では、あらためてバーベキューテラスをご覧いただきます。



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壁と、昼寝ができるベンチと、囲炉裏と、植栽、すっかりお馴染みになったこのパターン。
ただし、庭ごとに壁の配置と高さと形状が違います。
それは最初に形ありきではなく、必要に応じて壁を配置しているからです。



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「すべての線に意味を持たせなさい」
これは設計の修業時代に師から繰り返し指摘されたことでした。
実際ぼくが描き上げた図面を持っていくと、一本一本の線について説明を求められました。なぜここに壁があるのか、なぜ通路は曲線なのか、ここに木を植えた理由は何か、なぜその木なのか・・・
延々と理論立てて説明することを求められ、うまく説明できない線については、なぜ説明できないのかを、今度は逆に理論立てて説明され、たいがいその線は消されました。で、描き直し。
その指導のおかげで、今でもぼくはすべての線を説明できる設計を続けています。



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理由があって生まれる形は、必ず美しい。

これは庭だけではなく、人工物のすべてに言えることです。いやいや、自然の造形物であっても同じです。

理由があり、理に叶っているものは必ず美しい。
 
そんな視点で、ありとあらゆるものを観察してみてください。きっとあなたもそのように感じるはずです。
正しさに美しさを感じる、美しさに正当性を感じるということ、それが生物の進化の証しであり、あなた自身が自然の一部であることの証しなのです。



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美しさは正しさ。

正しさを見きわける美的感受性は、自然に触れることで培われ、自然と歩調を合わせる暮らしによって正常に保たれます。
夕焼けに気づいて足が止める、風に揺れる花に心奪われる、さらさら流れる水面を時を忘れて見つめる、そういう自分をなくさないことが大事。

美的感受性を失うと、なかなかうまく生きていけなくなります。

そういう事態に陥ってしまってる人、多いんですよ。自然と歩調を合わせない不自然な暮らしをすると、誰でも、あっという間に人生の歯車が狂い出すんです。ほんと、あっという間です。
だから、庭なんです。



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子どもには庭が必要。そこで一生を支える美的感受性を身につけます。
大人にも庭が必要。庭のある暮らしで美的感受性が調整されます。


このことに気づいた人は、もう庭を「植物を植える場所」や「ただ眺める場所」になんかしておけなくなります。自分と家族の人生に影響する場所として、庭を見つめ、整備し、そこで過ごすようになります。



Before
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After
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ビフォーからアフターへ、美しく変化したでしょ。これは自己満足の自画自賛じゃなくて、確実に美しくなっているはずなのです。
なぜなら、ビフォーにはなかった「場の理由」が「理に叶った構成」によって生み出されているのですから。
それが美の正体であると、ぼくは言い切ってしまいます。






自然に従って、自然の声に導かれながら暮らすという立ち位置がブレなければ、人もまた美しく輝くものです。

清く正しく美しく、この3つの言葉は、実はひとつの同じことを言っています。それは「自然に」ということ。

自然によって与えられる美的感受性ということを意識して、自分の中にある美的感受性をあてにして、物事を理屈ではなく、損得ではなく、美醜で判断することも大事です。