引き続き古澤さんちの樹木をご覧いただきながら、最近感じた自分の中の変化について書いておこうと思います。



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長年庭のことをやっていると、自分自身の中で、庭に対する考え方や感じ方に変化が生じます。
20年くらいの長いスパンで言えば「庭は眺めるものではなく、そこに居て感じるものである」ということに気付きました。
その方向で庭を突きつけていくうちに、
「夜の庭の魅力」や「植物のメカニズム」や、さらに広がって「自然と人の関係性」に興味が湧き、やがて「庭を楽しむ人は幸せを実現しやすい」という、自分的には世紀の大発見をして、そのことを追求しながら仕事をするというスタイルが出来上がりました。



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このように、庭に対して、変化しながら深まって行く自分を感じながら、天職なんだなあという気持ちと、この先どこまで深まるのかと、ものすごく楽しみでもあります。何せ、ぼく自身の庭への思いが深まるほど、お客様が喜んでくれるのですから。
昨夜も完成した庭を撮影しながら、お客様から「なんていうのかなあ、う〜ん、どう言えばいいのか・・・、そう、人生が変わりました!」と、最高のお言葉をいただき、うれしさから少々晩酌が増えて、とても気持ちよく熟睡しました。お褒めの言葉はそのまま受け取る、どころか何倍にも増幅して有頂天になって、木にでも電柱にでも登るタイプなのです。
変化しては「大発見だ!」と夢中になり、ちょっと褒められると有頂天になり、またいい気になって突っ走っては(たまには激しく転倒しながら)また発見があり、変化してゆく。



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で、昨年暮れからの数ヶ月で、またひとつ変化を感じています。

木が愛おしい。



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そう、やたらに木が愛おしいのです。
以前は姿が美しい木、その庭に適した木、花や実が楽しめる木、元気な木を選び、植えていました。
でも、この頃、「木なら何でもいいや」と思う自分が居ます。
樹形が崩れていても、多少病気でも、花の咲かない地味な木でも、とにかく木はあった方がいい。全体の条件が許す限り、できるだけたくさんの木を植えた方がいいと思うことがあります。
形や樹種に関係なく、どんな木でも、愛おしく感じている。とても不思議な変化です。



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この変化が、この先どのように展開してゆくのかはわかりませんが、でも、今、書き留めておこうと思いました。





本日、ノアさんの「念押しの和合」に、千葉に行ってきました。
犬って柔軟というかたくましいというか、1度目はやや怯えたような、憂いを含んだ表情だったのが、今回はもう馴れたもので、まったく普段通りでした。今は何事もなかったかのようにいつも通りに過ごしています。
2ヶ月後にはお母さん。知ってました?犬って2ヶ月で出産なんですって。ぼくはてっきり1年くらいかかるのかと思っていて、妻に笑われました。
何頭身ごもってくれるかなあ。5頭だと母体の負担が大きいので帝王切開だそうです。1頭や2頭だと、赤ちゃんが大きくなりすぎるので、これまた帝王切開だそうです。
できれば自然分娩で産んでほしいので、4頭になってほしくて、ノアさんに「4だよ4、1、2、3、4の4だよ」と繰り返し言い聞かせています。