建物の西側、一般的には裏側に当たる場所のガーデンリフォームです。
Before はこうです。
Before はこうです。
そして道路からは、こうです。
フェンスも門扉もあるし、通路も整っています。植物も植わっていて、物干し場があって、コンポストが置いてあるということは、草花も楽しんでいるということですから、まあ一応これでいいような・・・。
もしここがあなたの家なら、この場所をどう捉えるでしょうか。
たぶん、ほとんどの人は「このままでいいんじゃないかなあ」って、そう思いますよね。
もちろんやりようはいくらでもあります。でも現地に立って、ぼくは迷っていました。
キッチリと設計するまでもなく、現状に数本の木を植え足して、アーチを設置して、土壌改良して花を植えるだけでいいような気もするし、でももし設計するなら、いったんすべて壊してやり直すくらいの提案をしたいし。いや待て待て、できるだけ現状を活かして仕立て直すべきだ、と思ったり。
行きつ戻りつする気持ちのままでチャイムを押して、奥様との打合せが始まりました。
ぼくは迷っている気持ちをそのまま伝えてみました。
奥様はぼくの話に、はい、はい、と丁寧に頷いたあと、一枚の絵はがきを持ってきました。
ヨハネス・フェルメールの「小路」でした。
小路
そして、とても曖昧で、でもものすごく強烈なご要望をぼくに伝えました。
フェルメールの絵のような提案をしてほしいんです。それはこの絵を模写するということじゃなくて、「フェルメールのような」でいいんです。
ぼくは平静を装いながら、内心困惑していました。困りながら、同時に、身震いするほどうれしくなっていました。
ぼく、フェンルメール、大好きなんです。
しかし複雑です。奥様の言葉は捕らえ所がなく、でも明らかに、ぼくの設計に大きな期待を持っていることがわかるものでした。
でもねえ、「フェルメールのような」って、ねえ、どう考えたらいいのやら。
モネやルノアールじゃなくて、フェルメールですよ。
モネなら池つくればいいような気がするし、ルノアールなら木漏れ日と花いっぱいの庭をイメージすればいい。でも、フェルメールとなると、・・・。
フェルメールの風景画は、奥様が持って来られた「小路」と、もう1枚「デルフトの眺望」があるだけです。庭を描いた絵はこの世に存在していません。
デルフトの眺望
さあどうしますかねえ。
ぼくのその様子を察して、奥様が助け舟を出してくれました。
いいのいいの、ただフェルメールが好きだってことだけ。気にしないで。
ちょっとホッとして、でもうれしい震えが止まらなくて、もう少しつついてみたくなって、フェルメールのことを話してみました。
「フェルメールって、光をカンバス上に微分しようとしてたんですよね」
・・・自分でも、言ってる意味がわかりませんでした。ただフェルメール好きで有名な、分子生物学者の福岡信一さんがそんなたぐいのことを話していたことがあって、それが不意に出てしまったのです。
奥様は静かに微笑みながら言いました。
はい、そうですね。
エーッ!そうなんだあ。
ぼくが意味もわからず言ってることを、奥様は理解し、それが正解であるという返事を返してきたのです。
いやいや、こりゃあまいった。これが漫画なら、ぼくが「ギャフン」となるところです。
自分で振っておきながら恥ずかしくなって、もうフェルメールからは離れたくて、次の話題を探して、しばし沈黙の時間がありました。
またまた奥様が助け舟を出してくださいました。
ラブリーな感じがいいです。
助け舟は、領海侵犯した漁船を取り締まる巡視艇でした。
ラブリーな感じ、・・・かあ。
ぼくは再び困ってしまいました。
とにかく奥様の期待は大きく、具体性はゼロで、フェルメールのようでいてラブリーな設計を望まれているということがわかりました。
この不思議な不思議な打合せの時間、そして奥様の、これまた不思議なご要望。
打合せを終えての帰り道、ぼくは運転しながら、頭の中にはずっと「フェルメール」と「ラブリー」が飛び交っていました。
数日後、設計に取りかかっても、まだ頭の中には「フェルメール」と「ラブリー」が飛び交い渦巻いたままです。何にも描けません。それどころか、何から考えていいのかもわからなくなっていました。
翌日も同じ状態だったので、止むなく他の設計を先にやりました。違うことに集中することで、思いがけない活路が見えてくるかもしれないからです。
・・・ダメでした。
フェルメール、ラブリー、フェルメール、ラブリー、フェルメール、ラブリー。
数日が経過し、他の設計がいくつか完成していました。でもフェルメールとラブリーの混乱はそのままです。
いったん奥様の言葉を頭から外すことにしました。
フェルメールもラブリーも聞かなかったことにして、「もしここがぼくんちなら」という、よく使う思考パターンで設計を始めました。もうそれしかありません。
ぼくもフェルメールが大好きだし、ぼくの中にもラブリー成分は少なからず存在しているので、そんなぼくがイメージする理想の庭を描けばそれでいい。もし転けても後悔なし。とにかく自分なりのベストをカタチにしなければと、そんな心境でした。
明日、そんなこんなで完成したプランをご覧いただきます。
いやあ困り果てました。でもある意味、あんなに楽しい打合せは初めてでした。
庭に何の木を植えたいとかウッドデッキが欲しいとか、そういう具体的なことを一切言わずに、「フェルメール&ラブリー」というお題をくださった奥様、ただ者ではありません。
フェルメールてだれ?というあなたに、これを。
光の画家、フェルメール。いいでしょう。
ところで、「光をカンバス上に微分する」とは、つまり、光のディテールを描写することで、光の本質というか実態というか、温もりや眩しさまでを平面上に定着させるってことですよね。
これで合ってるかな?
う〜ん、やっぱりようわからん。
いやはや、知らないことをうかつに口走るもんじゃありませんね。
もしここがあなたの家なら、この場所をどう捉えるでしょうか。
たぶん、ほとんどの人は「このままでいいんじゃないかなあ」って、そう思いますよね。
もちろんやりようはいくらでもあります。でも現地に立って、ぼくは迷っていました。
キッチリと設計するまでもなく、現状に数本の木を植え足して、アーチを設置して、土壌改良して花を植えるだけでいいような気もするし、でももし設計するなら、いったんすべて壊してやり直すくらいの提案をしたいし。いや待て待て、できるだけ現状を活かして仕立て直すべきだ、と思ったり。
行きつ戻りつする気持ちのままでチャイムを押して、奥様との打合せが始まりました。
ぼくは迷っている気持ちをそのまま伝えてみました。
奥様はぼくの話に、はい、はい、と丁寧に頷いたあと、一枚の絵はがきを持ってきました。
ヨハネス・フェルメールの「小路」でした。
小路
そして、とても曖昧で、でもものすごく強烈なご要望をぼくに伝えました。
フェルメールの絵のような提案をしてほしいんです。それはこの絵を模写するということじゃなくて、「フェルメールのような」でいいんです。
ぼくは平静を装いながら、内心困惑していました。困りながら、同時に、身震いするほどうれしくなっていました。
ぼく、フェンルメール、大好きなんです。
しかし複雑です。奥様の言葉は捕らえ所がなく、でも明らかに、ぼくの設計に大きな期待を持っていることがわかるものでした。
でもねえ、「フェルメールのような」って、ねえ、どう考えたらいいのやら。
モネやルノアールじゃなくて、フェルメールですよ。
モネなら池つくればいいような気がするし、ルノアールなら木漏れ日と花いっぱいの庭をイメージすればいい。でも、フェルメールとなると、・・・。
フェルメールの風景画は、奥様が持って来られた「小路」と、もう1枚「デルフトの眺望」があるだけです。庭を描いた絵はこの世に存在していません。
デルフトの眺望
さあどうしますかねえ。
ぼくのその様子を察して、奥様が助け舟を出してくれました。
いいのいいの、ただフェルメールが好きだってことだけ。気にしないで。
ちょっとホッとして、でもうれしい震えが止まらなくて、もう少しつついてみたくなって、フェルメールのことを話してみました。
「フェルメールって、光をカンバス上に微分しようとしてたんですよね」
・・・自分でも、言ってる意味がわかりませんでした。ただフェルメール好きで有名な、分子生物学者の福岡信一さんがそんなたぐいのことを話していたことがあって、それが不意に出てしまったのです。
奥様は静かに微笑みながら言いました。
はい、そうですね。
エーッ!そうなんだあ。
ぼくが意味もわからず言ってることを、奥様は理解し、それが正解であるという返事を返してきたのです。
いやいや、こりゃあまいった。これが漫画なら、ぼくが「ギャフン」となるところです。
自分で振っておきながら恥ずかしくなって、もうフェルメールからは離れたくて、次の話題を探して、しばし沈黙の時間がありました。
またまた奥様が助け舟を出してくださいました。
ラブリーな感じがいいです。
助け舟は、領海侵犯した漁船を取り締まる巡視艇でした。
ラブリーな感じ、・・・かあ。
ぼくは再び困ってしまいました。
とにかく奥様の期待は大きく、具体性はゼロで、フェルメールのようでいてラブリーな設計を望まれているということがわかりました。
この不思議な不思議な打合せの時間、そして奥様の、これまた不思議なご要望。
打合せを終えての帰り道、ぼくは運転しながら、頭の中にはずっと「フェルメール」と「ラブリー」が飛び交っていました。
数日後、設計に取りかかっても、まだ頭の中には「フェルメール」と「ラブリー」が飛び交い渦巻いたままです。何にも描けません。それどころか、何から考えていいのかもわからなくなっていました。
翌日も同じ状態だったので、止むなく他の設計を先にやりました。違うことに集中することで、思いがけない活路が見えてくるかもしれないからです。
・・・ダメでした。
フェルメール、ラブリー、フェルメール、ラブリー、フェルメール、ラブリー。
数日が経過し、他の設計がいくつか完成していました。でもフェルメールとラブリーの混乱はそのままです。
いったん奥様の言葉を頭から外すことにしました。
フェルメールもラブリーも聞かなかったことにして、「もしここがぼくんちなら」という、よく使う思考パターンで設計を始めました。もうそれしかありません。
ぼくもフェルメールが大好きだし、ぼくの中にもラブリー成分は少なからず存在しているので、そんなぼくがイメージする理想の庭を描けばそれでいい。もし転けても後悔なし。とにかく自分なりのベストをカタチにしなければと、そんな心境でした。
明日、そんなこんなで完成したプランをご覧いただきます。
いやあ困り果てました。でもある意味、あんなに楽しい打合せは初めてでした。
庭に何の木を植えたいとかウッドデッキが欲しいとか、そういう具体的なことを一切言わずに、「フェルメール&ラブリー」というお題をくださった奥様、ただ者ではありません。
フェルメールてだれ?というあなたに、これを。
光の画家、フェルメール。いいでしょう。
ところで、「光をカンバス上に微分する」とは、つまり、光のディテールを描写することで、光の本質というか実態というか、温もりや眩しさまでを平面上に定着させるってことですよね。
これで合ってるかな?
う〜ん、やっぱりようわからん。
いやはや、知らないことをうかつに口走るもんじゃありませんね。