの?」

「そりゃあおもしろいよ」

またちょっと首を傾げて、そして言いました。

「仕事なのにおもしろいなんて、へーんなの」

その子はどこかに駆けていきました。


お父さんお母さんは、ちょと、ミスっちゃってんじゃないかなあって。家で仕事の愚痴を言いまくっている様子が目に浮かびました。



この話、明日に続きます。