矢嶋さんちの庭に、たくさんのお祝いの花が置かれていました。
長年勤めた幼稚園の退職で贈られたものだそうです。



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仕事は業種に関係なく、それをやっている期間はその仕事が暮らしの中心に置かれるものです。
たとえパートやアルバイトであっても、その仕事に夢中になれる人にとってはそういうものですよね。
それが幼稚園の先生となれば、その大きなやり甲斐や、苦労や、心に残る思い出もたくさんできただろうなあと想像できます。
奥様はきっとそれを天職だと思って、その仕事を生活の中心に置いて頑張ってきたに違いありません。この祝いの花たちが、それを物語っています。



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奥様の退職と、今回の庭のリフォームが重なりました。
長年勤め上げた仕事を終え、自分の気持ちの大きな部分を占めていたものがなくなって、その空いたスペースに、今度は「庭を楽しむ暮らし」が一気に広がった。奥様がそのタイミングを意識していたのかはお訊きしませんでしたが、結果として、とてもいい展開になりました。
庭が次の暮らしの楽しみになるなんて、すばらしいことですよね。充実の人生を感じさせることです。

何かが終わると、間髪を入れずに出会いがあって、新たな楽しみが訪れる不思議。

充実した暮らしを送る人の人生は、そうやって、次々と楽しく展開していきます。



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撮影におじゃまして、庭にあったこの祝い花を観て、奥様のそういう出会いの強運というか、いい具合に展開してゆく人生を感じました。



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人生にはそういう節目みたいなことが何度も訪れます。就職、結婚、出産、転職、退職、孫ができる・・・。その節が連なって、しなやかに伸びやかに、天高くまで成長する孟宗竹みたいな人生がいいですよね。

強運の持ち主には、節目節目で必ずいい出会いがあります。



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そういう人にあやかりたい。もしそういう人を見つけたら、迷うことなく近づいていってください。

出会いの強運を持っている人に出会えることが強運の出会い。それを逃しちゃいけません。強運は近づくと伝染しますから。 

ほんとですよこれ。






よくよく考えると、人生は出会いでできあがっているんですよね。生まれてきたことから始まって、何千、何万の人と出会いながら人生が形成されていきます。
つまり、すべての出会いが人生にかかわる運命の出会いなわけですから、出会いを回避する人は人生の形成を回避していることになるわけです。出会いを恐れる人は人生に恐れを抱いているということになるし、出会うことが煩わしいと思っている人は、人生をそう捉えているということになります。

人性は出会いによって形づくられてゆく。

だったら、ねえ、そうとわかればいい出会いをしたいですよね。それも数多く。
節目節目といわずに、毎日たくさんの人とのいい出会いがあればあるほど、人生が豊かに、分厚い幸福感ができあがっていくのですから。