槌矢さんちの樹木です。

もともと植わっていたのがこのシマトネリコ。
前の項で、庭全体と木の周辺が整備されてその場所に意義や意味が生まれることで、木もイキイキとしてくるということを書きました。もう一度その変化をご覧ください。



Before
ビフォーC

After
アフターC




このように、見慣れた木がまるで違う木のように感じられるほどイキイキとするという現象を、これまで何度も目撃してきました。大掛かりな庭のリフォームじゃなくても、周囲の雑草を取るとか、木の枝振りを整えることでも、その木が息を吹き返したように感じられるものです。
(昨日書いた)「庭の変人」としては、それを人間に例えたくなってしまいます。

環境を整えることで、まるで別人のように魅力的になる人がいます。

あるでしょそういうこと。周囲の環境って大事。
逆に考えると、環境が整わないと人の輝きは持続しません。
これもまた納得していただけることだと思います。部屋が散らかったままで暮らしていたら、ねえ、ムリでしょ。暮らしが、それどころか人生の何もかもがうまくいかなくなっていきます。

庭もそうなんですよ。

殺風景な庭、荒れ果てた庭、ストレスの元になっている庭、それをそのままにして輝き続けるには膨大なエネルギーが必要です。

たまにいますけどね、環境がかなり荒れていても大丈夫な人。エネルギー値がものすごく高くて、庭が荒れ放題でも、部屋がゴミ屋敷のようになっていても輝き続けている人。すごい人だなあと思います。
でもぼくが見る限り、ほとんどの人はそんなことは出来ないのです。また、そんなことで出来る必要もありません。

一瞬の輝きなら誰にでもあります。何かの拍子に、その人の魅力や能力が、瞬間的にスパークすることはあるんです。
美しいですよね、そういう時の人間って。でもそれは、その人の幸福な人生にはまったく意味がありません。一発芸とか一発屋ということですから。
一時的にスパークした人の中には、残念ながら「◯◯崩れ」って言われてしまう人もいます。芸能人崩れとか、ボクサー崩れとか、エリート崩れとか。
かつて栄光の中にいた人でも、それが持続しなくなると、世間の常識を大きく超える崩れ方をしてしまう。それはその人の輝きが持続しないものだったらです。

幸せな人生に必要なのは、「あの人っていつもイキイキしているね」と言われること、そしてその輝きを持続して「輝き続ける」ということです。

もしもあなたが、並外れたエネルギーの持ち主じゃないとしたら、楽々とそういう人になるために、輝かしい人生を実現するために、環境を整えることが先決です。

ぼくにはそんな並外れたエネルギーはありませんから、常に掃除をしながら暮らしています。部屋も庭も掃除して、たまには模様替えをして、できるだけ楽々とパワーを発揮できるようにしています。
それはまるで、恐竜全盛の時代に息を潜めるように暮らしていた哺乳類のようです。か弱いけれどちゃんと生きているぼくなのです。弱いからこそ日々掃除が先決。

部屋も庭もまず掃除、これがヨワヨワな人でも楽々と輝けるコツ。

シマトネリコをご覧いただいたところで、話が大きく庭からそれてしまいました。軌道修正します。

このシマトネリコには見た目の美しさ以外にいくつかの役割りがあります。



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庭で過ごしている時の居心地の良さを演出しています。

それとほぼ同義のこととして、背が高くさわやかな緑があることで、場に厚みを持たせつつ、場の雰囲気を清々しいものにしています。



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さらにもひとつ、この木があることで起きている効果は、



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この木の向こうに見えるお隣の庭、さらにその向こうの森を、この庭に引っぱり込んでいるのです。



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これは借景の技法。
自分のエリアをハッキリさせつつ、エリア外である背景をも取り込むために、エリアに築山や木を配するという。
借景、周囲の自然までも我がものにしたいというのは、とても日本人的な感覚です。ヨーロッパの庭はまったく逆で、城壁で囲まれた街とか、放射線状に道路が広がってゆく都市計画とか、庭で言ったら左右対称形のトピアリーとか、大自然の中に、自分が制圧した土地を生み出し広げていきたい、と考えます。

自然を制圧するのか、自然を取り込むのか。
自然に生かされていると思うあなたは、後者を選びますよね。 

またまた話がこの庭から離れてしまいました。修正します。

シマトネリコです。
リフォーム前からそこにあった木にいろんな役割りを持たせ、これらの意義を生み出すことが出来ました。

そこにある木を、ただそこにある木だと思えば、ただそこにある木のまま。
「こいつは役に立つぜ!」と思えば、その木は欠かすことのできない存在になります。


ちゃんとした役を与えられたこの木は、年月が経っても、同じこの場所で、味わいを増しながら輝き続けます。まちがいない。

そのシマトネリコの奥にレモンを植えました。



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シマトネリコは下枝が少ない樹形なので、そこにいつも濃い緑を配するために添えたのです。



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もちろん実も楽しめます。3年もしたら、枝で完熟させたレモン食べ放題。



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シマトネリコの手前には、落葉樹であるジューンベリーを植えました。



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背景にあるお隣さんのコンクリートとフェンスをさえぎりながら、庭に季節感を生み出すためにこの木を選びました。



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もともと植わっていたシマトネリコの背後にレモン、手前にはジューンベリー。
このようにして、囲碁やってるみたいに理詰めで構成していくことで、居心地のいい庭ができあがっていくのです。

シマトネリコ側から庭を振り返るとこうなります。


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椅子に座ったときに、頭の上にはジューンベリーの枝がそよいで、横に視線をやるとオリーブの葉っぱ。



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この位置には1年中葉があってほしいので、近くで見ていて気持ちがいい、ちょっとリゾート気分も味わえるオリーブを植えました。



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シマトネリコに加えて、理詰めで植えたレモン、ジューンベリー、オリーブ 。

設計するときに、木の配置を、こうやってああだこうだと考えながら組み立てていくって、すごく大事なんですよ。

何となく植えた木は、何となく育ちます。
その木はやがてじゃまな存在になったりします。
任務を与えて植えた木は、その役を果たしながら成長してくれます。
いつまでも欠かせない存在でいます。


時間が経ったときにじゃまになる木って、植えられた時点でその運命を背負わされているともいえるわけですから、多角的によーく考えて、よーく吟味してから植えましょう。
いったん植えると長い付き合いになる庭木が、楽しい毎日に欠かすことのできない、家族のような存在になったらいいですね。







今日は完成したお庭の撮影に行きます。
天気は上々。うっすらと雲がかかって、光が柔らかくまわっています。
おまけに、梅雨の晴れ間にしては空気がカラッとしていていい感じです。
気分は上々。気合いも満々。
今日のこの空気感を、うまいこと写せるといいなあ。