今回の最大のポイントが目隠し、特に公園入り口の階段からの視線を遮らない限り、庭どころかリビングのカーテンも開けることができないという状況でした。
であれば、隠すしかないですよね。
ただし、隠したい高さが半端ない、3メートル以上なのです。

3mの目隠し・・・ブロック塀だと強度を確保したらビルディングのようなゴツい構造になってしまうし、樹木だと幅を取って庭が半分なくなってしまうし・・・。
こういうときには板塀です。うちでは「木工フェンス」と呼んでいます。
高さが出せて、軽くて、隙間の空け具合で風通しや目隠しの強さを設定できます。



Before
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After
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軽くて高く作りやすいと言っても、さすがに3メートルを超えると風を受けたときの強度に問題ありです。
そこで考えついたのが、木工フェンスの手前にレンガ塀をダブらせてそこから補強をするという方法でした。上の写真の右側2本の柱はレンガ塀を支えにして、左側の建物の陰になっている部分にある柱は、建物から梁をつないで補強してあります。

という具合に技術的なことを解説してもあまり興味がわかないと思いますけど、ここからがお伝えしたいことなのです。

このような理由から、道路側の目隠しであるレンガ塀の前面まで木工フェンスが伸びている構成になったわけです。これが結果的に、パーテションを重ねるという厚みと面白さのある空間を生み出しました。

理由があって描く線からデザインが生まれます。

モダニズムですね。必要から生まれるカタチ。

すべてのデザインには理由がある。

理由なきデザインはデザインではなく、それは感性に根ざしたアートの領域です。
では、ガーデンデザインにアート性は必要ないのかというと、そうじゃない。これがまた面白い所です。

デザインをベースにして、そこに宿るインスピレーションがアートの領域まで広がったときに、庭に美しさが生まれるのです。

ガーデンデザインは工業デザインではありません。生み出した庭は、感受性を持ったヒトが楽しむ場所であり、ヒトがそこで感じることが庭の価値になるのですから。

いやあ、今日はデザイナーっぽいなあ。

さて、いつまでもデザイン論に酔いしれてないで、外側からの目隠しの具合をご覧いただきましょう。



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ね、階段を上がっていっても、庭が見えそうで見えないでしょ。
この程度がベストなんですね、見えそうで見えない、かすかに様子を感じる程度の目隠し具合。

道路側には部屋のカーテンを開けておけるだけの高さまでレンガを積んで、その先のガーデニングエリアには軽く透ける木製パネルを設置して、これで庭の目隠しが完了です。
隠し具合がわかりやすいので、夜の様子をご覧ください。



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庭から幸せな光が漏れるこの隠し具合が、いいんだなあ!

目隠しをあきらめてはいけません。妥協してもいけません。
必要な部分に必要なだけの目隠しを施すことから、庭を暮らしの場所にする組み立てが始まります。


隠しすぎないで、庭の外へも幸せな音や光や空気がもれ出す程度も目隠しがいい。これはぼくの感性なので、設計的なことではなく、デザイン的な要素です。
それをどう受け取るかはあなたの感性で、そのふたつの感性が合致したときに、アートの領域へと庭世界が広がり始めます。

発信者と受取手の感覚がスパークしたときに、アートは成立します。

だから自分の感性と合致するデザイナーと出会えるかどうかが問題となるわけですけど、・・・ここでまた問題が。
う〜ん、まあいいや、ここから先は・・・。

とにかく、目隠しは大事ってことです。
レースのカーテンを開けられない状態では、庭は庭として昨日市内ばかりか、庭に面した部屋の居心地まで損なってしまうのです。
基本、カーテンは開けっ放しで、風と光と季節の気配を感じながら、自然からのメッセージを受け取りながら暮らせるようにしましょうね。


 



今日から急激に寒さが増すようです。
ぼくは雪国育ちなので、体内に、寒いと活性化する何かがあるみたいで、ちょっとした高揚感があります。