録画しといて早朝か夜のお楽しみになっている「若大将のゆうゆう散歩」で、加山さんが上落合の友禅染の工房に立ち寄るシーンがありました。
東京暮らしの頃の住まいと近かったので風景が懐かしかったです。
また、あの地域にそういう職人さんがいるんだなあと、ちょっと意外でした。上落合に友禅染、意外ですよね。昭和30年頃には神田川で染料を洗い流していたそうです。

その工房での染め付け作業の映像を観ながら思ったんですけど、例えば友禅染の職人さんが、仕事中に感じる悦楽ってあると思うんですね。ぼくらにはわからない、その道一筋の人だけが知る快感のようなこと。
仕上がった着物を着る人は知る由もない、作り手だけが知るよろこびみたいなことです。

作り手だけが知る悦楽があります。

友禅染に限らず、江戸切子でも、有田焼でも、ジャンルを広げれば映画や演劇でも、作り手、制作者だけが知る悦楽の瞬間があるような気がするんですね。なぜならそれ抜きには、その道一筋でやっていけないって思うんです。
何の分野であれ、作品ができあがるまでのプロセスというのはけっこう単調なことの繰り返しなわけです。そこにご褒美のような楽しみ、それも並外れた楽しみ、悦楽と呼べるようなものが無ければ、反復の中にそれを見出さなければ、情熱を注ぎつづけ、その技を極め継承してゆくなんてことは有り得ないと、ぼくはそう思っています。

単純作業の繰り返しによろこびを見出せる人が、それを継続していける。

凡事徹底ということですね。
それは凡事によろこびを見出せる人だけになし得ることなのです。

これって、家事がそうですよね。掃除、洗濯、料理、洗い物・・・。
洗濯が大好きっていう奥様は、洗濯に悦楽を見出している。超一流職人の域です。
そういうものに私はなりたい。
家事となるとねえ、なかなかその域まで到達できません。

凡事徹底は凡事悦楽。

なぜそんなことを思うのかというと、庭の設計も同じだからです。単調と言えばとても単調な作業工程があって、それを日々繰り返しているのです。
家事だとついつい愚痴が出てしまうぼくですが、設計にはちゃーんとあるんですよ、その単調さの中に、悦楽の瞬間。それがあるから同じ作業を何千回繰り返しても飽きることがなく、それどころか、繰り返せば繰り返すほど、その快感、悦楽は大きくなっていきます。

ぼくが感じる、その悦楽の瞬間とは・・・。

設計している庭、それはまだこの世に出現していないわけですから仮想庭ということになりますが、ぼくはその仮想庭で腰掛けたり歩き回ったりします。それこそがぼくの悦楽の世界。
目の前の描きかけの平面図が頭の中で立体的になって、自分がその仮想空間に入り込んで、陽射しや風や花の香りまで感じることができます。
仮想庭なので、何でも自由自在です。一瞬で違う季節になったり、ビールでもワインでも、飲みたいと思えば何でも出てきます。そこでは魔法を使い放題。

もしかしたら、これがぼくの才能なのかもしれません。幼い頃からそうとう強い妄想癖がありましたから。
あるいは、この仕事にのめり込んでいくと、誰でも行き着く世界なのかもしれません。才能とかじゃなくて。まあわかりませんけど、それは間違いなく悦楽です。
悦楽、一種のトランス状態なんでしょうかね。一般的な言葉を使えば「夢中」ってことになります。
度を超した夢中状態。何度繰り返してもクラクラして、あまり深入りすると帰って来れなくなるようなドキドキ感もあります。
ほんと、クラクラしてきてドキドキしてきて、たぶんその時ぼくは口を半開きにしたまま、半笑いで作業しています。時々よだれが垂れそうになって我に返ったりしますから。

そして後日、さらなるお楽しみが待っています。
設計時にそうやってクラクラドキドキしながら歩き回った仮想庭が、現実の庭になるわけです。そこを歩くときのうれしさと不思議な感覚。
仮想庭が現実化して、そこを歩くこともまた悦楽の時なのです。


そんな前振りをしといて、では、きのうの続きです。
Uターンして、庭の反対側の端まで歩いていって振り返ります。
これとほぼ同じ景色を、設計時に何度も行ったり来たりしました。行ったり来たりを繰り返しながら、木の位置や大きさ、壁の高さ、通路のデザインなどを変更し、仕上げていきました。
そうやって思い描いた仮想庭が現実化し、そこを歩くうれしさ。
では一気にいきます。



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歩くようにしてご覧いただけたでしょうか。

昨日今日と、端から端まで歩いていただいて、全体像をイメージしていただけたことと思います。
今回の施工範囲、広くて長いでしょう。

何となく、何となくですけど、プラン図よりも「フェルメール&ラブリー」な世界になっている気がしませんか?
まあ微妙なことなのでそれは置いといて、次はこの広くて長い庭を、エリア分けして解説していきます。







今朝庭に出て思ったこと。
わが家の庭が・・・荒れてきました。
イカンことです。

庭は家族を映し出す。

庭の状態がぼくの状態。

花の数と幸せは比例する。


これまで繰り返し書いてきたことですから、自分んちの庭が荒れてきたら、イカン。

ぼくは仕事仕事で、女房は子犬の躾けでいそがしく、ついつい庭がパワーダウンしてしまいました。
今日は少し早めに帰って、雑草引っこ抜いて、花を植え足して、またいい感じになるまで手入れしようと思います。

庭がパワーダウンしたと感じたら、素早くリカバリーしましょう。

これなんですよ、庭とのこの関係性がいいんです。
庭の様子からパワーを感じ取って、もしもそれが下がってきたら、即対応。何が何でもまたパワーアップさせる。
庭とのそういう付き合い方が、イキイキとした暮らしを維持することにつながります。

庭にパワーを注入すると、アーラ不思議、自分も家族もパワフルになります。

雑草を抜くと庭がパワーアップするって、感じたことあるでしょうか。そして自分にそのパワーが乗り移ってくるって感じ。
雑草取りがストレスになる庭じゃなくて、雑草を引っこ抜くことで、自分が元気になれる庭。いいでしょそういうの。

庭の雑草に気が滅入る人もいれば、雑草がエネルギー源になる人もいる。

おもしろいものです。


庭の波動を上げると、あなたの波動はそれに同調します。
庭の手入れをしたあなたは、庭に引っぱり上げられるのです。


庭を持て余しているすべての人に、このことを伝えたいんだよなあ。

庭を楽しむってのは、自分を庭に映しながら、コンディションを整え、イキイキと暮らす自分を楽しむということ。

「いわふち、くどいよ。何回同じこと言ってるの」という声が聞こえてきそうです。
わかってる人にはそうかもしれませんけどね、言われて気付く人ってのもたくさんいるわけですから。
それとですね、日本中探しても、ぼく以外、こういうこと言う人いないでしょ。

雑草取りがストレスになっているあなた。「庭なんて、木が植わってて花が咲いていればそれでいいんじゃない」と思っているあなた。実はその場所、鏡だったんですよ。

このパラダイムシフトが、あなたの人生を大きく変えることになります。
どう変わるのかって?
ムフフフ・・・・・

おせっかいにも、もうひと言付け加えますね。

庭はあなたを映す鏡ですけど、庭があなたの人生というわけではありません。
庭くらい、さっさとステキな場所にしてください。
ご存知の通り、ぼくらにはそれほど時間は残っていません。
文句言いながら雑草抜いてる場合じゃないんです。


嬉々として雑草抜いてるんなら言うこと無しなんですけど。

いやあ梅雨時期でね、雑草対策の相談があまりに多いもんですから、つい。