早起きして、庭に出て、思いっきり気持ちよく目覚めることからいち日をスタートする。
スキー場でゴンドラに乗って、一気に山頂まで登って、一日中自由自在に滑り降りるイメージで。
そうやって始まった絶好調を夜まで持続させるために、途中で転けないために、とても大事なことがあります。
それが今日の扉「悪所に近づかない」。
悪所という言い方は、江戸時代の遊郭や賭場の周辺をさす言葉。つまり、欲望と危険が潜んでいる場所ということです。
庭のある暮らしを楽しむ賢人たちは、幸せを築くことに長けた「幸せ達人」でもあります。
幸せな暮らしを実現するためには日々の努力の積み重ねが必要で、その努力によって身に付いた、様々なスキルを身につけた人がそうなれるのだということを、ぼくは賢人たちとの交流から繰り返し感じてきました。
幸せは、漫然と暮らしていて得られるものではありません。
幸せな暮らしを実現するためには、いつもそのことを意識しながら、家事をし、ちゃんとした食事を取り、いい言葉を使い、勤勉に働き、表情や姿勢を確認し、一日一日の充実をはかり、好奇心を失わず、常に感謝し・・・。
どうです、息がつまりそうですか?
でも実際にそうなんですよ。ご本人たちにとってはそれが当たり前になっているので、それほど強く意識しているわけではないでしょうが、ぼくから見ると、それは修行のようですらあります。
そういう日常から得た「幸せへと向かう知恵」が、分厚く身に付いている人たちが「幸せ達人」なのです。
達人ともなれば、もう何が起ころうと、世の中がどう変化しようと、全く揺るがない幸せを手に入れ維持していくことができます。
その達人たちに共通することのひとつが「悪所に近づかない」ということ。
幸せな暮らしを実現している人たちは、朝から晩まで、とても慎重に、悪所を避けながら過ごしています。
悪所とは、いい方を変えれば波動が低い場所。思いつくままに並べてみます。
空気が悪い場所
閉鎖的な場所
不機嫌な人が集まっている場所
欲望が渦巻いている場所
危険が潜んでいる場所
ゴミが散らかっている場所
風景が荒んでいる場所
なぜかイライラしてしまう場所
これらが、低い波動が漂う「悪所」です。
そういう場所を避けながら一日を過ごすことが大事なんです。朝、思いっきり上がった波動も、悪所に入った途端に、一気に下がってしまいますから。
と言いつつ、ぼくはけっこう悪所好きです。悪女好きじゃないですよ、悪所好き。
旅に出ると、必ずその街の悪そうな地域をカメラ片手に散策します。
温泉街の外れにあるスナックの看板や、歓楽街の路地裏の、故あってそこに流れ着いたホステスさんが住んでいそうなアパートの灯りとか、なにか胸が苦しくなるような情感を覚えてシャッターを切ります。
まあそれは趣味として楽しめばいいこと。
特に若い頃というのは、そういう雰囲気に惹かれるものですが、50を過ぎた今、ハッキリとわかることがあります。
平静な日々にこそ、幸せが育つ。
悪所に近づかないで、もうひとつ、悪人にも近づかないで、慎重にそれを見極めながら過ごしましょう。
波動が下がる場所と人からは、しっかりと距離を取る。
今日の扉「悪所に近づかない」。
悪所に感じるトキメキと、庭にあるトキメキは、似て非なるもの。
その違いに気付いたときから、あなたは本当の幸せへと向かい始めます。
まっ、とにかく、蚊取り線香焚いて庭に出ましょう。
若き日に刺激を求めて、小舟で大海へとこぎ出したようなぼくの人生は、その希望通りに波瀾万丈な展開をしました。荒波に翻弄されながら必死でこぎ続けた日々がありました。
振り返るとそれは、決して「幸せな暮らし」と呼べるものではありませんでした。
その後、この仕事を通して出会ったたくさんの幸せ達人に、手を取り導かれるようにして、生活が整い、心身が整っていきました。今では全身で、心の底から「しあわせだなあー」と感じられる暮らしが実現しています。
庭を楽しむ賢人たちに引っぱり上げられた人生。
出会いって、有り難い。
ぼくを導いてくれた人たちへの感謝の気持ちをエネルギーにして、心を込めて、日々庭を設計しています。
スキー場でゴンドラに乗って、一気に山頂まで登って、一日中自由自在に滑り降りるイメージで。
そうやって始まった絶好調を夜まで持続させるために、途中で転けないために、とても大事なことがあります。
それが今日の扉「悪所に近づかない」。
悪所という言い方は、江戸時代の遊郭や賭場の周辺をさす言葉。つまり、欲望と危険が潜んでいる場所ということです。
【 天野邸 】Before

Aftrer


Aftrer

庭のある暮らしを楽しむ賢人たちは、幸せを築くことに長けた「幸せ達人」でもあります。
幸せな暮らしを実現するためには日々の努力の積み重ねが必要で、その努力によって身に付いた、様々なスキルを身につけた人がそうなれるのだということを、ぼくは賢人たちとの交流から繰り返し感じてきました。
幸せは、漫然と暮らしていて得られるものではありません。
【 日置邸 】Before

After


After

幸せな暮らしを実現するためには、いつもそのことを意識しながら、家事をし、ちゃんとした食事を取り、いい言葉を使い、勤勉に働き、表情や姿勢を確認し、一日一日の充実をはかり、好奇心を失わず、常に感謝し・・・。
どうです、息がつまりそうですか?
でも実際にそうなんですよ。ご本人たちにとってはそれが当たり前になっているので、それほど強く意識しているわけではないでしょうが、ぼくから見ると、それは修行のようですらあります。
そういう日常から得た「幸せへと向かう知恵」が、分厚く身に付いている人たちが「幸せ達人」なのです。
達人ともなれば、もう何が起ころうと、世の中がどう変化しようと、全く揺るがない幸せを手に入れ維持していくことができます。
【 樋口邸 】Before

After


After

その達人たちに共通することのひとつが「悪所に近づかない」ということ。
幸せな暮らしを実現している人たちは、朝から晩まで、とても慎重に、悪所を避けながら過ごしています。
【 草野邸 】Before

After


After

悪所とは、いい方を変えれば波動が低い場所。思いつくままに並べてみます。
空気が悪い場所
閉鎖的な場所
不機嫌な人が集まっている場所
欲望が渦巻いている場所
危険が潜んでいる場所
ゴミが散らかっている場所
風景が荒んでいる場所
なぜかイライラしてしまう場所
これらが、低い波動が漂う「悪所」です。
そういう場所を避けながら一日を過ごすことが大事なんです。朝、思いっきり上がった波動も、悪所に入った途端に、一気に下がってしまいますから。
【 西山邸 】Before

After


After

と言いつつ、ぼくはけっこう悪所好きです。悪女好きじゃないですよ、悪所好き。
旅に出ると、必ずその街の悪そうな地域をカメラ片手に散策します。
温泉街の外れにあるスナックの看板や、歓楽街の路地裏の、故あってそこに流れ着いたホステスさんが住んでいそうなアパートの灯りとか、なにか胸が苦しくなるような情感を覚えてシャッターを切ります。
まあそれは趣味として楽しめばいいこと。
特に若い頃というのは、そういう雰囲気に惹かれるものですが、50を過ぎた今、ハッキリとわかることがあります。
平静な日々にこそ、幸せが育つ。
【 一柳邸 】Before

After


After

悪所に近づかないで、もうひとつ、悪人にも近づかないで、慎重にそれを見極めながら過ごしましょう。
波動が下がる場所と人からは、しっかりと距離を取る。
【 木村邸 】Before

After


After

今日の扉「悪所に近づかない」。
悪所に感じるトキメキと、庭にあるトキメキは、似て非なるもの。
その違いに気付いたときから、あなたは本当の幸せへと向かい始めます。
まっ、とにかく、蚊取り線香焚いて庭に出ましょう。
若き日に刺激を求めて、小舟で大海へとこぎ出したようなぼくの人生は、その希望通りに波瀾万丈な展開をしました。荒波に翻弄されながら必死でこぎ続けた日々がありました。
振り返るとそれは、決して「幸せな暮らし」と呼べるものではありませんでした。
その後、この仕事を通して出会ったたくさんの幸せ達人に、手を取り導かれるようにして、生活が整い、心身が整っていきました。今では全身で、心の底から「しあわせだなあー」と感じられる暮らしが実現しています。
庭を楽しむ賢人たちに引っぱり上げられた人生。
出会いって、有り難い。
ぼくを導いてくれた人たちへの感謝の気持ちをエネルギーにして、心を込めて、日々庭を設計しています。