庭を楽しむ賢人たちには、たくさんの共通することがあります。
これもそのひとつ。
幸せな人たちは、楽しい想い出の品に囲まれて暮らしている。
玄関に、廊下に、リビングルームに、旅先で買い求めた置き物、笑顔いっぱいの家族写真、小さいお子さんの画や書などの傑作が、まるでギャラリーのように並んでいます。
庭のことを話していても、その庭を舞台をとした幸せなシーンが展開されます。
「引っ越したばかりのころは、庭があるのがうれしくてねえ。お花いっぱい植えてさあ、毎週友だち呼んでバーベキューしてたのよ」と。
生まれ育った家の庭もまた、賢人たちの想い出の宝庫です。縁側、坪庭、畑、大きな柿の木、庭に集う大人たちの笑顔・・・。
分厚く積み重なった「幸せな記憶」の上に、今日の暮らしがある。
記憶が土壌になって、そこにまた根が張り双葉が芽吹いて、今日の幸せの花が咲くんですよねえ。
そうやって、楽しい記憶、満ち足りた時の記憶がタペストリーのように織られて行く、そういう人生でありたいものです。
楽しい記憶が結晶したような物に囲まれて、
ぼくは「人は辛いことは忘れ、楽しいことだけを記憶するようにできている」と、以前からそう思っていました。そういう感じ、あるでしょ。
ところがこれ、どうやら違うらしいんですよ。
脳科学者、茂木健一郎さんによると、人は楽しいことも辛いことも、等しく記憶中枢に刻み込まれるのだそうです。
ではなぜ楽しいことばかりが頭に残っている気がするのか。
それはですね、その記憶を引っぱり出す回数が多いほど、それが強く残り続けるということなのだといいます。
テスト勉強と同じで、繰り返し書いたり読んだりすることで強く暗記される。
つまり、楽しい記憶を引っぱり出しながら暮らすと楽しい記憶だけが強く刻まれ、反対に辛い記憶ばかりを思い出していると、その辛さが強くこびりついてしまう、というこになります。
楽しい想い出ばかりが残っているというあなたは幸いな人です。いつも楽しい方の記憶を引き出しながら暮らす、そういうクセがついているのですから。
この茂木さんの説、納得でしょ。
だからなんですよ、幸せな人はますます幸せになってゆくということ。あの不思議な現象はこのことから生じているのです。
いい想い出だけを繰り返し引き出すことが、幸せに暮らすコツ。
賢人たちの暮らしに楽しい想い出の品々があること、幸せな時が詰まった写真や置き物を眺め、会話の中にも「楽しかったあの日」が出てくることにある意味、これで解明されましたね。
またひとつ、扉を発見できました。
あなたが「私は毎日幸せです」と感じているなら、ここから先は読む必要ありませんので、花いっぱいのほかの記事へと移ってください。
「幸せって・・・、う〜ん、なんだっけそれ」という人は、ジックリと腰を据えて読み進んでください。
リフォーム前の庭のベストショットもありました。
花いっぱいです。
離婚に至る夫婦て罵り合うでしょ。
その時に飛び交う言葉の大半は「過去の恨みつらみ」です。
一緒に暮らしながら、きっと最初はどちらかが、やがて双方が、辛い記憶を引き出すことがクセになっちゃったんでしょうね。
そのクセが厄介なんですよ。過去の辛さってのはある種のエネルギーになりますから、うまくいかない現状を耐えるのに、とっても役に立つのです。悪い意味でですけどね。
お互いに過去にさかのぼって、相手の嫌なところ、うまくいなかった出来事、辛かった記憶を山ほど抱えた状態でもめはじめたら、もういけません。
好き好んで離婚する人はいないわけでそれぞれに深い事情があるわけですけど、思考は完全に後ろ向きになっています。恨み言を杖にして立っていようとするその思考のクセを排除しない限り、未来へと向かう話し合いなど成立するはずがないのです。
離婚まで至らないとしても、そういう嫌な記憶を引っぱり出しては「こんちくしょう」と思うことでバランスを取ろうとすることって、実は誰にでもあることです。
誰にでもどころか、国同士でもそれが繰り返されているわけです。
敵がいるとファイトがわく、心の中に敵を作ることでエネルギーがわいてくる、悲しいことに、人にはそういう一面が備わっているんですよねえ。
いやほんと、・・・そこからどれだけの悲劇が生まれてきたことか。
ダメダメ、それはダメ。
いつも敵をつくって、恨む気持ちからエネルギーを発生させていたら、結果は見えていますよ。
文句を言うことで自分を保つ、批判することで安心する、恨むことで元気を出す、どれもこれも破滅へと向かう考え方です。
はい、それ、キッパリとやめましょう。
楽しい記憶を呼び起こしながら暮らせば幸せは積み重なっていくし、嫌なことばかりを引っぱり出して暮らせば、負のスパイラルへと入って行く。
撮影は早春。数ヶ月後にはさらに花が増えて、土が見えなくなっていました。
はい、では、次の質問にハッキリと答えてください。
批判し、愚痴り、恨み言を積み重ねてゆく人生と、楽しい記憶の上に、さらなる幸せを積み重ねて行く人生と、あなたはどちらを選びますか?
・・・でしょ。
だったらね、約束してください。今から棺桶に入るまで、愚痴と批判と恨み言は封印!クドクドと過去を嘆くことも封印!
グジグジ言ってる人ってね、グジグジ言いながら大概このことから目を背けているんです。
あなたが棺桶に入るまで、そんなに長い時間ではありませんよ。
その時間をどう生きるのかは、すべてあなたの選択次第なのです。
だから、ね、賢人たちに倣って、想い出の写真や小物に囲まれながら、すてきな気持ちで暮らしていきましょ。
まずは今日いち日を。
それがうまくできてもできなくても、また明日「今日いち日を」と思ってください。
何日かしたら、案外早くにそういう思考がクセになるはずです。
なぜなら、その方がずっと楽しいしから。
そこまで行けば、もう一生あなたは愚痴らない人になります。
「あんなに辛い人生はもう二度と嫌だよ。だから怖くて、愚痴ったり批判したりできませんって」という気持ちになります。そして見る見る、いろんなことが好転して行きますよ。
さっきまで、幸せってなんだっけ?と思っていたあなた、この扉を開いてください。
今日から、あなたの人生は一変します。
ぼくの手帳の「欲しいものリスト」にデジタルフォトフレームがあります。写真が次々に映し出されるあれ。
20台くらい買って、家中に、仕事場にも、これまでの幸せなシーンを映し出しながら暮らしたら、幸せのスパイラルから外れることはないんじゃないかなあ。
これもそのひとつ。
幸せな人たちは、楽しい想い出の品に囲まれて暮らしている。
玄関に、廊下に、リビングルームに、旅先で買い求めた置き物、笑顔いっぱいの家族写真、小さいお子さんの画や書などの傑作が、まるでギャラリーのように並んでいます。
今日は森川さんちの写真を並べます。
庭のことを話していても、その庭を舞台をとした幸せなシーンが展開されます。
「引っ越したばかりのころは、庭があるのがうれしくてねえ。お花いっぱい植えてさあ、毎週友だち呼んでバーベキューしてたのよ」と。
生まれ育った家の庭もまた、賢人たちの想い出の宝庫です。縁側、坪庭、畑、大きな柿の木、庭に集う大人たちの笑顔・・・。
旅行好きなご夫婦で、部屋中に旅の想い出が飾られています。
分厚く積み重なった「幸せな記憶」の上に、今日の暮らしがある。
記憶が土壌になって、そこにまた根が張り双葉が芽吹いて、今日の幸せの花が咲くんですよねえ。
そうやって、楽しい記憶、満ち足りた時の記憶がタペストリーのように織られて行く、そういう人生でありたいものです。
楽しい記憶が結晶したような物に囲まれて、
ぼくは「人は辛いことは忘れ、楽しいことだけを記憶するようにできている」と、以前からそう思っていました。そういう感じ、あるでしょ。
ところがこれ、どうやら違うらしいんですよ。
脳科学者、茂木健一郎さんによると、人は楽しいことも辛いことも、等しく記憶中枢に刻み込まれるのだそうです。
幸せな時間が積み重なったお部屋です。
ではなぜ楽しいことばかりが頭に残っている気がするのか。
それはですね、その記憶を引っぱり出す回数が多いほど、それが強く残り続けるということなのだといいます。
テスト勉強と同じで、繰り返し書いたり読んだりすることで強く暗記される。
つまり、楽しい記憶を引っぱり出しながら暮らすと楽しい記憶だけが強く刻まれ、反対に辛い記憶ばかりを思い出していると、その辛さが強くこびりついてしまう、というこになります。
楽しい想い出ばかりが残っているというあなたは幸いな人です。いつも楽しい方の記憶を引き出しながら暮らす、そういうクセがついているのですから。
フォトスタンドも多数。
この茂木さんの説、納得でしょ。
だからなんですよ、幸せな人はますます幸せになってゆくということ。あの不思議な現象はこのことから生じているのです。
いい想い出だけを繰り返し引き出すことが、幸せに暮らすコツ。
その中に、超美人を発見!
賢人たちの暮らしに楽しい想い出の品々があること、幸せな時が詰まった写真や置き物を眺め、会話の中にも「楽しかったあの日」が出てくることにある意味、これで解明されましたね。
またひとつ、扉を発見できました。
娘さんですか?・・・それ昔の私です、と奥様。
ね、すっごく美しいですよね。
ね、すっごく美しいですよね。
あなたが「私は毎日幸せです」と感じているなら、ここから先は読む必要ありませんので、花いっぱいのほかの記事へと移ってください。
「幸せって・・・、う〜ん、なんだっけそれ」という人は、ジックリと腰を据えて読み進んでください。
リフォーム前の庭のベストショットもありました。
花いっぱいです。
離婚に至る夫婦て罵り合うでしょ。
その時に飛び交う言葉の大半は「過去の恨みつらみ」です。
一緒に暮らしながら、きっと最初はどちらかが、やがて双方が、辛い記憶を引き出すことがクセになっちゃったんでしょうね。
そのクセが厄介なんですよ。過去の辛さってのはある種のエネルギーになりますから、うまくいかない現状を耐えるのに、とっても役に立つのです。悪い意味でですけどね。
お互いに過去にさかのぼって、相手の嫌なところ、うまくいなかった出来事、辛かった記憶を山ほど抱えた状態でもめはじめたら、もういけません。
好き好んで離婚する人はいないわけでそれぞれに深い事情があるわけですけど、思考は完全に後ろ向きになっています。恨み言を杖にして立っていようとするその思考のクセを排除しない限り、未来へと向かう話し合いなど成立するはずがないのです。
旅先の写真にも花がいっぱいでした。
離婚まで至らないとしても、そういう嫌な記憶を引っぱり出しては「こんちくしょう」と思うことでバランスを取ろうとすることって、実は誰にでもあることです。
誰にでもどころか、国同士でもそれが繰り返されているわけです。
敵がいるとファイトがわく、心の中に敵を作ることでエネルギーがわいてくる、悲しいことに、人にはそういう一面が備わっているんですよねえ。
いやほんと、・・・そこからどれだけの悲劇が生まれてきたことか。
完成した庭も花いっぱい。
ダメダメ、それはダメ。
いつも敵をつくって、恨む気持ちからエネルギーを発生させていたら、結果は見えていますよ。
文句を言うことで自分を保つ、批判することで安心する、恨むことで元気を出す、どれもこれも破滅へと向かう考え方です。
はい、それ、キッパリとやめましょう。
楽しい記憶を呼び起こしながら暮らせば幸せは積み重なっていくし、嫌なことばかりを引っぱり出して暮らせば、負のスパイラルへと入って行く。
撮影は早春。数ヶ月後にはさらに花が増えて、土が見えなくなっていました。
はい、では、次の質問にハッキリと答えてください。
批判し、愚痴り、恨み言を積み重ねてゆく人生と、楽しい記憶の上に、さらなる幸せを積み重ねて行く人生と、あなたはどちらを選びますか?
庭にも、想い出の小物がたくさんありました。
・・・でしょ。
だったらね、約束してください。今から棺桶に入るまで、愚痴と批判と恨み言は封印!クドクドと過去を嘆くことも封印!
グジグジ言ってる人ってね、グジグジ言いながら大概このことから目を背けているんです。
あなたが棺桶に入るまで、そんなに長い時間ではありませんよ。
その時間をどう生きるのかは、すべてあなたの選択次第なのです。
だから、ね、賢人たちに倣って、想い出の写真や小物に囲まれながら、すてきな気持ちで暮らしていきましょ。
これは、えーっと、フィンランドみやげだったかな?
まずは今日いち日を。
それがうまくできてもできなくても、また明日「今日いち日を」と思ってください。
何日かしたら、案外早くにそういう思考がクセになるはずです。
なぜなら、その方がずっと楽しいしから。
そこまで行けば、もう一生あなたは愚痴らない人になります。
「あんなに辛い人生はもう二度と嫌だよ。だから怖くて、愚痴ったり批判したりできませんって」という気持ちになります。そして見る見る、いろんなことが好転して行きますよ。
これはオランダ。奥様の一番のお気に入りです。
さっきまで、幸せってなんだっけ?と思っていたあなた、この扉を開いてください。
今日から、あなたの人生は一変します。
ぼくの手帳の「欲しいものリスト」にデジタルフォトフレームがあります。写真が次々に映し出されるあれ。
20台くらい買って、家中に、仕事場にも、これまでの幸せなシーンを映し出しながら暮らしたら、幸せのスパイラルから外れることはないんじゃないかなあ。