昨日書いた、吉元由美さんが仕事場の机の前に貼っているという「足跡」という詩、メアリー・スティーブンソンという14歳の少女が書いたものだそうです。

「足跡」

ある夜、私は夢を見た。

夢の中で、私は神とともに浜辺を歩いていた。

空には、私の人生のさまざまな場面がフラッシュのように映し出される。

そのそれぞれの場面で、私は2人分の足跡が砂浜についているのを見た。

ひとつは私のもの、そしてもうひとつは神のものだった。

私の人生の最後の場面が映し出されたとき、
私はそれまでの人生の足跡を振り返ってみた。

驚いたことに、何度も私の人生の中で足跡が1人分しかない時があることに気がついた。

そして、それは人生でもっとも暗く悲しい時期ばかりだったのだ。

私は神に尋ねた。

「神様、あなたはおっしゃいました。一度私があなたについていくと決めたなら、あなたはずっといっしょに歩いてくださると・・・。
しかし、私がもっとも辛い時期に、
砂浜には1人分の足跡しかありませんでした。
なぜ私が最もあなたを必要としているときに、
私からお離れになっていたのか理解できないのです」


神は答えた。

「いとしい我が子よ。
私はお前がもっとも苦しい試練の最中にいるときにも
決してそばを離れることはなかった。
1人分の足跡しかなかった時期には、
私はお前を抱き上げて歩いていたのだ」



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神様に抱き上げられていたことに気付いた経験、誰でもありますよね。
神様は神であり、時に自然であり、家族や親の愛情であり、ピンチに駆けつけてくれ、一緒にただ泣いてくれた友であり。
一人じゃないんだっていう気づきがあってから、人は人としての幸福な人生を歩き始めるんだなあって、ね、思いますよね。



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ブログで門馬さんちのことを書いている頃、妻カオリは母親の介護で大変でした。
当時の記事を抜粋します。

妻カオリは母親の介護で実家の姫路に行っています。本格的な介護が必要になってから一年ちょっとが過ぎました。幸いにしていいホームに入れて、一時は動けなかった母も体長回復、あれやこれやと文句を言うほどに元気になっています。

お客様に教えていただいた言葉があります。

「介護はね、親が命がけでする最後の子育てなのよ。そう思えば、ありがたくてありがたくて」

まったくその通りで、この一年で妻はずいぶんと成長しました。そしてぼくもまた、介護に関するものすごく貴重な経験とすばらしい出会いがありました。

健康に感謝して、一日一日を大切に過ごすこと。家族が団結して、家族みんなの幸せを守り育てていくこと。
悔いなく今を楽しんで、けっして笑顔を無くさないこと。
介護されながらも日々明るくがんばっているお母さんが教えてくれることです。




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母はその年の暮れに、明るく優しい母のままで、おだやかに、おだやかに、旅立って行きました。

何だか、妻もぼくも頑張り通しの日々でしたから、由美さん本から知ったこの詩「足跡」が、沁みました。
当時を思い出すと、妻のいつも気を張って頑張っていた横顔や、母がのり巻きをほおばっている姿や、・・・いやあ、泣けちゃいます。「介護は、親が命がけでする最後の子育て」、これを教えてくださったお客様に、今でも感謝しています。頑張った人、辛さや悲しみを乗り越えた人からしか出ることのない、魂の言葉です。



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門馬さんの奥様も、これまで病気をされたり、いろんな辛い時期もあったようです。
きっと、そういう経験が「冷蔵庫の貼り紙」になり、「理屈じゃなくてトキメキで選ぶ」ことをさせたのでしょう。

庭が完成してデッキに立った時、ぼくの頭の中にはテミヤンの「幸せの小舟」が流れていました。「夢はたったひとつさ、そう、おだやかになれること」というフレーズがリフレインされていました。
ぼくはそのデッキを「幸せの小舟」と命名し、ブログに歌詞を書きました。


「幸せの小舟」

ワカメ岩ノリ ヒジキ青ノリ ハバノリ、ノリ、ノリ

海辺の街に暮らし 潮風に吹かれてる
細い路地を抜ければ まぶしい海が見える

夢はたったひとつさ そう おだやかになれること
波待ちのボードの上 神様とつるんでゆけそう

幸せはいつだって(誰も 見えは しない)
通り過ぎた時間に(しらぬ うちに)
ただよっている 小舟さ

ワカメ岩ノリ ヒジキ青ノリ ハバノリ、ノリ、ノリ

きつくしかっておくれ 強く怒っておくれ
僕の強さ弱さを 一番わかっている君

夢はたったひとつさ そう おだやかになれること
だけどいつも心は 何かから おいかけられてる

喜びと哀しみは(いつも 背中 合わせ)
愛されていることに(何も かにも)
気づけない夜もある

ワカメ岩ノリ ヒジキ青ノリ ハバノリ、ノリ、ノリ

夢はたったひとつさ そう おだやかになれること
波待ちのボードの上 神様とつるんでゆけそう

幸せはいつだって(誰も 見えは しない)
通り過ぎた時間に(しらぬ うちに)
ただよう 小舟

喜びと哀しみは(いつも 背中 合わせ)
愛されていることで(人はみんな)
心を強くさせる

ワカメ岩ノリ ヒジキ青ノリ ハバノリ、ノリ、ノリ


これって、「足跡」と同じ世界ですよね。



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実はこの時、歌詞を書き写しながら思ったことがありました、「何でこの曲の You Tube がないのかなあ。歌詞だけじゃ伝わらないよ、ッタク!」って。
で、時は経って2年後、ぼくが庭の写真を使って編集し、
 You Tube にアップしちゃいました。

この世にないんだったら、いいよ、おれがつくる!

という超わがまま体質ゆえの展開でした。
コネクティング・ドッツ。このときの「ッタク!」が点でした。たまたま吉本由美さんの本を読んでいたことも、母のことも、北原照久さんそしてテミヤンと知り合えたことも、お客様が教えてくれた言葉も、門馬さんとの出会いも。この頃のいろんな点が連なって線となったのがこれです。







いい曲です。ただただおだやかに生きてきた人には作れない、もがいてももがいてもうまくいかない時間を、それでももがきながら生きてきた人に響く、これもまた魂の詩であり曲ですよね。



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庭に命名するって、時々あります。できあがったその庭に人格を感じたとき、名付けたくなるのです。
今回取材で、久しぶりに門馬さんちを訪問し、庭と再会し、「幸せの小舟」に乗って思いました。

すべての庭が「幸せの小舟」になればいいんだよなあ。



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門馬さんちの回想、明日につづきます。