今日は心理学のお勉強をしましょう(夜の庭で読む本は、なぜかこういうのが多くなるのです)。

画用紙を用意してください。
中央に、垂直に線を引き、左右の端にミカンくらいの大きさの丸を描いてください。
線の右側を感情・感覚(右脳)の領域、左側を思考・論理(左脳)の領域とします。
画用紙全体が自分であり中央の垂直線が自分の良好なバランスをがとれる重心であり、人生を幸せ方向へと導く心のセンターラインです。



今年はわりと梅雨らしい梅雨でした。
「レノンの庭」の花たちは、
にわか雨に濡れながら
行く梅雨を楽しんでいるようです。

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人は常に左右に振れ、中央の線上を通過するジグザグを描きながら暮らしています。
その振れ幅が大きい人と小さい人がいて、大きい人は喜怒哀楽がハッキリとしたイキイキとした人で、小さい人はいつも穏やかな柔らかい印象の人です。
どちらの人も素敵な暮らしを実現することができます。
問題なのはそのジグザグが中央の線を通過しない人。右の領域でジグザグしている人は感情の泥沼に入って行きますし、左側の人は思考の泥沼に入って行きます。左右の端にある丸がそれです。



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右側の感情の泥沼にはまると、いつも誰かを恨んでいないと自分を保てなくなり、愚痴を言い批判することを杖にしていないと立っていられなくなります。
その人たちは思考領域から遠く離れているために、思考をともなわない快楽(お酒など)に酔いながら感情を燃焼させるばかりで、いつまで経ってもセンターラインに戻ろうとしません。
反対側、左側の思考の泥沼に入るとどうなるかというと、周囲とのコミュニケーションが希薄になり、他人に興味を持てなくなっていきます。
他人に興味を持てないということは、ミラーニューロンが機能しなくなって自分への興味も弱まっていきますから、自己肯定観も弱まり、「自分探し」がどうのこうのと言い出すわけです。いわゆる「頭でっかち」な状態です。
物事に感動することも減っていって、瞳は精気を失い、周囲から孤立していきます。

左脳と右脳をバランスよく使うことが大事。
センターラインを見失うと、理屈や感情に溺れてしまう。




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困ったことに左右どちらにいる人も、両端に行くほど他人の意見を受け付けません。
感情側の人は、それを心配する周囲の声には「理屈じゃないんだよ。あんたになんかわかりっこないよ」となり、反対の理屈側にいる人は、論争に勝つことで自分を保っているので、何を言われても理屈で跳ね返してしまいます。
またどちらにいる人でもその会話は特徴的で、「でも」「だけど」「そうじゃなくて」と、すべての事柄に対して否定的です。そしてこの世のすべての事象が自分をひどい目にあわせようとしている敵であるかのような発言に終始します。



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何を言っても聞く耳を持たないし、手を差し伸べても振り払われるしで、まあ大概の場合まわりは嫌な気持になり、「そのうち目が覚めるだろう。今は放っとくしかないよ」となるわけです。

センターを失った人は味方も失ってしまう。



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でもそれがあなたの家族や大切な人だった場合、いつまでも放っておくわけにいきませんよね。放っておいたら溺れてしまうわけですから。
ぼくは思います、そんなときには迷わず力ずくでその人を立たせてください。
一度ちゃんと立ってみると、底なし沼だと思っていたのが、実は膝丈だったことに気づくものです。

もがいている人には、その苦しみが永遠に続くものに感じられる。
立ち直ってみると、それがいかに愚かなもがきであったかがわかる。




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ぼくもこれまで何度も無理矢理立たされました、その度に立たせてくれた人たちに感謝しました。その人たちおかげで今の自分があると思っています。
ぼくが底なしの泥沼(実は浅瀬)でもがき苦しんでいたときに、有無をいわさず力づくで立たせてくれたのは、親であり、先生であり、友人たちであり、女房でした。

大切な人が道を誤りそうなときには、全力で姿勢を正してあげるのが愛情。 



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泥沼にはまってもがいている人を助け出せるのは、センターラインを通過している人に限られます。当たり前ですけど、自分のバランスを保てない人が救出に向かうと一緒に溺れてしまいますから。
大事なのは自分自身がバランを失わないことです。
愛する人、大切に思っている人が辛いときにそれを救うことができないというのは、人生において最も辛いことです。
だから、いつもセンターラインを通過しながら、健全なバランスを保ちながら、楽しく美しいジグザグを描いていきましょうね。

明日はそのために必要な、ひとつの重要な「定義」のことを書こうと思います。